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覚え書:「今週の本棚:山崎正和・評 『西洋哲学史 1-4』=神崎繁・熊野純彦・鈴木泉、責任編集」、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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今週の本棚:山崎正和・評 『西洋哲学史 1-4』=神崎繁・熊野純彦・鈴木泉、責任編集
 (講談社選書メチエ・1890~1995円)

 ◇世界文明を生んだ「奇妙な精神」の歴史
 哲学への無関心が今、とりわけ日本の言論界に瀰漫(びまん)している。学界を超えて読まれる哲学書は希(まれ)にしか出ないし、哲学に関する啓蒙(けいもう)書さえめっきり少なくなった。いわゆるインテリ階層の減少が知的な関心一般を貧しくしたうえに、実利主義的な風潮が純粋な思索へのなけなしの欲望さえ薄れさせている。
 背景には自然や社会の科学の発展があり、それらが本質的に専門分化をめざすあげく、世界を全体として知る衝動を弱めたという事情もあろう。また西洋哲学は科学を含む近代文明の母となったことから、一方では反近代主義の思想や宗教の反感を買い、他方では嫡子たる科学の親殺しに脅かされている。現に尖端(せんたん)の脳科学は、自我やロゴスといった哲学の中心主題について、それらがニューロンの反応にすぎない可能性を示唆している。
 こうした時代状況のなかに置くと、四巻からなるこの『西洋哲学史』は、かなり意識的な西洋哲学の反撃の書として読める。編者が序文で宣言しているように、展望をソクラテス以前の存在論から始め、軽視されがちだったヘレニズム哲学を復権し、さらに俗にいう中世哲学の輝かしい業績を重視することによって、哲学は古代から近代へと完全に一貫した知の営みとして描かれている。一方で、いわゆるポストモダンを近代の落ち穂として見切った結果、本書は近代文明の健在と有効性の再確認の証言にもなっているのである。
 昨今、近代化を二千数百年の一貫した過程として捉え、西洋文明が世界に広がりうる唯一の文明だと考える私にとって、これは貴重な学問的支援だという思いが強い。それにしても一読してあらためて痛感するのは、西洋人がじつに奇妙な精神の持ち主だったということである。
 本書が冒頭にパルメニデスを置いたのは、その意味で適切だが、「あるものはある、ないものはない」というその箴言(しんげん)は純粋な思索の遊戯である。ないものが「ある」と考えるのは矛盾だというのは、論理的には完全に正確だが、どんな心の生きた体験にも裏づけられていない。ましてこの論理によって無から有が生じることはありえず、だからこの世に生成も運動もありえないというのは、控えめにいっても詭弁(きべん)の匂いがするだろう。
 同じことは後のゼノンの逆説にもいえるのだが、西洋人が奇妙な人種だというのは、彼らがこういう役に立たない論理の遊戯をこよなく喜ぶ一方、それをまじめな現実理解に結びつけたことであった。古代中国にも論理の遊びはあって、「白馬は馬に非(あら)ず」といった面白い逆説が知られているが、それが中国思想の主流を動かすことはなかった。
 ところがソクラテスは似たような揚げ足取りの弁証を愉(たの)しみながら、それを「信念」に辿(たど)り着く方法として位置づけた。プラトンもまさにこのパルメニデスの挑発に答えるかたちで、真の論点はあるやないを語る語り方の問題、すなわちロゴスの問題だと発見した。さらに彼もアリストテレスも、「ある」が単純な事実ではなく、イデアとその模倣、基体とその属性など、複雑な構造体であることへと考えを進めた。ちなみにゼノンの逆説に至っては二五〇〇年の時を超えて、遠くベルクソンの哲学に刺激を与えたのだった。
 アウグスティヌスは真の信仰者だったが、彼もまた煩瑣(はんさ)な思弁に耽(ふけ)った。神の永遠性と移りゆく時間の関係を考え、理性の立場から神の存在を再論証し、ついでに自我の存在がその疑わしさのゆえに証明できると考えた。そこにはデカルトの「われ思うゆえにわれあり」の論法に近いものがあり、まざまざと西洋哲学の一貫性を実感させる。やがてこの精神から近代科学が誕生したときも、直面したカントは物質の存在論で科学と衝突することを避け、もっぱら人間の認識能力の分析に専念するという、いわば奇手によって哲学的思弁の王国を守ったのだった。
 本書は哲学史を標榜(ひょうぼう)しつつあえて編年体を避け、編者を含む多数の哲学者が各自の関心に従い、問題ごとの直近の研究史から古典に遡(さかのぼ)るという形式をとった。性急に概観を求める読者には読み易(やす)いとはいえないが、哲学者が現にいかに哲学しているかを知るには恰好(かっこう)の案内になる。実利主義に覆われながら、価値観の再検討が叫ばれるという意味で混迷した現代、先の中央公論新社版『哲学の歴史』に次いで本書が完結した意義は大きい。とくにこの半世紀、日本の哲学研究が飛躍したさまを目撃するのは喜ばしいのである。
 その哲学の将来について付言すれば、たぶん脳科学は哲学の敵にはなるまい。脳科学はすでに知られた心の現象を分析するのだが、知性や理性や悟性など、まず心の現象を精緻に体験してみせるのは哲学だからである。むしろ哲学の脅威になりうるのは、考古学と生物学かもしれない。哲学が永遠のものとして前提する意識を、自然人類学は歴史的な存在として限定しつつあるからである。
    --「今週の本棚:山崎正和・評 『西洋哲学史 1-4』=神崎繁・熊野純彦・鈴木泉、責任編集」、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。


http://mainichi.jp/feature/news/20120722ddm015070026000c.html

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