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2012年7月

「孔子もアリストテレスも、『昔々あるときに』生きていたえらい人というよりは、偉人は偉人でも隣りに住んでいて、垣根の向こうから声をかけてくれる日常生活のつき合い相手」として

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 私の先生で、数年前に故人となった南原繁という学者がいます。南原先生と話をしていて談たまたま『論語』に及ぶと、先生は「あの人はね」云々というのです。「あの人」というのはむろん孔子のことです。けれども「あの人はね」といわれると、何か孔子が同じ町内に住んでいる老人のようで、私などには、そこに漂う一種の不自然さがおかしみを誘いました。けれども、この何げない言葉遣いのうちに、古典--先生の場合には専攻からいって主として西洋政治哲学の古典ですが--と直接かつ不断に対決してきた精神の軌跡が躍如としています。
 孔子もアリストテレスも、ルターもカントも、先生にとっては「昔々あるときに」生きていたえらい人というよりは、偉人は偉人でも隣りに住んでいて、垣根の向こうから声をかけてくれる日常生活のつき合い相手なのです。南原先生の政治学史の講義は、こういう向う三軒両隣りの偉人たちと先生とが交す会話から成り立っていました。ですからオーヴァーな言い方をすれば、プラトンとアリストテレスとが、あるいはロックとベンサムとがかりに歴史的順序を逆にしてあらわれてきても、先生にとっては、会話の順番がちがってくるだけで、それぞれの政治哲学と先生の政治哲学との直接の対話という、先生の学問の本質的な特徴は変わらないわけです。
 私のように青年時代からいわば「歴史主義的」思考の毒に骨の髄まで冒された者にとっては、こういう先生の態度にはどうしてもなじめないものがありました。けれども、政治思想史の方法論としては、そこにどんなに批判の余地があろうとも、これこそまさに古典を読み、古典から学ぶ上でのもっとも基本的な態度であり、しかも現代日本ではますます希少価値になってゆく心構えだと思います。
    --丸山眞男「序 古典からどう学ぶか--開講の辞にかえて--」、「『文明論之概略』を読む(一)」、『丸山眞男集』第十三巻、岩波書店、1996年、22-23頁。

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春先に、丸山眞男を再読しないと、やっぱりはじまらない!(←って何が?ってツッコミをされると困りますが)と思い、著作集をひもとき初めて、ようやく十三巻まで来ました。うぇ~ィ!

さて収録されているのは、岩波新書の三分冊で有名な、そしてこれもすでに「現代の古典」といってよい『「文明論之概略」を読む』になります(『丸山眞男集』では十四巻までで新書三冊を収録)。

まさに「読む」という講義になりますので、福澤諭吉の『文明論之概略』を参加者と共に「読む」仕立てになります。その序で「古典からどう学ぶか」という議論をしておりますので、内容そのものよりも、古典を読む意味としては普遍的な視座が含まれておりますのでひとつ紹介しておきます。

古典とは、たしかに釣り鐘みたいなものですから、打ち手の力量・技量によって、それは大きく響くものでもあれば、逆に小さく響くものでもあります。ですから「おお、これはすごい」乃至「チンプンカンプンでした」ということで、その著者たちを「おお、これはやはり大先生」と持ち上げることも、そして同時に「いやー、エライ人の書き物はよくわらかねー」って態度をとっても仕方はないのはその実状じゃないかと思います。

丸山眞男は師の南原繁の古典観・人間観を……自身を卑下しつつw……紹介しておりますが、「孔子もアリストテレスも、ルターもカントも、先生にとっては「昔々あるときに」生きていたえらい人というよりは、偉人は偉人でも隣りに住んでいて、垣根の向こうから声をかけてくれる日常生活のつき合い相手」という認識はどこかで持ち合わせていた方がいいと思う。

研究者の端くれをしている自分でも分かりますが、孔子やアリストテレスや、ルターやカントをも「超える」ほどの力量はないし、学ぶべき点はそれぞれ尽きることを知らぬ無限の水脈の如く存在し、たしかに「偉大なる人物」であるとは思う。しかし、そうだとしても「隣りに住んでいて、垣根の向こうから声をかけてくれる日常生活のつき合い相手」として向き合わない限り、それはどこまでいっても、自分自身の事柄にはならないし、そこに双創性は出てこない。

古典を読むとは何か。いろいろな側面はありますが、その一つはやはり、古典という著作を通して、彼らと「対話」することが「古典を読む」ということなのだと思います。

ともあれ、私自身も「あの人はね」……っていいながら、たどたどしいながらも対話を継続していきたいと思います。

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覚え書:「今週の本棚:藤森照信・評 『ブルーノ・タウト--日本美を再発見した建築家』=田中辰明・著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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今週の本棚:藤森照信・評 『ブルーノ・タウト--日本美を再発見した建築家』=田中辰明・著
 (中公新書・798円)

 ◇大戦間期のジグザグ人生を追う
 帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトについて普通の人から、「日本では有名ですが、世界的にはどうなんですか」と聞かれ、驚いた。20世紀の建築家を上から指折れば確実に片手の内には入る。
 ブルーノ・タウトはどうか。両手は難しくても、両手二回の内には入るだろう。そのタウトについては二つの伝説がある。一つはユダヤ人ゆえナチスに追われて来日した。もう一つは桂離宮の美しさを発見した。
 二つとも間違いで、ユダヤ人ではなかったし、桂の一件は、すでに日本の建築家が発見して本にして刊行し、その後タウトが喜ぶだろうと案内し、予想以上に喜んでくれて文を書き、その文を読んだ日本人がタウト発見と誤解した。当時の日本の出版界における建築家の発言力の弱さと、当時の欧米人発言の強さの落差がもたらした誤解だった。
 副題に「日本美を再発見した建築家」とあるが、「再発見」ではなく「追確認」が正しい。
 20世紀建築史におけるタウトのピークは、1910年代のドイツ表現派時代にあり、宇宙や地球のデザインをするわ、世界最初のガラスの家を実現するわ、赤煉瓦(れんが)とモルタル塗りの既存の町並みを原色で塗り替えてしまうわ、アヴァンギャルド建築家として暴れまくる。私としてはこの時期が一番好きだが、こうした普通の人には付いて行きかねる当時の“現代美術的表現”については、最初の一章しか割かない。
 つまり、ピークを意識的に外し、二章以後はもっと社会的広がりのあるタウトに触れてゆく。
 たとえば、1920年代の住宅改良運動のリーダーとしてのタウト。この時期、社会主義の影響を受け、劣悪な中小住宅の改良に力点を移し、表現的には地味だが健康的で使いやすい集合住宅をたくさん手掛け、それらは近年、世界遺産に登録されている。
 こうした社会主義的活動がナチスに睨(にら)まれ、日本の建築家グループの招きに応じ、亡命するようにして1933(昭和8)年、来日したのだった。
 ただし、来日した時には、世界の建築界の先端はタウトよりもう一世代若いグロピウスやル・コルビュジエに移っており、日本の建築界の先端(前川國男、丹下健三ら)はタウトにまるで関心を払わなかった。
 そうした不幸の中でのタウトの活動とそれを支えた人々についての記述は充実しており、本書の白眉といえよう。
 私が本書で初めて知ったのは、タウトの女性関係のことだった。夫人として来日したエリカが愛人であったことは聞いていたが、本国に残した本妻と子どもたちのこと、タウト没後のエリカのことに一章分が割かれている。
 最後の章は、1936(昭和11)年に、日本を去り、トルコに渡り、1938(昭和13)年に58歳で没するまでを述べる。近代トルコ建国の父アタチュルク大統領に全面的に信頼され、大学や国会議事堂の仕事を任されながら、途中、過労で病没する。基本設計をタウトが手掛けた球形の住宅などが詳しく書かれ、紹介されている。
 これまでいくつもタウト関係の本は出されているが、普通の人が最初に読むには一番いいだろう。タウトのジグザグ人生を、時代や社会との関係の中で辿(たど)り、10年単位で変わるような20世紀建築についての基礎知識が乏しくても入ってゆけるように書かれている。
    --「今週の本棚:藤森照信・評 『ブルーノ・タウト--日本美を再発見した建築家』=田中辰明・著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120729ddm015070017000c.html


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「善良であること」「親切であること」を人は笑うでしょうが、

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 自己を気遣うよりさきに他の誰かを気遣うこと、他の誰かを見守ること、自己の責任を引き受けるよりさきに他の誰かの責任を引き受けること、こういうった行いのうちにはたしかに聖性が認められます。人間性とはこの聖性の可能性のことです。この守護のスローガン、「善良であること」「親切であること」を人は笑うでしょうが、私はこれをまじめに受けとめているのです。このことをつきつめて考える必要があります。厳密に峻烈に考える必要があります。他なるもののために、その身代わりとしてあること、他者の責任を引き受けること、愛すること!
    --エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)「レヴィナスとの対話」、『暴力と聖性』国文社、1991年、134頁。

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昨日は、台湾在住で日台の文化研究を志す若い優秀な研究者の方と一献。

twitterでこれまでやりとりをしていたのですが、7月に来日されるということで、「是非、盃を」という話になりまして、急遽、実現しました。

自分自身の研究と交差する議論もあったり、はじめて聞く話もちらほら。
そして、案外、お互いに近い関係であったりすることに驚くと同時に喜ぶという訳で……がっつり呑んでしまった次第です。

Aさん、昨夜は遅くまで、ありがとうございました。
また機会があれば是非宜しくお願いします。

しかし、何といいますか。

これは尊敬するS先生からの受け売りですけれども、対面コミュニケーションであろうが、それがSNSのようなコミュニケーションであろうが、結局はそれは「形式」にすぎない。

形式は違うが中身は同じであり、その中身の同じというのは何かといえば、結局は言葉を発する者とそれを受けとめる者としての人間がそこに存在するということ。

だとすれば、対面は大事で、ネットはおろそかにしてよい、対面ではしゃちほこばって話して、ネットでは罵詈雑言ですませてよい……っていう短絡的な話にはならない。

かんたんな理屈ですが、わりと割り切ったり、スルーしたりしてふるまってしまうという落とし穴を避けながら、相対(あいたい)していくしかないですね。

ともあれ、昨日は遅くまでありがとうございました。

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覚え書:「今週の本棚:『道具と人類史』=戸沢充則・著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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今週の本棚:『道具と人類史』=戸沢充則・著
(新泉社・1680円)

 人類の歴史を道具に即してスケッチしたエッセー集。簡潔な記述から現代の病巣が浮かび、骨太の文明論として読み応えがある。考古学者で元明治大学長の著者は今年4月に亡くなった。社会に積極的にかかわるのが研究者の責任だと力説した人で、研究の成果をわかりやすい表現で市民に還元する活動を実践した。そのうえで、遺跡保護や平和運動などにも果敢に取り組んだ。そうした研究姿勢がよく伝わってくる。
 人類最初の道具は200万~300万年前の石器だ。河原石の一部を打ち欠いただけの粗製の道具だけれど、威力抜群。以後、人類はより効率的な道具を求めて技術と素材の獲得に奔走する。そうした過去の真摯な歩みに温かいまなざしを注ぎながらも、著者は技術の未来に根本的な疑問を抱く。文明の進歩は人類にとって本当は危険ではないか、と。
 第1章「道具のルーツ」の最後で「道具を作るこころと使うこころがいつも正しくかみ合うような人類の英知」の必要性を強調し、技術におごって地球を滅ぼしかねない人類に警鐘を鳴らしている。2000年以前の文章が多いが、3・11後の今、一層の含蓄が感じられる。(和)
    --「今週の本棚:『道具と人類史』=戸沢充則・著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである

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 私たちは道徳によって欺かれてはいないだろうか。それを知ることこそがもっとも重要であることについては、たやすく同意が得られることだろう。
 聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである。そうであるなら、聡明さは、戦争の可能性が永続することを見てとるところにあるのではないか。戦争状態によって道徳は宙づりにされてしまう。戦争状態になると、永遠なものとされてきた制度や責務からその永続性が剥ぎとられ、かくて無条件的な命法すら暫定的に無効となるのである。戦争状態がありうることで、人間の行為のうえにあらかじめその影が投げかけられている。戦争はただたんに、道徳がこうむる試練のうちに、--しかも最大のそれとして--位置を占めているだけではない。戦争によって道徳は嗤うべきものとなってしまう。手だけてもすべてをつくして戦争を予見し、戦争において勝利する技術、つまり政治が、かくして、理性のはたらきにほかならないものとして理性に課せられることになる。哲学が素朴さに対置されるように。政治が道徳に対置されるのである。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限 上』岩波文庫、2006年、13頁。

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確かに戦争は、「道徳を宙づり」にしてしまう。

しかし、戦争が起こっていなくてもそれは成立する。

「戦争状態になると、永遠なものとされてきた制度や責務からその永続性が剥ぎとられ、かくて無条件的な命法すら暫定的に無効となる」。

人を殺すと殺人を問われる。しかし戦争で人を殺せば勲章がもらえる。こうしたサカサマな状態は、戦争だけに限定されない。

「ありうる」だけで「道徳を宙づり」としてしまう現象は、日常を支配する「政治」の優位はあらゆる価値を転倒する。「政治が道徳に対置される」とは、「ほんとうは~なんじゃないのか」という問いかけが忙殺・黙殺されるときなのだろう。

生活を疑わない。疑われずに続く常識にしたがって、みんながやっているからと続いていく。これにどれだけ「気付き」ができるのかが課題だと思う。

人は生まれた途端、死ぬまで壮大なディシプリンに雁字搦めにされ、躾や教育の名のもとにそうした「慣性」を「疑うまでもない」と「思いこみ」生きていく。しかし、その中には、「道徳を宙づり」にしてしまう装置がかなりの割合で仕込まれている。

文化や共同体、そして慣習というものは、全てが全てそうだとは言い切らないまでも、かなりの部分で全体にとって「都合のいい」ものとして生成され、個々の人間そのものに関心を抱かない巨大な機構として成立している。しかしときどきよく見てみると「ほんとうは、~なんじゃないのか」とツッコミを入れたくなるものも多々ある。

何が人間を抑圧するのか。

だいたいの場合においてそれは「人間のため」を装ったものであることを忘れてはならないだろう。

聡明さとは何か。

それは得点エリートの優秀さではない。どれだけ気付きができるのかに収斂していく。

「聡明さとは、精神が真なるものに対して開かれていることである」。


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書評:V・バナジー、E・デュフロ(山形浩生訳)『貧乏人の経済学』みすず書房、2012年。

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 自分の健康についての正しい決断を責任もって下せるほどに賢く、忍耐強く、知識のある人など、だれもいないということを認識すべきです。豊かな国に住む者は目に見えない後押しに囲まれて生活しています。
    --V・バナジー、E・デュフロ(山形浩生訳)『貧乏人の経済学』みすず書房、2012年、102頁。

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V・バナジー、E・デュフロ(山形浩生訳)『貧乏人の経済学』みすず書房、読了。貧困からの脱却は経済学の主要なテーマ。本書は理論の単純な解答と論争より、現場取材と実験経済学の手法から等身大の解決を提案する。貧乏人は非合理でも怠惰でもない。状況下で合理的選択をしているが限界もある。

貧乏人は非合理でも誘惑に弱い怠け者でもない。目下の条件の中で合理的に行動しているにすぎない。では問題はどこにあるのか。例えば、子供たちを違う環境へ送りたい。しかしその選択は必ずしも合理的ではないということだ。

よくも悪くも教育が脱出へのチャンスとなる。しかし親たちには、子供を教育に通わせる魅力がないのも事実。勉強させるよりも働かせた方が収入は増えるし、教育とは金持ちエリートの特権という思いこみも存在する。

貧困撲滅の特効薬は存在しない。先ずは、貧乏人の声に耳を傾け、彼らの選択の論理と現状を理解することから始めよと著者はいう。貧困は不可避に再生産される。だとすれば「目の前の不正義を解決する知恵を出す」(セン)しかない。

途上国の犠牲の上に活動が成立する先進国の人間には(勝ち組でも負け組でも)貧困の実態はよく分からない。本書は副題の通り「もういちど貧困問題を根っこから考える」。経済学の素人でも読みやすい一冊。支援か自立かの二元論の襞に分け入る。

スピヴァクの言葉を思い出す。「フーコーらは資本主義下での抑圧構造を分析し、抑圧される側が社会変革の主体であるかのように説いた。しかしその理論は、経済発展を遂げた先進国でしか妥当しないという。しかも、先進国の住民は金持ちも貧乏人も、第三世界の経済的犠牲の上にいる『勝ち組』だ」。

声は奪われ続けていく。

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知慮(フロネーシス)というものに関して

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 知慮(フロネーシス)というものに関しては、こんなふうにして、つまり、いったいいかなるひとびとをわれわれは「知慮あるひと」と読んでいるかということを考えることによって、その何たるかの把握が可能になるであろう。「知慮あるひと」(フロニモス)の特徴と考えられているところは、「自分にとってのいいことがら・ためになることがらに関して立派な仕方で思量(プーレウエスタイ)しうる」ということにある。それも決して部分的な仕方で、たとえば、どのようなものごとが健康とか体力とかのためにいいかといったことについてではなく、およそ全般的な仕方で、どのようなものごとが「よく生きる」(エウ・ゼーン)ということのためにいいか、についてなのである。その証拠に、もしひとびとが何らか或るすぐれた目的(ただし技術の領域に属するものを覗いて)を達成するため立派に勘考するような場合、われわれは彼らを目して、そうした或ることがらに関しての知慮あるひと(フロニモス)となすのである。だから、全般的な仕方で知慮あるひとというのは、やはり全般的な意味において思量にたけたひと(プーレウティコス)のことでなくてはならぬ。
    --アリストテレス(高田三郎訳)『ニコマコス倫理学』岩波文庫、1971年、223-224頁。

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昨日の試験にて前期の担当科目が全て終了しました。
履修された学生さんたちもこの科目が最後だったようで、今日から長い夏休みがはじまるとの由。

高等学校までの学習と大学での学問が違うように、夏休みの過ごし方も変わってくると思います。何が変わるかといえば、やはりそれを自分で組み立てて過ごすということが大きいのではないかと思います。

寝るもよし、遊ぶもよし、学問をふかめるもよし。

ただ、大事なことは、……そしてこれは休みの過ごし方だけではありませんが……ぼっーとしているとぼっーと時間だけが過ぎてしまうということ。

ここだけは留意しつつ、価値ある一日一日となりますよう心よりお祈り申し上げます。

また、今日までありがとうございました!

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覚え書:「異論反論 官邸前での抗議行動が広がっています 切実な声に耳を傾けよ=雨宮処凛」、『毎日新聞』2012年7月25日(水)付。

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異論反論 官邸前での抗議行動が広がっています
切実な声に耳を傾けよ
寄稿 雨宮処凛

 16日、代々木公園で開催された「さようなら原発10万人集会」に参加した。
 猛暑となったこの日、炎天下に集まったのは主催者発表で17万人。福島第1原発事故から1年4カ月。活断層の調査さえ済んでいないまま大飯原発が再稼働された国で、「脱原発」への思いがこれまでにないほど高まっている。
 それを裏付けるのが、首相官邸前での毎週金曜夜に開催されている抗議行動だ。
 原発再稼働に反対してこの行動がはじまったのは3月。このころから参加していたのだが、当初の参加者は数百人。それが6月に入り、野田佳彦首相が再稼働を明言すると同時に人はどっと増え、同月末には主催者発表で20万もの人が官邸前に駆けつけた。いつからか、この状況は「紫陽花革命」と呼ばれている。「アラブの春」の火付役となったチュニジアの「ジャスミン革命」から命名されたのだろう。参加者のほとんどが、ツイッターやフェイスブックでこの行動を知った人たちだ。
 集まっている人たちは、実に多様だ。赤ちゃんを抱いたお母さん、3世代の家族連れ、若者グループ、お年寄り。老若男女が午後6時から8時までの2時間、「再稼働反対」と叫び続ける。民主党議員をはじめとして、国会議員の姿も多い。
 もちろん、福島から避難している人も来る。原発から1・5キロの場所に住んでいた女性は、官邸に向かって「絶対安全」という言葉にどれほど騙されてきたか、着の身着のまま逃げだし、これまで何度死んだほうがマシかと思ったかを、涙ながらに訴えた。同じく福島から避難中だという別の女性は、息子が事故の後処理をするために今も原発で働いていることをスピーチ。被災者でありながら、原発労働者。「小さな子供の命も大切ですが、私には30歳の息子の命も大切です」という言葉が、胸に突き刺さった。
 これだけの切実な叫びに対し、野田首相の反応はというと、「大きな音だね」。
 さすがに翌週には「さまざまな声が届いております」とコメントしたが、福島の人々や、この状況で再稼働に大いなる疑問と怒りを抱くひとびとの声を黙殺する方針は曲げないようである。

「直接民主主義の実践」始まっている
 ここ1カ月、目立って、増えてきているのは「政権打倒」というプラカードだ。また、今月18日からは、官邸前で別の行動も始まった。毎週水曜日夜、消費増税や生活保護改悪、社会保障の切り捨てなどに対して「私たちの声を聞いてください」と訴える行動が始まったのだ。
 こうして今、続々と官邸前に、政治に対する疑問を持った人々が集まっている。ある意味、これほどまでに人々を危機感から「立ち上がらせた」政権はないではないだろうか。そうして、民主党からは離党者が相次いでいる。現場に来ればわかるだろう。今、この国では、壮大な「直接民主主義の実践」が始まっているのだ。
    --「異論反論 官邸前での抗議行動が広がっています 切実な声に耳を傾けよ=雨宮処凛」、『毎日新聞』2012年7月25日(水)付。

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自分の育てた思想を国家に譲ること

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 ジャワについて数日たったある時、私の中に考えが生じた。一年前に自分の中にあった考え(日米どちらの国にも与せず、人を殺さずに自分の生を終えよう)という目標から、すでに自分は外れている。それは、世界史のどの時期にも国家をつくったところに生じる現象で、自分の育てた思想を国家に譲ることが起こるのではないか。キリスト教の興る前のローマの多神教、ローマの国家が歴史を経た後のキリスト教徒に対する迫害と転向・非転向、これらはアーサー・ダービー・ノックから受けた講義の記憶から発想した。ドイツのナチスとポーランドの抵抗。それよりも、日本人と日本国による張作霖爆殺。これは私が五歳のときに家に投げこまれた号外によって、私の心の底に忘れ得ぬ記憶となっている。こういうことをする日本人への不信。それは、偽の勝利の報道が続く中で、大負けに終わる時がくるのを待つ日々だった。
    --鶴見俊輔「東洋文庫版まえがき」、思想の科学研究会編『共同研究 転向1 戦前篇 上』平凡社、2012年、6-7頁。

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鶴見俊輔さんが、生まれてはじめて人間が人間を殺すということに「恐怖」を覚えたニュースとして指摘するのは、「日本人と日本国による張作霖爆殺。これは私が五歳のときに家に投げこまれた号外によって、私の心の底に忘れ得ぬ記憶」である。

自分自身の同じような強烈な印象としてのこるニュースを振りかえれば、それは、1975年のベトナム戦争終結のニュースだと思う。

T54がサイゴンの大統領官邸に突入する映像と、ベトナム戦争に関連する映像をまとめたような「絵」に戦慄したことを記憶する。

この事件は僕が3歳の頃になる。しかし鑑定に突入する兵士を祝福する市民の笑顔よりも、同時に放映された北爆やゲリラ戦、白昼のテロとそれへの応酬の「絵」に恐怖したことを想起すると、それは、5歳とか6歳のときの、記念報道とか特集の映像かも知れない。

それが代理戦争であるだとか、植民地解放のプロセスであるだとか、少年の私にはなにもわからない。3歳ではなく5歳と仮定しても、南ベトナム(+アメリカ合衆国)を支持するのか、北ベトナムを支持するのか、といった政治的判断はできるはずもない。
※だからといって、確定してる正邪をどうのこうのという議論ではないし、本論とは関わりがないから横に措きます。

しかし、その「絵」によって、人間が人間を殺すこととしての「戦争」の恐怖というものは、幼いながらにも深く植え付けられることになった。

それから、祖母より戦争中の話を聞き、自分でも意識的に学ぶようになったと思う。

あの映像をみた少年時代より、すでに30年近くが経過した。

しかし、世界の状況は変わらないし、身近な生活世界を振り返ってみても、同じような「戦争」はかたちを変えて続いているのは紛れもない事実であろう。

国家にせよ、社会にせよ、ありとあらゆる「共同体」というものは、そもそも、その構成員を「守る」というのが「建前」だとは思う。

しかし「守る」という大義名分は、容易に構成員を殺すことに躊躇しない。

人間を殺すように「命じる」。そしてたくさん殺した人間を「顕彰」するメカニズムこそ共同体の顛倒であろう。


「国家をつくったところに生じる現象で、自分の育てた思想を国家に譲ることが起こる」。

国家によって殺された人間は数え上げるに霧がない。しかし一人の人間のために殺された国家は1つも存在しない。

この方程式を失念することなく、人間の問題として対峙・退治し続けるほかあるまい。


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パンとサーカス。ショータイムがナショナル・アイデンティティーへと収斂されていく。うぇ~ィ!

