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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 「孤立死」をなくすには 湯浅誠」、『毎日新聞』2012年4月13日(金)付。

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くらしの明日 私の社会保障論 「孤立死」をなくすには
湯浅誠 反貧困ネットワーク
「アウトリーチ」専門職の創設を


 今年に入り、一家全員が病死・餓死で発見される「孤立死」が相次いでいる。報道に出たのは、札幌、釧路、さいたま、東京・台東、同・立川、横浜などの自治体だが、そこだけで起こっているわけではないし、今に始まった話でもない。
 多くの場合、亡くなった家族には障害者や要介護の高齢者がいて、一家は「支え手」と「支えられ手」で構成されていた。そして、支え手がたおれたことで、支えられた手もたおれた。
 支えられ手の家族以外の支え手はいなかったのか。家庭の内情までは関われない、というのがすべての関係者の答えだ。確かに、家族以外の者に家族並みの関わりを求めることは、口では言えても実際には困難だ。職員を減らし続けてきた行政に、もうその体力はない。ましてや、地域住民が連日、エンドレスに関わることなどできない。
 しかし「一家まるごと死んでいくのをなすすべなく見送るしかないのが、私たちの社会です」とは、誰も言いたくないだろう。


 できることから考えたい。まずは情報共有。困窮世帯は、住民税を滞納し、国民健康保険料を滞納し、家賃、公共料金と滞納が深刻化していく。こうした滞納情報を、今は自治体のそれぞれの部局がバラバラに持っている。役所内で情報が迅速に共有される必要がある。特に、命に直結する水道料金の滞納情報は重要だ。行政機関の個人情報共有には、国の関係機関の後押しも欠かせない。
 情報の共有によって「心配な世帯」が分かれば、そこに出かけていかなければならない。誰が行くのか。「役所の誰かが行けばいい」では、物事は動かない。彼らに手を伸ばす「アウトリーチ」専門のソーシャルワーカーが必要だ。地域によっては、民間団体にノウハウが蓄積されていることもあるだろう。
 出かけていっても、相手にドアを開けて話してもらう必要がある。だが「自分たちで何とかしなければ」と固く信じている家族は多い。「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせているうちに、限界を超えてしまう。限界を超えるとSOSも出せなくなる。


 支えられ手の人々に「まだ大丈夫」ではなく「『助けて』と行っても大丈夫」と思ってもらうには、SOSを叫ぶハードルを提げる必要がある。
 今は支えられても、すぐに「支え手」に回れる、と思える場を、地域社会の中に目に見える形でたくさん作る必要がある。そのためには支えられ手だけでなく、支え手に対する公的支援も欠かせない。私たちがそれを負担する覚悟も問われている。

アウトリーチ 英語で「手を伸ばすこと」の意味。福祉分野では、潜在的に援助を必要とする人の元に援助者が直接出向くことを指す。生活に困窮していても、自ら福祉サービスの利用を申請できない人を支援し、サービス利用につなぐ。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 「孤立死」をなくすには 湯浅誠」、『毎日新聞』2012年4月13日(金)付。

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