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E・ヤング=ブルーエル(矢野久美子訳)『なぜアーレントが重要なのか』みすず書房、2008年。

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アーレントが徹底して思考したことを、今現在の課題としてどう生かしていくのか。弟子による内的対話の記録。

E・ヤング=ブルーエル(矢野久美子訳)『なぜアーレントが重要なのか』みすず書房、2008年。

アーレントが徹底して思考したことを、今現在の課題としてどう生かしていくのか。弟子による内的対話の記録。

個人的な印象から語ろう。3.11の東日本大震災以降、ひとはアーレントの著作をよく読むようになったのではないかと思う。

それもそのはずだろう。全体主義が深く世界をおおい、そのなかで暴力を深く省察したアーレントはまさに20世紀を代表する哲学者であり、道しるべであるからだ。20世紀の問題に蓋をして目を閉ざして生きてきたのが戦後日本の歩みである。だとすれば震災によってその開かずの門が突如として開き、矛盾と直面したとき、アーレントの言葉を求めたのだろうと思う。僕自身もその一人だ。

ファシズムとスターリニズムを全体主義として批判し、ひとりの人間が「命令でやっただけです」と大量殺戮に手を染めていく内面の過程を抉った労作は、矛盾に苛立つ感覚を鎮めるとともに、問題を他人事として突き放すのではなく、自分自身の課題として設定し直してくれるからだろう。

著者のヤング=ブルーエルは、いっさい学派を形成しなかったアーレントの弟子である。ハイデガー、フッサール、ヤスパースに学んだ彼女はまさに現代思想においては輝く「良心の星」といってよい。しかし著者は彼女をあがめ立てるような筆致は一切とらない。かといって貶めようとするわけでもない。彼女の思索と著者は対話するのだ。そのことでアーレントの生きた姿を浮かび上がらせてくれる。

本書は『全体主義の起源』『人間の条件』『精神の生活』を軸に、アーレントの思想の根源を描き出す。それはまさに、弟子・ブルーエルがアーレントの思考を徹底的に追体験していく思索のドラマだ。

アーレントは20世紀の問題を怜悧に指摘した。そしてその課題は未解決である。アーレントの肉声と対峙するブルーエルの思索の軌跡とは、未解決の「現在」との関係で、彼女の思索をどう生かすのかというひとつの挑戦にもなっている。彼女の著作は「難しい」とよくいわれる。そう痛感する人には、本書をまず読むことをおすすめしよう。

アーレントのこだわりのひとつは「想像力」。そして、人間性とは、他人の眼差しから世界がどのように見えるのか、それを自分で「想像」することでもある。師と弟子の対話は、その美しい見本でもある。

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