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※twitterの雑感のまとめ。

あ、そろそろオリンピックーー。

たぶん、ぜったいみないと思うが・・・。

パンとサーカス。ショータイムがナショナル・アイデンティティーへと収斂されていく。うぇ~ィ!

加えて、集団熱狂というにゅーるんべるく。

スポーツの場合、勝ち負けが翠点ですから、それが簡単に排他的ななるものへ転じてしまうので、絶対に見ないようにしています。想像の産物に過ぎない「国民国家」がテケトーに容易したアイデンティティーに収斂されない抵抗といいますか(苦笑

ただの変わり者です。

「がんばれニッポン」ですかぁ。3.11以後のキャッチフレーズを背負ってプロパガンダ背負って「えーしー」ってやっていたのは、スポーツ選手と国民的芸能人。彼ら自体を「責める」つもりは毛頭ないけど、これが(古典的な意味での)「権力」の当体ですよ。だから、僕は矜持として一線を引く。

「国民国家ゲーム」というのを分かった上でそれを「楽しむ」のは別に問題ないとは思うんです。しかし無自覚に「おお、日本すげぇ~」って収斂されるのは辛いものがあり、それは○○人が凄いのではなく、その人が凄いというだけなんですよね。

私は、「全体への同化」という易きへの阿りになりかねない性根を内在させていることを自覚しているので、そういう契機だけは、意識的に遠ざけてしまうというアレです。

それが「~にすぎない」という「理解」でないと、自身の生命の内奥から「楽しむ」ということはできないんじゃないのかとも思う。

うわー、うわー、すげぇ~、って気が付いたら排外主義って誘導をさけて楽しむの本道でしょう。これは国内リーグ戦を応援するのでも同じ感です。


「意志の勝利」 http://www.youtube.com/watch?v=GHs2coAzLJ8

「オリンピア」 http://www.youtube.com/watch?v=7TI6yIo-tcc

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書評:マッツィーニ(齋藤ゆかり訳)『人間の義務について』岩波文庫、2010年。

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イタリア建国の志士による思想書。自身で勝ち取る祖国解放の概念は、現在のナショナリズムとは対極的。相互尊重と、諸国民の特性の発揮は人類に利益をもたらさんとする力強い意志を説く。国民国家破綻の現在だから一読の価値があります。

ロマン主義的情熱と楽天的進歩観は否めない。しかし、そのリソルジメント思想には排他的な民族主義的情熱は淡く、自ら勝ち取る意義での「義務」を説く。ガンディーに影響を与え、男女平等と教育の重視、ヨーロッパ統合等、普遍志向は今なお新鮮である。

「君たちの解放は、人類という家族の統一という一つの根本原理が勝利しない限り実現できません」。マッツィーニ(齋藤ゆかり訳)『人間の義務について』岩波文庫、2010年、188頁。ゲーテを想起すべき一節ですが、ここには承認欲求としてのナショナリズムの視座はない。

イタリア国内で、発売禁止扱いとなったホール・ケイン『永遠の都』を繙きたくなったですね。


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 君たちは、みなが神の子であり、神のもとに兄弟であることの証しを立てるという厳粛な使命を担っています。その使命は、君たち自身を向上させ義務を果たすことなしには遂行できません。
 わたしは、義務がなんであるかについて、君たちに説明しようと最善を尽くしたつもりです。そして、なかでも特に本質的で重要なのが、祖国に対する義務です。祖国を築くのは、君たちの責務であり急務です。わたしが君たちに語った手段と援助を提供してくれるのは、一つになった自由な祖国をおいて他にないからです。君たちの社会的境遇の向上は、国民国家(ナツィオーネ)の政治への参加を通じてしか得られないからです。投票を抜きにして、君たちの志すもの、必要としているものを代弁してくれる真の代表者はあらわれません。国家の全市民の進歩を目指す合意に基づいた《イタリアの協定(パット・イタリアーノ》をローマで書き実行に移す人民の政府を抜きにしては、君たちの境遇の改善は望めないのです。フランスの社会主義者の例を真似て社会問題から政治を切り離し、「祖国を維持する制度がいかなるものであれ、われわれは解放を手にできる」と言ったその日から、君たちは自らの手でおのれの隷属的状態を永遠のものにしてしまうでしょう。
 本書を結ぶにあたり、わたしはもう一つ、自由な一つの祖国の建設に劣らず重要な義務を示しておきます。
 君たちの解放は、人類という家族の統一という一つの根本原理が勝利しない限り実現できません。ところが、じつに奇妙なことに、現在、人類という家族の半分は市民生活において政治的、社会的に同等とは見なされず、その統一から除外されているのです。その半分とは、わたしたちがインスピレーションや慰めを求める相手、子どもたちの初期教育にあたってくれる存在です。宗教的真理の名において自分たちの解放を求めている君たちなら、あらゆる方法であらゆる機会にこの統一の否定に抗議すべきです。
 女性の解放は、労働者の解放とつねに対をなすべき課題であり、君たちの努力を普遍的な真実として神聖化してくれることでしょう。
    --マッツィーニ(齋藤ゆかり訳)『人類の義務について』岩波文庫、2010年、187ー188頁。

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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『臨床哲学講義』=木村敏・著」 、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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今週の本棚:村上陽一郎・評 『臨床哲学講義』=木村敏・著
 (創元社・2625円)

 ◇哲学的視点で捉える精神医学の現場
 アメリカはいざ知らず、ヨーロッパでは、哲学、のみならず、学問の世界で一般に、古典語としてのギリシャ語とラテン語、そしてヨーロッパの主要言語(英・独・仏)に堪能であることは、学者としての基本的な素養であったし、現在でもあまり事情は変わらない。ドイツ語圏のギムナジウム(大学への入学資格を与える中等教育機関)は、確かに近来一部の理工系で古典語の必修を外すようになったが、大学院入試でさえ、英語の試験しか課さず、しかもアメリカ式の標準語学テストでとった点数の提出で代行するところが多い日本の現状には、強い危機感を持つ。
 こんなことを書いたのも、著者が、現代日本には希(まれ)になってしまった、ヨーロッパ学界の基礎資格を充分に備えた研究者であることに、本書でも強く印象付けられるからである。「哲学」という学問の源が古代ギリシャにあることは、誰もが首肯せざるを得ないが、そうであれば、学問としての哲学の伝統がヨーロッパにあることも、同時に認めざるを得ない。他の世界にも「哲学すること」は広く存在することが明らかであるとしても、である。
 人間性の追求、人間と世界の関わりの追求において、ヨーロッパ「哲学」は独自の途(みち)を切り開いてきた。著者は、精神医学者であって、職業的哲学者ではない。然(しか)し著者の奉じる精神医学は、まさしく上の二つの哲学的課題が、日常からの「ずれ」を示す実例をもって、鮮明な姿をとる現場である。人間性一般や、人間と世界との関わりの本質は、日常性のなかに埋没しているが、そこからの「ずれ」が示されることによって、かえって鮮やかにあぶり出される。「臨床」と名付けられる所以(ゆえん)であろう。
 著者の言語への拘(こだわ)りは、一つ一つの術語の語源と原意への言及が、ほとんど必ず行われていることに、よく現れている。当然、そこでは、古典語や、それに多少とも影響を受けて成立しているヨーロッパ諸語の相互関係についての博引が必要になる。著者の言語的素養がみごとに発揮される場面である。原語・原意に立ち返ることによって、語意の歴史的な変化や、日本語への翻訳の結果として見落とされがちな、ことの本質が、あらためて浮き彫りにされる効果がある。
 本書を貫く一つの論点は、最初に登場する、生命と<生命>の区別だろう。ここでは、できるだけ多くの読者に本書と取り組んで戴(いただ)きたいがゆえに、あえて、その区別の解説はしないでおくが、評子自身、曲がりなりにも永年哲学の世界に関わってきた人間としては恥ずかしいが、漠然と言語化できずにいたことの蒙(もう)を啓(ひら)かれた思いである。
 そのほか、「みずから」と「おのずから」の区別、あるいは、一種の時間論的概念である「祭りの前」、「祭りのあと」、そして「祭りの最中」という区分法など、これまでに著者が独自に提唱してきた、幾つかの刺激的な概念を駆使して、著者は、日常からの「ずれ」として典型的な三つのもの、統合失調症、鬱病、そして癲癇(てんかん)に立ち向かう。
 こうした場合でも、著者は単に精神病の診断基準として世界的に通用しているDSM(現在は第四版用修正版<4-TR>)を適用するだけではなく、人間性の深層への思いに、分析のポイントを置いているところが、深い印象を残す。
 内容は決して易(やさ)しくはないが、もともと一般の聴衆を前に語られた講演シリーズの活字化である。頁(ページ)をめくるのがもどかしいような思いで読み進むことのできる書物である。
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『臨床哲学講義』=木村敏・著」 、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120722ddm015070013000c.html

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「ディア・フレンド」という人間感覚

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人間関係の新しい型
鶴見 万次郎の問題はそれなんです。万次郎が日本にもって帰りたかったのは物ではなく、人間関係の新しい型ということだった。自分を助けてくれた船長に「ディア・フレンド」と呼びかけているように、身分のない人を助けられる人間が上に立つという人間関係を日本にもってきたかったんだけど、うまくゆかなかった。万次郎の生涯はその意味では失敗だった。
    --「中浜万次郎をめぐって 田中優子」、『鶴見俊輔座談 近代とは何だろうか』晶文社、1996年、17頁。

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文明を物質に、文化を精神に見出す二分法は、簡易で分かりやすいものの見方ですが、その視点にのみ準拠してしまうと、大きな落とし穴にはまってしまう。両者の関係に、相即的な連関があるということはおさえておくべきなのだろうと思う。


福澤諭吉は『文明論之概略』において「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするをいうなり、衣食を穰(ゆたか)にして人品を貴くするをいうなり」と指摘した。

その福澤と咸臨丸に同乗した中浜万次郎にしてもしかりであり、それは福澤以上の感覚でそれを捉えている。

「ディア・フレンド」という人間感覚。

先端の「文明」を構築しながらも、これがいま、一番、軽視されているのかも知れない。


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覚え書:「今週の本棚:山崎正和・評 『西洋哲学史 1-4』=神崎繁・熊野純彦・鈴木泉、責任編集」、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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今週の本棚:山崎正和・評 『西洋哲学史 1-4』=神崎繁・熊野純彦・鈴木泉、責任編集
 (講談社選書メチエ・1890~1995円)

 ◇世界文明を生んだ「奇妙な精神」の歴史
 哲学への無関心が今、とりわけ日本の言論界に瀰漫(びまん)している。学界を超えて読まれる哲学書は希(まれ)にしか出ないし、哲学に関する啓蒙(けいもう)書さえめっきり少なくなった。いわゆるインテリ階層の減少が知的な関心一般を貧しくしたうえに、実利主義的な風潮が純粋な思索へのなけなしの欲望さえ薄れさせている。
 背景には自然や社会の科学の発展があり、それらが本質的に専門分化をめざすあげく、世界を全体として知る衝動を弱めたという事情もあろう。また西洋哲学は科学を含む近代文明の母となったことから、一方では反近代主義の思想や宗教の反感を買い、他方では嫡子たる科学の親殺しに脅かされている。現に尖端(せんたん)の脳科学は、自我やロゴスといった哲学の中心主題について、それらがニューロンの反応にすぎない可能性を示唆している。
 こうした時代状況のなかに置くと、四巻からなるこの『西洋哲学史』は、かなり意識的な西洋哲学の反撃の書として読める。編者が序文で宣言しているように、展望をソクラテス以前の存在論から始め、軽視されがちだったヘレニズム哲学を復権し、さらに俗にいう中世哲学の輝かしい業績を重視することによって、哲学は古代から近代へと完全に一貫した知の営みとして描かれている。一方で、いわゆるポストモダンを近代の落ち穂として見切った結果、本書は近代文明の健在と有効性の再確認の証言にもなっているのである。
 昨今、近代化を二千数百年の一貫した過程として捉え、西洋文明が世界に広がりうる唯一の文明だと考える私にとって、これは貴重な学問的支援だという思いが強い。それにしても一読してあらためて痛感するのは、西洋人がじつに奇妙な精神の持ち主だったということである。
 本書が冒頭にパルメニデスを置いたのは、その意味で適切だが、「あるものはある、ないものはない」というその箴言(しんげん)は純粋な思索の遊戯である。ないものが「ある」と考えるのは矛盾だというのは、論理的には完全に正確だが、どんな心の生きた体験にも裏づけられていない。ましてこの論理によって無から有が生じることはありえず、だからこの世に生成も運動もありえないというのは、控えめにいっても詭弁(きべん)の匂いがするだろう。
 同じことは後のゼノンの逆説にもいえるのだが、西洋人が奇妙な人種だというのは、彼らがこういう役に立たない論理の遊戯をこよなく喜ぶ一方、それをまじめな現実理解に結びつけたことであった。古代中国にも論理の遊びはあって、「白馬は馬に非(あら)ず」といった面白い逆説が知られているが、それが中国思想の主流を動かすことはなかった。
 ところがソクラテスは似たような揚げ足取りの弁証を愉(たの)しみながら、それを「信念」に辿(たど)り着く方法として位置づけた。プラトンもまさにこのパルメニデスの挑発に答えるかたちで、真の論点はあるやないを語る語り方の問題、すなわちロゴスの問題だと発見した。さらに彼もアリストテレスも、「ある」が単純な事実ではなく、イデアとその模倣、基体とその属性など、複雑な構造体であることへと考えを進めた。ちなみにゼノンの逆説に至っては二五〇〇年の時を超えて、遠くベルクソンの哲学に刺激を与えたのだった。
 アウグスティヌスは真の信仰者だったが、彼もまた煩瑣(はんさ)な思弁に耽(ふけ)った。神の永遠性と移りゆく時間の関係を考え、理性の立場から神の存在を再論証し、ついでに自我の存在がその疑わしさのゆえに証明できると考えた。そこにはデカルトの「われ思うゆえにわれあり」の論法に近いものがあり、まざまざと西洋哲学の一貫性を実感させる。やがてこの精神から近代科学が誕生したときも、直面したカントは物質の存在論で科学と衝突することを避け、もっぱら人間の認識能力の分析に専念するという、いわば奇手によって哲学的思弁の王国を守ったのだった。
 本書は哲学史を標榜(ひょうぼう)しつつあえて編年体を避け、編者を含む多数の哲学者が各自の関心に従い、問題ごとの直近の研究史から古典に遡(さかのぼ)るという形式をとった。性急に概観を求める読者には読み易(やす)いとはいえないが、哲学者が現にいかに哲学しているかを知るには恰好(かっこう)の案内になる。実利主義に覆われながら、価値観の再検討が叫ばれるという意味で混迷した現代、先の中央公論新社版『哲学の歴史』に次いで本書が完結した意義は大きい。とくにこの半世紀、日本の哲学研究が飛躍したさまを目撃するのは喜ばしいのである。
 その哲学の将来について付言すれば、たぶん脳科学は哲学の敵にはなるまい。脳科学はすでに知られた心の現象を分析するのだが、知性や理性や悟性など、まず心の現象を精緻に体験してみせるのは哲学だからである。むしろ哲学の脅威になりうるのは、考古学と生物学かもしれない。哲学が永遠のものとして前提する意識を、自然人類学は歴史的な存在として限定しつつあるからである。
    --「今週の本棚:山崎正和・評 『西洋哲学史 1-4』=神崎繁・熊野純彦・鈴木泉、責任編集」、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。


http://mainichi.jp/feature/news/20120722ddm015070026000c.html

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旨いもの・酒巡礼記:東京都・新宿区編「ぎたろう軍鶏炭火焼鳥 こけこっこ」

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 すべて賞讃すべきものは、それが何らかの性質をもち、何ものかへの関係において、或る仕方においておあるものなるによって賞讃されるのであると見られる。たとえば、われわれが正しいひとや、勇敢なひとや、総じて善きひとを賞讃し彼らの卓越性(アレテー)を賞讃をするのは、そこから生ずる行いとか成果のゆえなのであるし、また力の強いひとや、速い走者や、そのほかすべてそういったひとを賞讃するのも、彼らが或る性質の人間に生まれついていて、善きすぐれた何ものかへの関係において、或る仕方においてあるものなるによる。第一巻第十二章 1101b:10
    --アリストテレス(高田三郎訳)『ニコマコス倫理学 上』岩波文庫、1971年、48頁。

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焼き鶏といえば、居酒屋での定番メニューですが、オールマイティーなチェーン店で頂くと、「なんだこれ?」って「ガックリ」することが多いと思います。

ですから、食べるなら「やきとりや」に足を運ぶのが定石ということですが、これもこれも「間口の広い」分類になってしまうのも事実でしょう。

立ち呑み系で1本100円以下で庶民的に頂くのも快味ですし、料亭風に「お品」として頂戴するのも乙なものだと思います。

さて……。
先日、「ここはお勧めですよ」と教えて頂いた「ぎたろう軍鶏炭火焼鳥 こけこっこ」を訪問してきましたので、そのインプレッションをひとつ。

大学での講義を終え、そのまま新宿に着いたのが17時。ちょうど小田急・ユニクロの地下にありますので、駅で直結しており便利な場所です。その日は開店と同時の利用になりましたが、予約無しですんなりおじゃまになった次第です。なお店です。

ひらがなで「こけこっこ」と表記するわけですが、英語でも「KO-KECOCCO」と併記され、センスを良さを感じてしまう、……というところがすでに「オジサン」かw と思いつつ、扉を開くと、そこは・・・

ショット・バー?

・・・と錯覚するような佇まい。板場と対面のカウンターに腰をおろしましたが、こちらは、先の分類でいえば後者にあたるといえばいいでしょうか。

先ずは、麒麟「ブラウマイスター」をお願いしてから、「ささみ」を焼いて頂きましたが、写真の通りです。ふわふわのお肉で、串を引き抜くと、中は半生。素材がいいのでしょう。口蓋で「とろける」というのはまさにこのことだと舌鼓。

感心しながら、次は定番の「ねぎま」、「かわ」。こちらも間違いない味わい。ねぎまはねぎも身もしっかりとしてい、「かわ」は上品な「お肉」を揚げたのではないか?と錯覚するばかり。

久しぶり脱帽という状態です。

続けて「レバー」を炙って頂く訳ですが、これ、ぜんぜん「臭(くさ)み」がありません。魂消げながら、舌で転がすと、「甘い!」くて驚き!「焼き鶏」という「概念」を一新する一品一品に驚きと感謝です。

さて、「こけっここ」で使用する鶏は、「信州ぎたろう軍鶏」。
長野県の澄んだ水と空気の放牧場で育てられた「軍鶏」が、快い歯ごたえと奥深い味を必然させているのは言うまでもありません。


串もの全体に共通しているのは、素材もさることながら「焼き方」の上手さに尽きるなあ~とその巧みな職人芸に完敗した次第です。焼き鶏は「焦げ」がいいという好みの方もいますが、ここは「焦げ焦げ」を避けつつ、じっくり「焼くべき」ところは焼き、炭がほのかに鼻腔に抜けるように丁寧に仕上げられております。

最後は、いかだねぎと茄子をお願いしました。こちらも、葱の甘みと茄子の味わい深さにノックアウト!

