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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『失脚/巫女の死−デュレンマット傑作選』=デュレンマット著」、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『失脚/巫女の死−デュレンマット傑作選』=デュレンマット著

 ◇『失脚/巫女(みこ)の死−デュレンマット傑作選』(光文社古典新訳文庫・1100円)
 ◇同時代の「なにか」を連想させる現代の寓話
 一九七〇年頃、テレビの深夜放送で「訪れ」という一九六四年製作の映画を見た。名作『橋』のベルンハルト・ヴィッキ監督、イングリッド・バーグマン主演とドイツ色の濃い映画だった。故郷の村で二十年前にむごい仕打ちを受けた女性が大富豪となって帰郷し、自分を捨てた元恋人を死刑にするという条件で村に二〇〇万ドル寄付しようと申し出た。村は大騒ぎになったが、結局、元恋人を死刑にすることに同意し……というブラック・ユーモアの効いた筋書きだった。原作はスイス・ドイツ語圏の作家・劇作家フリードリッヒ・デュレンマット。これは覚えておこうと思ったが作品を読むまでには至らなかった。時は移って一九八九年の暮れ、パリでテレビを見ていたら、書評番組にデュレンマットがソレルスとロブ=グリエと一緒に出演していた。劇作家から小説家に転じ、自伝風の散文を執筆中とあったが、そのうち訃報に接した。それからさらに二二年たって、突然、デュレンマットの短編作品が翻訳されたので飛びついた。果たせるかな、非常におもしろい。
 表題作の一つ「失脚」は、スターリン時代のソ連を思わせる全体主義国の政治局が舞台。独裁者Aが議長席に着席し、党序列通りに政治局員が席を占めて会議が始まるが、一人だけ核開発大臣Oが姿を見せないことから、疑心暗鬼が広まる。Oが逮捕されたとしたら、その関係で、失脚や処刑の恐れが連鎖的に出てくる政治局員がたくさんいたからである。

 郵政大臣Nは重工業大臣Fとの関係が気になりだす。Fが糖尿病になり、医者の勧告でボルドーだけを飲むようになったと秘密警察庁長官Cから聞かされたとき、Fにボルドーを贈るべきかどうか迷った挙句(あげく)、ラフィットの一九四五年ものを一箱プレゼントしたが、この決断を悔やむ。「というのも、プレゼントするとNがFの病気のことを知っていると明かすことになったからである」。返礼としてFから「フランス革命名場面集」という題の映画フィルムが贈られてきた。Nは軽率にもそれをホームシアターで上映してしまった。ポルノだった。「Fは恐喝の材料を握っておくためにポルノをプレゼントし、贈られた側があたかもポルノ好きであるかのように振る舞ったのである」
 このように、緊迫を孕(はら)みながらも、政治局の力関係はある種の均衡を保っていたが、独裁者Aが思いがけない提案をしたことから、事態は予想を超えた展開に。Aは政治局員が互いに争って忠誠競争をしている状況を権力の前提条件にしていたのだが、その状況を自ら突き崩してしまったからである。あたかも、打つ手を間違えて民主党を脱党「せざるをえなくなった」小沢一郎のように。

 ことほどさように、デュレンマットの作品というのは現代の「寓話(ぐうわ)」で、読者は常に自分が生きている時代の「なにか」を連想させられることになる。

 この意味でわかりやすいのは「トンネル」という短編。二四歳のオタク風大学院生はいつも乗るチューリヒ行きの列車がトンネルに入ったままなのに不審を抱き、車掌に問い詰めると車掌は、運転手はすでに存在しないという事実を明かす。大学院生はそこで考える。「僕たちがコンパートメントにすわっていたときにはもう、すべてがおしまいになっていたのに、それに気づいていなかったんだ」と。もちろん、これは訳者も指摘しているように、3・11以後の日本の状況を思わずにはいられない寓話である。デュレンマットという忘れられた名前の復活を喜びたい。(増本浩子訳)
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『失脚/巫女の死−デュレンマット傑作選』=デュレンマット著」、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120722ddm015070015000c.html

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