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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『モラヴァジーヌの冒険』=ブレーズ・サンドラール著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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今週の本棚:若島正・評 『モラヴァジーヌの冒険』=ブレーズ・サンドラール著
 (河出書房新社・2940円)

 ◇世界に破滅をもたらす“狂人”の物語
 世の中にあまたある小説で、いちばん好きな題名を挙げろと言われたら、わたしは躊躇(ちゅうちょ)せずに『世界の果てにつれてって』を選ぶ。なぜなら、小説というものはそれこそ世界の果てにつれていってくれるものではないか、と思うからだ。この『世界の果てにつれてって』は、作者がブレーズ・サンドラール、そして訳が生田耕作で、東京創元社から出ていた。若い頃、この本になぜか出会ったことがなく、わたしにとっては長いあいだ探索本の一冊になっていたが、あるとき旅行先でふと立ち寄った、誰も客が入っていないさびれた古本屋で、なんと一冊百円で見つけたときには欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したものだ。
 そういう体験を持つ身としては、『世界の果てにつれてって』の作者サンドラールの代表作とも言うべき『モラヴァジーヌの冒険』がほぼ四十年ぶりに復刻新版で出たというのだから、ぜひ買って読まねばという気になった。
 物語そのものは、『世界の果てにつれてって』と同じく、荒唐無稽(こうとうむけい)なものである。主人公のモラヴァジーヌは、「最後のハンガリア王の唯一の正統なる子孫」として未熟児で生まれ、十八歳のときに公女リタの腹をめった斬(ぎ)りにして投獄された。語り手である若い医者は、ありとあらゆる檻(おり)を、監獄を開放して、野獣たちを野に放ち、「思いがけない人間生命の展開」を実地に研究したいという熱情に駆られて、この「腹裂きジャック」こと狂人モラヴァジーヌの脱走に手を貸し、その世界中を駆け巡る冒険に付き添う。
 これが物語の骨組みであり、それがモラヴァジーヌを、そして作者サンドラール(彼は登場人物の一人として出てくるし、「私はいかにして『モラヴァジーヌ』を書いたか」という長い自己弁護のくだりを巻末に付けている)を突き動かすすべてである。小説の結構はあえて無視され、話の展開はほとんど破れかぶれの様相を呈する。
 二〇世紀の初期という世界的な動乱の時代に生きる主人公たちは、革命今たけなわのロシアに赴き、テロリストたちの活動に加わる。さらには、「実利性原則とその無限の応用」が人間の生活や思考から芸術作品までを変えてしまった、アメリカに渡る。無軌道というしかないモラヴァジーヌの軌跡は、世界中を放浪したという作者サンドラールの軌跡を歪(ゆが)んだ鏡のように映しだしている。当時の飛行機熱を反映して、飛行機で世界一周する計画を抱いたモラヴァジーヌは、まだ悩むことを捨て切れない語り手に向かってこう言う。「形而上(けいじじょう)学的不安だの苦悩だのというのには笑わされるよ。……だがなおまえすべてはこれ無秩序なんだぞ。……人間どもの生命、思想、歴史、戦い、発明、商売、芸術すべて無秩序だ。……それをなぜ秩序だてようなどとするんだ。……真理なんてあるもんか。行動しかありゃしない。無数の異なった動機からくる行動だけだ。はかない束(つか)の間の行動だ」
 この小説のおもしろさは、行く先々で破滅をもたらすモラヴァジーヌを読者が追いかけているうちに、世界が彼を動かしているのか、それとも彼が世界を動かしているのかわからなくなっていくところにあるだろう。第一次大戦へと突入していく世界は、いわばモラヴァジーヌの足跡をたどりつつあったのだから。世界を、そして小説という形式を転覆することを無軌道にくわだてたサンドラールが、まだ生きていて、狂人モラヴァジーヌを約百年後の今の世界に放ったとしたら、いったいどんなハチャメチャな物語を書いただろうか、とつい想像したくなる。(伊東守男訳)
    --「今週の本棚:若島正・評 『モラヴァジーヌの冒険』=ブレーズ・サンドラール著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120729ddm015070016000c.html

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