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書評:V・バナジー、E・デュフロ(山形浩生訳)『貧乏人の経済学』みすず書房、2012年。

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 自分の健康についての正しい決断を責任もって下せるほどに賢く、忍耐強く、知識のある人など、だれもいないということを認識すべきです。豊かな国に住む者は目に見えない後押しに囲まれて生活しています。
    --V・バナジー、E・デュフロ(山形浩生訳)『貧乏人の経済学』みすず書房、2012年、102頁。

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V・バナジー、E・デュフロ(山形浩生訳)『貧乏人の経済学』みすず書房、読了。貧困からの脱却は経済学の主要なテーマ。本書は理論の単純な解答と論争より、現場取材と実験経済学の手法から等身大の解決を提案する。貧乏人は非合理でも怠惰でもない。状況下で合理的選択をしているが限界もある。

貧乏人は非合理でも誘惑に弱い怠け者でもない。目下の条件の中で合理的に行動しているにすぎない。では問題はどこにあるのか。例えば、子供たちを違う環境へ送りたい。しかしその選択は必ずしも合理的ではないということだ。

よくも悪くも教育が脱出へのチャンスとなる。しかし親たちには、子供を教育に通わせる魅力がないのも事実。勉強させるよりも働かせた方が収入は増えるし、教育とは金持ちエリートの特権という思いこみも存在する。

貧困撲滅の特効薬は存在しない。先ずは、貧乏人の声に耳を傾け、彼らの選択の論理と現状を理解することから始めよと著者はいう。貧困は不可避に再生産される。だとすれば「目の前の不正義を解決する知恵を出す」(セン)しかない。

途上国の犠牲の上に活動が成立する先進国の人間には(勝ち組でも負け組でも)貧困の実態はよく分からない。本書は副題の通り「もういちど貧困問題を根っこから考える」。経済学の素人でも読みやすい一冊。支援か自立かの二元論の襞に分け入る。

スピヴァクの言葉を思い出す。「フーコーらは資本主義下での抑圧構造を分析し、抑圧される側が社会変革の主体であるかのように説いた。しかしその理論は、経済発展を遂げた先進国でしか妥当しないという。しかも、先進国の住民は金持ちも貧乏人も、第三世界の経済的犠牲の上にいる『勝ち組』だ」。

声は奪われ続けていく。

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