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書評:小河原正道『近代日本の戦争と宗教』講談社 2010年。

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幕末から日露戦争まで、仏教・神道・キリスト教の各派の戦争「適応」「従属」から何を学ぶか。

小河原正道『近代日本の戦争と宗教』講談社 2010年。

近代日本というドラマを創造するさい、宗教はどのような役割を果たしたのだろうか。戦争という切り口からその歩みを丹念にスケッチしたのが小川原正道『近代日本の戦争と宗教』(講談社選書メチエ、2010年)である。

著者は、『大教院の研究』(慶應義塾大学出版会、2004年)や『西南戦争』(中公新書、2007年)で知られる近代日本の研究者。本書は「新書」以上「専門書」未満といる「メチエ」の一冊だが、なかなか本格的な労作だ。

タイトルの『近代日本の戦争と宗教』の通り、近代日本の歩みとは戦争の歴史にほかならない。そのために産業や社会、そして文化をすべて「動員」してきた歴史といってよい。そしてその全てに関わるのが「宗教」だ。戦争に注目すれば、戊辰戦争から太平洋戦争での破算にいたるまでトピックスは全て「戦争」であることは論を待たないであろう。

さて、本書が注目するのは近代日本「創業期」の明治時代だ。時代を戦前・戦後に区切っても、昭和・大正と明治が特異な点はいくつか存在する。それは対内戦争と体外戦争の両方を経験した時期ということだ。そこに宗教はどのようにかかわるのであろうか。

洋の東西を問わず、宗教は民衆と深い関係にある。近代国家は基本的には宗教への「収斂」を「国家」を否定するものとして退けるのが常であるが、有用である場合、その「化他」の側面と妥協する。

明治最初期の宗教史のインパクトとは何かといえば、廃仏毀釈であろう。「出家」は「在家」としての「国民国家」に不要だし、記紀神話とも中和しない。さまざまな思惑は、当事者に存在する。しかし、影響力の拡大としての「地位の確立」は、「国家の役に立つ」という眼差しへと収斂していく。

そうそう「地位の確立」といえば、思い出すのは、「世界における一等国」。宗教界においてもそのレースが始まるという次第だ(少し強調。

そもそも宗教は時代との交流で「育成」されるものであろうが、時代を撃つものでもある。その交流の経緯から、

「さて、どうするか」

再考させられる一冊である。先に言及したとおり著者は真面目に史料精査に基づく経緯の描写を描写する。その歩みを丁寧に追うことは、宗教「団体」がいかに国家と向き合ったのかをまざまざと見せてくれる。

ハナから協力や支援・迎合を全否定するわけでもないし、沈黙や逃避が善であるわけでもない。しかし、この経緯から何を学ぶのか……というのは考えさせられる。


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