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2012年8月

とにかく迎合するまえに批判せよ

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 とにかく迎合するまえに批判せよが、簡にして要を得た解答となる。知識人にはどんな場合にも、ふたつの選択肢したかない。すなわち、弱者の側、満足に代弁=表象(レプリゼント)されていない側、忘れ去られたり黙殺された側につくか、あるいは、大きな権力をもつ側につくか。
    --エドワード・W・サイード(大橋洋一訳)『知識人とは何か』平凡社、1995年、61-62頁。

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必要な資料を探すために本棚をひっくり返しているうちに、気が付くと夕方でして……、ほとんど進展のない無益な一日を送ってしまったのですが、学生時代に読んで、非常に啓発を受けた一書も出てきたので、少しだけ抜き書きして紹介しておきます。

『オリエンタリズム』で有名な思想家サイードのBBC講演(6回)をまとめたのが『知識人とは何か』。サイードが望ましいと考える知識人とは、専門知識で重武装したエキスパートではなく、アマチュアですが、このアマチュアというのは、ひとつの分野に呪縛され、何かに集中的に奉仕する専門家ではありません。むしろ各分野を自在に横断できるアマチュアこそ、次代を切り開く開拓者というわけです。

冒頭に紹介した一節は、このちょうど2回目にあたる「国家と伝統から離れて」というところからです。

知識人はどこに立つべきか。サイードによれば「弱者の側、満足に代弁=表象(レプリゼント)されていない側、忘れ去られたり黙殺された側につくか、あるいは、大きな権力をもつ側につくか」という二者択一になります。

いうまでもない選択肢だと思いますが、これがそううまくいかないのが現実だと思います。

わたし自身、別に知識人を気取ろうとは思いませんが、各分野を自在に横断するアマチュアの自認と誇りはあります。

だとすれば、前者の立場に常に立ちたいとは思います。

そして、これだけ情報と知のネットワークが進展した現在の特質を考えれば、丸山眞男が「一国の学問をになう力は--学問に活力を賦与するものは、むしろ学問を職業としない『俗人』の学問活動ではないだろうか」と呟いた通りのリアリティが進行しているのも事実であるとすれば、一部の専門家だけでなく、「俗人」としての一人一人も、どうその知と向かい合い、どこに立脚するのかというのも重要になってくる気がします。

そんなことを15年ぶりに再読したサイードに諭されたような訳ですが、結局は本棚から必要な書籍は見つからず・・・。

さてと……。

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覚え書:「そこが聞きたい 市民支える『アマチュア』感覚=大江健三郎」、『毎日新聞』2012年8月27日(月)付。

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そこが聞きたい 市民支える「アマチュア」=大江健三郎氏

 脱原発を訴える市民活動が規模を広げている。作家の大江健三郎さんは他の作家らと共に、発起人や世話人として脱原発を目指す運動に取り組んでいる。エッセー集「定義集」の刊行を機に、知識人や文学者の社会運動におけるあり方、今伝えたい言葉などについて聞いた。【聞き手・棚部秀行、写真・梅村直承】

文学者の社会運動
  --大江さんは脱原発でもに呼びかけ人として参加しています。デモをはじめとする原発を巡る運動の現状を、どのように見ていますか。
 ◆現実の仕事の場でしっかり仕事をした人たちがリタイアし、「アマチュア」として原発問題について発言しています。僕より少し若い世代、65~75歳くらいの人たち。デモや議論の場には、そういう人たちがたくさん来ておられる。作家の僕も、「アマチュア」として参加しています。専門の仕事をしてきた人が自身の専門を離れ、社会問題を正面から勉強しよう、理解してみようとする。そしてどんどん発言する。お子さんの将来を思って参加しているお母さん方も含めて、日本の市民運動の水準は上がり、しっかりしていると感じます。
 --「アマチュア」とはどのように考えればいいでしょう。
 ◆好きでやっている人、という方の意味ではありません。私の友人の文化評論家、エドワード・サイードが「アマチュアの知識人」という定義をしていました。サイードは「知識人とは何か」(平凡社)のなかで、〈現代の知識人は、アマチュアたるべきである。アマチュアというのは社会のなかで思考し憂慮する人間のことである〉と書いています。専門を離れたアマチュアの知識人が、今後の社会で有力な発言者・働き手になると彼は言います。
 僕は日本の社会に、こういう人は少ないと思っていた。けれど、脱原発の運動では、一番頼りになる存在となっています。金曜日に続いている大きなデモ、小さな集会で、若い人のチューターの役割を果たしています。いいアマチュアとしての知識人が社会に出ていると思います。
 --大江さんは震災、原発事故後に小説の執筆を開始しています。どのような小説になりそうですか。
 ◆私という小説家が、どのような本を読み、家庭の問題も持ち、どんな気持ちでデモに行くかが出発点です。確かに小説だが、同時進行の晩年の記録のようでもある。「晩年様式集」というタイトルで文芸誌に毎月連載しています。人生の最後の今を生きるスタイルを考える、という意味で名付けました。連載は15年ぶりです。

モラル壊した原発
 --先日刊行された「定義集」(朝日新聞出版)について教えてください。2006年から6年間、ご自身がこれまで出合った言葉の数々を書きつづった評論的なエッセー集ですね。
 ◆僕は現実社会でと同じほど、読んできた本によってさまざまなことを発見した人間です。それも独学で勉強してきた人間に何が重要だったかを若い人に伝えたいと思いました。本全体について何かを言うより、そのほんの中から自分が引きつけられ刻みつけられている、一つの、一行の言葉を選ぶ。具体的な本の全体を背景にして、たいてい古典か先生か友人の本ですから、思い出を含めて短く書く。それが人生の全体で学びとった文化の「定義見本帳」なんです。その言葉を発した人物がどのような人であるのか。戦後の新制中学で教わった、民主主義を田舎から上京して勉強してやろうと思った僕が、どんな本を読んだか正直にさらけ出した、卒業リポートのようなものです。自分が教育を受けた言葉を楽しみながら70ほど書いています。
 --源氏物語から魯迅、ドストエフスキー、レビストロース、フラナリー・オコナーらの言葉が体験と共に紹介されています。現在最も大事な「定義」とは何だと考えますか。
 ◆僕の大きい脱原発の集会で、僕は「私らには本質的に大切なモラルがある」と言いました。それは次の世代が生きる社会、世界を壊さないということです。私らの前の長い長い世代は、この地球に今の世代が生き続けることを可能にしてくれた。なによりこれを保たねばなりません。福島第1原発の事故で、そこに住めず作物をつくれぬ地域ができた。次の世代がそれこで生きることを妨害している。政治家や実業家、官僚、そして全市民に、回復させる義務があります。次世代が生きられる世界を残す、生きてゆく自由を妨げない。それが人間のなにより本質的、根本的なモラルです。原発はそれをブッ壊す。それが現代文化を考える上でもっとも重要な定義だと考えます。
 そのことを文学の世界で最もうまく言っているのはミラン・クンデラというチェコスロバキアからフランスに亡命して、もう83歳になる。彼は、自分が考えている本質的に一番大切なモラルを作品して提出するのが、作家の最終の仕事だと言っています。

おおえ・けんざぶろう 愛媛県生まれ。東京大文学部仏文科卒。大学在学中の1958年、「飼育」で芥川賞。94年、ノーベル文学賞受賞。著書に「万延元年のフットボール」など。現在新たな小説を執筆し、戦後民主主義、憲法を根幹に置いた活動を続けている。

