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覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『カラー版 北斎』=大久保純一・著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『カラー版 北斎』=大久保純一・著
 (岩波新書・1050円)

 ◇眼前に彷彿と浮かび上がる浮世絵師の精神
 北斎はかなり変わった人だったらしい。

 曲亭馬琴と北斎は、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」はじめ多くの読本でコンビを組んだ。その馬琴の証言によれば、北斎は馬琴の指定に従わない。従わないどころか、この人物は画面の左側に描いてほしいというと右に描いてくる。ついに馬琴は、左に描いてほしいと思うときにはわざと右に指定する。そうすると案の定北斎は思う通り左に描いてきたという。
 大久保純一は、さすがにこれは馬琴の大げさな誇張で、北斎の絵師としていいものを作りたいという判断だろうといっている。その通り。馬琴のいい方ならば、北斎はただのつむじ曲がりに過ぎない。北斎にはより高い理想に向けての自己主張があったのだろう。
 しかしそれにしても変わった人であったことは間違いない。またそれでなければ、当時西欧から入ってきた銅版画、遠近法、幾何学的構図、ベロ藍(あい)のような絵具を貪欲に取り入れ、しかもそれを自家薬籠中の物として独自の画風を築き上げることは出来なかったに違いない。
 そればかりではない。北斎は日本の他の流派の画風を取り入れ、しかも役者絵から始まって摺物(すりもの)、狂歌絵本、美人画、風景画、絵本、絵手本、肉筆画などさまざまなジャンルを開拓した。これらは強靱(きょうじん)な実験精神、自由さがなければ不可能だろう。こうして「冨嶽(ふがく)三十六景」のような、今日だれでも知っている傑作が成立したのである。
 もともと江戸時代の浮世絵師は、写楽や歌麿にしろ広重にしろ、著名なわりには実人生が明らかではない。いくら人気があっても、所詮は市井の一職人と思われていたからである。ましてその人の性格までわかりようがない。北斎また然(しか)り。
 それがこの本ではその性格まで彷彿(ほうふつ)と読者の眼前に浮かび上がってくる。
 なぜだろうか。
 一つは北斎の存在の特異さによる。しかしもう一つは、大久保純一が、他の浮世絵師との比較、北斎が影響を受けたと思われる浮世絵以外の画家たちの動向、馬琴はじめ北斎と接触した人々、当時の出版事情、版元の興亡を描いて、そのなかに主人公「北斎」を浮かび上がらせているからである。そのさまはほとんど小説に近い。
 その上で大久保純一は、北斎の絵と向き合い、分析している。
 芸術は単に作者の人生によって理解されるべきではなく、作品そのものによって判断されるべきだからである。ゴッホの家に行ってもゴッホの絵が解(わか)るはずがなく、モーツァルトの墓へ行ってもその音楽が解るわけではない。北斎とて同じ。そこで北斎の絵に向かえばその分析の正否が問題になる。この本が面白くかつすぐれているのは豊富な図版を見ながらその分析の正しさを読者自身が実地に確かめることが出来ることである。
 一枚の版画にこれほど多くの秘密が隠されているのか。これほど多くの物語が隠されているのか。そのことを知れば絵を見る楽しみが倍増する。そこで本書は、単なる画集を超え単なる伝記を超える一冊になる。
 最後に北斎の弟子露木為一の描いた「北斎仮宅図」が現れる。炬燵(こたつ)にとっぷりと横ばいになった北斎が一心不乱に絵を描いている。かたわらに散らばる家財道具。そのなかで娘お栄が見詰めている。そこまで読んできてこの絵を見れば、九十歳に及んでなお寝食を忘れて絵を描き続ける北斎の姿に読者は鬼気迫るものを感じるだろう。
 北斎は確かに変わっていた。しかし彼が変わっていたのはこの恐ろしい精神のためであり、私たちはこの本によってその精神を直接手にするのである。
    --「今週の本棚:渡辺保・評 『カラー版 北斎』=大久保純一・著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120708ddm015070024000c.html

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