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よい精神をもつというだけでは十分ではないのであって、たいせつなことは精神をよく用いること

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 良識はこの世で最も公平に配分されているものである。というのは、だれもかれもそれを十分に与えられていると思っていて、ほかのすべてのことでは満足させることのはなはだむずかしい人人でさえも、良識については、自分がもっている以上を望まぬのがつねだからである。そしてこの点において、まさかすべての人が謝っているとは思われない。むしろそれは次のことを証拠だてているのである。すなわち、よく判断し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、これが本来良識または理性と名づけられるものだが、これはすべての人において生まれつき相等しいこと。したがって、われわれの意見がまちまちであるのは、われわれのうちのある者が他の者よりも多く理性をもつから起こるのではなく、ただわれわれが自分の考えをいろいろちがった途によって導き、また考えていることが同一のことでない、ということから起こるのであること。というのは、よい精神をもつというだけでは十分ではないのであって、たいせつなことは精神をよく用いることだからである。最も大きな心は、最も大きな徳行をなしうるとともに、最も大きな悪行をもなしうるのであり、ゆっくりとしか歩かない人でも、もしいつもまっすぐな途をとるならば、走る人がまっすぐな途をそれる場合よりも、はるかに先へ進みうるのである。
    --デカルト(野田又夫訳)「方法序説」、『方法序説・情念論』中公文庫、1974年、8-9頁。

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早いなと思いつつも今日から授業。
担当は「倫理学」なんですが、哲学の一部門と考えるならば、思索の方法としては重なるところが非常に多々ありますので、倫理学とか哲学を学ぶ意義を少しだけ紹介しておきます。

おそらく、高等学校で歴史や倫理を学んだひとはその延長線上に大学における一般教養としての「哲学」とか「倫理学」といった概論科目をイメージするのではないかと思いますが、そう想定してしまうと足下をすくわれることになります。

なぜなら、大学で「哲学」や「倫理学」を学ぶということは、「ソクラテス」=「無知の知」とか、「デカルト」=「我思う故に我あり」といった一対の対応概念をクロニクルに習熟するものとは全く異なるものだからです。

もちろん、基礎的な知識の習得が「ちゃんちゃらおかしいぜい」などとは言い切りませんが、そこに主眼をおいてしまうと、「哲学」やら「倫理学」とはほどとおい学習になってしまうからです。

では、大学の「哲学」とか「倫理学」を学ぶ意義というのはどこにあるのでしょうか。

いくつかあるかと思いますが、そのひとつは、古代から現代に至る聖賢の言葉に耳を傾けながら、自分自身で考えてみるということです。

ソクラテスのキー概念となるのは、確かに「無知の知」でしょう。しかし、それが当人にとってどのようなリアリティがあるのか。ソクラテスがそう発想せざるを得なかった背景をふまえつつ、その言葉に耳を研ぎすませ、今・この世界で生きている自分にとってはそれがどのような意味があるのか。

デカルトは絶対的確実性の探求のためにすべてを疑い、疑いの果てに「我思う故に我あり」を発見します。

量子論的アプローチからこの世に確実なものなど全くありゃーしませんぜ、などと嘯くつもりは毛頭ありませんが、不確実な世界のなかで、なんとか、崩れない程度の差しあたりの「確実性」に依拠しながら、生活しているのが毎日ですよね。

だとすれば、「確実」にみえるものが妥当するのか、そして「不確実」にみえるものが果たしてそうなのか、点検することは無意味な労作ではないと思います。

そしてそのためには理性をどのように運用していくのかということが大事になってきます。狭義でいう「論理学」がその基礎を固めてくれます。

そして理性を過信するでも不信するでもなく、限界をふまえたうえで、それをどのように性格に使用していくのか。

言葉を正確に使うことによって、所与のものと差し出された世界をひとつひとつ点検していく。

その中で誤りを訂正し、真実らしいものを発見していく、その試行錯誤の繰り返しで、人間は、新しい人間へと成長することが可能になるはずです。

ですから、授業では、そうした方法論と歴史を紹介しながら、あえてみなさまに同執正疑を与えるようにしようと思っています。


どれだけ見落としていたことがらに気がつくことができるか。

それができるようになれば、そのひとは「哲学」しはじめたことになると思います。

短い間ではございますが、どうぞよろしくおねがいします。


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