エドワード・W・サイード(1935~2003)。エルサレム生まれ。パレスチナ系アメリカ迅。エジプトに亡命しアメリカで学んだ。パレスチナ問題に積極的に発言し、代表作「オリエンタリズム」(78年)では、西洋による東洋の認識方法を批判的に検証。知識人の必要性を説き続けた。
    --「そこが聞きたい 市民支える『アマチュア』感覚=大江健三郎」、『毎日新聞』2012年8月27日(月)付。

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「人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会」の複合汚染

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 近代の知識人はみな「官」を志した。「官」になるべきだと世間にも考えられていた。「官」たりえないものは政客をめざし、または学者になろうとした。それが普通の道だと信じられていたなか、明治二十年頃「官」たるの道を余儀なく、また意図してはずれ、そして政客でも学者でもなく実業家でもないなにものか、一般に社会の埒外にあるものとして見られた文人あるいは言語による表現者となろうとした一群の青年たちが出現した。彼らは「官」にはなり得なかった負いめを感じつづけ、その一方で「官」の道を選ばなかった若年の誇りを思うというアンビバレンスのただなかを生きた。しかし、いまだ未熟な出版業界は、消費化する社会にある彼らの生活を容易には安定させなかった。
 彼らは、一種の反社会的な生きかたと、その結果ゆえに「世間」に差別された。しかし彼らは、技芸を研いて精神の自由を得、また社会的な束縛からも自由であるという点に誇りを持ちつつ、「世間」を差別し返した。そのような構造の中で、明治末から大正におかけて「文壇」は形成され、あるいは形成されざるを得なかったのだが、人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会は、元来防衛的な性格を持っていたから、やがてそれは高じて、外部に対しては閉鎖的、内部においても相互に敵愾的な空気を醸成するようになった。それは同時に明治の文学、ひいては日本近代文学全体に一種の偏狭さと一面的な性格とを与えた。
    --関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』文春文庫、2003年、270頁。

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近代日本において「文学」というものは、「男子一生の仕事」という意識が殆ど無い。立身出世が明治・大正・昭和の社会における「一生の仕事」として目指すべきものであり、「末は博士か大臣か」という言葉それを象徴している。

小説家や詩人として生きていくことは、社会のメインラインとして生きていくべき道ではない。文筆を生業とするものは、多くは、官界から脱落した人間や、故郷、そして家から追放された・逃げたものがほとんどであったといってよい。

いわば立身出世社会の「落伍者」が、社会のあり方や個人の生き方を模索する接点として日本の近代文学は出発したと言ってよい。

さて、模範にした西洋においては、文筆活動というものが日本にくらべると、比較的早くから社会的評価を得ることができていたから、文筆家=落伍者という訳でもない。しかし近代文学そのものが、社会のあり方や個人の生き方を根柢から洞察するものであるから、落伍者を文学の世界から排除することはないし、逆に言えば、文筆に入ってから落伍する人間も存在する。ここに枠組みとしての大きな違いがあるのだろう。

しかしながら、自堕落とは異なる意義において「落伍」するということは、近代文学を背景から支える西洋近代思想が「個人の存在とは何か」を探究したように、その極限の孤独や排除の感覚から、通念や常識を超えた「個」の探究を生き方として文学者たちに模索させることを必然させたという意味では、ここに近代文学の「深み」というものが出てくる。

ぎりぎりまで極限状況に直面し、そして血を吐くように言葉を積み上げていった先達たちの営みは、今日に生きる我々に、哲学や思想とはまたちがう、リアリティのある財産として、洋の東西を問わず、残されることになった。

しかしながら、文壇形成の環境の違い、……そして環境の違い以上に重要なポイントになるのでしょうが……個の自由と自立を疎外することにかけては追随を許さない日本的エートスというものは、日本の近代文学生成に関して、負の遺産を残したのも確かである。

つまり……

「彼らは、一種の反社会的な生きかたと、その結果ゆえに『世間』に差別された。しかし彼らは、技芸を研いて精神の自由を得、また社会的な束縛からも自由であるという点に誇りを持ちつつ、『世間』を差別し返した」。

そしてそのルサンチマンのなかで、「文壇」が形成され、その「外」に対しては「自由の自負」とその裏返しとしての「差別」の臆面もない肯定。その「内」に対しても「敵愾心」を片時も許せない戦々恐々とした生き方を、その社会の特色としてもつことになる。

しかし、この日本の「文壇」の特色というものは、日本の「文壇」に限られたものでもないだろう。そもそも文壇的生き方を排除する「官」という小社会にも、そして文壇が差別する「世間」という有象無象の小社会にも、その特色は今でも見て取れる。

このねじれと歪みの構造は、それが何かを「よくしよう」とする発露に基づくものであったとしても、結局の所は、うまくいかないのではないか。

最近、そういうことをよく感じ、よく考える。

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覚え書:「著者・秋尾沙戸子さん=スウィング・ジャパン(新潮社)」、『毎日新聞』2012年8月26日(日)付。+α

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著者・秋尾沙戸子さん=スウィング・ジャパン
新潮社・1890円

日系ジャズ奏者と占領の時代
 第二次大戦後、占領下の日本に米軍将校として赴任、ジャズを広めたジミー・アラキーー。日系二世として・高校時代を収容所で過ごし、米軍に召集されて両親の祖国と戦い、ジャズの道には進まず、日本文学の研究者となった1人の男性の生き方を通して、戦中戦後の日米関係を読み解いたノンフィクション。
 彼との出会いは、前作『ワシントンハイツ』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞、新潮社刊)の執筆中だった。
 「日系人はひどい目に遭ったと聞かされてきた収容所で、クラリネットやサックスを独学で覚えたと知り、驚きました。それを許す生活、コミュニティーがあったのです」
渡辺貞夫、北村英夫、ジョージ川口、日野皓正ら錚々たる巨人たちを魅了した存在だが、音楽分野で脚光を浴び続けた人ではない。的確な資料が見つからず苦労も多かったという。「当初、本人の肉声が少なくて……。ただ、日本文学を読み込んだ人でもあり、残された文章は、言葉の選び方や伝えたい内容を鋭く言語化できる才能にあふれていて、光を放っています」
 音楽評論家の油井正一さんへの手紙や全米日系人歴史協会ーのアンケートなどアラキの残した言葉を織り混ぜ、肉親や関係者へのインタビューを重ねて才気あふれる人物像を描き出した。
「 米軍にからめとられない頭の良さと芯の強さが、彼にはあった。興味を持ったことは、とことん極めないと気がすまない人だったと思います」
 評伝の中には、歴史を複眼的に眺めたいという覚悟が随所にちりばめられている。
 日系人収容所は占領のシュミレーションの場だったのではないか。日系二世たちは、収容所での生活を移植するかのように「日本のアメリカ化」を推し進めたのでは……。
「スウィング・ジャパン」というタイトルは、こういう問題意識から生まれたようだ。
「アメリカに踊らされ(スウィングさせられ)た日本の戦後。アメリカ的な価値の中にどっぷり漬かり、右肩上がりの経済成長だけを信じてほんわかと生きてきた日本人に対する、ちょっとした皮肉を込めたつもりです」
文・桐山正寿 写真・手塚耕一郎
    --「著者・秋尾沙戸子さん=スウィング・ジャパン(新潮社)」、『毎日新聞』2012年8月26日(日)付。

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スウィング・ジャパン―日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶 [著]秋尾沙戸子
[評者]後藤正治(ノンフィクション作家)

