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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『臨床哲学講義』=木村敏・著」 、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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今週の本棚:村上陽一郎・評 『臨床哲学講義』=木村敏・著
 (創元社・2625円)

 ◇哲学的視点で捉える精神医学の現場
 アメリカはいざ知らず、ヨーロッパでは、哲学、のみならず、学問の世界で一般に、古典語としてのギリシャ語とラテン語、そしてヨーロッパの主要言語(英・独・仏)に堪能であることは、学者としての基本的な素養であったし、現在でもあまり事情は変わらない。ドイツ語圏のギムナジウム(大学への入学資格を与える中等教育機関)は、確かに近来一部の理工系で古典語の必修を外すようになったが、大学院入試でさえ、英語の試験しか課さず、しかもアメリカ式の標準語学テストでとった点数の提出で代行するところが多い日本の現状には、強い危機感を持つ。
 こんなことを書いたのも、著者が、現代日本には希(まれ)になってしまった、ヨーロッパ学界の基礎資格を充分に備えた研究者であることに、本書でも強く印象付けられるからである。「哲学」という学問の源が古代ギリシャにあることは、誰もが首肯せざるを得ないが、そうであれば、学問としての哲学の伝統がヨーロッパにあることも、同時に認めざるを得ない。他の世界にも「哲学すること」は広く存在することが明らかであるとしても、である。
 人間性の追求、人間と世界の関わりの追求において、ヨーロッパ「哲学」は独自の途(みち)を切り開いてきた。著者は、精神医学者であって、職業的哲学者ではない。然(しか)し著者の奉じる精神医学は、まさしく上の二つの哲学的課題が、日常からの「ずれ」を示す実例をもって、鮮明な姿をとる現場である。人間性一般や、人間と世界との関わりの本質は、日常性のなかに埋没しているが、そこからの「ずれ」が示されることによって、かえって鮮やかにあぶり出される。「臨床」と名付けられる所以(ゆえん)であろう。
 著者の言語への拘(こだわ)りは、一つ一つの術語の語源と原意への言及が、ほとんど必ず行われていることに、よく現れている。当然、そこでは、古典語や、それに多少とも影響を受けて成立しているヨーロッパ諸語の相互関係についての博引が必要になる。著者の言語的素養がみごとに発揮される場面である。原語・原意に立ち返ることによって、語意の歴史的な変化や、日本語への翻訳の結果として見落とされがちな、ことの本質が、あらためて浮き彫りにされる効果がある。
 本書を貫く一つの論点は、最初に登場する、生命と<生命>の区別だろう。ここでは、できるだけ多くの読者に本書と取り組んで戴(いただ)きたいがゆえに、あえて、その区別の解説はしないでおくが、評子自身、曲がりなりにも永年哲学の世界に関わってきた人間としては恥ずかしいが、漠然と言語化できずにいたことの蒙(もう)を啓(ひら)かれた思いである。
 そのほか、「みずから」と「おのずから」の区別、あるいは、一種の時間論的概念である「祭りの前」、「祭りのあと」、そして「祭りの最中」という区分法など、これまでに著者が独自に提唱してきた、幾つかの刺激的な概念を駆使して、著者は、日常からの「ずれ」として典型的な三つのもの、統合失調症、鬱病、そして癲癇(てんかん)に立ち向かう。
 こうした場合でも、著者は単に精神病の診断基準として世界的に通用しているDSM(現在は第四版用修正版<4-TR>)を適用するだけではなく、人間性の深層への思いに、分析のポイントを置いているところが、深い印象を残す。
 内容は決して易(やさ)しくはないが、もともと一般の聴衆を前に語られた講演シリーズの活字化である。頁(ページ)をめくるのがもどかしいような思いで読み進むことのできる書物である。
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『臨床哲学講義』=木村敏・著」 、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120722ddm015070013000c.html

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