書評:阿部彩『弱者の居場所がない社会--貧困・格差と社会的包摂』講談社現代新書、2011年。
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現代社会において経済的地位は、社会的地位を意味し、社会の中で低い順位に常に置かれていることは、精神的に大きな苦痛である。それは、人として敬われないこと、自尊心を失うこと、希望がないこと、につながる。そして、経済的貧困は、究極的には、人びとを「社会的孤立」に追い込み、「居場所」さえも奪ってしまう。このような状態を「社会的排除」という。
--阿部彩『弱者の居場所がない社会--貧困・格差と社会的包摂』講談社現代新書、2011年、68頁。
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本書は、進行する格差社会には「社会的包摂」という新しい概念が必要だと訴える新しい社会保障論。国立社会保障・人口問題研究所の職員である著者が、数字やグラフだけでなく人間ドラマから挑戦する「貧困問題の新しい入門書」となっている。
誰でも「居場所・つながり・役割」を持って生きたいと願う。この他者との繋がり、相互の価値尊重が人間尊厳の一つの根拠となる。それが「包摂されること」。この「社会包摂」なしには、これからの社会保障政策は語れない。
「社会に包摂されること」とは、衣食住を含む「生活水準の保障」のためだけに人間が存在するものではないことを意味している。包摂されること自体が人間が「生きる」ことと密接に関わっている。ここは私たちが見落としがちな観点なのではないだろうか。
筆者のいう「社会的包摂」は、社会的排除の対立概念のことである。「社会が人を追い出していくさま」を問題視し、「社会が全ての人を包み込むこと」を新しい目指すアプローチといえよう。社会的排除に抗うためには、誰もが尊重され、包摂されるあり方が必要となる。
筆者の議論で注目すべきは、「社会側に問題がある」という発想の転換だ。
「自己責任論」で乗り越えられるほど現状は甘くないし、格差が大きいことは「誰にとっても(富裕層も、中間層も、貧困層も)」悪影響であると喝破する。
貧困は現状として拡大している。
食料に事欠く世帯、衣類に事欠く世帯……。「事を欠く」ことが「つながり」と「役割」を分断する。冠婚葬祭に着ていく服がない→人との「つがなり」にくくなる→社会の一員としての存在価値が奪われる。
「生活水準の保障」とは何を意味しているのか、認識を一新させられる。筆者の前著『子どもの貧困――日本の不公平を考える』(岩波新書)が「白書」的議論であったが、本書は、幅広い概論ながら、先に言及したとおりデータと実地のドラマで構成。迫力がある。
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