本来は、もう少し堪能したいところでしたが、こちとらプレカリアートの非常勤ですから、このへんでなくなく切り上げた次第です。先に言及したとおり、こちらは……これは僕の感覚かもしれませんが……焼鳥屋としては高級店。串は250~450円、お酒類も少々高額の設定です。しかし、それだけの仕事はしてくれる「間違いのなさ」はありますが、「がっつり呑もうぜィ、喰ようぜィ」となりますと、少々「準備」が必要ですね。

名物の親子丼、つくねは次のお楽しみです。
また、寄らせて頂こうと思います。
※その日はデジカメ持参せず、iphone4Sでの撮影になりすいません(涙

■ ぎたろう軍鶏炭火焼鳥 こけこっこ
東京都新宿区西新宿1-1-1 新宿パレット B2F
03-3345-1141
[月~土]16:00-22:30(L.O)
[日・祝]16:00-21:30(L.O)

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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『失脚/巫女の死−デュレンマット傑作選』=デュレンマット著」、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『失脚/巫女の死−デュレンマット傑作選』=デュレンマット著

 ◇『失脚/巫女(みこ)の死−デュレンマット傑作選』(光文社古典新訳文庫・1100円)
 ◇同時代の「なにか」を連想させる現代の寓話
 一九七〇年頃、テレビの深夜放送で「訪れ」という一九六四年製作の映画を見た。名作『橋』のベルンハルト・ヴィッキ監督、イングリッド・バーグマン主演とドイツ色の濃い映画だった。故郷の村で二十年前にむごい仕打ちを受けた女性が大富豪となって帰郷し、自分を捨てた元恋人を死刑にするという条件で村に二〇〇万ドル寄付しようと申し出た。村は大騒ぎになったが、結局、元恋人を死刑にすることに同意し……というブラック・ユーモアの効いた筋書きだった。原作はスイス・ドイツ語圏の作家・劇作家フリードリッヒ・デュレンマット。これは覚えておこうと思ったが作品を読むまでには至らなかった。時は移って一九八九年の暮れ、パリでテレビを見ていたら、書評番組にデュレンマットがソレルスとロブ=グリエと一緒に出演していた。劇作家から小説家に転じ、自伝風の散文を執筆中とあったが、そのうち訃報に接した。それからさらに二二年たって、突然、デュレンマットの短編作品が翻訳されたので飛びついた。果たせるかな、非常におもしろい。
 表題作の一つ「失脚」は、スターリン時代のソ連を思わせる全体主義国の政治局が舞台。独裁者Aが議長席に着席し、党序列通りに政治局員が席を占めて会議が始まるが、一人だけ核開発大臣Oが姿を見せないことから、疑心暗鬼が広まる。Oが逮捕されたとしたら、その関係で、失脚や処刑の恐れが連鎖的に出てくる政治局員がたくさんいたからである。

 郵政大臣Nは重工業大臣Fとの関係が気になりだす。Fが糖尿病になり、医者の勧告でボルドーだけを飲むようになったと秘密警察庁長官Cから聞かされたとき、Fにボルドーを贈るべきかどうか迷った挙句(あげく)、ラフィットの一九四五年ものを一箱プレゼントしたが、この決断を悔やむ。「というのも、プレゼントするとNがFの病気のことを知っていると明かすことになったからである」。返礼としてFから「フランス革命名場面集」という題の映画フィルムが贈られてきた。Nは軽率にもそれをホームシアターで上映してしまった。ポルノだった。「Fは恐喝の材料を握っておくためにポルノをプレゼントし、贈られた側があたかもポルノ好きであるかのように振る舞ったのである」
 このように、緊迫を孕(はら)みながらも、政治局の力関係はある種の均衡を保っていたが、独裁者Aが思いがけない提案をしたことから、事態は予想を超えた展開に。Aは政治局員が互いに争って忠誠競争をしている状況を権力の前提条件にしていたのだが、その状況を自ら突き崩してしまったからである。あたかも、打つ手を間違えて民主党を脱党「せざるをえなくなった」小沢一郎のように。

 ことほどさように、デュレンマットの作品というのは現代の「寓話(ぐうわ)」で、読者は常に自分が生きている時代の「なにか」を連想させられることになる。

 この意味でわかりやすいのは「トンネル」という短編。二四歳のオタク風大学院生はいつも乗るチューリヒ行きの列車がトンネルに入ったままなのに不審を抱き、車掌に問い詰めると車掌は、運転手はすでに存在しないという事実を明かす。大学院生はそこで考える。「僕たちがコンパートメントにすわっていたときにはもう、すべてがおしまいになっていたのに、それに気づいていなかったんだ」と。もちろん、これは訳者も指摘しているように、3・11以後の日本の状況を思わずにはいられない寓話である。デュレンマットという忘れられた名前の復活を喜びたい。(増本浩子訳)
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『失脚/巫女の死−デュレンマット傑作選』=デュレンマット著」、『毎日新聞』2012年07月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120722ddm015070015000c.html

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みずから心を正しくしてこれらの害悪を対治する工夫を怠ることのないように

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 人類の上に重くのしかかって、改善の見込みのない(ように思われる)もろもろの害悪をつらつら思いみるとき、思慮ある人は、道義の穎廃ををすら招き兼ねないような苦悩を感じる、しかも無思慮な人は、これを夢にだに知らないのである。その苦悩とは--世界の経過を全体的に支配している筈の摂理に対する不満にほかならない。それにも拘らず我々が摂理に満足することは(たとえ摂理がこの地上において、辛苦を伴う行路を我々に指示するにせよ)、この上もなく重要なのである。それは--一つには、人生のさまざまな辛労に喘ぎながらもなおかつ勇気を奮い起こすためである。また一つには、これらの害悪を生ぜしめた責めを運命に転嫁することによって、恐らく一切の害悪の唯一の原因と思われるところの我々自身の責任を回避し、またみずから心を正しくしてこれらの害悪を対治する工夫を怠ることのないようにするためである。
    --カント(篠田英雄訳)「人類の歴史の臆測的起源」、『啓蒙とは何か 他四篇』岩波文庫、1974年、75-76頁。

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手前味噌で恐縮なエントリーですが、非常勤講師にて「倫理学」を担当させていただいている大学の講義・試験が、本日にてなんとか終了しました。

90分1コマのために、我ながらまあ、往復6時間、毎週よく通ったなあと思いつつ、履修者の皆さんもほとんど休まれず、様々な論点を討議できたのは、お互いの財産なのではないかと思います。

いろいろと頭に来ることや、「なんや、コレ!!!」ってことの連続が、私たちの生活であり、生きている世界であるとすれば、結局の所、あきらめて無力になって待避するのでも、現状に対する単なる怒りで終わらせるだけでもなく、自分自身を日に日に新たに更新させながら、「なんとかさせたるゼ」ぐらいの勢いで、籠絡されないように心掛けたいなあ、とお互いに健闘し会った次第です。

ですから、これからは、現実の生活世界という「教室」の中で、思索を続けていって欲しいと思います。短い間ではありましたが、ありがとうございました。「自由と人生は、毎日それらを改めて征服する人にのみ価値がある」(ゲーテ)。

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「今週の本棚:『ブラッドベリ、自作を語る』=レイ・ブラッドベリ、サム・ウェラー著」、『毎日新聞』2012年7月22日(日)付。

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今週の本棚:『ブラッドベリ、自作を語る』=レイ・ブラッドベリ、サム・ウェラー著
(晶文社・1995円)


この六月に死去したSFの詩人への最後のインタビュー。日本でも愛されている『火星年代記』『たんぽぽのお酒』など自作のことから、子供時代の思いでまで縦横に語る。
イリノイ州のスモールタウンの出身。子供時代に好きだった恐竜、町にやってきた巡回遊園地、さまざまな玩具。子供時代こそ創造の最大源という。書斎も玩具だからけ。
名作「優しく雨ぞ降りしきる」(『火星年代記』)は、広島の原爆で人間が影として家の壁に焼きつけられた写真を見て衝撃を受けて書いた、という意外な事実も。
一九五〇年代、赤狩りの嵐が吹き荒れた時、『バラエティ』誌に、赤狩りに抗議する全面広告を出したこともある。勇気がある。
映画が大好き。若い頃に見た「ファンタジア」と「市民ケーン」は忘れられないと熱く語る。映画好きが高じてジョン・ヒューストン監督の「白鯨」の脚本を書いた。
ロサンゼルスで暮らしながら車を運転しないのは意外。パソコンを使わないというのも。二〇〇三年、五十六年も連れ添った奥さんに先立たれた。八十歳を過ぎ、それでも仕事をし続けたのは驚く。=小川高義訳(川)
    --「今週の本棚:『ブラッドベリ、自作を語る』=レイ・ブラッドベリ、サム・ウェラー著」、『毎日新聞』2012年7月22日(日)付。

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書評:田中辰明『ブルーノ・タウト  日本美を再発見した建築家』中公新書、2012年。

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田中辰明『ブルーノ・タウト  日本美を再発見した建築家』中公新書、2012年。

ナチの迫害を避けて来日し、日本の美を「再発見」し、その後、トルコへ渡る--政治に翻弄されつつも常に前進する「色彩の建築家」ブルーノ・タウトの初の本格的評伝が本書である。

第一次大戦後のドイツ。ブルーノ・タウトは貧困にあえぐ労働者のための集合住宅を華やかに彩り、「色彩の建築家」と呼ばれた。しかしナチスの圧迫を逃れて来日し、そこで白木の建築に感銘を受け、日本美の紹介に努めることになる。その後トルコに招聘され58歳の短い生涯を終える建築家である。

ブルーノ・タウトの著作は広く読まれているが、彼自身の手軽な評伝はこれまでなかったから、本書の意義は大きい。日本の美術論にどうしても注目しがちになり、建築家である点を見落としがちであろう。

「筆者は一九七〇年代初頭のベルリン留学中からタウトの建築に惹かれ、現存するほぼすべての作品を訪れた。主要作品はすべてフィルムに収めたと自負」する建築家である。3年あまりにの滞日時代の活躍ばかりでなく、建築家としての活躍や、トルコでの晩年の生活にいたるまで、その全貌を豊富な写真とともに描き出す。加えて妻と秘書の二人の伴侶、親族や知人との複雑な交友関係を明らかにする。

ブルーノ・タウトが個と全体の相発的調和を志向したのは、彼が終始カントを敬愛したことから理解できるが、二人は共にケーニヒスベルク出身であるという点は本書に教えてもらった。ナチス的なるものと対峙し続ける根拠のひとつをここに見出すことは難くない。


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 ヒトラーが選挙で勝ち政権を取ったヴァイマール共和国時代は、政権が頻繁に後退した時期であった。これに対する反省から、ドイツでは、政権を取るのは大変であるが、一旦政権を取ってしまうと、やはり国民の代表であるからそう簡単に交代することはない。日本においても、どのような仕組みが政権を長持ちさせるのか、ドイツの仕組みを研究したい。そしてタウトが少年時代から臨んでいた恒久平和が訪れることを期待したいものである。
    --田中辰明『ブルーノ・タウト  日本美を再発見した建築家』中公新書、2012年、184頁。

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さて、本書は次のように締めくくられている。ブルーノ・タウトの足跡をふり返ることは、単に建築や文化、芸術という狭い枠で理解する陥穽を示唆しているようである。ナチへの嫌悪から日本に招かれるが、ときを同じくして日本とナチス・ドイツは親和的関係になっていく。放浪のなかで、その歩みは積み重ねられたといってよい。

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書評:阿部彩『弱者の居場所がない社会--貧困・格差と社会的包摂』講談社現代新書、2011年。

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現代社会において経済的地位は、社会的地位を意味し、社会の中で低い順位に常に置かれていることは、精神的に大きな苦痛である。それは、人として敬われないこと、自尊心を失うこと、希望がないこと、につながる。そして、経済的貧困は、究極的には、人びとを「社会的孤立」に追い込み、「居場所」さえも奪ってしまう。このような状態を「社会的排除」という。
    --阿部彩『弱者の居場所がない社会--貧困・格差と社会的包摂』講談社現代新書、2011年、68頁。

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本書は、進行する格差社会には「社会的包摂」という新しい概念が必要だと訴える新しい社会保障論。国立社会保障・人口問題研究所の職員である著者が、数字やグラフだけでなく人間ドラマから挑戦する「貧困問題の新しい入門書」となっている。

誰でも「居場所・つながり・役割」を持って生きたいと願う。この他者との繋がり、相互の価値尊重が人間尊厳の一つの根拠となる。それが「包摂されること」。この「社会包摂」なしには、これからの社会保障政策は語れない。

「社会に包摂されること」とは、衣食住を含む「生活水準の保障」のためだけに人間が存在するものではないことを意味している。包摂されること自体が人間が「生きる」ことと密接に関わっている。ここは私たちが見落としがちな観点なのではないだろうか。

筆者のいう「社会的包摂」は、社会的排除の対立概念のことである。「社会が人を追い出していくさま」を問題視し、「社会が全ての人を包み込むこと」を新しい目指すアプローチといえよう。社会的排除に抗うためには、誰もが尊重され、包摂されるあり方が必要となる。

筆者の議論で注目すべきは、「社会側に問題がある」という発想の転換だ。
「自己責任論」で乗り越えられるほど現状は甘くないし、格差が大きいことは「誰にとっても(富裕層も、中間層も、貧困層も)」悪影響であると喝破する。

貧困は現状として拡大している。

食料に事欠く世帯、衣類に事欠く世帯……。「事を欠く」ことが「つながり」と「役割」を分断する。冠婚葬祭に着ていく服がない→人との「つがなり」にくくなる→社会の一員としての存在価値が奪われる。

「生活水準の保障」とは何を意味しているのか、認識を一新させられる。筆者の前著『子どもの貧困――日本の不公平を考える』(岩波新書)が「白書」的議論であったが、本書は、幅広い概論ながら、先に言及したとおりデータと実地のドラマで構成。迫力がある。


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朝のこの上なく明るい眼差しで、輝いている優しい若者よ

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朝のこの上なく明るい眼差しで、輝いている優しい若者よ

そのためにこそ出発せよ若者たちよ

あなたたちの年齢にふさわしい情熱を燃やして

出発せよ強く雄々しくこんなにも美しい戦いのために。

二つの偉大な美徳、『忍耐』と『勇気』とによって、
すべてのものの勝利者に死への勝利者にさえなりたまえ。
    --シモーヌ・ヴェーユ(小海永二訳)『シモーヌ ヴェイユ詩集』青土社、1992年。

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さて、金曜日の授業で15回半期の哲学の講座が無事終了。

手前味噌で恐縮ですが、昨年はやはり震災があり、自分自身としても「いかがなものか」って意識がつよくあり、かなり先鋭的な構成にてくみたて、「おお、まれにみる“哲学”したなー」っていう自負があったのですが、今回は、しかしそれをふまえた展開として、全体のなかで「自分で考える」という点をもう一度ブラッシュアップしながら、構成しなおしてつくったのですが、おもいのほかに反響が鋭く、「ほぉー」って感です。
※って「天狗」になる訳じゃないですよ、いちおー。天狗は「飲むところ」ですから(ぇ


さて、もどりましょう。

女子短大での教養科目としての「哲学」にすぎませんが、「……にすぎない」以前以後でもなく、真剣に学生と今季も向き合うことができたと思います。

ヴェイユの言葉をたよりに、哲学をどう生活者として生かしていくのか、それを最終講義でお話をするわけですが、結局のところ、カントの理性の二律背反ではありませんが、「現実のなかに身をおいて、人間を深めていってほしい」としかいいようがありません。

リアルな話、おかしい連中やら有象無象らは歴然として存在する。

だから進軍ラッパを鳴らしてそれを退治する挑戦(キング牧師)は必要不可欠だと思う。しかしそれと同時にそれは自分自身の「ことがら」でもあるから、他人事という議論を慎重にしりぞけながら、「人間とは何か」という問題は、固定化した議論として答えをだしてしまうと非・人間を不可避に再生産してしまうから、たえず「人間観」を更新し続けながら、そうではない不断の挑戦を選択するほかない……っていう話です。


ヴェイユは、少女時代、底知れぬ絶望に落ち込み、思い悩んだことがある。

つまり、自分には何の才能もない、何もとりえもない……っていうそれです。

彼女の場合、兄がとびぬけて優秀であったこともその起因の一つだけれども、こうした悩みは、彼女だけの問題でもない。

ヴェイユは葛藤のなかで、古今の哲学者の思想をむさぼり読んだという。

自らの思索を深めつつ、同時に社会運動にも進んで参加したというが、苦悩の果てに、彼女は、ひとつの確信を掴むことになる。

そう、すなわち、どんな人間でも……才能が皆無であったとしても……真理を求め、たゆみなく前進していけば、天才にのみ許されるとされた“真理の王国”に必ず入ることができるという絶対の確信、そこにたどり着く。

曰く、

「“天才”とは暗い夜を乗り越えていく力の異名なのだ」。

ぶっちゃけたところ、もう、私にはできないとか云々式の立ち止まりは人生において存在する。そしてそれを自己責任流の議論が個人の個性へ還元してしまう。

そういうものは爆発していいと思う。

しかし、一個の人間としては、「勇気をもって挑戦への一歩」へ踏み出し続けるしかない……というのも現実だと思う。

だから、他人に勝つ必要はない。

だけど、挑戦はしていかなければならいのも事実。

であるとすれば、「創られた」エリートコースだけが「真実の道」と見誤るのではなく、私と私に関わる人間が、お互いにどう尊敬できるのかという仕組みにつくっていくしかない。

そんな……ね、

ひとつのきっかけになってくれたのであれば、使い捨ての「非常勤講師」にすぎないウンコ野郎ですが、

まあ、「哲学」の講座を担当した意義はあったのではないのだろうか……などと。

ともあれ、短い間ではありましたが、履修してくださって……、

ありがとうございましたッ!


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書評:計見一雄『戦争する脳 破局への病理』平凡社新書、2007年。

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計見一雄『戦争する脳 破局への病理』平凡社新書、読了。精神科医の目から見た精神医学的戦争論。精神を病む兵士から戦争遂行の閣僚の心理行動に至るまで、脳の仕組みからそのメカニズムを分析する。戦場の兵士だけでなく、大本営の指導者からブッシュ政権の閣僚に至るまで事例が豊富である。

著者は1939年生まれの救急精神医療の第一人者。「戦争遂行脳」は欲望と密接にリンクして発動する。そして日常と戦争の継ぎ目がない(シームレス)とき「知らないうちに戦場真っ只中」。驚くほど説得力があると同時に、戦慄する一冊。

兵士の苛酷な負担は肉体という現実を無視した病理現象…先を読んで体に命令を出す脳。兵士だけでなく指導者たちの「狂気」の遂行も「戦争脳」に由来する。

「戦争は人類最大の狂気」というが、本当にそうなのだろうか? むしろ、精神的な病が日常とつながっているように、戦場と日常も地続きである狂気は特異でない。

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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『古代ローマとの対話』=本村凌二・著」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。

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今週の本棚:湯川豊・評 『古代ローマとの対話』=本村凌二・著
 (岩波現代文庫・1008円)

 ◇「歴史感」の発想が飛翔するとき
 「歴史感」という言葉が提示される。観、ではなく、感、である。この本の副題ともなっているこの言葉は、序章でその意味がおもしろい挿話のなかで明らかにされている。
 カプリ島の現地調査で、ローマ帝国の二代目皇帝ティベリウスが晩年をそこで過ごした別荘へ行った。別荘と海岸を結ぶ、急峻(きゅうしゅん)な「フェニキア人の階段」がある。若い大学院生にまじって、元老院身分の著者も一〇三八段を登ってみる。大学院生はさしずめ奴隷身分だが、わずか十七分で到着。元老院身分は四十五分かかった。ティベリウスは、自分の足でここを登り下りしたのかしら。本村氏はティベリウス帝を「感じる」ひとときをもつ。
 二千年の時を隔てて、「ときにローマ人が現代人になったり、ときに現代人がローマ人になったりする。そんなふうに歴史をながめてみる」のが「歴史感」であり、これはふえんすると、現代も歴史の一齣(ひとこま)にすぎないという感覚につながるというのだ。
 そんなふうにいくかどうかは読み進まなければ断定できないが、少なくとも私のように歴史に興味をいだいているけれど知識にとぼしい者にとっては、「歴史感」の発想はおもしろそうだ。そして、その予感はすぐに本のなかで現実になる。
 ローマが隆盛にむかう頃、大雄弁家のキケロは、ローマ人の背骨を作っているのは「父祖の遺風」に他ならない、「父祖の遺風」を守り磨きあげることが、世の掟(おきて)であり、生き方であるという。本村氏は、この思想はなんと新渡戸稲造の『武士道』にきわめて近いものだ、と指摘する。新渡戸は欧米人のキリスト教徒に、日本人は宗教がないというが、道徳はどう授けられるのかと問われ、いったんは答えに窮するが、父祖の遺風が蓄積されている武士道を見出(みいだ)すのである。あっと驚くような発想の飛翔である。
 こんなふうに筆が縦横にはずんで、おもしろさと刺激に満ちている。そして全盛期ローマの皇帝たちがエピソードに包まれてたちあがってくると、いよいよ楽しくなる。
 五賢帝のひとり、ハドリアヌス帝は治世二十一年の大半を広大な属州視察の旅についやした。そのあげく、晩年にはローマ近郊に別荘をかまえ、属州旅行の思い出になる建造物で庭園をいっぱいにした。すぐれた現実主義者は、旅、狩猟、芸術をとりわけ好む夢想家でもあった。「ハドリアヌスが夢想家であることは国家最大の秘密であったかもしれない」と本村氏はいう。並ぶ者なき強大な権力者が、二千年後の東洋のはずれの読者に、ふっと近づいてくる瞬間である。
 歴史教科書とは正反対の書きぶりだから、話は寄り道の連続でもある。古代ローマ史専攻の東大名誉教授は、人も知る競馬熱狂者で、はるばる英国に赴き、チェスター競馬場=ローマ軍の要塞(ようさい)、ダービー開催地エプソム競馬場=二世紀頃のローマ皇帝をしめす語に由来、などを視察。「歴史感」を実感しながらどれほど損をしたかは語られていないけれど。
 「感」が「観」に接近して、ハッとして目をあげることもあった。ローマ帝国拡大のメカニズムの説明で、社会構造が不安定になればなるほど、閉鎖よりも拡大によって安定をはかろうとするという見方だ。日本の戦前、困窮した人々の存在が大東亜共栄圏という目標を正当化したのも同じ力だ、と主張する。アメリカが制覇したような世界の現在を、この「歴史感」ではかってみたくなった。おそらくこれは、本村氏のもくろみが成功した結果に他ならない。
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『古代ローマとの対話』=本村凌二・著」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120715ddm015070013000c.html

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知恵を愛し、知恵の命ずるところによって生きること

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 南方は、鴨長明を「十二世紀の日本のソロー」と呼んだ。わたしは南方熊楠を、二十世紀の日本のソロー(Henry David Thoreau, 1817-1862)とよびたい。ソローは、わたしがもっとも尊敬する十九世紀アメリカの思想家である。知識の量においては、南方はソローのはるか上をいったであろう。しかし、その思想性においては、南方はソローに匹敵する。
 ソローは、哲学者を、哲学教授から区別して、つぎのようにいった。

 近頃は哲学教授はざらにいるが、哲学者はいなくなった。他人の哲学を教えることも称賛すべきことだ。かつてその人々がその哲学に生きたことをあかしするのは称賛に値するからだ。哲学者であるということは、単に玄妙な思想を持つということではない。学派を創立するということでさえもないのだ。それは、知恵を愛し、知恵の命ずるところによって生きることである。それは、簡素と、独立と、寛容と、信頼の生活を送ることである。それは、理論的にだけでなく、実践的に、いくばくかの生活の問題を解くことである。

 ソローによれば哲学者と哲学教授との区別は、思想家と理論家の区別としておきかえることができる。南方は、論理=演繹主義の理論体系を構築しなかったといういみで、理論家ではなかった。しかし、かれは、粘菌その他の植物の新種をいくつか発見したように、地球上の民俗についての新しい事物を発掘し、これまで関連が知られていなかったようなかけ離れた事物と事物とのあいだに関係のあることを仮説として打ち出した。「事実にもとづく理論」である。
 南方はまた、考えたこと、言明したことを、実践したという意味で、思想家であった。
 ソローと南方との親近性は、つぎの点にある。
 自分の考えを、生活の中で実践したという意味で、二人とも思想家であった。南方が『方丈記』の訳業を終えたのは、イギリスから帰国して、紀州那智の山奥に独居していたときである。那智山の独居が、ソローのウォルデン湖の自然の中の「孤独」に深い共感をよびおこしたと考えられる。
    --鶴見和子『南方熊楠 -地球志向の比較学-』講談社学術文庫、1981年、233-235頁。

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前期だけおせわになっております、千葉の大学での「倫理学」の講座が今日の授業でほぼ完了しました。来週は、最後のまとめを少しだけやって、後半は試験になります……ただ倫理学だの哲学だのという学問は、一片のペーパーテストでそのひとにそのちからがあるのかどうなのかなんてわかりっこないのですが、制度は「試験」を要求しますので、すいませんが、あと少しだけおつきあいくださればと思います。

思索はどこからはじまるのでしょうか。
まさにアリストテレスが指摘したように、それは身近なところに注目することからはじまります。そしてそこで問題を発見し、自分で考えるという考察を通し、それをもういちど自分に投げかえし、自覚へと高めていく。

……と、同時に、結局、ひとりで遂行される作業というものは恣意的にならざるを得ませんから、絶えず社会と歴史に学び、過去の思想家のひとつひとつの言葉と対峙していくほかありません。

その意味では、倫理学を学ぶ、哲学を学ぶということは、図書館のレファレンスのように何か玄妙な思想を頭の中に整理してストックしておくことと同義ではありません。

「知恵を愛し、知恵の命ずるところによって生きることである」。

それは……

「簡素と、独立と、寛容と、信頼の生活を送ることである。それは、理論的にだけでなく、実践的に、いくばくかの生活の問題を解くことである」。

ここですよね。

これを心におきとどめて頂ければ、自分自身で、自分の生活のなかで、思索を深め、てつがくして生きていく、諦めずに挑戦していくことが可能になると思います。

……ってことで私もがんばらないといけないわけですが(大汗


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「神父様、あっしには、これがありまさあ。だから、大丈夫で……」