■ジャズと日本文学、才磨いた人生追う
 太平洋戦争の勃発によって、在米日系人は「敵性国人」となり、強制収容所(キャンプ)へ隔離された。その数11万余人。多くは米国で生まれた2世たちで、17歳のジミー・アラキもその一人である。本書は、アラキの起伏に富んだ旅路をたどった人物ノンフィクションである。
 アリゾナ州ヒラリバー。有刺鉄線で囲まれた不毛の地で、日系人は農産物を育て、学校を開いた。ダンス教室もあって、アラキはバンドのメンバーとなる。音楽的才は天賦のもので、母の琴でポップス演奏をやってのけたとある。
 合衆国に忠誠を誓うか--。アラキはイエスと答える。「この国で生まれたアメリカ人だから」。陸軍情報部日本語学校の教官となり、終戦後、連合国翻訳通訳部の一員として来日する。
 夜はジャズメンとなる。あらゆる楽器をこなし、編曲し、レコードを制作した。日本人ミュージシャンたちは、フレンドリーなアラキを「神様」と敬愛した。
 除隊時、軍での評価は「性格」「体力」が優秀、「知識」「任務遂行」は最優秀。エリートへの道が開け、高名な楽団からの誘いもあったが、アラキが選んだのは日本の中世文学を学ぶ道だった。
 カリフォルニア大学バークレー校大学院に在籍しつつ、京大などで学び、信長が舞った「幸若舞(こうわかまい)(敦盛)」を郷土芸能として残す福岡地方も訪れている。「日本人の血には何か不思議な魔力がある」。それは自身のアイデンティティーを探る歩みでもあったろう。
 研究は能、文楽、芭蕉へ、現代文学へと広がる。ハワイ大学教授時代には、川端康成、井上靖らと親交を深め、井上の『天平の甍(いらか)』などの英訳も手がけている。
 著者は、埋もれた資料を掘り起こし、日米各地に足を運んでいる。収容所や敗戦の日々を語れる人は少なくなったが、フットワークの良さで困難をカバーしている。「アラキの目線に沿いながら、北米移民に特化して現代史を複眼的に捉え直す試み」は、その目的を十分達成している。
 日系2世の奮闘では、ハワイの志願兵たちによる「442歩兵連隊」を想起する。欧州戦線でドイツ軍と戦い、米陸軍最強とまでうたわれた。自らの血によって〈祖国〉への忠誠を明かした。本書によって収容所世代のもうひとつの航跡を知る思いがする。
 ジミー・アラキとは何者だったのか。日系2世で、ジミーと離婚しつつも最期を看取(みと)ったジャネット夫人の「ロマンチスト」という言葉が印象的だ。時代が、彼をジャズと日本文学へと導いた。選択を促したのはロマン的な資質であろう。才は磨かれ、〈二つの祖国〉に恩恵をもたらした。源はともにアリゾナの砂漠に発している。
    ◇
 新潮社・1890円/あきお・さとこ 名古屋市生まれ。テレビキャスターを経てノンフィクション作家に。ジョージタウン大学大学院外交研究フェローとして米国に滞在したのを機に占領研究を始める。『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』など。
    --「スウィング・ジャパン―日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶 [著]秋尾沙戸子 [評者]後藤正治(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2012年08月12日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012081200005.html


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スウィング・ジャパン 秋尾沙戸子著  古典研究とジャズの二刀流
(新潮社・1800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

 ジェームズ・T・アラキは、日系アメリカ人の古典研究者として、知られている。室町時代に成立した幸若舞をおいかけたことで、名をはせた。私じしん、百合若大臣説話の成立にせまった論文を、おもしろく読んだことがある。まあ、したがえはしなかったが。
 井上靖の文学作品を、英語に翻訳していったのも、この人であった。井上にノーベル文学賞の可能性がささやかれたのも、その下ざさえがあったからである。
 敗戦直後のジャズシーンをふりかえる読みものは、しばしばジミー荒木に言及する。ビ・バップの奏法を日本人におしえてくれたのは、ジミーさんだ、と。渡辺貞夫やジョージ川口らが、そんな証言をのこしている。
 そのジミー荒木と古典学者のジェームズ・T・アラキは、同一人物であった。私はこの本でその事実を知り、衝撃をうけている。また、幾何学の課題で、あざやかな補助線をしめされた時のような爽快感も、いだいた。
 日米戦争期に、アメリカの日系人たちは、強制収容を余儀なくされている。その収容所は、しかしかがやかしい人材をそだててもいた。そこに複雑な感慨をおぼえる。(風俗史家 井上章一)
    --「スウィング・ジャパン 秋尾沙戸子著  古典研究とジャズの二刀流」、『日本経済新聞』夕刊、2012年8月15日(水)付。

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http://www.nikkei.com/article/DGXDZO44975170U2A810C1NNK001/

http://www.shinchosha.co.jp/book/437003/


http://www.youtube.com/watch?v=325u1TbKvKw

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「自分と反対の考え方に対する理解力、それによって自分自身の考え方を練っていく」積極的アマノジャク

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 つまり、福沢のシンパシーは明らかにミルの『自由論』にあるわけです。けれども、ミルの『自由論』と反対の立場からの説を述べようと思ったら、いつでも述べられる。これもつまり役割交換です。自分と反対の考え方に対する理解力、それによって自分自身の考え方を練っていくということです。さっき言った惑溺、自家中毒に対する一つの処方にもなるわけです。
 こういうふうに考えてきますと、さっき言いました通り、惑溺からの解放という立場に立つならば、自分ないし自分の所属するコミュニティ(これは村であろうと、団体であろうと、国家であろうと、なんでもいい、自分が所属するコミュニティ)において蔓延している思考とか、感情とか、行動の傾向、その自然の傾向性というのは特別に強調する必要はないということです。放っておいても、なんとなくみんながそういう考えになるわけです。周囲とイメージを共有していますから、だいたいそういう方向になる。
 もし、伝統ということが、これまでの思考の習慣ということだけだったら、それはとくに強調しなくてもいいことになる。放っておいても自ずからそうなるわけですから。むしろ、それに寄りかかるほうが安易になる。そういう態度からは異質的なものと積極的に接触するファイトは生まれてこない。むしろ自家中毒が起こりやすい。つまり惑溺が起こりやすい。思い込みによるナルシシズムがそこから生まれる。
 そうでなくて、逆に自分のなかに、あるいは自分の属している集団のなかに、見出せないか、あるいは不足している思考法ないし価値、それを強調しなければいけない。独立、インデペンデンスということを言おうと思ったら、自ずからそういうことになります。
    --丸山眞男「福沢諭吉の人と思想」、松沢弘陽編『福沢諭吉の哲学 他六篇』岩波文庫、2001年、198-199頁。

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丸山眞男は、「アマノジャク」と評されることが多いのですが、これは本人が認めているフシもあるのですが、大いなる誤解でもあるかと思います。

アマノジャクとは、「人の言うことやすることにわざと逆らうひねくれ者」とか「つむじまがり」の意味です。

確かに「人の言うことやすること」に対して終生をかけて、「それは、果たして妥当するのかどうか」確認する人間であったという意味では、丸山眞男は、「素直」ではなく「ひねくれ者」だったかもしれません。

しかし「わざと逆らう」、「批判するために批判する」という意味でのそれではありませんので、そこに関しては慎重になるべきでしょう。

丸山は東大助手に就任するや否や、本来はヨーロッパ政治思想史の研究が希望でしたが、時節柄、南原繁の指導で、日本政治思想史の研究に従事するようになります。そこで取り組む課題のひとりが、福沢諭吉です。

