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中心者に指示を待つのではなく「それぞれの立場で、こうやったほうがいい、いやこういうふうにやったほうがもう少しいいというようなやりかたというか」……

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井上 ぼくがいちばん小さいときを思い出して、人間ていうのはこうやって生きていくのかなと思ったのは、雪国で育ったわけで、雪がたくさん降りますけれど、とりわけたくさん降る年があったんですね。それで、戦争中ですから、おやじさんとか兄さんとかですね、いちばん働き手というのはみんな町にいないわけです。残っているのは、子どもと女と老人なんですね。で、ポッカリとだいじな主柱がない家がほとんどで、それで暮らしてたわけです。それがある冬、ものすごい大雪になったわけですね。ぼくの家でもその隣の家でも、雪があんまり積もりすぎてミシミシいいだしたわけなんですよ。そのとき、みんなで自然に年寄りを中心にして、働き手がいないけどどうしたらいいかという相談が一瞬のうちになされまして、とにかく小さい子どもに屋根に上ってもらおうということになって、ぼくら体重が軽いんで屋根に上って雪おろしをするということがあったんです。その冬のことがひじょうに頭に残っているわけです。
 要するに中心人物がいない、いちばん頼りになる人がいなけれども、力のよわい子どもやお母さんたち、それに年寄りが一瞬のあいだに持ちばが決まって、子どもが上って雪をおろす。老人の場合、「ひさしまでこないで中心からおろしていけ」とかいろいろと教えてくれ、それをぼくは聞きながら、自分の判断も加えて雪をおろしていく。そのあいだにお母さんがたが、三軒ぐらいまとまって、おりてきたら温かいお汁粉まではいかないけど、おモチでも食わせようといった、そういう一冬がすぎたんですね。そのときに、自分は子どもで力はよわいけど、いろんな経験を人に教えてもらえば役に立てるとか、全員が寄ってたかって中心が抜けたところをうずめていたという印象がすごく残ってんですね。
 そして中心がズーッと抜けたまま、ぼくの場合おやじが死んじゃったし、戦争に行った人たちもかなり死んじゃって、町というのは中心が抜けたまま戦争の終わりを迎えて、そこへポカッと民主主義が入ってきたんですね。それぞれの立場で、こうやったほうがいい、いやこういうふうにやったほうがもう少しいいというようなやりかたというか、そういう方法論があって、そこになるべく大勢の人が納得できたほうがいいんだという、民主主義といいますか、素朴な考えかたというのがピシャッとはまったので、ぼくはアメリカ映画と野球と民主主義というのは、ほんとうにすばらしいものに見えたわけですね。それがいままでずっとつづているような感じがするわけです。
 結局、すべての人間は年をとっていって死ぬのを免れえないわけで、自分も年とったら若いやつに的確に自分の経験で、こうやったほうがいいよと教えられるような老人に、できたらなりたいというのがどっかにあるんですね。それがどうしてもギリギリの場で、何かかいているとヒョッと出て、われながら古いなあと思うんですよね。あの冬の、よわい者が全員で雪と闘ったという記憶から、その手で、いろんな世の中のマイナスというか、いやな世の中を直していけないだろうかという、人に笑われるような素朴な楽天主義をもっているところがありますね。
    --「笑う透明人間 井上ひさし」、『鶴見俊輔座談 民主主義とは何だろうか』晶文社、1996年、13-15頁。

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何かをすすめるうえでは、指揮系統をはっきりと定めてやったほうがはやいことは体験からもよく理解できる。しかしそれだけでもないのも体験からよく理解できる。

どちらがいいのかわるいのかということよりも、どちらかだけになってしまうのが問題なのかも知れない。

昨今、話題になるのが「決められない政治」からの脱却というのが口角泡を飛ばす勢いで様々な論者が議論し、政治家たちも「決める政治」へと舵を切ろうとしている。

たしかに、それはマア、大事なことだと思います。しかし詳細にその議論を覗いてみると、本来の目的とはちがったものが大きく伸張していることには驚いてしまう。

例えば、ものごとをテンポ良くすすめていくためのリーダーシップは必要でしょう。しかしそれと独裁は同義ではない。そして、現実に「決められない」から「決める」への転換についても、「決める」必要のないものばかりが次々と「決まっていく」状況を目の当たりにしますと、「おい、待てよ」と思ってしまうのは私だけではないと思います。

もちろん、そういうのを待望するひともいますし、テレビの政局報道に一喜一憂しながら、「やいのやいの」床屋談義に花を咲かせることで憂さ晴らしをしているひとがいることも承知はしております。

しかし、その状況から排除され、「やいのやいの」ということすらできない人々がいるという事実がスルーされている、そしてかえって今よりもヒドイ状況に追い込まれようとしていることには、正直ガクブルというわけですが、鶴見俊輔との対談で、井上ひさしが指摘するとおり、もっとも対象とされない弱い立場の人間ほど、あんがい、ものごとをすすめ、皆と協調して、「世の中を直して」いけるものでもあることには刮目すべきなんじゃないかと思う。

「要するに中心人物がいない、いちばん頼りになる人がいなけれども、力のよわい子どもやお母さんたち、それに年寄りが一瞬のあいだに持ちばが決まって、子どもが上って雪をおろす」。

人間を舐めた人間ほどテケトーなことをして困ったことを積み重ねるわけですが、人間を粗末にしない人間ほど、着実なことを積み重ねていくものだと思います。ほんとにね。

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