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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『カラマーゾフの妹』=高野史緒・著」、『毎日新聞』2012年08月05日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『カラマーゾフの妹』=高野史緒・著
 (講談社・1575円)

 ◇原作の「謎」、鮮やかに解き尽くす本格推理“続編”
 『カラマーゾフの妹』というタイトルを見て、「えっ、あの<兄弟>に妹なんていたっけ?」と頭の中に疑問符が点滅し始めたら、もう作者の術中におちいったも同然だ。そう、これはロシアの文豪、ドストエフスキーの大長篇『カラマーゾフの兄弟』(以後、字数節約のため『カラ兄』と略称)の続編という形をとった、本格推理小説なのである。第五八回江戸川乱歩賞の栄冠に輝いた作品だが、著者の高野氏はすでにファンタジー・SFの世界で一家をなし、ロシア文化通として知られるプロの書き手である。
 原作に登場する兄弟とは、奔放な情熱と善良さを兼ねそなえた長男ドミートリー、「神がなければすべては許される」と考える冷徹な無神論者イワン、敬虔(けいけん)で純粋な魂を持った三男アレクセイ(愛称アリョーシャ)。さらに、もう一人、下男のスメルジャコフも血がつながっているらしい。事件はこれらの兄弟が父のもとに集まったときに起こる。父が何者かに殺され、彼が若い愛人のために用意した三千ルーブリという大金が盗まれるのだ。さて、その真犯人は?……
 原作の序文を読めばわかるとおり、ドストエフスキーは続編を書くつもりだった。それは小説の本当の主人公アレクセイの十三年後を描くものになるはずだったのだが、著者は一行も書かないまま病没した。はたして『カラ兄』の続編とは、どんなものになる予定だったのだろうか? その疑問が、後世の多くの研究者、愛読者の頭を悩ませることになった。日本ではつい最近も、ロシア文学者、亀山郁夫による『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』(光文社新書)という一つの案が示されたばかりだ。
 高野史緒は、作家としての奔放で豊かな想像力と、当時のロシアの社会情勢や科学技術の発展といった背景の知識を駆使して、新たな解答を導き出した。原作の十三年後、今や内務省で犯罪捜査の専門家として活躍するイワンが帰省し、「カラマーゾフ事件」の真相究明に乗り出すと、また新たな殺人事件が発生し、謎はますます深まっていく--という設定である。高野氏は『カラ兄』の細部におよぶ執拗(しつよう)なまでの緻密な読みに基づいて、原作に埋め込まれていた「手がかり」ないし矛盾を掘り起こしていく。
 三千ルーブリという現金はそもそも実在したのか? 犯罪に使われた凶器はいまどこにあるのか? 父親殺しをそそのかしたのはいったい誰だったのか? 父を殺したのは「あなたじゃない」という、アレクセイのイワンに対する言葉の本当の意味は? 悪魔や大審問官が同居しているように見えるイワンの精神構造はどうなっているのか? イワンの心の奥深くに秘められた幼時のトラウマとは何なのか? アレクセイは、本当に皇帝暗殺をもくろむ革命家集団に身を投ずるのか? そのリーダーはいったい誰か?

 疑問をこのように書き出しただけでも膨大なリストができるが、驚嘆すべきことに、本書はそのすべてに答える鮮やかな謎解きを提示する。新たな真犯人説は、例によって、一番あり得ないような奇想天外なものだが、荒唐無稽(こうとうむけい)な遊びとばかりは言えない。この作品は、原作の深い理解と精読に支えられた豊かな可能世界になっているのだ。これだけでも独立した作品として十分に楽しめるように書かれているが、ドストエフスキーの原作におもむけば読書の快楽は倍加する。難解長大で敬遠されがちな古典の読みどころを、本書は的確に教えてくれるからである。快作に脱帽。
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『カラマーゾフの妹』=高野史緒・著」、『毎日新聞』2012年08月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120805ddm015070017000c.html


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