思えば、福沢諭吉にも丸山に見られるような「アマノジャク」評がありますが、丸山は福沢諭吉と格闘することで、その柔軟な知性、何かに惑溺しない生き方、自家中毒を避ける術というのを学び、「アマノジャク」になっていく。

しかし、先に言及したとおりそれは単なる「ひねくれ者」の謂いではなく、精確にいえば「自分と反対の考え方に対する理解力、それによって自分自身の考え方を練っていく」という方向性のことです。そして、丸山は、同調同圧がひとつの沸点に達した「総動員社会」という戦中において、その重要性を学び、血肉化していった。

人間は本来複数のアイデンティティに交差して生きております。しかし時と場合によって、一点を強調してその自存を保つことがあるのですが、一点を無自覚に強調してしまうと、それはアマルティア・センのいう「想像力」の欠如した暴力にもなってしまう。

その意味では、丸山の「逆に自分のなかに、あるいは自分の属している集団のなかに、見出せないか、あるいは不足している思考法ないし価値、それを強調しなければいけない」流儀、言葉をかえれば、積極的な「アマノジャク」的確認が、今日ほど必要な時代はないのかも知れませんね。

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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『帝国主義日本の対外戦略』=石井寛治・著」、『毎日新聞』2012年08月26日(日)付。

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今週の本棚:加藤陽子・評 『帝国主義日本の対外戦略』=石井寛治・著
 (名古屋大学出版会・5880円)

 ◇経済人はなぜ満州事変を阻止できなかったのか
 日本の真珠湾攻撃を知ったその日、南原繁は「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」と詠った。無謀な戦いであり、先に待っているのは敗北だけと思われるのに、戦いが始められてしまった衝撃を詠んだものだ。政治哲学者・南原が、歌のなかで、学識とともに挙げた言葉が「人間の常識」だった点に、目を奪われる。
 いっぽう、産業革命期の日本資本主義の全体像と特質を描くことにかけて、右に出る者がいないと言われる本書の著者・石井寛治。1997年の著作『日本の産業革命』のなかで石井は、近現代史を帝国主義史として批判的に描くことを「自虐的」だとして排する史観の流行を批判し、こう述べていた。いわく、「世間の常識」を完全に無視するわけにはいかないが、研究者たるものは、常識=体制への批判精神を欠いてはならない、と。
 人間の常識に敬意を払いつつ、世間の常識を批判する--。片や政治学、片や経済史学、時代と専門領域を異にする二人の碩学(せきがく)が、混迷をきわめる世の中を生きる私たちに示してくれた精神を、こうまとめることは許されるだろう。本書を通読しているあいだ、この言葉がエールのように、私の胸のうちに響いていた。
 本書は、幕末維新の動乱期から1937年の盧溝橋事件勃発まで対象を長くとり、近代日本のブルジョアジーが、自己の経済活動をどう正当化し、どう位置づけていたかを、その行動を支えたエートスをも含めて分析したものである。
 題名に「対外戦略」とあるように、日本のブルジョアジーが、なぜ満州事変を阻止できなかったのかにつき、説得的な答えを導くべく書かれた。東大大学院で長く教鞭(きょうべん)をとって退いた後、北京大学歴史学部などで講義を行った著者は、軍部主導の、経済的には非合理な路線に、なぜ経済人が絡め取られていったのかについて、学生を十分納得させられるだけの研究が、肝心な部分で空白だということに気づき、ならば、ということで研究をスタートさせたという。
 19世紀末の日本が、外資の侵入に対抗しながら、資本主義を確立させえた背景は何なのか。ここから著者の問いは始まる。朝鮮半島を縦断する鉄道は、戦略上のみならず、経済上も重要だった。日朝間の米穀と綿布の貿易の死命を制したのは鉄道だったが、この鉄道敷設に関し、静岡・愛媛・三重など、農村県の中小商人や地主たちが積極的に民間からの資本輸出に応じていたとの、地方の豊かな実態が、まずは明らかにされる。
 その上で著者は、日清・日露二つの戦争を契機に日本が、朝鮮や満州(中国東北部)に確保した鉄道利権という、直接投資の意味に注目した。1920年代には、日本から中国へ向けた直接投資としては、満州への満鉄投資と上海への在華紡(内外綿などの紡績会社)投資の2大潮流があった。1931年の満州事変は、満鉄と在華紡、どちらの利害を選択するかを政府に迫る事件に他ならなかった。
 経済合理的には、在華紡の利益が追求されるべきだったが、そうはならない。その経緯がすこぶる興味深い。大阪における在華紡の会議と、上海における日本商工会議所の会議、この二つの会議体が対中方針を決議するにあたり、大阪でも上海でも、最も業績を悪化させていた企業の会頭が最も強硬な対中策を述べたて、在華紡の路線を自ら葬ったのである。これと似たような話が、現在の日本の経済団体のなかで、起きていやしないか。ヒヤリとさせられた。
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『帝国主義日本の対外戦略』=石井寛治・著」、『毎日新聞』2012年08月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120826ddm015070022000c.html


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研究ノート:吉野作造と聖書

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 私は吉野先生と言われて思い出す聖書の句がある。先生が別にこの句を愛しておられた訳でもないのですが、私は吉野先生って思うと思い出す聖書の句がある。これはヨハネ伝五章の四四節なんです。「互いに誉を受けて唯一の神よりの誉を求めぬ汝らは、いかで信ずることを得んや。」口語訳は、「互いに誉を受けながら、ただ一人の神からの誉を求めようとしないあなた方は、どうして信ずることができようか。」所謂共同訳によりますと、「人間からの誉は受け入れあうのに、唯一の神からの誉は求めようとしない君たちは、どうして信ずることができようか。」とこうなっております。それから今ひとつは、コリント後書十二章の二節に「君はキリストにある一人の人を知る」という句がございます。私は吉野先生を思い出すと、どういう訳かこういう句を思い浮かべます。というのは、吉野先生は決して人の誉を受けなかった人であります。「栄光神にあれというのは決してクリスマスの天の使いの歌った牧歌ではありません。これは私にとってのひとつの信仰であります」と私におっしゃったことがある。栄光はすべて神に帰す、帰したい、これは先生のお心でありました。さて、我々の会員でありました故木村久一先輩が吉野先生について、「先生は善意の人であった。春風駘蕩の如き人格であられた。己を空しうして他のために尽すとは先生のことであった。要するに先生は偉大なるデモクラットであった。」と言っておられます。もっと詳しく申しますと、「来たって求むる者には、先生は何人も問わずできるだけの尽力を惜しまれなかった。げに己を空しうしてほかのために尽すとは先生のことであった」と書いておられます。それから、東大で憲法を長く教えた宮沢俊義教授が高木八尺先生のことを書いたものの中にこういうことを書いている。「他人に対してはどこまでも寛容、しかし自己に対してはあくまでも厳正というと、私は吉野作造先生を思うのである。」私もそう思います。
堀豊彦:1924(大正十三)年法学部卒、元台北、九州、東京各帝大教授、元東大YMCA理事長。
    --堀豊彦「吉野作造先生と私 座談会記事(会報第七十二号より)」、『吉野作造先生 五十周年記念会記録』東京大学学生基督教青年会、1983年3月、26-27頁。


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吉野作造自身、広範に発表した文章のなかで、クリスチャンでありながらも、聖書の一句が出てくることがほとんどありません。これは彼自身がおのれの振る舞いにおいて「キリスト教のために」なることに対して禁欲的であったことに由来すると推察されます。

