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覚え書:「日中対話の努力 不可欠  廬溝橋事件75年 記念館副館長に聞く」、『毎日新聞』2012年7月8日(日)付。

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日中対話の努力 不可欠
廬溝橋事件75年 記念館副館長に聞く

【北京・工藤哲】日中戦争(1937~45年)の発端となった廬溝橋事件から7日で75周年を迎えたのを受け、廬溝橋近くに建つ歴史展示施設「中国人民抗日戦争記念館」の李宗遠副館長(42)が7日、毎日新聞の取材に応じた。李副館長は、近年日本の政治家が記念館を訪れる機会が減っていることに懸念を示し、歴史や領土の問題で日中関係が緊張しても、対話を維持する努力が不可欠との考えを示した。
 李副館長は、95年に村山富一首相、01年に小泉純一郎首相(いずれも当時)が記念館を訪れたが、近年はこうした影響力のある日本の政治家が訪れる機会が減っていると指摘。日本国内の歴史認識に変化が生じていることが背景にあるのではとの見方を示した。
 また日中関係の現状を「一時的な霧に覆われた状態」と表現し、「歴史や領土などの敏感な問題は、複雑にすると両国間の緊張が一層高まる」と語った。尖閣諸島を巡る問題を念頭に「領土の問題は相手の挑発を企てる一部の人間が大衆をあおることで、両国関係の発展に不利な状況になる」との危機感を示し、「今こそ政府間の(冷静な)対話が重要だ」と強調した。
 記念館は、事件から50年後の87年7月に会館。主に日中戦争について展示している。当初は旧日本軍の残虐行為を強調する内容が目立ったが、その後の日中関係の変遷に伴い、歴史を教訓に両国の友好を求める内容に変化してきた。

ことば 廬溝橋事件 1937年7月7日夜、北京市中心部から南西に約15キロ離れた石橋の廬溝橋近くで、対立していた日中両軍が衝突した事件。日中戦争の発端となった。中国では「七・七事変」と呼ばれる。
    --「日中対話の努力 不可欠  廬溝橋事件75年 記念館副館長に聞く」、『毎日新聞』2012年7月8日(日)付。

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