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知恵を愛し、知恵の命ずるところによって生きること

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 南方は、鴨長明を「十二世紀の日本のソロー」と呼んだ。わたしは南方熊楠を、二十世紀の日本のソロー(Henry David Thoreau, 1817-1862)とよびたい。ソローは、わたしがもっとも尊敬する十九世紀アメリカの思想家である。知識の量においては、南方はソローのはるか上をいったであろう。しかし、その思想性においては、南方はソローに匹敵する。
 ソローは、哲学者を、哲学教授から区別して、つぎのようにいった。

 近頃は哲学教授はざらにいるが、哲学者はいなくなった。他人の哲学を教えることも称賛すべきことだ。かつてその人々がその哲学に生きたことをあかしするのは称賛に値するからだ。哲学者であるということは、単に玄妙な思想を持つということではない。学派を創立するということでさえもないのだ。それは、知恵を愛し、知恵の命ずるところによって生きることである。それは、簡素と、独立と、寛容と、信頼の生活を送ることである。それは、理論的にだけでなく、実践的に、いくばくかの生活の問題を解くことである。

 ソローによれば哲学者と哲学教授との区別は、思想家と理論家の区別としておきかえることができる。南方は、論理=演繹主義の理論体系を構築しなかったといういみで、理論家ではなかった。しかし、かれは、粘菌その他の植物の新種をいくつか発見したように、地球上の民俗についての新しい事物を発掘し、これまで関連が知られていなかったようなかけ離れた事物と事物とのあいだに関係のあることを仮説として打ち出した。「事実にもとづく理論」である。
 南方はまた、考えたこと、言明したことを、実践したという意味で、思想家であった。
 ソローと南方との親近性は、つぎの点にある。
 自分の考えを、生活の中で実践したという意味で、二人とも思想家であった。南方が『方丈記』の訳業を終えたのは、イギリスから帰国して、紀州那智の山奥に独居していたときである。那智山の独居が、ソローのウォルデン湖の自然の中の「孤独」に深い共感をよびおこしたと考えられる。
    --鶴見和子『南方熊楠 -地球志向の比較学-』講談社学術文庫、1981年、233-235頁。

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前期だけおせわになっております、千葉の大学での「倫理学」の講座が今日の授業でほぼ完了しました。来週は、最後のまとめを少しだけやって、後半は試験になります……ただ倫理学だの哲学だのという学問は、一片のペーパーテストでそのひとにそのちからがあるのかどうなのかなんてわかりっこないのですが、制度は「試験」を要求しますので、すいませんが、あと少しだけおつきあいくださればと思います。

思索はどこからはじまるのでしょうか。
まさにアリストテレスが指摘したように、それは身近なところに注目することからはじまります。そしてそこで問題を発見し、自分で考えるという考察を通し、それをもういちど自分に投げかえし、自覚へと高めていく。

……と、同時に、結局、ひとりで遂行される作業というものは恣意的にならざるを得ませんから、絶えず社会と歴史に学び、過去の思想家のひとつひとつの言葉と対峙していくほかありません。

その意味では、倫理学を学ぶ、哲学を学ぶということは、図書館のレファレンスのように何か玄妙な思想を頭の中に整理してストックしておくことと同義ではありません。

「知恵を愛し、知恵の命ずるところによって生きることである」。

それは……

「簡素と、独立と、寛容と、信頼の生活を送ることである。それは、理論的にだけでなく、実践的に、いくばくかの生活の問題を解くことである」。

ここですよね。

これを心におきとどめて頂ければ、自分自身で、自分の生活のなかで、思索を深め、てつがくして生きていく、諦めずに挑戦していくことが可能になると思います。

……ってことで私もがんばらないといけないわけですが(大汗


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