しかし、「生き方」をもって垂範したことは否定できない事実です。

うえの文章は吉野の謦咳に接した門下生の証言ですが、ちょうどその思い出と聖書の一句も出てきておりますのでひとつご紹介しておきます。


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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『私の昭和史・完結篇 上・下』=中村稔」、『毎日新聞』2012年08月26日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『私の昭和史・完結篇 上・下』=中村稔・著
 (青土社・各2520円)

 ◇甘え、独善を拒んだ潔癖な倫理の記録
 「昭和三十六年一月二十日、マルキ・ド・サド『悪徳の栄え・続??ジュリエットの遍歴』を出版したことが、猥褻(わいせつ)文書販売同所持罪にあたるとして訳者の澁澤龍彦、出版社現代思潮社の代表である石井恭二の両氏が起訴された」が冒頭の一節。著者は詩人として著名だが、弁護士でもあり、サド裁判に被告を弁護する立場で加わったのである。
 この昭和三十六年から、平成に改元される昭和六十四年までの二十八年を、あくまでも個人的な記録として描いたのが本書。「完結篇」とある通り、先に『私の昭和史』(戦前篇)、『私の昭和史・戦後篇』上下が刊行されている。著者は昭和二年生まれ。文字通り昭和の全体を描き切ったことになる。
 本書も上下合わせて八百頁(ページ)を超す大作だが、引用すべきは最後の一節。著者は昭和天皇に戦争責任があることを明記し、にもかかわらずそれが「戦前においてすでに天皇は軍部、官僚、重臣等の実権者を制御する権力を失っていた」からであるとしたうえで、「そういう意味で昭和天皇は気の毒な方であった。むしろ現行憲法における象徴天皇制により、天皇が、権力をもたなくても、権威をもち、人間的に敬愛される存在となったのではないか」と述べ、さらに次のように結んでいる。
 「昭和は戦前、戦中、戦後とつうじて動乱の時代であった。私たちの未来に何が待ちうけているか。私は東ヨーロッパ諸国の社会体制が大きく揺らいでいることを知っていた。世界の金融システムが危機に向かっているのではないかと感じていた。私たちが何処へ行くとしても、未来はたぶん暗く、波瀾(はらん)にみちているであろうと予感しながら、私は昭和の終焉(しゅうえん)を迎えたのであった。」
 記述されているのは昭和末年の著者の心情。それからはや二十四年。逆に四半世紀以前の眼で今日を遠望している気分になる。歴史こそ文学なのだ。過去を現在のように、現在を過去のように眺める視線のその転換の仕組みにこそ文学の秘密が隠されているからだ。この一節はそのまま詩になっているのである。
 戦前篇、戦後篇を読まなくとも、完結篇だけでも十分に面白いのは、詩人かつ弁護士でもある著者の面目がもっとも躍如としているのがこの時期だから。弁護士としての著者の専門は特許法。日本企業が海外へ進出する一九六〇年代以降、必須となった領域である。たとえばソニー株式会社の成長を著者は顧問弁護士として直(じか)に体験している。しかも、守秘義務に抵触しないかぎり、すべてありのまま語られている。
 特許と同じように、著作権もまた知的財産権のひとつだが、著者は、かなり早い段階で日本文芸家協会、日本近代文学館の理事職に就き、その観点から文学の推移を見守ることになった。これが生かされるのも六〇年代以降。
 詩人かつ弁護士である立場を著者が選んだのは、戦前の詩人や小説家の多くが社会人として自立していないことへの苛立(いらだ)ちがあったから。この潔癖が、六〇年代以降においてはむしろ学生運動、組合運動、ジャーナリズムに対して発揮される。甘えや独善に対して著者の眼はきわめて厳しい。学生運動の場合には文部省や大学当局、組合運動の場合には運輸省や国鉄などに対していっそう厳しい。官僚も甘えているのだ。
 たとえばサド裁判において「表現の自由」を守ろうとする弁護団に対して澁澤自身が異論を唱えたことを著者は記している。法そのもの、裁判そのものを認めないという立場だからだ。遠藤周作が「澁澤さん、いっそ刑務所へ行ってしまった方が貴方(あなた)の立場は首尾一貫するんじゃないの」と忠告したというが、同じ矛盾は「大学解体」を叫ぶ大学生にも、利用者を無視してスト権ストをする国鉄労働者にも指摘できる。にもかかわらず、文部省も運輸省もこの矛盾を暴きもせず、ひたすら支離滅裂な強権を振りかざした。ジャーナリズムも同じ。ただ感情に流れた。戦前と少しも変わらなかったのだ。
 批判はアメリカとイスラエルに対してもっとも苛烈だ。羽田空港を拡張できなかった理由、すなわち成田闘争の原因が米軍横田基地の存在にあったとは知らなかった。不明を恥じるが、明言しなかった日本政府こそもっと恥じるべきだろう。
 本書の最大の特長はしかし、法の基底を支えるものとしての倫理が、最終的には人格の問題に収斂(しゅうれん)することを具体的に示したことにある。人は人格として敬意を持たれる存在になるべきなのであり、倫理は人格として形成され維持されるべきものなのだ。サンデルの正義論などより本書のほうがはるかに深く説得力がある。
 中村稔は愛想をいわない詩人だ。お世辞をいわない。頭脳明晰(めいせき)、感性豊かだが、群れることをしない。だが、友人、とりわけ高校の級友に対する友情の厚さには驚くべきものがある。友情の背後にはおそらく、何よりもまず自分自身に対してお世辞をいわない中村稔の人格がある。それがときおり巧まぬユーモアとなって笑いを誘う。相当な分量だが、最後まで一気に読ませる理由だ。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『私の昭和史・完結篇 上・下』=中村稔」、『毎日新聞』2012年08月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120826ddm015070030000c.html


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強制こそ、人からの愛や尊敬を得られなくしてしまう手段だということに、そろそろ支配者たちは気づくべきです

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問題の本質は何なのか
 --そういう意味では、強制への異議中立には意味があると思いますか。
 「予防訴訟の原告の中には、いろんな反対論の人がいますが、かつての侵略戦争の象徴だったからとか、キリスト者として受け入れられないというのは分かりやすい。中に、「君が代」が大好きで率先して歌っていたけれど、それを強制して、抵抗したら処分ということになるのは許せないと、原告になった先生がいました。私の思想・良心の自由と同じように、あなたの思想。良心の自由も守るよというのが民主主義であり、その反対のことがあってはならない。この人は、そう考えたんです。私は、これが大事だと思う。だから、「日の丸・君が代」のいい/悪いの話にしてはいけない。それは問題の本質じゃないんです。
 「日の丸・君が代」がそんなにイヤなら代案を出せ、別の国旗・国歌を提案したらいいじゃないかという意見があります。『歌わせたい男たち』の中で、不起立の先生に言わせましたが、たとえ国民主権を高らかに謳う国歌ができたとしても、それを学校で押しつけて、「君が代」好きで民主主義の歌は歌いたくないという先生を処分するのなら、今と何も変わりません。ここを混同しないためにも、「日の丸・君が代」の是非とは別に、強制をもっと問題にしなくてはいけないと思いますね。夫のスーツを見上げてラブソングを歌うことを義務づけられた妻は、夫への自発的な愛情からどんどん遠のいていくでしょう。強制こそ、人からの愛や尊敬を得られなくしてしまう手段だということに、そろそろ支配者たちは気づくべきです。
    --田中伸尚『ルポ 良心と義務 --「日の丸・君が代」に抗う人びと』岩波新書、2012年、226頁。

