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新しい人間とは人間が生における至高の価値とみなされるような暁になってのみ出現しうる

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 共産主義は新しい社会のみならず新しい人間をも創造したと主張する。ソヴィエト・ロシアでは新しい人間について、新しい精神構造について、盛んに語られ、ソヴィエト・ロシアを訪れた外国人も同じくそれについて語ることを好む。けれども新しい人間とは人間が生における至高の価値とみなされるような暁になってのみ出現しうる。もし人間がたんに社会の機構における一個の煉瓦にすぎぬと考えられているなら、もし人間が経済過程の道具にすぎないなら、ひとは新しい人間の出現よりはむしろ人間の消滅、言いかえれば人間疎外の過程の深化について語らねばならぬ。
    --ベルジャーエフ(田中西二郎、新谷敬三郎訳)「ロシア共産主義の歴史と意味」、『ベルジヤーエフ著作集』第7巻、白水社、1960年。

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「有用性」ということを全否定するつもりは毛頭ないのですが、「有用性」という尺度によってのみ判断が下されるようになると、人間にとって「有用」であるべきかどうかという原点が喪失してしまい、特定のトピックに先鋭化した「有用性」が人間をえり好みしてしまうようになってしまう。

わかりやすい例がマルキシズムの「実践」だろう。
たしかに、ソ連成立以前のロシア帝国で人々は塗炭の苦しみを味わっていた。そしてマルクス(Karl Heinrich Marx,1818-1883)の思想に啓発を受けた人々が、問題を指摘し、人間を苦しめるものを批判し、人間の解放を目指した……いささか単純化の嫌いはあるが、筋道としてはそうなる。

さて……。
史上初のマルキシズム国家となったソ連の歴史では、反宗教的プロパガンダが執拗に繰り返される。何しろ帝室や特権階級と結びつき、支配の一翼をになったのが国教となったロシア正教だからである。

そこでしばしば使われた言葉に“法衣を着ない司祭”というレーニン(Vladimir Ilyich Lenin,1870-1924)の有名な言葉がある。社会主義の革命や新しい社会の建設に際しては、清廉な司祭は堕落した法衣の司祭よりも有害である……という主張だ。

法衣の司祭は追放や抹殺が容易だが、清廉な司祭はそれが困難である--。
同じように、優れた在俗の宗教者すなわち“法衣を着ない司祭”は、宗教を社会から根絶するためには、より危険であり、有害なのだという。

社会主義革命やプロレタリア独裁に「役立つ」(有用である)ものが善であり、そうでないものが悪である、そして共産主義という新しい教説が善であり、人民の敵としての宗教という古くさいものこそが悪であるという絶対的規範から言えば、当然の帰結であろう。

そしてこの善と悪との「演出」は、共産主義と宗教という二項間の問題ではなく、「人民の敵」というレッテルを貼られたものは、すべて「有害なもの」、「有用でないもの」として駆逐されることになる。

そして、過酷な弾圧を経て成立した社会は「新しい社会」であり「新しい人間」の大地であると喧伝されていく。

しかし、ベルジャーエフ(Nikolai Aleksandrovich Berdyaev,1874-1948)は、そこに根本的な疑義を投げつける。

先に言及したように、特定の有用性によって「鋳造」された社会や人間は、人間にとって「有用」な社会でもないし、革命が否定したような古い人間の拡大再生産にほかならない。

それは「新しい」「至高の価値」のものどころか、「人間の消滅」「人間疎外の過程の深化」に他ならない。

結局は「有用性」の観点が、ロシア帝国という枠組みから共産主義という「イデオロギー」にずれただけにすぎず、人間を「一個の煉瓦にすぎぬ」と考えたり、もう少し具体的にいうならば、人間を「経済過程の道具」と捉える発想には、変わりはない。

ここには、警戒すべきであろう。

共産主義体制の崩壊を、20世紀を締めくくる歴史的事件として数えることができるから、共産主義のイデオロギーや実践は過去のものだからもう「終わった」ことと捉えるのは早計かも知れない。

なぜなら、ベルジャーエフの指摘は、主語が「共産主義」でなくても成立する命題であるからだ。

新しい人間はどこから来るのか。

「けれども新しい人間とは人間が生における至高の価値とみなされるような暁になってのみ出現」するということだ。


人間が何かにとって有用であると捉えるのか、それとも人間に即して考えていくのか。

人間から人間を生成していくのか。それとも反省という契機を欠いたなんらかの権威や規範・概念から人間を生成していくのか。

ここには大きな違いがある。

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