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ルターの住んでいたドイツのザクセン近郊でも、免罪符は大々的に販売されていた。
 ちょうどその折りの話である。町の司祭、大学教授として赴任していたルターは、日中、街の路上でひとりの酔っぱらいを見かけた。かなり酔って、道端に横たわっている。そのような生活を送っていては、魂の救いには至りえない。そう思ったルターは、男に声をかけた。
 「昼間から酔っぱらっていないで、真面目に働きなさい。そんなことでは、神さまの御心にかなわないよ。自分が死んだ後のことを考えなさい」。
 すると、男は酔眼を半分見開き、丸めた一枚の札を掲げながら、こう答えた。
 「神父様、あっしには、これがありまさあ。だから、大丈夫で……」。
 男が手に握っていたのは、免罪符である。これを見た若きルターは、大きな衝撃を受けた。聖書の教えを学生たちに講義するだけではだめだ。この男の心にも届くように語る努力をしなければ。これが、ルターが自らの新しい使命に目覚めた瞬間であった。
    --徳善義和『マルティン・ルター --ことばに生きた改革者』岩波新書、2012年、8-9頁。

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「民衆の心と聖書の教えとを結ぶ、もっとも身近で、唯一の接点であった」のが「改悛の秘跡」。

中世におかて、キリスト教はラテン語により独自のキリスト教世界を構築していく。当時の教会には、今のような参列者が腰掛ける椅子などない。意味を理解することのできないラテン語の説教をただ立ち見で伺うというスタイルだ。

そうした乖離にあって、民衆の心を具体的につなげるのが(そこに救いだの何だろのがあるのでしょうが)、民衆の言語である各国語でおこなわれる「改悛の秘跡」である。民衆は時分の犯した罪を個別に神父に「告白」し、赦免をうけると同時に贖いの行を課せられる。

天国にいけるのかどうかという民衆の宗教的不安は、こういう儀礼によって解消されていったよい。しかし、この手続きだけでは不安を解消できない時代が訪れる。懺悔の際、神父から課せられる「行いによる贖い」があるが、これを果たし得ないまま新だろう、どうなるのか。

「教会は民衆の不安に応えきれなくたっていた」。

「民衆のこのような不安に応えたのが聖職者による償いの身代わりであった。そこからさらに制度として案出されたのが、いわゆる免罪符(贖宥)の制度である。これは当初、時と所を限定して発せられるものであった。ところが、利殖に走る教会は、やがてこれを金銭と引き替えに……」

……っていう経緯は高等学校の世界史でも習うところでしょう。

先に言及しますが、私自身は「カトリック、オワタ」などとも思いませんし、それと戦ったルターは「英雄」などと「あげる」ことはいたしません。

日本の歴史教科書は基本的に「勝利史観」で時代を積み重ねるから、なにか先達が不祥事を興し、それに挑戦するようなムーブメントがあった場合、そちらを「よりただしいもの」と表記しがちだから、これは、かなり歪曲された構造に過ぎないし、現在の宗教生活を顧みても、カトリックが劣った「旧教」で、プロテスタントがよりすばらしい「新教」と断定できるものでもないからです。
※だからノンクリなのにもかかわらず、「カトリックですか……」とよく誰何されますが、横に置きましょう。

さて、戻ります。
ひとびとの不安に応える工夫に関しては、僕は全否定したくはない。
しかし、それが本来の目的を離れて、手段としてオートマチックに機能してしまうことには自覚であるべきだろうというだけです。

そしてこれは過去のキリスト教だけの問題ではないし、仏教やら何やらも例外ではない。戒名の高低浅深が「ご供養」の「額」に影響されるのは羞恥、もとい周知のことだから、「うぇーい、キリスト教オワタ」というのは天ツバw

心から「ご供養」やら「お布施」をして……すべてにおいて、それと救いが必ずしもバーターというわけではありませんが……そのひとの心に「安心立命」がもたらされ、それによって「生かされていく」専従者という図式を全否定するつもりもない。

しかし、金銭の多寡によって、この人間は、たとえば、篤信であるだのとか、そして出費する方も、「とりあえず、こんだけ、ぶっこんどいたら、まあ、ええねん」みたいなシステマティックな、まさに「利殖のゲーム」になってしまうとオワタだろう、ということ。

先に言及したとおり、システムとしては、互恵的関係だから、それが金銭を媒介にすることは必然であるから、それ「爆発しろ!」っていっても始まらない。

だとすれば、「そう、いっても始まらない」相互の関係がない限り、宗教の不幸は永続化していく。

ただ、それだけですよね。

お互いに「食い物」にする関係は、いずれにしても不幸を導くというだけ。

そんでもって、コレは宗教だけの話でもない。

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覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『プロメテウスの火』=朝永振一郎・著、江沢洋・編」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。

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今週の本棚:海部宣男・評 『プロメテウスの火』=朝永振一郎・著、江沢洋・編
毎日新聞 2012年07月15日 東京朝刊
 (みすず書房・3150円)

 ◇政治と科学、「不信」が開いた「人災」への道
 福島原発事故の国会調査委員会報告が出た。事故の根源的原因は、歴代の規制当局と東電との関係において「規制する側とされる立場が逆転」し、原子力の安全の監視・監督機能が崩壊していたことにあり、事故はあきらかに「人災」と断じている。この結論は納得できるが、「人災」、そして「規制する側とされる立場の逆転」という異常な現象は、なぜ起きたのだろう。

 一九五〇年代の原子力利用のスタート時、科学者と政治家との相互不信の中で日本はこの「人災」への道を歩み始めたことを、本書は伝える。

 「プロメテウスの火」とは、湯川秀樹と並ぶわが国初期のノーベル賞物理学者・朝永振一郎が、原子力を中心とする現代科学に原罪のイメージをダブらせて語った言葉である。朝永は「現在の事実には一切眼(め)をつぶって、千年先のことを考えて純粋な研究をしたい」と思いつつ科学と政治の狭間(はざま)で悩み迷い、科学者の責任を真剣に考え続けた。その朝永の原子力に関わるエッセイなどを今日の視点で編集したのが、この本である。
 日本の原子力研究は戦後占領軍に禁止され、五一年に解禁された。原子核物理学や平和目的の原子力研究をどう進めるか。「科学者の国会」と言われた日本学術会議を中心に、さっそく検討が始まった。いっぽうでは改進党の代議士中曽根康弘のリードで原子力発電の導入が進められ、原子力委員会を中心とした原子力推進体制が生まれてゆく。そういう激動の時代を肌で感じる貴重な記録でもある。編者による解説と年表が、認識を整理してくれる。

 本書は三部構成で、第一部は原子爆弾を生んだ物理学の性格を考え続けるエッセイと講演録集だ。「科学というものには毒がある、だから警戒する必要があるのだと、はっきり言ったほうがよいのではないか?」「それ(科学の毒)は、現代という社会の複雑さがもたらす必然なのではないか……」。朝永の自問自答は、半世紀後の今も重く響く。

 第二部はパグウォッシュ会議を中心に、核軍縮に関する論集である。五五年、哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインは共同宣言を発し、世界は核兵器による破滅に瀕(ひん)しており、その回避策を科学者自らが考えようと呼び掛けた。湯川、朝永を含めそれに応えた世界の科学者によりパグウォッシュ会議は回を重ねて、「核軍縮」「完全軍縮」などの概念を広め、その実現の道を探った。世界政治のリーダーに大きな影響を与え核軍縮に貢献した活動である。
 朝永の感想によると、厳しい東西対立の中で軍縮案を真剣に議論できたのは、参加者は国や団体の代表ではなく、個人の良心に基づいて参加し、「一つの集団に対し、他の集団に対するよりも強くうったえるような言葉は、一言も使わない」というラッセル・アインシュタイン宣言の精神を大事にしたからだ。

 第三部は、朝永を含む科学者らによる三つの座談会。一つ目は、慎重に基礎から研究を進めるという学術会議の議論を飛び越えて唐突に国会で承認された、巨額の原子力利用推進予算をめぐって(『科学』五四年五月号掲載)。二つ目は、その予算が通産省直属の工業技術院に丸投げされた後。工業技術院長も含め、日本の原子力推進の在り方が議論される。出席者の共通意思は、自主・公開・民主という三原則が守られるなら、協力して優れた実験用原子炉の自主開発を進めようということだ。米国から炉を輸入するのではないかとの警戒も語られる(同十一月号掲載)。

 三つ目は、五九年。法律で原子力委員会が設置され、米国製実用炉の輸入、米国依存の道が敷かれつつある。自主開発は否定された。原子力委員会に参加した湯川、坂田昌一ら一流の物理学者たちも、運営に抗議して委員を辞任。原子力での科学者排除は、着実に進んでいた。
 この座談の中核は、中曽根科学技術庁長官・原子力委員会委員長と他の出席科学者との厳しい応酬だ。学術会議や批判的な科学者の排除を進めた中曽根は、その背景にある自分の考えを直截(ちょくせつ)に語っている。簡単に言えば日本の科学者への不信だが、その根深さが印象的だ。

 原子力のような長期的かつ危険を伴う開発は十分な基礎研究と人材育成から始めよという科学側の主張は、退けられた。左翼が糸を引いている、研究費が欲しいからだと、中曽根らは考えた。こうして日本の原子力利用は、政治家と科学者の極めて不幸な相互不信、ボタンの掛け違いとともに始まったのである。優れた科学者は原子力行政から排除され、専門性を持つ科学者の育成・配置も進まなかった。冒頭に述べた国会事故調査委員会報告は、歴代の規制当局に科学的な判断能力がなく、規制される側の言うなりになっていたと指摘している。

 「(原子力という)難問題を科学的に処理する受入れ体制が日本の現状にあるかどうか、はなはだ心配」(エッセイ「暗い日の感想」)という朝永らの危惧が、残念ながら現実になった。今後、政治と科学が密接に共同する欧米諸国のような状況を生み出せるかどうか。それは、私たちや若い世代にかかっている。
    --「今週の本棚:海部宣男・評 『プロメテウスの火』=朝永振一郎・著、江沢洋・編」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120715ddm015070014000c.html


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人間はいつの時代からか、「性」には羞恥を感ずるが、「殺人」には羞恥を感じないような精神構造を持つようになったようだ

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 小説や新聞、雑誌においては、刑法上極刑である殺人行為を扱っても犯罪とはならずに、犯罪行為でない「性」を扱ったものは犯罪となる、という奇妙な錯綜が常識として痛痒している。芸術や研究の対象としての殺人は容認されるが、「性」は否定される。これはなぜか。破滅的かつ非建設的行為である犯罪行為が許容されて、平和的、建設的行為である「性」がなぜ否定されるのか。いくつかの理由が考えられるが、これを政治的に解釈すればいたって簡単である。競争を根幹とする日本のような社会にあっては、他人を打ち負かす闘争心こそが社会を発展させる原動力であり、平和を希求する友好的人間は、社会や国家を発展させる力たり得ないからである。戦争が肯定され、大量殺人者の軍人が英雄として崇拝される社会において「性」が否定される最大の理由はそこにある、と外骨は考えている。人間はいつの時代からか、「性」には羞恥を感ずるが、「殺人」には羞恥を感じないような精神構造を持つようになったようだ。
    --吉野孝雄『宮武外骨伝』河出文庫、2012年、263-264頁。

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 性を管理することはトータルとしての「生」を管理すること。その動態を暴いたフーコーは有名でしょうが、フーコーを待つまでもない。

「性」を「ことさら」なものとして持ち上げる議論には、何かの意図が見え隠れする……反骨の操觚者・宮武外骨もそう喝破した。

だから、日本において二つのタブーといわれる「天皇制」と「性」の問題に果敢に挑戦して、官憲の取締りとなっている。もちろん、外骨にしてみれば、「御用」になることこそ、「してやったり」という訳ですけれども。

しかし、「性」を管理することは、積極的には「国民国家」の兵隊を「増産」させゆく議論へと収斂されていくわけですが、そのもうひとつの側面は、「『性』には羞恥を感ずるが、『殺人』には羞恥を感じないような精神構造を持つよう」にさせていくということ。

ここを失念すると、まずいわな、と思う次第です。

ひとそれぞれに「羞恥」はある。しかし、権力はそれとなくそのコードを仕込んでいく。ここにどれだけ自覚的であることができるのか。

観ない自由は存在する。
観る自由も存在する。

しかし、そこに権力のまなざしがはいってくる、そしてしらないうちにそこに馴化され「おい、それおかしいぜ」ってなっちまうのがいちばん、野蛮なことがらなのだと思いますよ。


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覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『暮らしの質を測る』=J・E・スティグリッツ、A・センほか著」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。

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今週の本棚:中村達也・評 『暮らしの質を測る』=J・E・スティグリッツ、A・センほか著
 (金融財政事情研究会・1890円)

 ◇GDPを超える「豊かさの指標」を求めた挑戦
 自動車を運転する場面を考えてみよう。速度メーターがあり、ガソリン残量メーターがあり、走行距離メーターがある。さらに室温を示すメーターも。運転者は、それらのメーターそれぞれに目を配りつつ運転を続ける。すべてのメーターを集計した一つの数値があるわけではないし、かりにそんな数値があったとしても、それに頼って運転などしたら危険きわまりないことになる。

 ところが経済の領域においては、それと似たことが実際に行われているのではないのか。GDP(国内総生産)という一つの集計値が、他のもろもろの領域の状況をまとめて示す、まことに便利な数値としてもてはやされてきたのではないのか。サルコジ前フランス大統領がどう考えたのかは、実のところ定かではないが、二〇〇八年二月、彼はGDPに代わる生活の豊かさを表現できる指標を作成すべく、委員会を設置し諮問することとした。諮問を受けたのは、J・スティグリッツやA・センなどノーベル賞受賞者五人を含む世界の知性二四人。「経済的成果と社会進歩の計測に関する委員会」に結集した彼らは、「古典的GDPの再検討」・「暮らしの質」・「持続可能な発展と環境」の三部会に分かれて、新しい指標づくりのための指針をまとめあげた。そのエッセンスを盛り込んだペーパーバック本の邦訳が本書というわけである。
 後世の歴史家は、この報告書「以前」と「以降」として歴史を語ることになろう、と前大統領は大見得を切り、フランスでは、幸福度を測る統計の開発をスタートさせた。それだけでない。この報告書を全公務員の研修用必読文献に指定したという。さらにEUは、二〇〇九年に「GDPを超える幸福の指標」を重視した長期戦略を作ることを決定、二〇一〇年に発表した「ヨーロッパ二〇二〇年戦略」では、あえてGDP成長率の目標数字を掲げずに、教育水準向上・就業率向上・貧困者削減など、人間の幸福度向上に直結する数値目標を設定した。

 アメリカ政府もまた、二〇一〇年、GDPを超える新指標を開発する方針を決め、健康・教育・環境などの改善度を示す指標を、GDP統計と同様に、国民がいつでもウェッブ上でその数字が見られるようにすると宣言。サルコジ委員会のメンバーの一人で「暮らしの質」部会長であったA・クルーガーが大統領経済諮問委員会委員長に就任。その初仕事として「二〇一二年大統領経済報告(経済白書)」の作成に参加し、その第八章「賢明な規制、イノベーション、クリーンエネルギー、そして公共投資を通じた暮らしの質の改善」で、報告書の趣旨を踏まえた政策を採用する意向を表明した。
 フランスやアメリカとは違って、人口減が進み労働力も減りつつある日本では、GDPを増大させることはますます難しくなっているのだが、与党も野党もGDPの成長戦略をめぐってあれこれ論議しているというのが実情だ。冒頭で自動車の運転を譬(たと)えとしてあげたけれど、GDPはすでにかなりの規模にまで膨らんでいるし、中身も複雑化している。自動車よりはジャンボ・ジェット機の方が譬えとしては相応(ふさわ)しいかもしれない。そういえば、H・ヘンダーソンが、かつてこんなことを言ったことがある。GDPで経済成果を語るのは、七四七型ジャンボ・ジェット機のコックピットの計数盤上に並ぶ数多くの操縦ボタンの、たった一つでジャンボ機を運転するようなものだ、と。この報告書の投げかけたメッセージがまさにそのことなのである。(福島清彦訳)
    --「今週の本棚:中村達也・評 『暮らしの質を測る』=J・E・スティグリッツ、A・センほか著」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120715ddm015070030000c.html


http://store.kinzai.jp/book/11975.html


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書評:成田龍一『近現代日本史と歴史学 書き替えられてきた過去』中公新書、2012年。

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 敗戦後に再出発した歴史学研究は、「社会経済史」をベースにしていました。それが、一九六〇年頃からは「民衆」の観点を強調するようになりました。これが第一の変化です。さらに一九八〇年頃に「社会史」が強く提唱されるようになります。これが第二の変化です。
 大胆に言えば、この二つのパラダイム・シフトを受けた近現代日本史は、時代によって三つの見方--第一期の社会経済史をベースにした見方、第二期の民衆の観点を入れた見方、第三期の社会史研究を取り入れた見方があると言えます。
    --成田龍一『近現代日本史と歴史学 書き替えられてきた過去』中公新書、2012年、iv頁。

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成田龍一『近現代日本史と歴史学 書き替えられて過去きた』中公新書、2012年。

「歴史は、新史料の発見・新解釈により常に書き替えられる」。

戦後歴史学の2つのパラダイムシフトに注目し、その叙述の変化をクロニクルに併走させ「歴史」の記述・解釈の変化を追跡する興味ぶかい一冊。

例えば、田中正造は戦後の歴史学ではまったく注目されなかったが、公害問題が社会問題となって以降、注視され取り上げられるようになる。
※もちろん、パラダイムは重なり合い、劇的に断絶的転回をするわけではないので、学校教科書の現状は「第一期をベースに、第二期の成果がいくらか書き込まれているというところ」となる。

さて本書が射程にするのは明治維新から戦後日本までの「近代日本」の歴史「叙述」である。温度差や関心の差違は本書にゆずろう。

しかし興味深いのは、「歴史とは歴史と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」。というE・H・カー(清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波新書)の言葉を実感することである。

著者の成田さんは、第二~第三のパラダイムシフトの時代に大学で歴史学を学んだという。だから、一層、この「対話」を実感しているのだろう。

「事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家です」(E・H・カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書)。

この言葉もあとがきで引かれている。単純な主客対比を超えた歴史を語るという行為の責任を感じる一冊である。近現代日本史を素材に、歴史認識と解釈の変化を列挙するというのは実に興味深いアプローチである。本書はもともと「歴史の教員をめざす学生たちへの講義」に原型があるという。教科書記載のゴシックを覚えるのでなく、どれだけ歴史と対話できるかであろう。

なお蛇足ながら、自分の関わる「大正デモクラシー」の評価もまさに二転する。戦後民主主義の始まる第一期の評価は「あだ花」として極めて低い。その評価を変えるのが松尾先生の再定義と評価。そして現在は、政論への注目だけでなく、さらなる再定義と文化研究やジェンダー、エスニシティー、そして総力戦論への助走など彩り豊かものとなっている。


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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『荒凡夫 一茶』=金子兜太・著」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『荒凡夫 一茶』=金子兜太・著
 (白水社・2100円)

 ◇生涯、若々しく色っぽく過ごす秘訣を伝授
 俳人・金子兜太。大正八年(一九一九年)生まれ。九十二歳だが、躍動する文章は若々しく色っぽい。それもそのはず、小林一茶の人と作品を語りながら、生涯、若々しく色っぽく過ごすにはどうすればいいか、その秘訣(ひけつ)を伝授するというのが、本書の真の趣旨なのだ。むろん、軸には一茶の、そして著者自身の俳句がある。俳句はしかしそのまま人生観すなわち死生観。一茶の紹介が、「荒凡夫(あらぼんぷ)」という生き方の推奨になっている。
 一茶はゲーテの十四歳年下、ワーズワースの七歳年上。近世というよりは近代人、いわば我らの同時代人。六十歳を迎えた一八二二年、「まん六の春と成りけり門の雪」の添え書きに、愚かな荒凡夫として一生を終えたいむね記している。荒は荒々しいという意味ではない、自由という意味だ、荒凡夫とは「自由で平凡な男」という意味なのだと著者は力説する。
 自由とは本能のままに生きること、自分の欲に忠実であること。だが、社会に生きる以上、何らかの抑制が必要になる。その抑制を法律や道徳ではなく、心で行なうこと、それは「生きもの感覚」を養うこと、それこそ「自由で平凡な男」として生きる方法なのだ。万物は生命あって流転する。自分もまたそのなかにあることをしっかりと認識することこそ、美という抑制を見出(みいだ)す秘訣なのだ。本能は愚かな側面を見せもすれば美しい側面を見せもする。欲と美の両方が絡み合ってこそ魅力ある人間が生まれるのだ、と。
 戦中戦後を生きた自身の体験を通して語られるから説得力がある。体験といっても、どんなふうにして煙草(たばこ)を止(や)めたか、歯の治療を終えたかなど、些細(ささい)な体験のみ。この諧謔(かいぎゃく)が深い。切実が滑稽(こっけい)に転じ、滑稽が切実に転じる。とりわけ荒凡夫・種田山頭火をめぐる語りは見事。無を理想とすれば無に縛られる。その果てに空が見出されなければならない。危うい均衡に達しえたか、達しえなかったか。山頭火の、俗の極みの生き方が納得される。
 だが、それにもまして説得力があるのが一茶その人の生き方であり、対比して描き出される芭蕉の生き方である。万葉以来、「こころ」には「心」と「情」の二つの書き方がある。「心」は「ひとりごころ」すなわち自分に向ってゆくこころ、「情」は「ふたりごころ」すなわち相手に向って開いてゆくこころのことだ、と著者は説く。芭蕉が「情(こころ)」という字をさかんに用いた理由はここにある、と。だからこそ、俗にして艶というほかない『奥の細道』以降の作品も描き出された。たとえば「海に降(ふる)雨や恋しき浮身宿」「一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月」。芭蕉は自己幻想以上に対幻想に鋭敏だったのであり、ここに連歌、連句の必然もあったというのだ。管見では芭蕉論の白眉。
 だが、その結果有名になった芭蕉は大衆を相手にする必然から「かるみ」を標榜(ひょうぼう)するにいたる。芭蕉の「かるみ」はしたがって技巧論にすぎない。思想としての「かるみ」は一茶にこそある。季語に捉われることなく人情に執着し、オノマトぺを自由に使いこなした一茶、荒凡夫に徹した一茶のほうが、「かるみ」において芭蕉を超えているというのだ。批判がかえって芭蕉の悲哀を浮き彫りにし、擁護もまた一茶の悲哀を浮き彫りにする。美しさはその悲哀の池に浮かぶ蓮の花なのだ。
 著者にはすでに全四巻の『金子兜太集』(筑摩書房)があるが、本書にはこれまでの著作すべてを圧縮して絞り出した濃縮ジュースの趣がある。
 美味である。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『荒凡夫 一茶』=金子兜太・著」、『毎日新聞』2012年07月15日(日)付。


http://mainichi.jp/feature/news/20120715ddm015070036000c.html


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書評:藤原辰史『ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』水声社、2012年。

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藤原辰史『ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』水声社、読了。ナチス時代の台所を材料に、20世紀の社会構造を分析する大著。