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冒頭の引用は、良心を「義務」の名目の元に踏みにじっていく話題のルポルタージュの末尾付け加えられた、永井愛さんのインタビューです。

永井さんは、7年前に、このコメディを仕掛けた永井さんは、「歌わせたい男たち」で、日本の教育現場を笑い飛ばした。強制の問題をどう捉えるか。短文ながら本質をついていると思う。

正味の話、「いい/悪い」の二分法を越えて、自覚しなければならない「構え」というものは存在すると思う。そのひとつが、「強制」の問題であることは議論の余地のないことだろう。

「日の丸」「君が代」が糞だという話は、歴史的経緯として筋が通る。しかしながら、それを……たとえば……廃棄した後、新しくなにがしかが制定された時代において、その新しい国歌なり国旗が強制されてしまうと糞だし、それは、国歌や国旗だけの問題ではないと思う。

付言すれば、だからといって、日本の歴史における罪性をスルーしていいというわけではありませんので念のため。真正面からその枠組みを問い直す議論においては、ダブルバインドを自覚する必要は不可欠ですが、この国の精神風土は、それ以前の問題として、何か機会があるたび、そんな「罪性なんてなかったのよん」って嘯きますから、永井さんが指摘するように、それはそれとしながらも、僕自身としては、簡単に「エポケー」はできないとは思う。その一連の省察を無し終えてからの議論というのが精確な消息でしょう。

さて、戻ります。

だから、私たちが気に掛けなければならないことは、「それはネェ、みんながやっているンだから、やったほうがイイ訳ヨ」式のソフトな同調同圧には敏感になった方がいいと思う。


もうねぇ、みんなで赤信号渡ったら、みんな車にひかれてしまいますよ。

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覚え書:「今週の本棚:『災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異』=畑中彰宏著」、『毎日新聞』2012年08月26日(日)付。

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 日本人の信仰や神社についての入門書を上梓しているライター兼編集者が、昨年刊の『柳田国男と今和次郎』に続いて、柳田の残した文章から河童や天狗などの妖怪が生まれた背景を読み解いた。病から身を守るために生み出された習俗、災害を後世に伝えるための伝承を取り上げ、それがどのようにして他地域へ広がり変化したのかを検証する。
 地震や津波、水害といった自然災害、飢饉、疫病の流行--。自分たちの力ではどうにもならない現象を神の怒りやたたりととらえ、それを鎮めるために供物を奉納したり、村々で独自の風習が生まれたことはよく知られている。この本を読むと、戦前の時点では、多くの日本人は「神の怒り」を謙虚に受け止め、自然への畏怖を抱いていたことが分かる。
 ある集落が禁忌を犯したため洪水が起きた、というような伝説も紹介されている。柳田は昭和初期、すでにこうした伝説が忘れ去られていることを危惧していた。東日本大震災後、津波被害を伝える石碑や言い伝えが注目を集めた。どこに暮らしていても、その土地の伝承に込められた意味を知ることがいかに大切か、気づかせてくれる。(さ)。
    --「今週の本棚:『災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異』=畑中彰宏著」、『毎日新聞』2012年08月26日(日)付。

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「近代国家の重心は、「情念としての国家」から「機能としての国家」へとシフトを移しつつある」わけですが、この国では……

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 近代国家は、みな国民国家である。個々人の人権も、国民国家としてのまとまりによって初めて支えられる。私たちは、法に守られることを捨てて無国籍人としての生を選ぶのでないかぎり、今のところこの枠をはみ出すわけにいかない。ところでこのまとまり、つまり、ナショナル・アイデンティティそのものは、何によって維持されているのだろうか。
 これは大ざっぱに言って、二つの側面が考えられる。一つは、人種、民族、宗教、言語、生活地域などの伝統的な共通性をよりどころにしたまとまりである。この側面は、個々人が同じ国家の住民であるということを情緒的に確信させ、その相互の親近性によって心的な安定を作り出す基盤となっているから、「情念としての国家」と呼ぶことができる。
 もう一つは、法体系、政治権力機構、教育組織、通貨の同一性(と他国との差異性)などの人為的、後天的な枠組みによるまとまりが考えられる。この側面は、国家そのものの仕組みが具体的・合理的に機能する基盤を形作るから、「機能としての国家」と呼ぶことができるだろう。近代国民国家は、この二つの側面が相乗的に作用することによって、その実質が営まれ、個体の時間的空間的な限界を超えた連続性を維持してきたと言ってよい。
 さて、私たちの近代国家の住人が立ち会っている現状として注視しなくてはならないのは、このナショナル・アイデンティティを支える車の両輪のうち、前者の「情念としての国家」の側面がさまざまな理由によって根拠を希薄化させてきているという事実である。近代国家の重心は、「情念としての国家」から「機能としての国家」へとシフトを移しつつある。この流れは不可避的かつ不可逆的であって、良い面と悪い面との両面を持っている。
 よい面とは、国家が国民の生活を抑圧することが少なくなり、個人がかなりの程度まで自由に欲望を追求でき、狭量で排外的な国民意識が減圧されて国境を超えた拾い交流が可能となり、しかも国家間の不合理で致命的な衝突の可能性が少くなりつつあることである。また悪い面とは、個人どうしの間で規範感覚が薄れ、生きる目的意識が揺らぎ、社会的人格、社会的役割の存立が危うくなり、私的利害の無統制がはびこり、教育などの文化伝統が機能しにくくなるなどの点である。
 繰り返すが、この「私」的なものの拡張、個人主義意識の浸透の流れは押しとどめがたいと観念すべきである。私たちの意識の中で、公共性の感覚を支えていた古い共同性の絆は役に立たなくなっていく。しかし、悪い面がはびこるのをほうっておくわけにもいかないので、新しい公共性を立ち上げる必要や、新しい倫理のあり方を模索する必要が出てきているわけである。
 その場合、個体を超えた歴史の連続性としての「国家」的な共同性を、「私」的な生活意識の中にどう位置づけるかが問われる。今述べてきたような考えに沿うならば、それはナショナルな情念の逓減を補完すべく、「機能としての国家」の側面をいかにうまく再構成し、個人にとって抑圧的でなく、社会の平安が保たれ、戦争の危険も少なくできるようなシステムを維持していくかという課題に答えることであるだろう。
    --小浜逸郎『なぜ人を殺してはいけないのか 新しい倫理学のために』洋泉社、2000年、226-228頁。

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フランス革命以降、それまでの封建的な連合から「機能としての国家」という現代世界の基本単位となる「国民国家」が誕生する。

もちろん、そこでは新しい「紐帯」が要求されることにもなるが、小浜さんの指摘の通り、そこでは、同一性のシステムの享受(と服従)に準拠するか、それとも伝統的な共通性に準拠するかというパターンがその大部分を占めることになる。

誕生の経緯から概観すれば、革命後のフランスがそうであり、そう模索したように、それはやはりどうしても「機能としての国家」という「仮象」を「仮象」として受容するのが、その筋になるのだろうけれども、プレスナーが指摘する通り、その後の「遅れてきた国民」たちというのは、後者、すなわち「伝統的な共通性」に準拠することに力点をおいていることが多い。

もちろん、この両者をすぱっと割り切ることは現実には不可能だから、その相乗効果によりひとつのまとまりが形成されるけれども、そこで形成されるものというのは、結局の所、どこまでいっても「人為的、後天的な枠組み」に「過ぎない」。

まさに政治的に創造される「人為的、後天的な枠組み」に「過ぎない」から、それを例えば日本的エートスといいますか、情念として表現すれば「お上」として後生大事にするものでもないし、問題あれば漸進的に改革していけばすむだけだ。結局、仮寓にすぎないということを失念してしまうとろくなことにはならない。

