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新入生へのちょっとしたアドバイス:「何かを教えてくれる」から「自分で問いを探究する」へ

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 新入生へのちょっとしたアドバイス

 大学で授業をしていると「何か教えてくれる」という姿勢で参加される学生さんの姿をよくみかけます。その真剣な姿には、襟をただしたいと思いますし、その求めに全力に応じていかなければならないと私は思います。

 しかし「何かを教えてくれる」という事柄に関しては少し掘り下げた理解が同時に必要だろうとも思います。

 大学では、たしかに「何かを教えてくれる」わけです。
 しかし、高等学校とかのイメージは持ち合わせないほうがいいと思います。具体的に言えば、できあがった知識のパッケージを規定回数で、きちんと理解させるという教室に参加するということと同義ではないということです。

 もちろん、カント(Immanuel Kant,1724-1804)のように「哲学は学ぶことはできない。できるのは哲学することだけだ」と言いきってしまう……とはいえ「言いきってしまいたい!」自分もいますが……と、もともこうもありません。

 ですから、そこまでストロングには言及しませんが、やはり「何かを教えてくれる」という感覚で、教室に座ってしまうと、大学で「学ぶ」という意義からすれば、大変残念なことに、そしてもったいないことになってしまいます。

 たしかに、スキル系の授業はさておき、哲学や倫理学といった授業でも「何かを教えてくれる」側面はありますので、様々な考え方やその歩みを紹介します。しかし、大事なことは、スキャナーで教科書をスキャンするように忠実にそれを脳にコピーすることで「できた!」と錯覚してはいけないということです。

 そうではなく、様々な考え方やその歩みに耳を傾けながら、自分がその考え方やその変遷と対決していくということが大事なんだろうと思います。

 なかには、ものすごく納得する議論もあれば、これは受け入れられないなーというものもあるでしょう。教室での90分というのは、そういう示唆を受ける一つのきっかけにしか過ぎないんです。いわば氷山の一角なんです。

 ですから、「ものすごく納得」したのであれば、自分で、それに関するものを読んでみるとか、「これは受け入れられないなー」という感慨を抱いたのであれば、どこをどう受け入れることができないのか、自分で反芻してみる、一部ではなく全体を、すなわち著者の一冊の本を実際に読んで、対話しながら考えてみる、そういう営みが大事です。

 数学の問題集を解いていくと、だいたいの場合、「正しい答え」が存在しますので、×か○で採点できます。しかし世の中には、必ず「正しい答え」が歴然と存在し、神が持つような解答集と照らし合わせて×とか○とか判断できるようなモノっていうのは実際少ないんです。

 だとすれば、どう自分自身で筋道をつけながら、ひとつの問いに対して、矛盾なく「私は、そう考える」という耕しの練習をしていくしかないんです。

 いざ、社会に出てみると、「うわー、わけわかめ! 誰か教えてよーー」って落とし穴に落ち込んでしまいます。

 だからこそ、自分自身で対決しながら、考えていく。そしてそれを他の人とすりあわせていくという練習をしておいたほうが、いざというとき、倒れずに済むと思います。

 様々な問題に対して、過去の思想家たちの考え方と対峙しながら、逡巡したり、熟慮したり、決断したりしていくなかで手に掴んだ答えというのが、結果としては、他のひとのものと同じだったり、いわゆる「模範解答」と同じだったということがらは多々あると思います。しかし、自分でその歩みを実践できるかどうかが大学で学ぶうえでは、大切です。

 勿論、今の大学はそうはいっても「パッケージ化された知」の講座ばかりかも知れません。しかし、「うん?」とか「これはどーなんだ!」と思ったとき、先生をつかまえてみる、図書館に足を運んでみる、、、そういう能動的な学習をこころがけると、力強い考え方を身に付け、自分自身の土台をつくっていくことができると思います。

 入学からそろそろ1ヶ月。
 環境にも慣れてきたころだと思います。

 ここはひとつ、意識的に「問い」を探究する……そうした習慣を身に付けると、ただ聞いてノートを取るというだけでは得られない「学問」の醍醐味を味わうことができると思います。

 ぜひ、そうした取り組みに挑戦して欲しいと思います。
 何かございましたら、全力で応援するつもりですから、お気軽にお声がけくださいまし。


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