「私的な」「個人的な」作業場は、最新の技術や学問(家政学、栄養学、建築学)などを駆使することで、機能的かつ衛生的な「作業場」へと統合されていく。「私だけの城」という幻想は、食材を効率的に調理・保存することを可能ならしめるが、それは健康な夫と子供が輩出が目的でもある。最終的にはそれが戦争へと集約されていく。

多様な調理方法に「科学的管理法」を導入され、「栄養価」という概念が「普遍的な基準」として「標準食」の序列化を招き、食を「要素還元的」なものへ貶める。そしてそもそも「おいしい」「たのしい」という「快楽」としての食が「健康至上主義」に収斂されていく手際の良さには驚いた。まさに、「公共性」という視線の配置のしたたかさである。

テレビをつけると機能的な「台所」「キッチン」、そしてリフォームのCMがとぎれることはないのが現代社会とすれば、単なる「過去の話題」ですませることのできない社会分析。読んでいて抜群に面白い。


読んでいて抜群に面白い。
 

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覚え書:「記者の目:大震災と宗教者=平元英治」、『毎日新聞』2012年07月12日(木)付。

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記者の目:大震災と宗教者=平元英治(RT編集部)

 東日本大震災では多くの尊い命が失われ、生と死の苦悩は切実に被災者の身に迫った。宗教者も動いている。仏教僧やキリスト教の牧師たちが、悲嘆に暮れる被災者と向き合う「移動喫茶」をともに開き、「脱原発」を呼びかける宗教者もいる。教えの違いを超え、被災者に寄り添う姿勢に、宗教者が社会で果たすべき新たな役割も見え、心強さを感じている。

 ◇合同で移動喫茶、悩みや不安聞く
 「カフェ・デ・モンク」という移動喫茶がある。被災地・宮城県でほぼ毎週1回開かれ、仏教やキリスト教の宗教者が被災者の声に耳を傾けている。名のモンクは英語の「僧侶(monk)」と日本語の「文句」をかけている。

 同県石巻市の仮設住宅の会に伺うと、被災者約80人がコーヒーやケーキを味わいながら僧侶ら十数人と約3時間語り合っていた。木村良子さん(62)は約40年、夫の由行さん(63)ら家族でカキ養殖業を営んでいたという。栄養を蓄えたカキの収穫は何ものにも代えられない喜びだった。だが、津波は義父(当時87歳)の命とすべての養殖設備を奪い去った。「自殺したいと何度も思った」。良子さんの声に僧侶は静かに耳を傾けていた。

 「被災者は震災が自分たちに与えたものは何か、その意味を何年もかけて問い直す。その思いに向き合えたら」と同県栗原市の僧侶、金田諦応さん(56)は話す。

 今年3月には同県南三陸町で曹洞宗の僧侶8人とプロテスタントの牧師2人が合同で犠牲者の慰霊をした。10人は「鎮魂」と書かれた旗を掲げて約7キロを歩き、道々に読経と賛美歌が響いた。「被災地に尽くしたい。その思いと比べると教えの違いなんて小さなこと」と栗原市の僧侶、小野大竜さん(36)が話せば、仙台市の牧師、川上直哉さん(38)も「異なる宗教への尊敬が強まった」と語る。

 連携の動きは東北だけではない。学者ら44人が呼びかけて、昨年4月に東京都内で「宗教者災害支援連絡会」を結成した。宗教者の被災地での活動を支えるためで、ほぼ2カ月に1回集って情報を交換している。今年5月の会合では、被災地を訪れた金沢市の真言宗僧侶、辻雅栄さん(51)が足を洗って心もほぐす取り組みを報告した。連絡会代表の島薗進・東京大教授(宗教学)は「奈良時代の僧・行基以来、日本では宗教者が災害で苦しむ人たちを助けてきた」と話す。行基は諸国を巡り、民衆の間に入って橋や貯水池を建設した。今だからこそ、行基から続く自発的な行動を被災地で生かすことが必要だと島薗教授は話す。

 ◇原発問題にも積極的に発言
 「宗教者の活動は布教と表裏一体。被災者支援は公的機関が主になるべきだ」と考える人もいると思う。被災地支援など社会貢献活動にボランティアとはいえ宗教が関与することへのアレルギーや違和感は欧米より日本で強い。憲法20条は「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」と定める。だが77年の最高裁判決は国(行政)と宗教との関係をこう指摘する。「かかわり合いを持つことを全く許さないとするものではない」。そして政教分離の原則に反するのは「社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合」と判断した。被災者に寄り添い、東北の復旧・復興にも一定の役割を果たすということを考えれば、震災後の宗教者の活動は「相当とされる限度」の範囲内とみるのが適切ではないか。

 宗教界では原発の慎重な運用や全廃を求める動きも出ている。104の仏教団体が加盟する「全日本仏教会」は昨年12月「原発によらない生き方を求めて」との宣言文を発表した。「日本キリスト教連合会」に加盟するキリスト教系57団体のうち4団体も同様の声明を出している。
 キリスト教団体の一つ、日本聖公会東京教区は今年4月、原発全廃を政府に要望した。東京都清瀬市の同教区司祭、井口諭さん(61)は「政治に判断を委ねるべきだ」との慎重意見が内部にもあったと言う。それを説得したうえでの要望だった。政治的な問題でもある原発の存廃論議に意見を示すことへの是非はあるだろうが、宗教界が原発を将来の人々の生活や生命にかかわる深刻な問題として無視できないところまできていると解釈している。

 被災者の心の支援や将来の原発のあり方を決めることは日本が将来にわたって取り組むテーマだ。善を希求する点ではどの宗教も共通していると思う。宗教者の善意が社会に活用されることを願う。(元仙台支局)
    --「記者の目:大震災と宗教者=平元英治」、『毎日新聞』2012年07月12日(木)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20120712k0000m070156000c.html

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「人びとが無関心だ」と批判するが、無関心を許さない全体主義のことを思い出すと、無関心権はきわめて重要な権利だ

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 日本国憲法の副作用として、政治無関心があるといわれている。それはそのとおりかもしれない。大日本帝国憲法は、臣民が自分の意見を持つことは歓迎しなかったが、無関心も許さなかった。徴兵制だけではなく、隣組、大政翼賛会などにより、すべての臣民を国家のプロジェクトに組み込んだ。
 それと比べると、今の憲法は、条項には書いていないが、「無関心権」を保障しているとさえいえるだろう。政治活動家(私も含め)は「人びとが無関心だ」と批判するが、無関心を許さない全体主義のことを思い出すと、無関心権はきわめて重要な権利だとわかる。
 「無関心」の人は、政治とはかけ離れたところで、とても大切なことを考えたりつくったりしている場合もあるからだ。それが許されてはじめて豊かな、生き生きとした社会になってくるのだろう。
 このように考えると、憲法改正は、文書としての憲法だけではなく、すでに社会に埋め込まれている憲法の改正にもなるのだ。
 憲法改正を進めようとしている人びとには、その意図があるのがはっきりしている。
 もしその憲法改正が抜本的な改正、つまり、今の憲法と別の原則の憲法に入れ替わることになったら、それは社会に対する攻撃だろう。
 多くの人びとの習慣となった生き方--活動も無関心も--が異端となり、許されなくなるかもしれない。
 憲法改正のことを考えたり議論したりするとき、文書としての憲法だけではなく、社会のなか、自分自身の精神構造のなかに組み込まれている、constitutionとしての日本国憲法が、改正によってどう変わるか、ということも考える必要があるだろう。
    --ダグラス・ラミス『憲法は、政府に対する命令である』岩波書店、2006年、168-169頁。

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確かに政治をはじめとするものごとに対する「関心」は、「無関心」であるよりも関心はあったほうがよいのは百点満点の正論だと思うし、「無関心」であることが(加えて、人によればそのように「見えてしまう場合」も含めて)、結果として、諸事を空転させてしまうことは百も承知している。

しかし、このところ「関心がある」という「意識の高さ」のストロングな正論……それが悪い訳じゃないのですが……ばかりで、さながら、

「お前も、オレのように、意識を高くもち、あらゆる事柄に24時間関心をもって生きよ」という圧迫も非常に強く感じてしまう。

たしかにそりゃ、「意識が高い」方がいいのでしょう。

しかし、様々な事柄について「おまえはどうなんだ!」という恫喝と何らかの踏み絵、そして旗色を鮮明にしないことまでを、紅衛兵がつるし上げるような風潮には少し難渋してしまうのは隠せざる事実です。

先日も、ある学生と話し合うなかで、様々な問題があることは分かるし、なんとかした方がいいとも思っている。しかし、話題がそればかりで、「お前はどうよ!」って議論ばかりになってしまうと「窒息」に似た感を抱いてしまう……ということがあったのですが、私も同じような「窒息」を感じている。

「うぇーい、オレ、無関心!」っていう方は、実際に何割かいらっしゃるでしょう。そしてその逆に「うぇーい、オレ、意識の高い関心クラスタw」っていう方も同じように歴然として存在するでしょう。

しかし、「なんとかしないといけない」とは思いつつも、どちらでもないという人もたくさんいると思う。それを「無関心」という一つの言葉で収斂させていくのは、ひとつの異端狩りと同じだと思う。

うーむ、いつからこうなってしまったのだろうか。

別に「関心が高い」のは悪いことではないと思うけれども、先鋭化していくことに少し違和感があるのは、僕一人ではないと思う。

勿論、ガチの無関心で後の祭りになってしまっても、丸山眞男さんが指摘する通り「権利の上に眠る者」は保障されないのも道理だけどね。

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「僕みたいに白人で男で中産階級のアメリカ人学生は何も言う資格がないんじゃないでしょうか」とぼやくだけでなく

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 現在ニューヨークのコロンビア大学で教鞭をとるガヤトリ・スピヴァクは、その難解な文章もさることながら、教室でもきびしい姿勢で有名である。あるとき大学の教室で、ひとりの学生が「先生の言われるように、自分の出自を自覚したり、自分がどんな特権的な位置から話をしたり知識を得たりしているかにいつも意識的であろうとすると、僕みたいに白人で男で中産階級のアメリカ人学生は何も言う資格がないんじゃないでしょうか」と聞いてきた。そのときスピヴァクはこう答えたという。「そうやってあなたに何も言えなくさせている、それはあなたの階級とか出身とかお金とか、そういうものでしょ。こうやっていっしょに勉強しているのは、そのような特権的なありかたをあなたが自分で知って、それをひとつずつ自分から引きはがしていくプロセスなんだ、と考えてみたらどうかしら」
 またスピヴァクは大学の教室にいる多くの恵まれた学生に向かって、ときに冗談混じりに「あなたたちをこうやって教えているのはね、ここでたくさんお金を稼いで、それをベンガルで字も書けない貧しい農民たちの学校を建てる為に使うためなの」とも言う。
 アメリカ合州国の大学とベンガルの農村。理論の研究と文学の学習。知識人と貧農。このギャップをもちろんスピヴァクひとりで埋められるわけはない。しかし彼女はその仕事において、大学の講義室でも農村の学校でも、どのようにしてそのギャップが生まれているのかにいつも自覚的であろうとする。学生と農民、それはともにスピヴァクにとって〈他者〉であるけれども、彼ら彼女らが学び暮らす場所はどちらも、彼女のポストコロニアルにとって貴重な現場であり続けているのだ。
    本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波新書、2005年、147-148頁。

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スピヴァクは、現場における知恵を「戦略的本質主義」と呼ぶ。

本質主義とは、人間をあらかじめ既定された固定的実体として考え、環境に応じて変化することも自立することもできない存在ととらえる考え方のことである。

それを「戦略的」に使用する。戦略的とは、その状況、誰によるのか、そしてどのような目的を目指した「戦い」なのかがつねに「意識」されてなければらないという意味。

現状改革を求める運動のための手段として本質的議論を利用すること、それが彼女のいう「戦略的本質主義」である。

たえず自身が何であるのか、それにどれだけ「自覚的」であることができるのか、ここがその出発点になる。

そして「僕みたいに白人で男で中産階級のアメリカ人学生は何も言う資格がないんじゃないでしょうか」このぼやきは、他人事ではないし、「男で中産階級の日本人学生(教員)は何も言う資格がないんじゃないでしょうか」と問いたくなることはあるけれども、「何も言う資格」云々以前の地平に立ち続けるしかないのも事実だから、その当たりを丁寧に往復していくしかないのだろうと、スピヴァクにいつも背中を押される気がします。

だから……相手がどのようなひとであろうとも「まず話しあってみるしかない」と私自身は心掛けております。

……ってことで(ぇ!

昨夜は、授業を済ませてから、はじめてお会いする人生の大先輩とガッツリ「呑んで」きた次第です(ぉ!

Fさん、昨日は、お忙しいなか、がっつり「快飲」の機会をもつことができまして、「ありがとうございました」!

細かいところは、私的なやりとりですので、こちらにいちいち掲載することはできませんが、ホント、生きている「人間」とは、テケトーな「男」でとか「中産階級の」でとか「○○宗」とか「○○教」という単一な本質においてのみ、計量できるものではない、ということを改めて痛感します。

たしかにそれはそうなのですし、それでそのひとが生成されているし、そういきている事柄なのですが、そうである「由」というものは、単一にそのフラグにおいてのみ充全に理解できるわけでもないわけですから、やはり「はず話しあってみるしかない」し、そこからテケトーな単一な本質が、逆に彩り豊かな「そのひとつ」に認識が新たになるものなんだよなあ~などとしみじみした訳です。

まあ、「ただ、呑みたい」だけだろうにー!って言われてしまえば、「それまで」(汗ですが、かんたんな二元論を退けたいし、そして「何もできない」という諦めについても徹底的に排していきたいな……とは思う次第です。

それこそが、なんらかの不幸を永続化させてしまうトリガーになってしまうから、そこにどれだけ自覚的であることができるのか。

自身に自覚的であること、そして同時に人間観を絶えず更新していくこと、この挑戦を続けるしかありませんね。

ともあれ、昨日はありがとうございました!!!

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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『こんなにちがう ヨーロッパ各国気質』=片野優、須貝典子・著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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今週の本棚:伊東光晴・評 『こんなにちがう ヨーロッパ各国気質』=片野優、須貝典子・著
 (草思社・1680円)

 ◇北から南へ、誇り高く多様な文化を知る
 ヨーロッパ各国気質とあるが、ヨーロッパ旅行にも、この程度の知識がほしいと思える三十二カ国案内である。
 まずイギリス。サッカー発祥の国であり、ワールドカップには、イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズの代表が、それぞれの国の旗を立てて戦うように、四つの国の連合体である。ユニオンジャックは、この前三カ国の旗をかさねあわせたものである。(ウェールズの旗が正式に採用されたのは一九五九年のことなので、これには入っていない)
 本書にあるようにウェールズは早くからイングランドに合併されているが、朝の挨拶(あいさつ)はGoodmorningではない。文化は多様である。イギリスは文字どおり「連合」王国であり、四つの地域の人々の気質の違いは語りつくされているが、個人差も大きいことは、今さら書くまでもない。
 独立をかちとったアイルランド共和国について書くと、クロムウェルの弾圧と飢餓の苦難の恨みは永く忘れられていない。第二次世界大戦の時、チャーチルが強く求めたにもかかわらず、アイルランドは対日参戦をしなかったのは本書にあるとおりである。私が知るアイルランド人も反イングランドで、それゆえに親日的だった。
 余談だがマック(Mac)はアイルランド系の名で「……の子」の意味。アーサーの子が、マッカーサー、ドナルドの子がマクドナルド。人口は四五〇万人だが、アメリカには四四〇〇万人、世界では八〇〇〇万人のアイルランド系住人がいる。ケネディもレーガンもアイルランド系である。
 ドイツ人とフランス人の気質については、ステレオタイプのジョークが多いのではぶくが、フランスはフランス語を話す人の国、誇り高いヨーロッパの中心で、デパートで店員に英語で聞いても答えてくれないことがあるのはたしかである。こうした時は“Excusez‐moi de vous déranger,monsieur/madame”というと、とたんに親身になってくれるとある。“おじゃまして恐縮ですが”という意味らしいが、今日では丁寧すぎる言いまわしかもしれない。
 フランスは国王と教会から人民が権力を奪った共和国であることを忘れてはならない。一切の宗教色を公的な場所から排除している。アメリカ、イギリスとは違うのである。
 小さくとも一人当たりGDP世界一がルクセンブルクなら、日本と古い交わりのある国はオランダである。「おてんば」「ポン酢」「ランドセル」「オルゴール」等、オランダ語からきているものは多い。ヨーロッパなのに無宗教の人が四二%もいるとは驚いた。寛容な社会なのである。食生活も質素。「食べるために生きる」がフランス人ならば「生きるために食べる」のがオランダ人という。さすがワリカン−−ダッチ・アカウント−−の国である。ロッテルダムはコンテナ船が集中するヨーロッパの中心港であることも注意を要する。
 北欧の三カ国はバイキングの末裔(まつえい)なので、さぞ気が荒いだろうと思いきや、その中心スウェーデン人は「他人に配慮し」「控えめに話をする」「几帳面(きちょうめん)で北欧の日本人」だという。もっとも私には金髪、碧眼(へきがん)、色白、長身でスマートの代表のように思える。加えて西欧福祉国家である。男性も女性と同じ育児休暇制度を世界に先がけて制度化し(両親で計四八〇日)、双子や三つ子などの場合には一人につきプラス一八〇日、この間給与は八〇%だという。
 完全男女平等で離婚率が高いというのは、ある意味で俗説で、必ずしも当たらないらしい。人口当たり離婚件数はアメリカ、ロシアの四・五%にくらべて二・四%で、日本の二%と数字上はさして変わりはない。
 デンマークは「みんな平等」というヨーロッパの最古の王国だと言われると、みな平等の国なのになぜ国王がいるのかと思ってしまう。歴史上ではノルウェーもスウェーデンもデンマークの領土だった。食糧自給率三〇〇%、人口は三カ国とも一〇〇〇万人以下の小国だが土地は広大。しかし気質は違う。
 ヨーロッパ文化の発祥の地ギリシャを夢みて訪れた日本人は、現実の街の姿にがっかりするという。そのとおりである。逆にイギリスからフランスにくると明るさと解放感を感じ、イタリアに来ると安心感にひたれる。スペインは午前中は二時まで。それを過ぎると商店は閉まる。いい加減な所と親切心が混在している。
 それにしても二人でヨーロッパ三十二カ国のことをよく書いたものだと感心させられる。そこから浮かんでくることは、国民性も文化も各国多様だということである。二〇〇五年十月にパリで開かれたユネスコ総会で「文化の多様性に関する国際条約」が採択された。アメリカはこれに反対し、グローバリズムを押し通そうとしたが、同調者はイスラエルのみ。日本もフランスと採択を主導した。この本が書くように、世界の文化は多様なのである。
    --「今週の本棚:伊東光晴・評 『こんなにちがう ヨーロッパ各国気質』=片野優、須貝典子・著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120708ddm015070020000c.html

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書評:原克『白物家電の神話 モダンライフの表象文化論』水声社、2012年。

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ヒトと家電の生活史

原克『白物家電の神話 モダンライフの表象文化論』水声社、2012年。

電気と家電製品の普及で便利になった私たちの生活。しかし便利さと引き替えに、私たちの生活は「モダンライフ神話」へ惑溺することにもなってしまった。家電抜きの生活はもはや想像することが不可能である。

本書は、手法としてバルトの神話学を念頭に置きながら、モノとして「白物」家電の変遷とそれが触発する生活世界の意義を解き明かす記号論となっている。

例えば冷蔵庫に注目してみよう。もともと冷蔵庫は「冷蔵函」。それに外付けの冷却装置が付き、徐々に冷蔵庫になっていく。興味深いのは、もともとは、家具調の仕立てだったということ。これが「清潔」や「寒さ」、そして科学者の白衣をイメージする「白」に取って代わっていく。

記号論?と聞くと本書を手に取ることに躊躇を覚える方もいよう。しかし、文化と社会、そして政治的含意が交差するのは、人間の生活である。その意味の変遷を丁寧に追跡する本書は、時代史・生活史としても抜群に面白い。


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覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『カラー版 北斎』=大久保純一・著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『カラー版 北斎』=大久保純一・著
 (岩波新書・1050円)

 ◇眼前に彷彿と浮かび上がる浮世絵師の精神
 北斎はかなり変わった人だったらしい。

 曲亭馬琴と北斎は、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」はじめ多くの読本でコンビを組んだ。その馬琴の証言によれば、北斎は馬琴の指定に従わない。従わないどころか、この人物は画面の左側に描いてほしいというと右に描いてくる。ついに馬琴は、左に描いてほしいと思うときにはわざと右に指定する。そうすると案の定北斎は思う通り左に描いてきたという。
 大久保純一は、さすがにこれは馬琴の大げさな誇張で、北斎の絵師としていいものを作りたいという判断だろうといっている。その通り。馬琴のいい方ならば、北斎はただのつむじ曲がりに過ぎない。北斎にはより高い理想に向けての自己主張があったのだろう。
 しかしそれにしても変わった人であったことは間違いない。またそれでなければ、当時西欧から入ってきた銅版画、遠近法、幾何学的構図、ベロ藍(あい)のような絵具を貪欲に取り入れ、しかもそれを自家薬籠中の物として独自の画風を築き上げることは出来なかったに違いない。
 そればかりではない。北斎は日本の他の流派の画風を取り入れ、しかも役者絵から始まって摺物(すりもの)、狂歌絵本、美人画、風景画、絵本、絵手本、肉筆画などさまざまなジャンルを開拓した。これらは強靱(きょうじん)な実験精神、自由さがなければ不可能だろう。こうして「冨嶽(ふがく)三十六景」のような、今日だれでも知っている傑作が成立したのである。
 もともと江戸時代の浮世絵師は、写楽や歌麿にしろ広重にしろ、著名なわりには実人生が明らかではない。いくら人気があっても、所詮は市井の一職人と思われていたからである。ましてその人の性格までわかりようがない。北斎また然(しか)り。
 それがこの本ではその性格まで彷彿(ほうふつ)と読者の眼前に浮かび上がってくる。
 なぜだろうか。
 一つは北斎の存在の特異さによる。しかしもう一つは、大久保純一が、他の浮世絵師との比較、北斎が影響を受けたと思われる浮世絵以外の画家たちの動向、馬琴はじめ北斎と接触した人々、当時の出版事情、版元の興亡を描いて、そのなかに主人公「北斎」を浮かび上がらせているからである。そのさまはほとんど小説に近い。
 その上で大久保純一は、北斎の絵と向き合い、分析している。
 芸術は単に作者の人生によって理解されるべきではなく、作品そのものによって判断されるべきだからである。ゴッホの家に行ってもゴッホの絵が解(わか)るはずがなく、モーツァルトの墓へ行ってもその音楽が解るわけではない。北斎とて同じ。そこで北斎の絵に向かえばその分析の正否が問題になる。この本が面白くかつすぐれているのは豊富な図版を見ながらその分析の正しさを読者自身が実地に確かめることが出来ることである。
 一枚の版画にこれほど多くの秘密が隠されているのか。これほど多くの物語が隠されているのか。そのことを知れば絵を見る楽しみが倍増する。そこで本書は、単なる画集を超え単なる伝記を超える一冊になる。
 最後に北斎の弟子露木為一の描いた「北斎仮宅図」が現れる。炬燵(こたつ)にとっぷりと横ばいになった北斎が一心不乱に絵を描いている。かたわらに散らばる家財道具。そのなかで娘お栄が見詰めている。そこまで読んできてこの絵を見れば、九十歳に及んでなお寝食を忘れて絵を描き続ける北斎の姿に読者は鬼気迫るものを感じるだろう。
 北斎は確かに変わっていた。しかし彼が変わっていたのはこの恐ろしい精神のためであり、私たちはこの本によってその精神を直接手にするのである。
    --「今週の本棚:渡辺保・評 『カラー版 北斎』=大久保純一・著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120708ddm015070024000c.html

