« 懐疑が悪いこととして否定されなければならない場合はいつでも、第一にその懐疑が徹底していないとき、第二にその懐疑の動機が正しくないときである | トップページ | 書評:ベルナール=アンリ・レヴィ(石崎晴己、三宅京子、沢田直、黒川学訳)『サルトルの世紀』藤原書店、2005年。 »

覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『「思想」の軌跡 1921?2011』=『思想』編集部・編」、『毎日新聞』2012年05月20日(日)付。

201


-----

今週の本棚:加藤陽子・評 『「思想」の軌跡 1921-2011』=『思想』編集部・編
 (岩波書店・4200円)

 ◇変革の時代を生きるための思考とは何か
 5月11日、楽天・星野仙一監督が、戦後生まれとしては初めてとなる監督通算1000勝に輝いた。その翌日、1001勝目を叩(たた)き出した同氏の名前センイチと1001をかけた駄洒落(だじゃれ)を、私じしん複数の場所で耳にしたことを思えば、1000というのは人の心に、しかと刻まれる数にはちがいない。

 ここに紹介するのは、岩波書店の発行する雑誌『思想』が、2007年に1000号を迎えたのを機に開かれた4回の座談会を核とし、『思想』にかかわりの深かった人物の回顧談や総目次・執筆者索引(CD-ROM)が付録でつくという、盛りだくさんの本である。創刊は1921(大正10)年。この年は、昭和天皇が皇太子としてヨーロッパ訪問をはたして帰国し、国民から歓呼で迎えられた年であり、また富豪や顕官を葬ることで大正維新の実現を呼号していた朝日平吾によって、安田財閥の総帥・安田善次郎が暗殺された年でもあった。当時の首相だった原敬もほどなく暗殺されたことを思えば、古き良き秩序が、禍々(まがまが)しいまでに新しい何かによって打倒されてゆく、そのような時代に『思想』は生まれた。
 座談会は、『思想』の軌跡を1921~45年、1945~65年、1965年~85年、1985年~2007年に4分割し、時代の思想状況と関連させつつ、雑誌の特徴を明らかにしている。それはあたかも、亡き大女優の足跡を愛好家が語り合うかのような熱い空間であり、読者は手に汗握って立ち会うこととなる。この比喩が不当でないことは、一昨年亡くなった高峰秀子と黒澤明・木下惠介・成瀬巳喜男ら監督との関係を、『思想』と和辻哲郎・谷川徹三・林達夫ら編集人との関係に置きかえて想像すれば、おわかりいただけるのではないか。むろん『思想』は元気であり、お亡くなりになってはいないので、誤解なきよう。

 まずは、米谷匡史、佐藤卓己、苅部直の3氏が創刊から敗戦までを論じた。和辻・谷川・林が編集人だった時代、戦時下の政治社会と『思想』の緊張関係はいかなるものだったのか。この絶対はずせない問いに、出版の基礎構造から論じたのが佐藤氏であり、『中央公論』や『改造』など時局を扱う雑誌が新聞紙法によって取締まられていたのに対し、『思想』は学術雑誌を対象とする出版法によっていたこと、統制が本格化すると返品がなくなるので版元としては利益があったことなど、興味ぶかい事実が明らかにされた。
 意外にも平穏だった戦時下の『思想』の実像を認めつつも苅部氏は、統制が強化されるなかでの『思想』のがんばりの部分も強調しておきたいとして、37年4月号にのった矢内原忠雄の論文をとりあげている。「民族と伝統」と題した矢内原論文は、議会制度こそが日本の伝統なのだと説き、35年以来続けられていた天皇機関説排撃のための国体明徴運動に対して痛烈な批判をおこなっていた。また、戦後に批判もされた和辻の戦時中の国家論について、別の読み方を提示する。国家が国民に従軍義務を課せるのは、政府がきちんと「人倫の道」を実現している限りにおいてであり、この条件なしには国家の行為は正当化しえない、との主張が和辻の論の深奥にあるとした。これは、大岡昇平が『レイテ戦記』で述べていたこと、すなわち、徴集兵に戦いを続けさせる条件を国家が維持できなくなった時、軍は降伏を命じなければならなかった、と同じものだ。ただ、和辻の真意に気づけた人間は当時どれだけいたか。この雑誌が旧制高校的連帯の内側で閉じていたといわれるゆえんだろう。
 続いて、酒井哲哉、間宮陽介、中島岳志の3氏が敗戦からの20年を語る。同時代の『思想の科学』との比較も視野にいれた酒井氏による思想状況の整理は傑出したもので、この部分を読むためだけでも本書を買う価値がある。例を挙げれば、政治意識を研究対象とした政治学者・京極純一氏の問題意識は何であったのかと問い、次のようにまとめる。それは、「意味」への関心だったろう、と。国体論をはじめとする「言霊(ことだま)の舞う戦時下」で青年期を過ごした者にとって、1960年代末に全共闘が発した「自己否定」という言葉は、「意味」を希求しようとする心性という点で、戦時下に目にしたものと同じに見えたはずだ、と。1930年代の統制経済と国体論の組合せと、60年代の高度成長と自己否定の組合せを、同じ位相で眺める視角が提示されている。

 岸信介などの革新官僚によって進められた高度国防国家構想には、戦時下ゆえ可能な変革の契機があり、それは天皇制すら無化しうる「モダニズム」の側面があった。経済の一大変革期であった60年代に、「意味」への関心が再び頭をもたげてくるのは、ある意味必然だったと読み解かれる。『思想』の軌跡を追った本書は、同時に、思想とは何かを考えさせ、今の時代を生きるための思考とは何かのヒントを与えてくれる本ともなっている。離れ業というほかはない。
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『「思想」の軌跡 1921?2011』=『思想』編集部・編」、『毎日新聞』2012年05月20日(日)付。

-----


http://mainichi.jp/feature/news/20120520ddm015070007000c.html


202


203


|

« 懐疑が悪いこととして否定されなければならない場合はいつでも、第一にその懐疑が徹底していないとき、第二にその懐疑の動機が正しくないときである | トップページ | 書評:ベルナール=アンリ・レヴィ(石崎晴己、三宅京子、沢田直、黒川学訳)『サルトルの世紀』藤原書店、2005年。 »

覚え書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/45370458

この記事へのトラックバック一覧です: 覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『「思想」の軌跡 1921?2011』=『思想』編集部・編」、『毎日新聞』2012年05月20日(日)付。 :

« 懐疑が悪いこととして否定されなければならない場合はいつでも、第一にその懐疑が徹底していないとき、第二にその懐疑の動機が正しくないときである | トップページ | 書評:ベルナール=アンリ・レヴィ(石崎晴己、三宅京子、沢田直、黒川学訳)『サルトルの世紀』藤原書店、2005年。 »