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書評:渡邊一民『武田泰淳と竹内好--近代日本にとっての中国』みすず書房、2010年。

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渡邊一民『武田泰淳と竹内好--近代日本にとっての中国』みすず書房、2010年。
 
渡邊一民『武田泰淳と竹内好 近代日本にとっての中国』みすず書房、読了。両者は戦前から中国を通して日本を、日本を通して中国…即ち生身のアジアの問題…と格闘した一筋縄ではいかない思想家。その軌跡を学ぶことは過去を知るだけでなく現代の中国と向き合う自己を認識をする上で示唆に富む一冊。

竹田・竹内は、中国文学研究会結成し、旧来の中国学と訣別し、内在的理解を図ろうと試みる。しかし、時代は二人を徴用する。抱え込んだ加害と敗戦の認識(責任)は、思索と創作に果てしない緊張と負荷を与えることになる。そこに二人の変転を安直な図式で整理できない「困難」を必然させる。

「自己の内心にかかわりを持つ、底知れぬ深淵」を真正面から捉えようとする竹田、魯迅に抵抗の精神、主体化の理想を仰ぐ竹内。「深淵」から浮かび、理想から現実を撃つのは、近代化の過程で封印し、侵略対象としたアジアである。他者としての中国が自身の問題と二人の苦衷は示している。

あとがきには、「過去があまりにも早く忘れられていく日本の現状に危機をつのらせているわたしとしては、このささやかな精神史が、戦争を知らない人たちにとっても、20世紀に生きた日本の先人たちの足跡をわがこととして考える契機となってくれればと、ひそかに希っている」とある。

筆者の20年に及ぶ「近代日本にとっての〈他者〉をめぐる精神史」が本書で一つの区切りを迎えるという。『フランスの誘惑』『〈他者〉としての朝鮮』(共に岩波書店)を合わせて読むと、著者の複合的な日本近代論が浮かび上がる。過剰な評価も否定も退けながらも等身大の困難さを痛痒する。

蛇足ながら筆者の渡邊一民はフーコーの翻訳をはじめ、近現代のフランス文学・思想の紹介者としても有名である。それと同時に、近代日本の知識人と思想に関しての丹念な研究を積み上げている。このことには驚くばかりである。

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