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丸山眞男「シニシズム 政治学事典執筆項目」より、「シニシズムの両義性」について

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  シニシズム (英)cynicism,cynism (独)Zynismus (仏)cynisme
 原義は紀元前四世紀ごろのギリシアのキュニコス派 Kunikoi のとなえた教説および彼らの生活態度をさす言葉。語源は、(1)その派の創始者といわれるアンティステネス Antisthenes がキュノスアルゲス Kunosarges のギムナジゥムで講義したところからでたという説と、(2)アテネの市民がその派の粗野な生活態度を侮蔑的に「犬のごとき」 kunikos ひとびととよんだのを、シノペのディオゲネス Diogenes が逆に自尊の言葉として採用したのに由来するという節がある。犬儒学派とか犬儒主義という訳語は後説によったものである。当時のポリスの崩壊とマケドニア帝国の誕生という時代的背景を反映し、しかも彼らのおおくは他民族との混血児であったところから、その政治・社会思想はポリスの精神と構造にたいする「よそ者」の立場からの否定的、嘲笑的批判に終始し、国家・政治生活からの逃避と私的生活の自己充足性 autarkeia の強調の契機がつよく前面にでている。しかもその富と所有への軽蔑はかえって他人の生活への恥知らずな寄生をともなった。それは結局当時の落伍したインテリゲンチアの傍観と白眼の哲学であった。
 シニシズムの言葉はこの原義から漸次一般化し、ひろくある種のものの見方や生活態度の総称としてもちいられる。すなわち(1)社会や国家の規範的制約をすべて否定し、自己以上の律法をみとめない考えかた、(2)なんらかの理念的な目標に対する努力を嘲笑する態度、(3)他人や他集団の理想や言説を額面どおりうけとらないでつねにその裏面にはたらく欲望や利害に注目する傾向、(4)総じて一切の感激や幻想にたいする覚めた心情についてもちいられる。したがってシニシズムは多かれ少なかれリアリズムとニヒリズムを属性としている。R・ニーバーはナチスの精神的シニシズムがそのリアリズムのゆえに、政治的闘争においてデモクラシーの感傷主義と空想性に打ち勝ったとし、デモクラシーの再建のためには「馴化されたシニシズム」をもってみずからを武装しなければらなぬと説いた。適度のシニシズムは政治の世界においてイデオロギー的宣伝と煽動にたいする免疫性をやしなうことによって、心理戦争の効果を滅殺し、味方を自己欺瞞の危険性からすくう役割をはたすが、その反面シニシズムの中毒症状は治者においては苛酷破廉恥なマキアヴェリズムの追求となり、被治者においては政治一般にたいする不感症、嫌悪、絶望としてあらわれる。
(参考文献)D.R.Dudley, A history of Cynicism, 1937. R. Niebuhr, Leaves from the Notebook of a Tamed Cynic, 1930. R.Höistad, Cynic Hero and Cynic king,1948.
    --丸山眞男「シニシズム 政治学事典執筆項目」、『丸山眞男集』第六巻、岩波書店、1995年、87-88頁。

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1954年に平凡社から刊行された『政治学事典』において、丸山眞男は幾つかの語句の執筆を担当しております。『丸山眞男集』に収録されている語句に目をやると、あいおうえを順に次の通りとなります。

愛国心
イデオロギー
オポチュニズム
軍国主義
シニシズム
シュミット
政治
政治権力
政治的無関心
ナショナリズム
ファシズム
福沢諭吉
リーダーシップ

『事典』の刊行からすでに半世紀以上が過ぎましたが、この語句だけをリストアップしても、過去の問題ではなく、きわめてアクチュアルな問題であることにびっくりしますが、冒頭には、そのなかのひとつ「シニシズム」の説明を抜き書きしてみました。

冒頭で語句の由来を説明した上で、その現代的意義、そして効能がコンパクトにまとめられております。試みにデジタル版の『大辞泉』を引いてみると次の通り。

シニシズム【cynicism】
1 ギリシャ哲学で、キニク学派がとった立場。
2 社会の風潮・事象などを冷笑・無視する態度。冷笑主義。シニスム。

丸山の「まとめ」をさらに圧縮すると上記のようになるでしょう。

さて、考えておきたいことをいくつかだけ記しておこうかと思います。

まず、あらゆる側面から人間を支配の枠組みに組み込もうとするそれに対する否定的な態度をもちあわせるのは、必要だし、そこを骨抜きにされてしまうことは大変な問題であるということ。

「社会や国会の規範的制約をすべて否定し」、「額面どおりにうけとらない」にすることは大切な「醒めた心情」であるし、ニーバーが指摘するとおり「デモクラシーの再建のためには『馴化されたシニシズム』をもってみずから武装しなければならぬ」。そのことで、自己欺瞞の危険性を排除することが可能になる。

しかし、「自己以上の律法をみとめない」、「努力を嘲笑する態度」や、それへの全人的な没頭、すなわち「中毒症状」はどこまでもこれを回避する努力も必要になってくる。

なぜなら、「政治一般に対する不感症、嫌悪、絶望」ほど、治者において都合のよいことはないし、ますます「苛酷破廉恥なマキアヴェリズムの追求」となるからだ。

ここは失念してはならないだろう。

近時、「政治オワタ」という指摘と諦めだけは蔓延している。しかし指摘と諦めだけでは何も変わらない。

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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『イワンの戦争?赤軍兵士の記録1939-45』=キャサリン・メリデール著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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今週の本棚:加藤陽子・評 『イワンの戦争?赤軍兵士の記録1939-45』=キャサリン・メリデール著
 (白水社・4620円)

 ◇対独戦史料にソ連軍崩壊のさまを読む
 戦争の全体像を俯瞰(ふかん)的に述べるのは難しく、それが第二次世界大戦であれば、なおさらだろう。ただ、二つの大戦にはさまれた時期、大国の間でさかんに議論されていた問題が海軍軍縮だったことを考えれば、海洋での支配をめぐる、日独伊の同盟国側と英米など連合国側との争いこそが、世界大戦の決定的な要因だったといえるのではないだろうか。
 とはいえ、日本は1937年7月から中国との戦争を始め、ドイツもまた41年6月からソ連と戦っていた。日本とドイツが相手とした中国とソ連は、ともに退却に適した広大な大陸の後背地をもち、ともに連合国からの補給を受け、甚大な犠牲を出しつつも、陸からの抗戦を続けられる国だった。とすれば、海(空を含む)の戦いを陸の戦いが支えていたともいえるだろう。本書の描く、独ソ戦下を生きた赤軍兵士の物語が、ここに深い意味をもって迫ってくるゆえんである。軍人民間人を合わせたソ連側の犠牲者数は約2700万、対するドイツのそれは約520万だったという。普通の赤軍兵士は、蟻(あり)の視点から戦争をいかに見ていたのか、それが本書のテーマとなる。
 情報公開とは無縁にみえるロシアだが、大戦から遠く離れれば、鉄のカーテンに隙間(すきま)も生まれよう。さらにソ連は冷戦期、核戦争に備えて歴史史料をシベリアへ移動させたほどの国なので、歴史を残す執念には定評がある。よって、史料にアクセスする根気と能力と運と時が合えば、とほうもない沃野(よくや)に出合える。イギリスの歴史家メリデールがなしとげたことに他ならない。国立軍事文書館、国防省中央文書館、あるいは激戦地クルスクの公文書館で公開され始めた、政治将校や秘密警察による報告書、軍情記録、捕虜の尋問調書、反政府活動などで訴追された元兵士たちの裁判史料を丹念に読みこんだ。そのうえで、どうしても避けがたい、史料の政治性からくる歪(ひず)みを、200人あまりの退役軍人、激戦地周辺の住民への聞き取り調査で補正し、提供された日記や手紙で補いもした。
 戦争のさなか、普通の兵士は何を考え、どう行動したのか。国家が残す記録というものは、特殊と普遍には微笑(ほほえ)むものの、普通と一般には冷淡なものだ。その絶望的な溝をメリデールが埋めてゆく。例えば、「平時の赤軍兵士のほとんどの時間は、慣れないものに慣れるのに費やされた」。といっても、兵士が慣れねばならぬ対象は、予想される軍事訓練や規則ではなく、飢餓すれすれの食糧不足や度を超えた不潔さだったことが明示される。独ソ戦を予想していなかったソ連軍が、戦争勃発から半年間、大混乱に陥ったことはよく知られてきた。だが、「最初の砲爆撃で、部隊編成は崩れ、大勢が森へと走って逃げた。前線地帯の森はどこでも、逃げ込んだ者で一杯だった。武器を捨て家へ向かう兵が続出した」とまで書かれた細部の報告は、赤軍崩壊のさまを伝えて圧巻だ。
 出典なども含めれば500頁(ページ)を超える本書を通読しても、外交機密といった新史料に出合える訳ではない。むしろ本書の価値は、この本を読むことで培われる想像力と眼力によって、戦争の時代の日本を振り返る醍醐味にあるといえる。例えば、1941年下半期の赤軍の状態を以上のようなものと捉える視線から、同時期になされた4回の御前会議決定の妥当性を再考するのは意義ぶかいものとなるはずだ。書かれざる極東戦線に迫る一つの方法となろう。(松島芳彦訳)
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『イワンの戦争?赤軍兵士の記録1939-45』=キャサリン・メリデール著」、『毎日新聞』2012年07月08日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120708ddm015070017000c.html

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個人の魂を、彼らの社会が変わるように変えていかなければならないが、他面においてその個人の魂が変わるためには、私は社会をも変えるように努めなければならない

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 一面において私は個人の魂を、彼らの社会が変わるように変えていかなければならないが、他面においてその個人の魂が変わるためには、私は社会をも変えるように努めなければならないのである。それゆえ私は失業やスラムや経済的不安等の問題にも関わらねばならない。私は根っからの社会的福音の鼓吹者である。
    --クレイボーン・カーシン編(梶原寿訳)『マーティン・ルーサー・キング自伝』日本基督教団出版局、2002年。

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大きな事柄に関わるひとは、大きな事柄のみに関わり、小さな事柄に関わるひとは、小さな事柄のみに関わることが多い。

そしてお互いに、侮蔑し合うという不幸が人類の歴史にはあまた散見される。
大きな事柄に関わるひとは「意識の高い人」を自認し、小さな事柄に関わるひとを「後退」とみなし、小さな事柄に関わる人は、大きな事柄に関わる「意識の高さ」に辟易としてしまうといいますか。

しかし、その二律背反というものは、いわゆる権力の当事者にとってはそれが都合のいい形で機能してしまったように思われる。

大きな事柄も、小さな事柄もそれはひとりの人間に属する事柄であって、別々の事象ではない。否、もっとそれは相互に複雑に関係性を織りなし、人間世界を形成しているのではあるまいか。

悪の本質とは、いろいろとそれを指摘できるでしょうが、そのひとつは何といっても「分断」にある。もちろん、身をただすということは出発点として必要不可欠であることはいうまでもないが、「人間」を基本に据えた場合、小異に目を瞑ると同義ではないものの、排除や分断によって細分化していくことは、それぞれが向かいあう対象を増長させていくものだということは踏まえる必要があろう。

キングはバス・ボイコット運動の一指導者として社会運動史上にその一歩を踏み出すこととなる。しかし、その後の展開は、先鋭化した分断ではなく統合・連帯であったとことは想起すべきかもしれない。深嶺の草場の一滴の朝露は、やがて人種の問題を越えてあらゆる不正・不義への挑戦となる大海へ拡大していく。

魂と魂の生きる世界は別々のものごとではない。


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覚え書:「日中対話の努力 不可欠  廬溝橋事件75年 記念館副館長に聞く」、『毎日新聞』2012年7月8日(日)付。

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日中対話の努力 不可欠
廬溝橋事件75年 記念館副館長に聞く

【北京・工藤哲】日中戦争(1937~45年)の発端となった廬溝橋事件から7日で75周年を迎えたのを受け、廬溝橋近くに建つ歴史展示施設「中国人民抗日戦争記念館」の李宗遠副館長(42)が7日、毎日新聞の取材に応じた。李副館長は、近年日本の政治家が記念館を訪れる機会が減っていることに懸念を示し、歴史や領土の問題で日中関係が緊張しても、対話を維持する努力が不可欠との考えを示した。
 李副館長は、95年に村山富一首相、01年に小泉純一郎首相(いずれも当時)が記念館を訪れたが、近年はこうした影響力のある日本の政治家が訪れる機会が減っていると指摘。日本国内の歴史認識に変化が生じていることが背景にあるのではとの見方を示した。
 また日中関係の現状を「一時的な霧に覆われた状態」と表現し、「歴史や領土などの敏感な問題は、複雑にすると両国間の緊張が一層高まる」と語った。尖閣諸島を巡る問題を念頭に「領土の問題は相手の挑発を企てる一部の人間が大衆をあおることで、両国関係の発展に不利な状況になる」との危機感を示し、「今こそ政府間の(冷静な)対話が重要だ」と強調した。
 記念館は、事件から50年後の87年7月に会館。主に日中戦争について展示している。当初は旧日本軍の残虐行為を強調する内容が目立ったが、その後の日中関係の変遷に伴い、歴史を教訓に両国の友好を求める内容に変化してきた。

ことば 廬溝橋事件 1937年7月7日夜、北京市中心部から南西に約15キロ離れた石橋の廬溝橋近くで、対立していた日中両軍が衝突した事件。日中戦争の発端となった。中国では「七・七事変」と呼ばれる。
    --「日中対話の努力 不可欠  廬溝橋事件75年 記念館副館長に聞く」、『毎日新聞』2012年7月8日(日)付。

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書評:マシュー・スチュアート(桜井直文、朝倉友海訳)『宮廷人と異端者 ライプニッツとスピノザ、そして近代における神』書肆心水、2011年。

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マシュー・スチュアート(桜井直文、朝倉友海訳)『宮廷人と異端者 ライプニッツとスピノザ、そして近代における神』書肆心水、2011年。

「不気味に自足した賢者」と「究極のインサイダー」の邂逅。


廷臣ライプニッツは破門の異端者スピノザの思想の何を敬い、何を恐れたのか。本書はその足跡を丁寧に辿る一冊。ライプニッツに注目することでスピノザの思想をも照射するその手法には驚くが、最新の、そして格好の入門書でもあろう。

二人が生きた17世紀ヨーロッパ。それは単一の神の世界が動揺した時代でもある。劈頭にガリレオ裁判があり、末尾にニュートンが現れる。すでに前世紀の宗教改革という事件とそれに起因する宗教戦争は、宗教を不安におびえさせていく。

さて二人の生まれ育った地域と身分は非常に対照的である。そしてスピノザは自由を謳歌し、あぶらののりきった共和国・オランダで「不気味に自足した賢者」として過ごす。対するライプニッツは、宗教戦争の余塵くすぶるドイツのハノーファー選帝侯領に使え、手練手管を尽し万能の天才ぶりを発揮しようと活躍する「究極のインサイダー」だ。

スピノザは単一神の瓦解を聞き、自由に宇宙を新しく配置していくのに対し、ライプニッツは、新旧キリスト教の和解を願いつつ思索を深めていく。二人の直接対決はスピノザの家で3日間行われたというがその内容は明らかではない。

当時の先端技術ともいえるレンズ磨きを生業としながら、そしてユダヤ教会から破門されながらも、新時代の革命的思索を遂行しようとするスピノザ。それに対して先端知をおさえ、応用・展開しつつも、保守的と揶揄されたライプニッツ。彼は生涯をかけて人間と神の尊厳を守ろうと試みる。

本書は二人の哲学者の生と思想、そしてその時代を丁寧に活写する。そして二人の発想の違いが以後の西洋哲学を特色づけていく様子を展望する。


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 危機に直面する持続可能性=湯浅誠」、『毎日新聞』2012年7月6日(金)付。

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くらしの明日 私の社会保障論
危機に直面する持続可能性
湯浅誠 反貧困ネットワーク事務局長

増税の必要性、共有できるか
 税と社会保障の一体改革関連法案は、民主、自民、公明の3党による修正合意が図られ、衆院で可決された。政府・民主党が法案成立に向け自公両党に歩み寄った印象が強いが、自公両党も、相当に民主党への歩みよりを見せた。ただ、衆院本会議の採決では民主党から多数の「造反」が出て、同党は分裂した。
 一体改革を巡る主だった批判は、いくつかの類型に分けることができる。
 (1)時期が悪い。経済的見地から、デフレ下での増税はかえって税収を落とす。
 (2)歳出削減努力が不十分。議員定数削減や公務員の給与削減など「身を切る改革」が足りない。
 (3)意思決定プロセスが悪い。民主党はマニフェスト(政権公約)違反であり、3党合意も密室で決まった。
 (4)一体改革になっていない。消費増税だけが先行し、社会保障改革は社会保障国民会議の議論に先送りされた。
 (5)そもそも消費税は基幹税としてふさわしくない。逆進性のある消費税より、所得税や法人税を増税すべきだ--。
 批判にはそれぞれ一理あるが。重要な点も共通する。それは増税による社会保障機能強化の必要性は認めている点だ。世界一の高齢化を先進国中最低レベルの社会保障給付で維持することの無理は、誰もが認めざるを得ないからだ。
 いつ過労死してもおかしくない超人的な働き方をする医師や看護師。肉体的にも精神的にも過酷な労働を、恐ろしく低い賃金で担う介護ワーカー。親の介護や子育てのために仕事を辞めざるを得ない女性たち。健常者並の暮らしを実現できない障害者たち。既存のセーフティーネットから漏れ、無縁状態の中で傷ついた若者や中高年男性や高齢者たちーー。
 日本の社会は、こうした人たちを「見て見ぬふり」をすることで、問題をごまかし続けてきた。しかし。過酷な生活によって矢尽き刀折れた人々は社会の周辺に堆積し、今や社会の屋台骨を揺るがすまでに至っている。


 個人(ミクロ)レベルでは、追い詰められた当事者が精神状態を害し、家族の就労や地域活動を制約したり、子どもの教育環境を悪化させたりし、社会の活動を停滞させる形で顕在化しつつある。
 社会(マクロ)レベルでは、結婚も子育ても困難な労働条件が未婚率を上げ、少子化をもたらし、高齢化率を上げ、社会保障どころか社会そのものの持続性を蝕んでいる。貧困の拡大による生活保護の急増も、その一つに過ぎない。
 政府と企業と個人、そしてマスメディアが、増税による社会保障機能強化の必要性という前提を共有し、自分たち自身の暮らしの持続可能性のためにどれだけ拠出できるかを率直に語り合える日は、果たして訪れるだろうか。

ことば 民自公3党による修正合意
消費税を14年4月に8%、15年10月に10%へ引き上げる一方、政府・民主党が導入を目指す「給付付き税額控除」や、食料品などの税率を下げる「軽減税率」も検討するとの内容。社会保障分野は、民主党が09年衆院先マニフェストに掲げた年金と医療の改革案を棚上げし「国民会議」で議論する。幼稚園と保育所の一体化は撤回、現行制度の拡充にとどめる修正を行った。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 危機に直面する持続可能性=湯浅誠」、『毎日新聞』2012年7月6日(金)付。

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覚え書:「学びや 中学・高校の先生による特別授業 哲学 斉藤慶典先生」、『毎日新聞』2012年7月2日(月)付。

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学びや 中学・高校の先生による特別授業 哲学 斉藤慶典先生

周りを見てみよう
「当たり前」って不思議
 「えっ、それって何」「ふーん、どうして」と思うことがすでに哲学だという話を、全快した。いったいそのとき、そこで何が起こっているのだろうか。
 君は、どんなときに「それって何」と思うかな。どういうところで「ふーん、どうして」と聞きたくなるのかな。いつも見慣れたものに出合っても、そんなことは思わないよね。
 たとえば机の上の教科書には、何の不思議もない。なぜなら、それが何であるかを君はよく知っているからだ。それは学校で何かを学ぶためのものだ。もう何十回もそれを開いて勉強しているのだから、そんなことは分かりきっている。このように、よく知っているものには、誰も「えっ、それって何」なんて驚かない。
 君が外国に旅行したとしよう。たとえば、インドに行ったことのある人はいるかな。君の大好きなカレーがお国の料理として有名なところだ。本場のカレーをインドの人たちと一緒に食べたら、きっと君は「えっ、どうして」と思うはずだ。
 なぜって、彼らはカレーを手で、それも右手だけで食べ、カレーを付けるパンも右手だけでちぎるからだ。ふつう君はカレーをスプーンで食べ、パンは両手でちぎる。それが当たり前だと思っていたでしょう。このように、いつもと様子がちがうとき、当たり前だと思っていたことがそうでなかったとき、人は驚いて「えっ、なぜ」と聞きたくなるんだ。
 そのとき君は、当たり前だと思っていた毎日のことから、ほんの少し外に出ている。毎日の生活の中にちょっとしたすきまが入りこんだとき、つまり日常から距離が生じたとき、君は「えっ、何?」と考え始めるんだ。
 この考えることがもう哲学なんだけど、覚えておいてほしいのは、当たり前だと思っていたことが必ずしもそうじゃないことに気づいたとき、それが何か見慣れないものに見えてきたとき、哲学が始まるということだ。
 少し難しい言い方をすると哲学はアウトサイダー(はぐれ者)の目をもっているんだ。その気になって周りを見回してみよう。けっこう不思議なものがあふれてはいないかな。たとえばさっきの教科書、「何でそれは紙の上に字が印刷してあるんだろう?」って思った人、いませんか。

斉藤慶典先生 慶応義塾中等部長
1987年、慶応義塾大学大学院博士課程修了。2001年同大学文学部哲学科教授。07年から同中等部長を兼ねる。哲学博士。1957年、横浜市生まれ。「旅と山歩きと温泉を愛する、かつての野球少年です」
    --「学びや 中学・高校の先生による特別授業 哲学 斉藤慶典先生」、『毎日新聞』2012年7月2日(月)付。

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自分は旗印として平民主義を掲げるのではなく、平民主義を生きるのだ。頓智と諧謔で人間の平等を主張するのだ。

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 外骨も蘇峰のこの「平民主義」に強く共感している。「国民之友」が創刊された時に、すぐに買い求めてこれを貪るように読んだ。明治新政府ができて「四民平等」を唱えながらも、かつての「士農工商」の四つの階級は「皇族・華族・士族・平民」と形を変えて現に生き続けているではないか。四民が人間として平等にその権利を主張できるはずだった明治新政府発足当時の理念は、いったいどこへ消えてしまったのか。外骨は蘇峰が平民主義を掲げて「国民之友」を創刊する二年前から、自分の実印に「讃岐平民宮武外骨」と刻ませて使用している。「平民主義」は蘇峰より自分のほうが早いのだという自負が外骨にはある。だが、蘇峰や民権論者のように主義を旗印のように掲げるやり形はとりたくない。旗印は旗をかけかえることもできる。旗の色が褪せることもある。現に明治新政府の旗は、近頃だいぶ色褪せてきている。自分は旗印として平民主義を掲げるのではなく、平民主義を生きるのだ。頓智と諧謔で人間の平等を主張するのだ。それが操觚者としての自分の生き方だ。外骨はそう思っている。
    --吉野孝雄『宮武外骨伝』河出文庫、2012年、115-116頁。

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担当する哲学の講座も前期は今日を入れるとあと3回で終了するので、そろそろまとめの時期に入ってきているのですが、やはり言及しておかなければならないのが「ヒューマニズム(人間主義)」の問題です。