そして誕生の経緯からそうであったように、そして社会システム論の合理性からもそうであるように、現実には「近代国家の重心は、『情念としての国家』から『機能としての国家』へとシフトを移しつつ」あるのが現実であろう。

しかしながら、このところのニュースを耳にすると、どうやら、この国では、せっかく築きあげた「機能としての国家」から「情念としての国家」へリソースを集中しようとしている。

そこに重点を置きすぎると、仮寓にすぎないものどうしのあつまりというトータルな世界においては、うまくいくパターンもないし、他者から敬意をうけることもないと思うンだけど、とほほのほぃ。

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覚え書:「みんなの広場:読書が大好き、お薦めは物語」、『毎日新聞』2012年8月2日(土)付。

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みんなの広場
読書が大好き、お薦めは物語
中学生 13(埼玉県狭山市)

 私の一番好きなことは読書です。電車の中で、家で、学校で。いつも持ち歩いている本は、私にとっての必需品です。
 特に読むのが、電車での移動時間中です。何もすることがないこのような時間の方が、読書には向いているのかもしれません。
 私は、本を読むことの最大の魅力は、自分以外のさまざまな人の気持ちになって物語の世界に浸ることができることだと思います。そう思っている私のお薦めは、やはり物語です。
 また、本をたくさん読んでいれば、友達と感想を言い合ったりして話題にすることもできるかもしれません。そんな小さな、ささいなことが普段の生活をちょっぴり楽しく、明るく色づけてくれるのではないでしょうか。
 読書をして、普段より充実した生活、そして普段より新しい自分にしてみませんか。
    --「みんなの広場:読書が大好き、お薦めは物語」、『毎日新聞』2012年8月2日(土)付。

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書評:塩川伸明『民族とネイション  ナショナリズムという難問』岩波新書、2008年。

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 ナショナリズムは極度に多様な現象である。それは他のさまざまな政治イデオロギーと自在に結合する。リベラリズムと結合することもあれば、反リベラリズムの色彩を濃くすることもある(近年の動向としては、リベラリズムに敵対する傾向が目立ち、ナショナリズムはそもそもリベラリズムと相容れないとみなされることが多いが、歴史的には、むしろリベラリズムと手を携えて登場した)。
    --塩川伸明『民族とネイション  ナショナリズムという難問』岩波新書、2008年、20頁。

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新書サイズながら国民国家とナショナリズムの歴史と現状についての優れた、そして、視野の広い入門書が本書である。「民族とネイション」に関する概念を整理した上で、国民国家の誕生から現在までの歴史を概観する。筆者は万能薬を夢想するより、紛争を抑える一つ一つ努力が大切と指摘している。ここは興味深い。一見すると対処療法のように見えるが、結局の所、イデオロギー対立は理論の先鋭化は声なき声を後に置いていくことが必然とすれば、そうした積み重ねを無視することは出来ないであろう。

さて、ナショナリズムに関する一般化された理論は、考察における作業仮説としては必須の前提となる。しかし著者は、どの理論に対しても一定の留保というか距離を置いている。ゆえに「良いナショナリズム」と「悪いナショナリズム」との二分法があるが、どの立場にも懐疑的である。特に前者は、実際のところ後者を偽装するための議論として流通する現状を踏まえると、「留保する」という姿勢は大事となろう。

ナショナリズムを巡る議論には、大きな対立や論争がつきまとう。しかし著者は論争の整理を重視しない。論者がモデルとする国民国家の実体に違いがあるからだ。ゆえに本書では各地域の国民国家形成のあり方の「実態」を重視する。これはロシア専門家ならではのユニークなアプローチである。

扱う地域は、筆者の専門とする旧ソ連地域にとどまらず、生誕の地・欧州からアジア、南北アメリカと幅広いのも本書の特徴である。ナショナリズムと国民国家の重層性を理解できる。歴史的な実態から出発し、理論を再検討した優れた一冊です。

大学生を中心に是非、若い人に読んで欲しい。


↓ 岩波書店によるmoreinfo。

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0811/sin_k439.html


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覚え書:「ドキュメンタリー映画:『報道写真家 福島菊次郎 90歳』 銀座、新宿で上映中」、『毎日新聞』2012年08月24日(金)付(東京版)。

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ドキュメンタリー映画:「報道写真家 福島菊次郎 90歳」 銀座、新宿で上映中 90歳以上ならば鑑賞料90円 /東京

 ◇権力の嘘を追い、昨秋福島県を訪ねるまで
 反骨の写真家として知られる福島菊次郎さん(91)=山口県柳井市=の軌跡をたどるドキュメンタリー映画が、中央区銀座4の「銀座シネパトス」と新宿区新宿3の「K’s cinema(ケイズシネマ)」で上映されている。
 タイトルは「ニッポンの嘘(うそ) 報道写真家 福島菊次郎90歳」。激動の時代を生き抜いた同世代の人々に敬意を払い、90歳以上は90円で鑑賞できる特別サービスを実施している。
 召集で広島の部隊に配属され、1945年8月1日、米軍上陸に備えて宮崎県に移動した。「わずかの差で原爆の被爆を免れた」という。カメラ店を営みながら被爆者の実相を撮り続け、報道写真家として本格的に活動するのは40歳を過ぎてから。自衛隊と兵器産業、三里塚闘争、山口県の祝島での原発反対運動など反権力の姿勢を貫きながら被写体と向き合った。
 映画はテレビのドキュメンタリー番組を手がけてきたディレクターの長谷川三郎さん(42)が初監督した。「権力の嘘を追及し続けた人物に興味を持った」といい、3年前から撮影を始めた。子どもや孫がいるが、いまは犬と暮らす。そうした日常に密着し、福島さんの作品と本人の語りから戦後の日本が浮き彫りになる。東京電力福島第1原発事故の被災地、福島県南相馬市や飯舘村を訪ねた昨秋までの姿を追った。
 「僕はただのカメラマン。一生懸命仕事をするのは当たり前。権力に切り込む写真家が育ってほしい」と福島さんは語る。
 問い合わせはビターズ・エンド(03・3462・0345)へ。【明珍美紀】
    --「ドキュメンタリー映画:『報道写真家 福島菊次郎 90歳』 銀座、新宿で上映中」、『毎日新聞』2012年08月24日(金)付(東京版)。

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http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20120824ddlk13040245000c.html


http://bitters.co.jp/nipponnouso/


http://www.youtube.com/watch?v=3MklEqq-qqY


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同じような番組のどのタレントも似たような動作をする。別に悪い、といっているのではないが、やっぱり、おかしくてニヤッとしてしまう。

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 戦争中や戦後の、あのたまらない空腹時代に生きた私などには、グルメ流行の昨今が夢のようだ。
 仕事場にちかい原宿を歩いていると、若者たちがさまざまな服装をして集まっているが、彼等をみると私などは「ああ、この世代はひもじいということを知らないのだ」とすぐ考える。
 本屋には「東京うまいもの店」とか「食べあるきの本」という本が何冊もならんでいる。
 何でもいい、食べられるものなら雑草まで食べようとしたあの時代には、いつかこんな本がでるとは思いもしなかった。
 テレビをみる。タレントさんがあちこちのおいしい料理を食味して、紹介するという番組がいくつかある。
 おもしろいのは、そういう画面でタレントさんのほとんどが同じ動作をすることだ。
まず、一口、口に入れて、一寸、考えこみ、そして「うん」といかにもおいしそうに強くうなずく。これが一人だけではない。同じような番組のどのタレントも似たような動作をする。別に悪い、といっているのではないが、やっぱり、おかしくてニヤッとしてしまう。皆さんも気をつけてみてごらんなさい。
    --遠藤周作「信長や秀吉の料理」、『変わるものと変わらぬもの』文春文庫、1993年、32-33頁。

