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書評:ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』以文社、2007年。

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ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』以文社、2007年。

フーコーの生政治、アーレントの全体主義の交差を系譜学的に理解する試み。

アガンベンは古代ローマの特殊な囚人たちは「ホモ・サケル(homo sacer,聖なる人間)」に注目する。社会的・文化的特性の一切が奪われた彼らを殺しても誰も罪にならない。ただし、生贄にすることは禁じられている。殺害可能かつ犠牲化不可能という二重の契機に晒された生をホモ・サケルと呼ぶ。それはまさに「ただ生きている」だけである。これが「剥き出し」の状態である。

「剥き出しの生」とは「主権権力の外に位置する者」の意味でもある。。こうした生は現代に至るまで存在してきたとアガンベンは指摘する。生政治とは、ギリシアでは人間の生存に配慮する政治のことであるが、ローマでは、ホモ・サケルを設定することで、政治空間を形成した。


「剥き出しの生」は強制収容所のユダヤ人や安楽死を想起すると分かりやすい。社会には法の領域の外、すなわち限界概念として定立する人間が必ず存在し、その線引きは権力により行われる。人類は形をかえながらも「例外状態」(シュミット)を再生産し続けている。

やや難解な一冊ながら、最前線の「生政治」を考察する上では必読でしょうか。フーコーの権力論をさらに充実たらしめるその営為に驚くばかり。幸いに著作の邦訳は多いし、エファ・ゴイレン(岩崎稔、大澤俊朗訳)『アガンベン入門』(岩波書店、2010年)と併せて読むと良いかも知れない。久しぶりに「脳」が刺激を受けた一冊です。

クローチェ、グラシムから、エーコ、ネグリ、ペルニオーラ、そしてアガンベン……。

半島からの刺激が思索を新しく“撃つ”とでも言いますか。おすすめです。

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