なにかがあると「人間が大事」「人間が根本」と脊髄反射があるのですが、それはたしかに「大事」で「根本」だとは思います。

しかし、人間そのものへの「絶えざる」洞察というものがなければ、それは単なる「主義」や「イデオロギー」として「固定化」された眼差しへと容易に転化し、「人間のため」という旗印が、人間を「毀損」することへとなってしまうことは、歴史をふり返れば証左に枚挙の暇がありません。

加えて、思想的にも、ホコリを払いながら書架からカントのアンチノミーの議論を引っ張りだしてくれば「人間とは何か」という探究が短絡的に「Aである」と「断言」された瞬間に「非A」は「人間ではない」という事態が不可避となってしまう。

だからといって答えの出ない探究が無駄というわけではないし、結局は今自分自身がもっている「人間観」を絶えず更新していくしかない。

「これだ!」と後生大事にしているものが年月を積み重ねて行くにつれ、それは劣化や色あせが必然となる。ならば、生身の人間世界という「応戦」との相即関係のなかから、自分自身の人間観を固定化させずに、たえず新たなものへと転じていくしかない。

そんな話をしたわけですが、じっさいのところ、旗を立てることが全て無益だとはいいませんし、自身の立場を明らかにすることは場合にもよりますが必要なことでもあります。

しかし、旗を立てることによって、そのひとがそのひとであることが証明されるわけでもないし、旗そのものへの洞察がない場合、それは人間から遠くへいってしまう。

ここだけは、どこかで念頭に置くべき事柄なんじゃないかと思うわけなのですが……。

ここらへんの内発的な思想的格闘戦というものが「省略」されてしまうと、ホント、ろくなことはないと思います。

いいかたはわるいかもしれませんが、ごちゃごちゃ先鋭化した議論だけ続ける人間よりも、そのひとの心身ともにわがことのように心配する無名の庶民ほど、人間主義者っていうのは他にはいないとは思う。

ただ、その心根がなんらかの形で利益誘導されることには違和感はあるのだけどネー。

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内村の「猛省」と「戦争廃止論」が、日本の国是となったのである

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 非戦論から再臨信仰へという内村の姿勢に、またもや対極の立場から反対したのは海老名弾正だった。彼は、再臨信仰そのものを否定していたばかりでなく、日本の大陸進出は神の国の拡張であるとの信念を抱いていたのである。
 柏木は、再臨の信仰について海老名のような自由主義的解釈をしない。しかし、再臨運動には批判的で、この社会に対する責任を放棄してはならないことを訴えた。やがては死すべき人間についても、終生向上が図られるのであるから、国家社会についても同じ事が言えるという柏木は、一九三六(昭和一一)年一二月まで四五九号を数えた『上毛教界月報』において、第一次世界大戦はもとより、満州事変下にも非戦・軍縮を説いて止まなかったのである。私は、この生き方に共感する。
 社会実践の立場からすれば、第一次世界大戦以降、再臨運動にのめり込む内村の態度は後退と見做される他あるまい。さりとて内村を再臨運動のゆえに退けることは避けたい。宗教的洞察における天才的閃きを内村は持っており、その洞察力が第一次大戦において見抜いたのは、人間の罪の問題だった。その深みにおいて人間の罪が捉えられたとき、最終的な解決は、神の救済の完成である再臨にしかないことを内村は明らかにした。

 太平洋戦争開戦を前に成立した日本基督教団が「戦時布教方針」の綱領において「国体ノ本義ニ徹シ大東亜戦争ノ目的完遂ニ邁進スベシ」とうたった時、もはや如何なる非戦論の余地もなくなっていた。この「聖戦」が惨憺たる結果を残して終わった時、日本国憲法九条は生まれるべくして生まれたと言えよう。内村の「猛省」と「戦争廃止論」が、日本の国是となったのである。以後日本は、いわば良心的兵役拒否の国として半世紀を歩んできた。国連による〈義戦論〉の時代を迎えた今、その真価が問われている。
    --山口陽一「聖書と日本の非戦論」、監修・鈴木範久、月本昭男、佐藤研編『聖書と日本人』大明堂、2000年、181-182頁。

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内村鑑三の再臨信仰の是非については意見が分かれる。

しかし、山口氏が指摘するように「社会実践の立場からすれば、第一次世界大戦以降、再臨運動にのめり込む内村の態度は後退と見做される他あるまい。さりとて内村を再臨運動のゆえに退けることは避けたい」。

人間の罪責性の認識からスタートすることと、その実践の多様性というものは何ら矛盾はない。

それ以上に重要なことは、近代日本の壮大な実験により、ようやく手にすることのできた考え方や価値といったものが、最近、簡単に捨て去れる感がある。

ここには警戒すべきだろう。

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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『世界を救う処方箋』=ジェフリー・サックス著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『世界を救う処方箋』=ジェフリー・サックス著
 (早川書房・2415円)

 ◇危機に瀕(ひん)する米国経済の「自己診断」書
 ギリシアの財政危機がスペインや欧州全般の金融危機に火をつけるのか、固唾(かたず)を飲んで注目する関係者は日本にも多いが、実はアメリカの財政赤字も危険な状態にある。
 2010年、財政赤字は100兆円近く(1兆3000億ドル)、GDPの9%に達した。その背景をのぞくと、現在の税制のもとでは税収はGDPの約18%、これに対して社会保障や医療・年金など義務的経費が13%、軍事予算が4%、加えて借金の利息が3%。これだけですでに赤字になっていて、それ以上は赤字の上乗せ分となるほど赤字が体質化してしまっているのだ。世界経済の牽引(けんいん)車たるアメリカが、いよいよ立ち行かなくなってきているのである。
 本書はそのアメリカ経済の苦境を包括的に分析する書で、邦訳はさすがに羊頭狗肉(ようとうくにく)。世界の貧困国に処方箋を与えた高名な開発経済学者の新刊書だけに、途上国を扱うのかと勘違いしてしまう。原題を「文明の代価」と直訳すると抽象的過ぎるからだろうが、それなら「アメリカを救う処方箋」の方が内容には即している。
 サックスは、財政赤字はひとえに高額所得を得、多くの資産を保有し、大卒以上であるような富裕層が、少ない税率しか負担しなくなったために生じたと断ずる。ブッシュ以降の新自由主義政策により、富裕層は所得も投機収入も資産も課税を減免されてきた。その背後で、軍事や医療・石油にかかわる大企業はロビー活動を通じて民主党・共和党を問わず政治献金を行い、メディアはアメリカの危機が「大きな政府」のせいで生まれたとキャンペーンを張り、サブプライム危機を引き起こした当事者の金融機関幹部は責任を問われるどころかボーナスを稼いできた。
 中国からの製品が続々と輸入されアメリカ国内のインフレ率は低下したが、グリーンスパンはそれをIT革命にもとづく生産性の上昇のせいだと強弁して、金融緩和しか講じなかった。そのせいで、製造業では賃金は下がり雇用も失われた。グローバリゼーションを見誤ったのであり、アメリカといえばグローバリゼーションを主導したという日本の識者の見方とは大いに趣を異にしている。
 しかし青天の霹靂(へきれき)であったリーマン・ショックはさすがに天罰と解されたかというと、この財政赤字を前にしても政府は以前と変わらず金融緩和と減税しか施策を打てないでいる。さすがに学習能力がなさすぎと映るだろうが、それは「コーポレートクラシー」(有力企業の圧力団体が政策アジェンダを支配するような統治形態)が依然としてアメリカの政府と議会を羽交い締めにしているからだ、というのがサックスの見立てである。
 その結果、貯蓄率は下がり続け、インフラへの投資がままならないためニューオーリンズは水没し、教育にも政府支出が当てられないため学歴で労働者はヨーロッパどころかアジアにも後れをとりつつあり、地球環境やエネルギーといった将来世代のための問題への関心も薄く、格差は郊外と都心、サンベルト(南部)とスノーベルト(北部)といった居住地間に政治的分裂をもたらした。まったく、「アメリカ、ボロボロや」とつぶやきたくなるところだ。
 この苦境はヒスパニックや低所得者が福祉で税を持ち逃げしているからだ、というのが新自由主義の宣伝だが、事実を挙げ反論するサックスの立場は、サミュエルソン流の「混合経済」。要するにケインズ主義のことで、公共投資と政府支出を削減し金融緩和しか雇用対策としなかったせいでアメリカは製造業の雇用を中国に奪われ、労働者は良質の教育も受けていないためインド人と低賃金を争うしかなくなったと主張している。
 いわばケインジアンの巻き返しの書なのだ。そして、富裕層に社会への共感と税負担を、投票者に大企業のキャンペーンに負けない見識を、20代・30代の「ミレニアム世代」に貧困者や地球環境への配慮を求めている。市場がもたらす効率性だけでなく、分配の公平性と将来への持続性を政府の介入に託す見識が、サミュエルソンの弟子であり貧困撲滅をグローバルに論じてきた著者の真骨頂。先の大統領選挙で著者を推すNGOが現れたのも、これくらいの堅物かつ理想主義者でないと、アメリカは救えないということか。みずからも本書で、大企業から献金を受けているオバマでは、共和党と違う道は歩めないとしている。
 もっとも、ケインズ主義につきまとった不要なハコモノ行政と無駄な公共サービスをふやすだけという批判への回答は、見あたらない。その代わりに、ブッダやアリストテレスの「中庸の徳」が説かれる。これを教養と見るか詰めの甘さと見るかで、評価は変わるだろう。
 ともあれ「アメリカの良心」による自国診断の書であり、いまなおアメリカを持ち上げる我が国の「小さな政府」主義者に読ませたい一冊だ。(野中邦子・高橋早苗訳)
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『世界を救う処方箋』=ジェフリー・サックス著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120701ddm015070027000c.html

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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『師弟のまじわり』=ジョージ・スタイナー」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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今週の本棚:本村凌二・評 『師弟のまじわり』=ジョージ・スタイナー著
 (岩波書店・3150円)

 ◇肉声ともなう教育の場の重みを噛みしめる
 二十世紀の哲学者を一人だけあげなさい、と問われたら、多くの識者はM・ハイデガーと答えるのではないだろうか。そのハイデガーが「あなたは誰の本を一番お読みになりますか」と尋ねられたとき、すかさず「マルティン・ハイデガー」と答えたそうだ。
 誰であれ自分が考えて書き記したことでも年月を経れば筋道が曖昧(あいまい)になる。だから、自分自身の考えにも復習は欠かせない、と評者は思っていた。ところが、本書をひもとけば、それは凡庸の徒の見方にすぎない、と思い知らされる。
 周知のように、ハイデガーの師は現象学の創始者フッサールであり、師はフライブルク大学定年退職にあたって自分の後任にこの弟子を希望するほどだった。ところが、時とともに、師弟の亀裂は深まり、弟子は師を痛烈に非難するようになる。おりしもナチの運動に共鳴するハイデガーはフライブルク大学の総長に就任したが、公職追放の憂き目に遭うユダヤ系のフッサールは死に等しい孤独を耐えなければならなかった。少なくとも、弟子は師の苦境を和らげるための行動を、一切とらなかったという。この裏切りは「私の存在の根本を突き崩した」と師が述懐するほどだから、「心」の歴史のなかでも最も哀れをさそう、と著者は指摘する。
 ジョン・レノンにはいみじくも「子どものころは、あらゆることが正しかった」の言葉がある。それにならえば、教育とは、間違ったこと、無知だったことを認めていく道程にほかならない。だから、師はいつも正しく何事も知っていなければならない。ここに師弟関係の不幸がある。師フッサールの不幸は、弟子ハイデガーがいつまでも子どものままでいたことにあるのではないだろうか。これは皮肉すぎる私見かもしれないが。
 現代の高等教育制度では、大学の教授になるには、博士論文をはじめとして重厚な書類業績が求められる。だから、「よい教師だが、業績がなかった」というのは、ナザレのイエスであれば専任の教授になれなかっただろうという大学での冗談であるらしい。そういえば、ソクラテスも書きものを一切残していない。それどころか、文字を使うことにすら批判的であったから、教授どころか講師にもなれなかっただろう。大哲人にとって、書き記す行為は人間の思考力と記憶力を減退させる営みにすぎなかったのだ。
 ソクラテスとイエスの事例は永遠に示唆するところがある。それは師弟関係にはなによりも肉声がともなうということではないだろうか。書物を通せば、言葉をめぐって腰をすえて正確に考えることならできる。だが、書き手の心にひそむ肌の温(ぬく)もりも刃物の鋭さもなかなか伝わってこない。読書するだけなら、知識と情報を得ることしかなくなってしまう。
 この春、教壇を降りた評者にとって、この数年の講義は苦行にも等しいものだった。それはなによりも冗談が通じなくなってきたことにある。お互いの常識が違いすぎるのだ。だが、本書を読んで、反省させられたこともある。私の常識を学生に求めるなら、私も学生の常識を知る必要があったということである。人気沸騰のM・サンデル教授の爪のあかでも煎(せん)じて、レディー・ガガの話でもすればよかったのかもしれない。
 ともあれ、原題の「先生(マスター)の教訓(レッスン)」ではなく「師弟のまじわり」という表題から、いかにも、訳者の教育への熱意が伝わってくる。教育という現場が人生にとっていかに重要であるか、そのことをあらためて噛(か)みしめながら、読後に香り高く得した気分になれる。(高田康成訳)
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『師弟のまじわり』=ジョージ・スタイナー」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120701ddm015070015000c.html


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夏に 汝ら額に汗して

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    三九
  夏に
汝ら額に汗して
おのれのパンを食うべし、とか?
かしこい医者の診断(みたて)では、
汗した際には何も食わないがよいという。
天狼星が目くばせする、何が不足と告げるのか?
あの烈しい目くばせは何を求めているのやら?
汝ら額に汗して
おのれの酒を飲むべし!
    --ニーチェ(信太正三訳)「たわむれ、たばかり、意趣ばらし」、『悦ばしき知識 ニーチェ全集8』筑摩書房、1993年。

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昨夜は、青春時代、15年間ほど暮らした中野で、なつかしい友と「わたしを囲む会」がありました。

貴重な意見をうかがったり、近況を交換しあったりと、皆様、遅くまでありがとうございました。

いずれにしましても、社会的地位や所属の云々を問わず、「おれ」「おまえ」で方をたたき合えることができる仲間というのはいいものですね。

また、宜しくお願いします。

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丸山眞男「内村鑑三と『非戦』の論理」についての覚え書

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『丸山眞男集』第5巻(岩波書店)読了したので所収の『図書』(岩波書店、1953年4月号)に掲載れた「内村鑑三と『非戦』の論理」について覚え書き。

「明治の思想史において最も劇的な場景の一つは、自由と民権と平和のわれ人ともに許すチャンピオンが…相次いで国家主義と帝国主義の軍門に降って行く姿」で始まる短評で、「現実を正当化する論理」をはね返す内村鑑三に注目し、自称リアリストの論理の欺瞞を撃つ。

不敬事件から日清戦争を経て日露戦争へ至る歩みは「リアリズム」による帝国主義の肯定、そして天皇制イデオロギーに対する諸宗教の降伏と馴化。勿論、キリスト教徒も例外ではない。その文脈から丸山は、いかに内村が「後天的」な反戦思想家になったかを概観する。

リアリズムはどう転じるのか。対露関係の切迫化は、「『しか有ること』と『しか有るべきこと』を区別した瞬間、その『リアリズム』は彼等の主観的意図を越えて、しかある現実を正当化する論理に転じた」。勿論、内村自身、「先天的」な反戦思想家だったわけではない。

日清戦争時には「朝鮮戦争の正当性」と主張しているし、積極的な主戦論者だから「転向」ともいえる。ただ「大抵の思想的転向は客観的情勢に押され、その流れに沿っての転向であるのに対し、内村の場合は逆に一般的思潮の推移と正反対」への歩みだった。

日清戦争がもたらしたものは何か。朝鮮の独立は返って低下し「東洋全体の危殆の地位」をもたらした。素朴な愛国の情熱が強かっただけ出に、それだけ内村の失望と悔恨は大きい。「それがそのまま戦争否定への精神的エネルギーに転化」するのである。

「全く利慾のための戦争でありしを悟て、余は良心に対し、世界万国に対し、実に面目なく感じた」(「内村余の充実しつゝある社会改良事業」)。リアリズムは時流を肯定する「方便」「言い訳」へと転じていく。それに対して、内村の場合は、精査・反省から反転公正へとうって出る。

注目したいのは(そして、言うまでもないが)、内村は変節ではないという点。反省をして転じていくのである。それに対して、当時の平和から義戦へという「転向」翼賛論者は、過去を精査・反省という契機が殆ど無いという点。これは当時だけの状況ではないだろう、今も同じ。

丸山の腑分けは、内村非戦論が信仰の立場からの演繹的な帰結だけではなく、「帝国主義の敬虔から学び取った主張」と見抜く。即ち「彼の論理に当時の自称リアリストをはるかにこえた歴史的現実への洞察」である。

総力戦としての利欲を目的とする近代戦争とは「目的を達成するための手段としての意義を失いつつあること」。「正義の戦争」と「不義の戦争」の区別を非現実的なものして行くだろうと内村は、その本質を見抜いていく。「戦争は勝つも負けるも大なる損害」(「戦争廃止の必要」)。

「戦争は戦争を生む、…軍備は平和を保障しない、戦争を保障する」。内村の言葉「世界の平和は如何にして来る乎」)を引きつつ「内村の論理がその後の半世紀足らずの世界史においていかに実証されたか、とくに原爆時代において幾層倍の真実性を」加えたかは説くまでもないと丸山。

内村をあざけり、あっぱれリアリストを以て任じた人々が次々と主張をそれとなく転変していくこと。そして反省から「転向」し罵倒されていく内村の立場と「いずれが果して歴史の動向をヨリ正しく指していたか」。「これは単に学校の試験問題ではない」としめくくる。

以上が概要。ここで考えたのは、内村の場合、思想信条や歴史認識から「転向」したということ以上に注目したいのは、自身の誤りをきちんと反省できる人間であるからこそ、「ヨリ正し」い方向へ展開できたという点。対照的なのは、非戦論から正義戦争論への系譜、全く逆である。

後者の場合、そこには「反省」も「自己認識」もナニモナイ。歴史の推移だから「必然」とし、「転向」していくのである。ここはおさえておくべきかも知れない。人間は誤り易きものであることは言うまでもない。

しかし自己確認としての精査が無いままずるずるべったりに展開していく恐ろしさは自覚的であるべきであろう。問題なのは思想や考え方が変わることではない。変わることに対してどこまで誠実であることができるかだ。そこに目を瞑ったまま、推移していくことほど恐ろしいことはない。

内村の日清から日露への転回はキリスト教信仰に基づく観点からの指摘には枚挙の暇がない(大正期の再臨運動も視野にいれつつ)。しかし、それをリアリズムと歴史認識の観点、そして「率直」な内村の反省できる「精神」に見出す丸山眞男の「読み」にはたまげてしまった。

前年にサンフランシスコ条約が効力開始、この文章を執筆後に朝鮮戦争は終結する。恩師の一人であり内村門下南原繁は戦後すぐに「曲学阿世の徒」と罵倒。8年前の「総懺悔」は「反省」という契機を割愛したまま、めきめきと復権・定着する時世。それへの批判もあるだろう。

しかし、この丸山の認識は過去のものではないし、現在進行形の問題でもあるし、未来に出来する事柄でもある。人間は立場を変えていく。こっそり変節するのか。自己認識を踏まえた上で「転回」していくのか。ここには大きな違いがある。そして権力とは「反省」しないものでもある。

明治キリスト教世界において、変節の巨頭は海老名弾正であろう。海老名は「罪」の意識が希薄だ。対して「罪」意識の高潮は植村正久、しかし植村の場合、脆弱な境界の橋頭堡を守ることで権力とバーターという苦渋を選択する。内村とは対照的である。

因みに海老名門下の基督者が吉野作造である。吉野も極めて「罪」意識が希薄である。しかし、自身の過去の言説と現在の現在の「転回」に関しては必ず「反省」をして転回していく。ここは興味深い。日露戦争では愛国者のそれである。しかし最終的には無政府主義。

丸山の分析ではありませんが、宗教的信念だけでない様々な要素が同じような発想であったとしても、それぞれを弁別していくのは確かだろうと。まあ、「過去」と「現在」の整合性への専念よりも、それをその人がどう認識した上で転回しているのかはチェックすべきですね。

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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『色へのことばをのこしたい』=伊原昭・著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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今週の本棚:堀江敏幸・評 『色へのことばをのこしたい』=伊原昭・著
(笠間書院・2310円)

 ◇古典文学をときほぐす「色」への尽きぬ想い
 先日、三十六年ぶりにトキが野生で孵化(ふか)し、無事に巣立った。これは絶滅危惧種を救うと同時に、朱鷺(とき)色という色をも救う、大きな出来事である。鳥の名を付したひとつの色が色として成り立つためには、自然、文化、経済をふくむ、時代のすべての条件が整わなければならない。同時代に生きる者が、色に対してどのように心を寄せ、どのように接するか。鳥と色の関係は、人と言葉に、命そのものにかかわってくるのだ。
 本書は、文学と色のかかわりについて地道な研究を重ねてきた著者の、成果というより「想(おも)い」の精髄をまとめたものである。さまざまな媒体で語られた「色へのことば」。大切なのは、色の言葉ではなく、色への言葉、色と自分との近さ遠さを、いま一度見きわめようとする姿勢である。
 神話の時代から、色はことばとともにあった。倭建命(やまとたけるのみこと)が東国討伐に出たとき、足柄の坂の神は「白き鹿(か)」に、伊吹山の神は「白猪(ゐ)」に化け、自身が崩じた際には「白き鳥」となって飛んで行った。白だけでなく丹(に)(赤)などにも、神性や霊力が宿っていた。
 しかし、この白をふくむ、青、赤、黄、黒の五つの色は、五行説の正色として大陸から伝来した「概念」だった。上代の日本では、鉱石や土を集め、それを摺(す)りつけたり塗ったりして色を出し、また草木を使って染めていたが、そこに当てられていたのは、原材料そのままの、具体的な呼称である。茜(あかね)という草の根で染めれば茜色になり、藍という草の葉と茎で染めれば藍色になり、梔子(くちなし)の実で染めればそれは支子(くちなし)色になった。
 平安時代になると、貴族たちが豊富な財力を用いて、古くから伝わる染料の開発と染色技術を格段に進歩させた。一種類ではなく数種類の染料で染め出していく交(まぜ)(混)染がひろがり、色に繊細な階調が生まれ、経(たて)糸と緯(よこ)糸の、それぞれの色を織り合わせることによって複雑な表現が可能になった。また、袷(あわせ)のように表と裏の布地の色を重ねる襲(かさね)(重)の色目の登場で、表を白、裏を紅(くれなゐ)にした組み合わせの結果としての桜色が再現されるようになった。
 色を身にまとうことは季節をまとうことであり、衣装の選択、色の選択が時宜に適(かな)っているかどうかがつねに問われる。そこから外れると「すさまじきもの」、不調和きわまりないと難じられた。地位によっても着られる色とそうでないものがあったが、可能な範囲内での着こなしには、趣味や性格や審美眼もおのずと滲(にじ)み出た。
 平安期の文学を、色を通して読み解く著者の目は、物語の糸の一本一本をみごとにときほぐす。『源氏物語』をめぐる頁(ページ)はとりわけ鮮やかだ。多様な色があるなかで光源氏があえて「白」を選んでいることの意義や、『枕草子』における男性の装束についての言及の多さを指摘するあたりには、「色への」想いが十全にあらわれた文芸批評の一例と言えるだろう。
 中世の武家社会における質実さと、儀式や戦場で身につける色の絢爛(けんらん)さの対比、そして、世捨て人たちが重んじた「白」の美。江戸の頃に、郭(くるわ)、遊里、芝居、劇場などから流行が生まれた「茶色」と「鼠色」で構成される、四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)の妙味。本書の末尾には、簡にして要を得た「色へのことば」がまとめられているのだが、鳶(とび)、鶯(うぐひす)、鴉(からす)、鶸(ひは)など、鳥の名と色が結びつく事例も数多い。救う対象は朱鷺だけではない。これらのことばを概念に貶(おとし)めないよう、日々を見直すことを、本書はじっくりと教えてくれる。
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『色へのことばをのこしたい』=伊原昭・著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。


