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「95年、東京の地下鉄でサリンガスによって市民を虐殺するテロ事件がありました。この犯人は以下のA~Eのどれか。1つ選択して選べ」みたいな「歴史」化が進むことへの恐怖といらだち

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歴史は暗記?
 --でも、歴史が得意だからといって特別いいわけでもないしな……。あと、確かに暗記科目っていうイメージはある。
 そうです、学科目としての歴史は、かわいそうなのです。高等学校までの歴史が「暗記もの」のように思われてしまう理由は、試験の形態がそうさせるのですね。話をわかりやすくするために、数学や物理の場合とくらべて考えてみましょう。
 「1」という答えが出るはずの問題を出すとき、数学や物理の場合、「1」という回答部分だけを確認すれば、その結論が導かれるまでの、考察の正しさをも証明してくれるという学科的な特性がありますね。途中、めちゃくちゃに計算してしまっては、答えが「1」になる偶然はほとんどない。また、逆に「1」という答えが出せていれば、その途中の考え方もおそらく正しい、ということができます。数学や物理においては、非常に乱暴にまとめてしまえば、定理についてのうまい説明と例題・試験による確認の積み重ねで、その教科において拾得すべき獲得目標の達成が可能ですし、例題・試験の形式いかんにかかわらず、目標がどれだけ達成されたかが誰にでも目に見えるかたちで確認可能なのです。
 ですが、歴史の場合、そうはいかない。たとえば、高等学校の日本史Bなどの場合、学習指導要領での「目標」の部分には、次のような言葉が書かれています。誰も読んだことなどないでしょうから、紹介しておきますね。

 我が国の歴史の展開を資料に基づき地理的条件や世界の歴史と関連付けて総合的に考察させ、我が国の伝統と文化の特色についての認識を深めさせることによって、歴史的思考力を培い、国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う。

 どうですか。難しいという意味がわかっていただけたでしょうか。日本史上に起きた、さまざまな事象を、世界の動きと結びつけて考えるのだな、というところまではいいですね。けれども、日本と世界の関係を考察して、伝統と文化への認識を深めた結果、国際社会で生き抜くための資質としての歴史的思考力が獲得できたかどうか、どうしたら確認できるのでしょうか。
 それには、事象と事象の因果関係を結びつける際の解釈の妥当性を一つ確認しなければなりません。確認するには、論述させて、頭のなかの考察の過程の巧みさ、正しさ、妥当性を見る必要が出てくるのです。
    --加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版社、2009年、23-24頁。

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先日、地下鉄サリン事件の容疑者が逮捕されたというニュースが巷をにぎわしていたころ、授業をしていて、学生さんから「オウムって何ですか?」って質問があって、すこしぶったまげたことがありました。

もちろん、現在の20前後の学生さんにしてみれば、そのころはまさに乳幼児。関心があって何かを意識的に読んでみたとか情報をたどったという場合を別にすれば、記憶があったとしてもリアルタイムのそれではなく、追跡番組のような形でそれに少しぐらいふれた程度だから、無理はない話です。

しかし、その時期にリアルタイムに青春時代をおくっていた自身としてはやはり驚くばかりです。

思い返せば、大学に入学する直前の衆院選で話題をさらい、大学でもかなりにぎやか?に活動し、それがどんどん先鋭化していく経緯を肌で感じたように思います。

オウム真理教の問題に関しては、種々言及したいことはたくさんありますが、本論ではないのでそれはひとまず横に置いておきます。

ひとつだけ言及するとすれば、やっぱり、「ああ、やばい連中ですよね、フっ」みたいなのが一番問題だとは思っております。内在的理解に過度の負荷をかけるつもりは毛頭ありませんが、他者として対象化してそれを「理解」したというものの無惨さ、無意味さの例示には枚挙に暇がありません。

さて、先の驚き戻ります。

事件から数えると今年で17年目。すでに歴史における「デキゴト」として設定されているとでもいえばいいのでしょうか。勿論既知の人間もいれば、「ついこのあいだ」のことですから、非知の人間も存在する。その割合には全く関心はありません。

しかし、様々な問題が、上に言及したように他者として「対象化」されていることは事実だし、時間は不可避に進むから、かならず歴史の「デキゴト」で「すまされていく」んだろうなーということです。

そんなこと、これまでの歴史の全てがそうですし、ぼやぼやいっていてもはじまりませんよ、って言われてしまうとそこまでなのですが、それでもなおやはり、

「1995年3月、東京の地下鉄で猛毒のサリンガスを散布し、大勢の市民を虐殺するテロ事件がありました。この首謀団体は以下のA~Eのどれか。1つ選択して選べ」みたいな「歴史」化が進み、それを「暗記」して「点数」をとるようになってしまうことには、もの凄い恐怖を感じてしまうということです。

もちろん、これは、中学・高等学校、それから大学入学システムと深く関わり合っている実践だけに、全体を組み建て直していかないと、不可能なのですが、おそらく、そうなっていってしまうのかぁ~などとなると、やっぱりコワイわけですね。

付言すれば、就職予備校化する大学では「unlearn」どころか、スキルの就熟に奔走するわけですから、教養科目なのにおなじような傾向への圧迫も強く、……涙目になることも屡々です。

だから、抵抗しなきゃいけないわけですが、

「暗記」の深奥へ入っていくような、理解……を歴史だけに限らずにやっていかなきゃなーという戯れ言です。


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