「黒白(こくびゃく)」で片づける思考方法を破棄してくれた池波正太郎先生への感謝
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中年男の梅吉は少年のような矮軀(わいく)であったが、きちんとした堅気の風体で、連れの三十がらみの男と茶店から出て来て、参道を遠ざかって行った。そのとき、
「では、明後日。またここでね、いいかえ」
という梅吉の声が、はっきりとおふじの耳へ入った。
連れの男は縞の紺木綿の半てんのようなものを着こみ、手に小さな風呂敷包みを持っていたという。
「それからはもう、しばらくは、そこをうごけもせず、おそばも食べずにじいっとしていましたけれど……こわいのをがまんして、やっと……」
「そうか。そりゃあ、よく見ておいてくれたな」
「小野様さま、御役にたちましょうか?」
「たつとも。いや、たてずにはおかぬ」
「ま、うれしい……」
梅吉がいう明後日というのは明日のことであるから、小野十蔵はすぐさま役所へもどり、御頭の長谷川平蔵の指示をあおぐと、
「おぬしにまかせよう」
この御頭は、にっこりとして、
「おりゃ、当分は、おぬしたちにいろいろと教えてもらわねばならぬのでな」
と、いった。
このとき十蔵は、何とはなしに、この御頭の風貌に好感を抱いてしまった。
(肚(はら)のひろいお人のようにおもえる。でなければ、なまけものだ)
--池波正太郎「唖の十蔵」、『鬼平犯科帳 1』文春文庫、2000年、31-32頁。
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今日5月3日は、池波正太郎先生の命日ですので、twitterに連投したものですが少しまとめて掲載しておきます。
私自身は池波正太郎先生を師と仰ぐのですが、最初に読んだのは20代の半ばでしょうか。信頼する大人から「まあ、読んでみなさい」と言われたのがきっかけです。『鬼平犯科帳』の概要は知っていたけど、読み始めると止まらなかった。以後、赴くまま時代小説、そしてエッセーの類まで1年で全部読んだ。
はまりっぷりに自分でも驚く。
何に魅せられたのだろうか。いくつか理由はあるのでしょうが、先入見からスタートする二元論をやんわりと退ける力強さというのはその一つだろうと思う。しかし通俗的な善悪二元論を退けるからといって、「目を瞑る」わけでもない。この「黒白」(こくびゃく)だけに片づけない度量に引き込まれた。
いちおう、私も文学部の文学科(ドイツ文学)出身の文学囓りのはしくれだから何なんだけど、「大文字」の世界文学もよく読んだ方だと思うし、東洋の古典も大分読んだ。それはそれでいいものだと思う。しかし、それだけを「後生大事」にして、それ以外を全て否定するというのはいささかナンセンスだとも思う。往々にしてそういう連中が多いなかで育ったが、それは所詮、文学から「学ぶ」というよりも文学に「淫する」ことなんだろう。
「池波なんてしょせん、娯楽の大衆小説だよな」と言われることに腹が立った。
難解さや思想的深淵さは、読み物にとって必要ではあるとは思う。そして「面白い」だけが文学の全てではないとは思う。しかし、前者のみを持ち上げるハイ・カルチャーを排他的に「卓越した芸術」と「淫する」人間には、人間存在の全体は見えないのだとは思う。もちろんその脊髄反射のアナーキーもご遠慮だけど。
お上品さとか難解で保守するのでもなく、お下劣とわかりやすさだけで革新するのでもないところに人間存在の豊穣さは実存するのではないだろうか。そんなことを僕は池波正太郎先生から学んだように思う。だから、以来、僕は……これは勝手にですが……先生を師と仰いでいる。
以来、毎年、『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『仕掛人梅安』は、毎年読み直しているから、10数回以上の再読が自分の生きる糧になっている。筒井ガンコ堂さんや常盤新平さんの足下には及びもしないが、自分自身はやっぱりりっぱな「池波狂」であり「池波教」であることは否定できないというか誇りだ。
ついでに、池波先生は、まったく軽くはありませんよ、念のため。師が小学校しか出ていないから低いという奴はバカだし、世界文学の殆どは読まれている。研鑽の鬼が師の異名なんだということも付言しておこう。しかも、吉川英治のようなルサンチマンがない。これは江戸庶民の国際性なんだろうと思う。
今日は先生のご命日。出会いに感謝です。
蛇足ながら、シャイな江戸ッ子の池波先生は「ゴルァ」などといいませんし「おすまし顔」をしません。これが実は師の映画批評に出ます。前衛的審美的フランス映画をのみ賛嘆してアメリカ映画を否定するのが戦後知識人の作法。しかし、氏は是々非々。これはすごいと思います。『銀座日記』でその消息が分かります。
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