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http://mainichi.jp/feature/news/20120701ddm015070014000c.html


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混沌からひとつの秩序にむかうと考えるよりも、混沌-秩序-混沌と考えるほうが、私には世界の発展の姿としてうけいれやすい。

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 はみだした部分を内心にもってこの社会を生きていると、政治について、ひとつの立場をとることがあっても、そしていったんひきうけたその立場から去らないとしても、自分と対立する立場のものをその存在する気分になれない。それなりの根拠を見出そうと思い、反対の立場にある人に対して、共感をもつことがある。
 政治とは、現状についてのひとつの決断であり、それは今の状況を計算しつくした上での決断にはなりにくいので、私の判断は、つねに保留のかぎかっこつきである。
 注意したいのは、自分の立場の変更について自覚することであり、その立場の移動を記憶しておくことである。これがむずかしい。今、ふりかえってみて、私にとってもっとも大きな変化が感じられるのは、三十歳前までの、どういうわけかわからないで自分がここに存在しているのだが、この自分の存在はうけいれがたいという感じ方から、自分の存在をうけいれているという状態への移行である。前の段階から自分の内部に今もつづいていてあるのは、今ここにいるとして、いつでも、ここから自分をひきあげる用意をもちたいという価値意識である。
 これは、自分が受けいれているものをふくめて、よい社会の設計図について、いくらかの疑いを保つことへと導く。自分なりのデモクラシーの基礎である。

 固定した理想社会の像をもたないようにすると、よりよい社会は、これまでのまちがいをふりかえることをとおして、方向としてあらわれる。
 そのときにもひとつの方向にしぼるということをさけたい。むしろ、いくつもの枝葉にわかれておいしげってゆく現在と未来とを心におきたい。
 混沌からひとつの秩序にむかうと考えるよりも、混沌-秩序-混沌と考えるほうが、私には世界の発展の姿としてうけいれやすい。
 はじめに言葉(ロゴス)があり、その思想の完全な実現にむかって努力するというふうに、目標を、私にとっても、社会にとっても、さだめたくない。
 はじめに言葉があるという仮説をたてることはできる。それを支持しやすいように、その仮説を解釈しなおすことは今でもできるし、これからもできるだろう。人間の本性の底に人間共通の普遍言語が潜在しているというふうに、また生物の欲望そのものの中に協力の方がふくまれているというように。しかしそう解釈された場合の「はじめに言葉がある」という仮説をすてさるのではなく、私はそれに距離をおきたい。
    --鶴見俊輔「背教について--あとがき」、『鶴見俊輔座談 民主主義とは何だろうか』晶文社、1996年、442-444頁。

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冒頭は、哲学者・鶴見俊輔さんが、『民主主義とは何だろうか』のあとがき「背教について」で言及している一文ですが、どうも噛みしめるように読んでしまう。

鶴見さん自身が、少年時代から今に至るまで、体制や社会規範が何であろうと、その存在を「全否定」されてきたのが、その歩みなのですが、ルサンチマンはみじんもない。

それは、自身が弾劾されるなかで感じる「いごこちの悪さ」自体をも、箱庭として相対化すること、否定される「わたし」というルサンチマンを悠々と見下ろす現出するのかも知れない。

もちろん、そのいわれなき「否定」してくださるなにがしかの誤認は否定されてしかるべきでしょうが、問題なのは、完全な「正しさ」だけが「圧倒する」こと、「余白がない」ことには、それがいかように「正しい」ものであったとしても「イデオロギー性」を見抜くという「返す刀」はどこかで持ち合わせておくべきなのだろうと思う。

「そう、あるべきだ」と「理想像」を誰もが、いろんなレベルで持っている。私自身も生活レベルから社会構想におけるまで、なんらかの「それ」をもっている。そのことで「今のわたし」をよりよくしたいからだ。

しかし、それを他者に向けるときには、少し慎重になった方がいいのかもしれない。悪意ではなく、「そうなんだ」と皆がそう思うわけではないし、すり合わせの「手順」を割愛したまま、それが垂れ流されてしまうと、それがいかに「ただしいもの」であったとしても、全体化へと収斂してしまう。

全体性とは何か。

そう、特定のコードへの「調教」に過ぎない。たしかに悪しきそれへの反省と反発は存在する。しかし、光り輝く「善」の御旗は、忸怩たる躊躇を容赦なく「取締」ってもしまう。

ここにどれだけ自覚的に向き合うことができるのか。

私の感じる「いごこちの悪さ」と他者の感じる「いごこちの悪さ」を没価値的に扱うのが「民主主義」だとすれば、まずはそこのすり合わせこそが肝要になってくるのではないか。

最近、手順や手法、形式が「尊重」されないことに、一抹の寂しさを感じてしまう。

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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『植物たちの私生活』=李承雨・著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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今週の本棚:持田叙子・評 『植物たちの私生活』=李承雨・著
 (藤原書店・2940円)

 ◇巨樹の下の「愛の原郷」に焦がれる物語
 『旧約聖書』のはじまりに楽園があり、その樹(き)の下で愛しあった男女が追放されて人類の始祖となるように、大地に根づき空へのびる巨樹をいのちの原点とする神話や伝説は、国境をこえて無数。神話学や民俗学でこの物語系は、<世界樹><宇宙樹>として注目される。
 すでに諸作品が世界的に評価される韓国の文学者の著者は、二〇〇〇年に刊行したこの長篇小説で、聖書を軸とし、そうした世界樹のイメージを駆使する。海辺に奇跡的に生育する椰子(やし)の木の下で愛しあう二人、すなわち「地上に存在しない彼らだけの土地」への、普遍的な人間のあこがれと絶望的な希求を描く。樹への愛に、権力への抵抗をよみとる。
 至純の愛のロマンスであるとともに、現実のどこにもない彼方(かなた)を恋う異郷論であり、樹をめぐる世界神話の解釈学でもある。
 舞台はソウルと、ソウルから車で数時間の南海岸「南川(ナムチョン)」。あたたかい海風吹くそここそ、熱帯より漂着した種子から芽ばえた椰子の木が優しい蔭(かげ)をつくる、愛の原郷。そこを恋う人々の夢に出入りし、夢と現実を不可思議に結びつける役割を負うのが、小説の語り手の二十代フリーター青年、「私」である。
 「私」の兄には足がない。韓国の独裁政権下(おそらく著者の学生時代の一九七〇年代を映す)で、「写真を通して時代の証拠を撮る者」として活動していた兄は、何者かに密告され逮捕され、軍隊に送られて、訓練中の爆発で足をもがれた。恋人も去り、現在は家の中で父母に保護され、廃人のように暮らす。
 その兄が時々おこすおぞましい発作が白眉、一篇のドラマトゥルギーを重く支える。絶望の血が体内を駆けめぐり、服をはぎ、身体をかきむしり、あてどなく精液を放射する。精液と涙と血にまみれ、地べたにちぢこまる兄はもうめちゃめちゃだ。みじめの塊と化す。
 けれど読んでいてグロテスクと思えない。その塊は、自分だとも感じる。元来もっていたものを根こそぎ奪われることは、生きて死ぬことそのものだから。兄の苦痛は、人間の根源的絶望と空虚のシンボルに他ならない。
 ゆえにこそ、木になって光と風の空間で愛する人と一体化し、現実を超えたいとする兄の願望が身にしみる。現実では「不具」の兄は、南川に浮かぶ夢の球体の中では恋人スンミとよりそう主人公となり、愛の原郷を「私」にさし示す導き手となる。社会権力にその生をへし折られた、ひいては全ての傷ついた人間への、著者の静かなオマージュであろう。
 そうした兄が、著者のそして私たちの分身でもあるとするなら、優れた兄をねたみ、スンミを恋慕し、間接的に兄を密告する「私」の一面も、我々の分身だ。語り手の「私」には、実に複雑なさまざまのモティーフがこめられている。この小説の大きな仕掛である。
 夢や神話の多用を特徴としつつ本書は、先行の邦訳長篇『生の裏面』に通底し、根源的なものを問うにキリスト教小説の骨格をもつ。「私」は裏切り者のユダであり、優れた兄弟をねたみ殺すカインである。また「私」は愛の神話の語部(かたりべ)であり、夢をよみとき現代社会に告知する男巫女(おとこみこ)、しかし自らは夢の中に入れない書く人、つまり作家の喩(たとえ)でもある。
 ともあれこの小説は、思弁的であると同時にきわめて官能的なのが魅力。恋をしている人もしていない人も、樹々の発するみどりのエロスに感染し、遺伝子のなかに眠る愛の原郷の記憶をゆさぶられ、からだの内奥がもやもやと、熱くうずく事うけあいの一冊である。(金順姫訳)
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『植物たちの私生活』=李承雨・著」、『毎日新聞』2012年07月01日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120701ddm015070011000c.html

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ぼくたちの目的は、決して白人をうちまかしたり侮辱したりすることではなく、彼らの友情と理解をかちとることでなくてはならない

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 闘争のなかで暴力を行使することは、非実際的であるばかりでなく非道徳的でもあるだろうという点を強調した。憎悪にむくいるには憎悪をもってすることは、いたずらに宇宙における悪の存在を強めるにすぎないだろう。憎悪は憎悪をうみ、暴力は暴力をうみ、頑迷はますますおおきな頑迷をうみだす。ぼくたちは憎悪の力にたいしては愛の力をもって、物質的な力にたいしては精神の力をもって応じなければならない。ぼくたちの目的は、決して白人をうちまかしたり侮辱したりすることではなく、彼らの友情と理解をかちとることでなくてはならない。
    --M・L・キング(雪山慶正訳)「非暴力という武器」、『自由への大いなる歩み』岩波書店、1971年。

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めんどくさいことかもしれないし、それは唾棄すべきプチブル根性ゆえ、社会変革には糞の役に立たないと罵られるかも知れないけれども、やはり大事だと私は思うから少しだけ書いておく。

ガルトゥングが指摘するとおり「人間を苦しめるものは全て暴力」だと考える。そして「他人の不幸の上に自身の幸福を築く」ことを屁と思わない連中こそ、その当体であることが殆どだから、それと徹底して戦っていかなければならない。


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忍耐強い攻撃と、正義という名の兵器を毎日のように使って、その悪を攻め続けなければならない。
    --マーチン・ルーサー・キング(猿谷要訳)『黒人の進む道』サイマル出版会、1968年。

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公民権運動の父にして非暴力不服従運動の戦士・キングは、「悪の機構は、受け身で待つだけでは滅びることはない」(キング、前掲書)と指摘し、徹して攻撃していかなければならないという。

攻撃をうける悪は激しく抵抗する。

「悪は激しく抵抗する。ほとんど狂信的な反抗を示す。自ら進んでその砦を廃止することは決してない」(キング、前掲書)。

ゆえに徹してその悪を進軍ラッパを吹き鳴らすように不断に追求していかなければならない。

キングの信念とはまさに“悪を傍観するな!”“妥協するな”“攻め続けよ!”といってもよい。

しかし、同時に大切なことも指摘している。それは、悪と戦いながら、しかも戦っている相手の悪に自分は陥らないという決意だ。敵の卑劣さや憎悪、人間蔑視に、自分まで染まってしまえば、自分が、戦っている悪と同じようなものになってしまう。


「憎悪にむくいるには憎悪をもってすることは、いたずらに宇宙における悪の存在を強めるにすぎないだろう。憎悪は憎悪をうみ、暴力は暴力をうみ、頑迷はますますおおきな頑迷をうみだす」。

悪は放置してはならない。

しかし悪を追求することは、その当事者である人間の全人性を「全否定」してもよいということにすりかわってしまうことには注意深くあらねばらないし、その方法論は非暴力的手法だけでなく様々な角度から精査されたうえで励行されるべきだと考える。

権力者や社会的優位にある立場の人間から、フツーの市民にいたるまで「変な奴ら」というのは確かに存在する。

そしてそれと徹して戦うことは必要だ。

しかし、どう戦うのか--。ここはおさえておくべきと私は思う。

だから「死ね」とか「あほ」という指摘で攻撃することを私は肯定することができない。

そもそも全人性を簡単に否定することは可能なのか。イエスも釈尊にしてもそうだが、生命に突き刺さった矢(ドクサ)…そしてそれは当事者は自覚がない…を抜くことだったのではないか。全人性を否定する罵詈雑言を投げることでその作業が遂行されるようには思えない。

甘チャンかも知れませんけど。

悪に対する瞋恚や情念は否定しない。人間は理性と感情をもちあわせて人間だからだ。理性がエライ、感情が駄目という二元論でもない。悪への怒りは誰しも持ち得よう。

しかしその表象は、「おまえ、デブ」「死ね」のみに収斂するはずはないと思う。

時流に抗うつもりも、さおさすつもりもない。しかし、人間/非人間の分水嶺をたやすく越えていくことには私は革命的警戒心をもちあわせるべきだと思う。

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覚え書:「時代の風 人口問題と国力=ジャック・アタリ」、『毎日新聞』2012年7月1日(日)付。

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時代の風 人口問題と国力=ジャック・アタリ 仏経済学者・思想家

外国人争奪戦の時代に
 世界の国々の人口と国力の間には、歴史上、直接的な関係は見いだせない。人口が多くても経済的には壊滅的な状況の国もあれば、人口は少ないが強大な国もある。18世紀末の中国は世界人口の3分の1を占めていたが、当時、衰退期に入りつつあり、人口の少ない西洋が列強になった。欧州では当時、フランスが最も人口が多かったが、強国は英国とオランダだった。
 今日でも、人口がすくなくても影響力の大きいノルウェーやシンガポールのような国もあれば、米国のように人口の多い大国や、インドのように人口は多いがそれほど強大でない国もある。だが、高齢化が進む国々は対策を取らなければ衰退する。ドイツ、ロシア、韓国、日本が当てはまるが、中国もそうだ。一人っ子政策が人口の増加に歯止めをかけたからだ。中国の労働人口は今後、減少していく。
 出生率が下がり、平均余命も延びなくなると、高齢化が進み、経済成長を資金面で支える手段がなくなる。国力を左右する要因は高齢化や平均年齢、さらに、年金制度を維持する資力なのだ。
 選択肢は五つだ。①出生率を上げ、子供の数を増やす。フランスの実例だ。②比較的少ない人口で安定させる。日本はこの道を選ぶかもしれない。③移民受け入れ。米国で非常にうまく機能し、発展に寄与した。④女性の労働を増やす。ドイツが取ろうとしている選択だ。⑤ロボットを使う。韓国の選択肢で、日本もその方向に進むかもしれない。
 出生率を上げるフランスの政策は「1940年の戦争に負けたのは出生率が悪かったせいだ」と考えたことに由来する。(第二次大戦が終結した)45年からただちに、フランスは極めて積極的な出生率向上政策を開始した。


 子供のいる女性に資金援助するだけではない。「子供が欲しい」と思った瞬間から子供が成人するまでをカバーする施策だ。子供を預ける保育所を整備し、女性の再就職を支援する。子供が多いほど税金は減り、家族手当が多くなる。女性は出産時には職場を離れるが、数ヶ月後に戻ってくる。出産は障壁ではない。日本は家族手当の改革に取り組まなければならない。
 移民の受け入れではフランスにイタリア人、ポーランド人、旧植民地の国民が流入した当初は抵抗があった。だが、その期間は15年ほどで、やがて移民は受け入れられる。フランスがうまく移民を吸収するのは、強力な社会統合政策を取ってきたからだ。
 統合の決め手は言語だ。移民が出身国の言語を使える英国や、スペイン語コミュニティーのある米国と違い、フランスでは仏語を話さなければならない。学校教育は仏語で行われ、ほかの言語で意見を表明するのは認められていない。日本でも長期滞在したい移民は日本語を話せるようにならなければならないと思う。
 フランスが仏語教育に力を入れているのは重要な道具でもあるからだ。仏語は世界の2億人の第1言語だ。今後40年間で人口が倍増するアフリカで仏語がハナされ続ければ、2050年には世界の仏語人口は6億人になる。
 今、英語がこれほど重要なのは、インターネットの会員制交流サイト「フェイスブック」や検索エンジン「グーグル」で英語の世界が広がっているからだ。仏語を話す人が増えれば、仏語による遠隔医療・教育が可能になり、仏語のサービス市場も広がる。仏語のサービスが増えれば、もっと仏語が話されるようになるが、反対に、減れば、ますます多くの人が英語に向かう。
 外国人留学生がフランスや日本に着くと、言葉ができないため、家探しで途方に暮れる。どのように入学し、社会保障を受け、図書館を使うのか分からない。彼等を丁重に扱わなければならず、英国や米国はうまく対応している。


 世界で、優秀なサッカー選手の争奪戦が起きているように、優秀な外国人の争奪戦となるだろう。米誌フォーチューンが発表する企業格付け上位500社のうち約半数は外国人が総説した会社だ。活力のある優秀な外国人を引きつけるのは重要で、受け入れの環境を整えなければならない。国外で自国語話者の少ない日本は状況が異なるが、企業経営者には外国人を受け入れている。日本の大企業の経営に携わる外国人にカルロス・ゴーン氏(日産自動車社長)がおり、ティエリー・ポルテ氏(新生銀行元社長)もそうだった。だが、もっと多くの外国人が日本で要職に就くようになる必要がある。
 私は著書「21世紀の歴史」(作品社)で日本の弱点として「日本文化には個人の自由がない」と指摘したが、(横並びを重視する)順応主義がはびこっていることだ。それでは、進取の精神を発揮しなくなる。だが、楽天やユニクロのようなダイナミックな企業は日本の潜在力を示している。日本はバイオテクノロジーやナノテクノロジー、情報技術、海洋科学など「未来のテクノロジー」に力点を置くべきだと思う。【構成・宮川裕章】
    --「時代の風 人口問題と国力=ジャック・アタリ」、『毎日新聞』2012年7月1日(日)付。

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書評:安田浩一『ネットと愛国』(講談社)、『第三文明』2012年8月、第三文明社、92頁。

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書評:安田浩一『ネットと愛国』(講談社)、『第三文明』2012年8月、第三文明社、92頁。

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「憎悪に満ちた集団の闇をえぐる」

 インターネットで排外的な言動を展開する「ネット右翼」と呼ばれる人々が結成した「市民保守団体」の一つが「在特会(在日特権を許さない市民の会)」である。日本版のネオナチともいうべきこの集団は、在日コリアンや外国人へ侮蔑(ぶべつ)の言葉を浴びせ、暴力も辞さない過激な行動でこの数年注目を集めている。本書は、謎に包まれた在特会の実態を、丹念な取材によって明らかにする労作である。
 容赦(ようしゃ)のないヘイトスピーチを繰り返す背景は何か。本書によれば彼らの「世間に対する挑発」は、歪(ゆが)んだ「承認欲求」に由来する。注目を浴びることで「世間に認めてもらいたい」。弱者を排除することで、社会でうまくいかない憂(う)さを晴らしているのである。そもそも彼らの批判には根拠が全くない。事実の実証確認を無視した、妄想じみた被害者意識に過ぎないことを本書は明らかにする。メンバーの一人は「プライベートな場面で、朝鮮人にヒドイことをされた経験はありません」と語っている。
 在特会に「思想」は存在しないし、その活動は「レイシズム」以外の何ものでもない。言葉の暴力をためらいもなく浴びせるが、しかし、彼らは特異な人々ではない。「『フツー』としか形容する以外にない」「あなたの隣人」なのだ。著者の指摘に留意しつつ、評者は哲学者アーレントの「悪の陳腐(ちんぷ)さ」という言葉を想起した。ユダヤ人大量殺戮(さつりく)を指揮したナチの戦争犯罪人の裁判に臨んだ彼女は、被告人が典型的な極悪人ではなく「普通の人々」であることに注目した。「人の良いオッチャンや、優しそうなオバハンや、礼儀正しい若者の心のなかに潜(ひそ)む小さな憎悪が、在特会をつくりあげ、そして育てている」。
 彼らの罵声(ばせい)と苛立(いらだ)ちの気分は別の世界に実在するのではない。「私のなかに、その芽がないとも限らない」。目を背(そむ)けることのできない戦慄(せんりつ)すべきルポルタージュである。
    --拙文、安田浩一『ネットと愛国』(講談社)、『第三文明』2012年8月、第三文明社、92頁。

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覚え書:「つながる:ソーシャルメディアと記者 ネットと新聞の補完関係=高原克行」、『毎日新聞』2012年06月30日(土)付。

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つながる:ソーシャルメディアと記者 ネットと新聞の補完関係=高原克行


 情報の拡散力に優れるソーシャルメディアと、情報の一覧・記録性に優れる新聞の融合。ネットと紙の補完関係の具体化。これが首都圏タブロイド紙「MAINICHI
RT」のミッションだ。
 そこで2年前の創刊から、ネットで読まれたランキング順で掲載記事を選んでいる。記事への意見をツイッターで募り、転載が承諾されたものを載せ続けてもいる。その結果、発行日の前日か2日前のニュースと、それがどう読まれたかが同時に読める新聞になった。
 ただ、融合、補完などと言いながら、紙がネットを一方的に利用している傾向がまだ強い。「ネットを取材源の一つにしただけ」「ネットの拡散力に乗ろうとしているだけ」などと言われても返す言葉がない。外見的な姿は「ネットにすり寄るマスコミ」なのかもしれない。
 ところが先月末、ネット側から紙への働きかけが起きた。「制度を改正するために個人を攻撃する必要はありません!緊急意見広告プロジェクト」である。
 呼びかけ人はツイッターのフォロワーを9000人以上も持つ匿名の個人。人気芸人が母親の生活保護受給で国会議員から批判されたことを契機に制度見直しが始まったという事態に憤り、プロジェクト名と同じコピーを大書した意見広告を全国紙に載せようと、ツイッターで寄付を呼びかけた結果、半月ほどで500万円以上集まったという。有名人がネットを通じて費用を集めた例はあるが、無名人による事例は他に聞かない。
 リアルに会って、新聞を媒体に選んだ理由を尋ねた。「私が団塊ジュニアだからでしょうか、やはり最後に頼れるのは紙じゃないかと」「新聞に載ると『議論の土俵に乗った』感がある」「オールドメディアから認知されたい気持ちもある」「最もよく投票に行くという意味で意思決定をしている層に届くメディアはテレビと新聞」。そんな言葉が次々に飛び出した。そして最後に「社論と違う意見も載せるのが新聞。すごいと思う。やはり新聞は社会的公器です」。この補完関係、さらに深めたい。【RT編集部】
    --「つながる:ソーシャルメディアと記者 ネットと新聞の補完関係=高原克行」、『毎日新聞』2012年06月30日(土)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120630ddm012070165000c.html


http://civilactionjapan.org/

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