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パンとサーカス。ショータイムがナショナル・アイデンティティーへと収斂されていく。うぇ~ィ!

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※twitterの雑感のまとめ。

あ、そろそろオリンピックーー。

たぶん、ぜったいみないと思うが・・・。

パンとサーカス。ショータイムがナショナル・アイデンティティーへと収斂されていく。うぇ~ィ!

加えて、集団熱狂というにゅーるんべるく。

スポーツの場合、勝ち負けが翠点ですから、それが簡単に排他的ななるものへ転じてしまうので、絶対に見ないようにしています。想像の産物に過ぎない「国民国家」がテケトーに容易したアイデンティティーに収斂されない抵抗といいますか(苦笑

ただの変わり者です。

「がんばれニッポン」ですかぁ。3.11以後のキャッチフレーズを背負ってプロパガンダ背負って「えーしー」ってやっていたのは、スポーツ選手と国民的芸能人。彼ら自体を「責める」つもりは毛頭ないけど、これが(古典的な意味での)「権力」の当体ですよ。だから、僕は矜持として一線を引く。

「国民国家ゲーム」というのを分かった上でそれを「楽しむ」のは別に問題ないとは思うんです。しかし無自覚に「おお、日本すげぇ~」って収斂されるのは辛いものがあり、それは○○人が凄いのではなく、その人が凄いというだけなんですよね。

私は、「全体への同化」という易きへの阿りになりかねない性根を内在させていることを自覚しているので、そういう契機だけは、意識的に遠ざけてしまうというアレです。

それが「~にすぎない」という「理解」でないと、自身の生命の内奥から「楽しむ」ということはできないんじゃないのかとも思う。

うわー、うわー、すげぇ~、って気が付いたら排外主義って誘導をさけて楽しむの本道でしょう。これは国内リーグ戦を応援するのでも同じ感です。


「意志の勝利」 http://www.youtube.com/watch?v=GHs2coAzLJ8

「オリンピア」 http://www.youtube.com/watch?v=7TI6yIo-tcc

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