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電車のなかで読んでいて思わず吹き出した一節なので紹介しておきます。
※午前中の山手線内です(涙

今から20年以上前の指摘なわけですが、この「同じような番組のどのタレントも似たような動作をする。別に悪い、といっているのではないが、やっぱり、おかしくてニヤッとしてしまう」っていうのは、料理番組だけに限られた問題ではないですよねぇ。

テレビはほとんどみないのですが、なんといいますか、テレビという「マス・メディア」のいいかげんさをちょっとした数行ですが表現できる遠藤周作先生に拍手です。

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覚え書:「だいあろ~ぐ:東京彩人記 『特撮博物館』副館長の映画監督・樋口真嗣さん」、『毎日新聞』2012年08月22日(水)付(東京版)。

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だいあろ~ぐ:東京彩人記 「特撮博物館」副館長の映画監督・樋口真嗣さん /東京


 ◇「日本独自」に目を向けて
 「特撮博物館」副館長の映画監督 樋口真嗣さん(46)

 都現代美術館(江東区三好4)で10月8日まで開催中の企画展「特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」が好評だ。アニメ「エヴァンゲリオン」シリーズなどで有名な庵野秀明さんを「館長」に招き、ウルトラマンをはじめとする戦後日本の特撮の系譜をたどるという、美術館としては異例の試みだ。「副館長」を務める映画監督の樋口真嗣さん(46)に、企画の狙いや見どころを聞いた。

 --「特撮」に焦点を当てた企画展のきっかけは?
 ミニチュアを使った特撮の映画やテレビシリーズは、70年代の石油ショックや物価高でコストが上がり、作りづらくなりました。その頃に米国でコンピューターグラフィックス(CG)を駆使したSF映画「スター・ウォーズ」(77年)が誕生し、日本の作り方は古いと思われ始めたんです。CG一色の中で特撮技術は過去の遺物として追いやられましたが、それらを本当に捨て去っていいのか。日本独自のモノづくりの方法の一つに改めて目を向けてもらおうと思ったのが、今回の展示です。
 中は撮影所内にあった特撮美術倉庫を再現しました。駆け出しの頃、薄暗い中に置いてある怪獣のパーツや、都電や蒸気機関車のミニチュアに見とれ、戻るのが遅れて上司に怒られていたのを思い出します。

 --何十年も前に撮影現場で使われたミニチュアを集めるのは大変だったのでは?
 運のいいものだけが残っていましたが、多くはボロボロ。部品しか残っていなかったり、飛行機型の羽根がもげていたり……。特殊メークの技術者が図面を参考にしながら、まず木型を作り、ブリキを当ててたたいていくという昔ながらの方法で再現しました。

 --今回の目玉に、樋口さんが監督した特撮のみの短編映画「巨神兵東京に現わる」の上映があります。巨神兵は本当に生きているような動きでした。
 特撮のキャラクターデザインは、操作するために人が中に入れることが前提になっています。でも宮崎駿監督のアニメ「風の谷のナウシカ」に登場した巨神兵のプロポーションは、細身で人間が絶対に入れない。人が入る形に変えると巨神兵ではなくなってしまうので、文楽人形のように外から人が操る方法にしたんです。

 --樋口さんが特撮に初めて関わったのは?
 84年、久しぶりに製作された映画「ゴジラ」です。この新作は内容が徹底的に秘密にされ「世紀の瞬間に立ち会わなくてどうする」と思ってアルバイトとして潜り込みました。この時についていたのが、ゴジラの着ぐるみを着脱させる仕事だったことです。自然と監督、撮影、照明とスタッフが主役のゴジラに集まってくる。当然、私も傍らにいて、映画作りの真ん中にい続けたんです。

 --子供たちにメッセージをお願いします。
 ここにあるものは、みんな誰かが作ったものです。手を動かし、汚して、何かを作るということの作る楽しさを知ってほしい。まだ眠っている作品もあるので、期間限定ではなく、いずれ常設展示ができるようになるといいですね。<聞き手/社会部・柳澤一男記者>

 ◇記者の一言
 街の風景について興味深い話を聞いた。昔、街頭看板のミニチュアを作るのに、チラシを切り貼りしていたアルバイトに「こんな看板はない。本物は店の名前が出っ張っていたり、ネオンで飾られている」と怒ったそうだ。
 だが今は、実物がそういう看板ばかり。「街全体が薄っぺらくなったと感じる」と樋口さんは嘆く。これも元気がない日本の一コマかもしれない。高度成長期に全盛を誇った特撮に触れ、モノづくりの魅力を感じる少年少女が増えてくれればと願う。

 ◇ 人物略歴 ひぐち・しんじ 1965年、新宿区生まれ。高校卒業後に映画界入りし、95年からの「ガメラ」平成シリーズなどで特撮監督を務めた。「ローレライ」(05年)、「日本沈没」(06年)などを監督し、最新作の「のぼうの城」(犬童一心監督との共同作品)は11月公開予定。
    --「だいあろ~ぐ:東京彩人記 『特撮博物館』副館長の映画監督・樋口真嗣さん」、『毎日新聞』2012年08月22日(水)付(東京版)。

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http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20120822ddlk13040271000c.html


http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/137/

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書評:宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて 朝鮮女性と植民地主義』有志舎、2009年。

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数少ない女子学生の前で、「女に学歴は必要ない」などと無神経に言ってのける在日朝鮮人男性群にうんざりし、当時一世を風靡したウーマン・リブの思想に心惹かれながらも、その頃の私はなぜか日本の女性たちに同一化することはできなかった。
 多くの歳月が流れた後に、その理由を考えて見るのだが、それはやはり私個人の行く手を遮るのは民族差別であり、日本社会の在日朝鮮人への無知と偏見への失望からだったろう。
 当時私が知り合った日本人女性の持つ枠組みは、日本という国民国家を前提とし、もっぱらその中で性差別を問うものであった。彼女たちは職場での性差別を問題にし、経済的自立を説き、セクシュアリティの平等を叫んでいたが、私たち在日朝鮮人は特別な例外を除いて、男女ともに日本の企業に就職することすら不可能に近く、経済的自立など夢のまた夢だった。
    --宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて―朝鮮女性と植民地主義』有志舎、2009年、8-9頁。

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宋連玉『脱帝国のフェミニズムを求めて―朝鮮女性と植民地主義』有志舎、読了。「植民地主義を克服するために如何なるフェミニズムが有効なのか」という視座から、日本による植民地支配の時期の女性解放運動を担った女性10人余りを登場させて、その生きざまを検討する一冊。

筆者は欧米や日本など「第一世界」において展開されたフェミニズム論は、「第三世界」には当てはまらないという。第一世界フェミは、植民地主義を見落としたまま主張されている。だからこそ植民地主義と性差別という複合的抑圧下の女性に注目する。

事例をあげつつ、肝は次の点だろう。性差別の解放に重点を置くと、ナショナリズムを等閑視し、日本帝国の支配を認めてしまうことになる。そして逆に、植民地主義への抵抗としての「ナショナリズム」に重点を置くと、良妻賢母主義に回収されてしまう。

加えて独立後もその残影を背負うことになる。基本的に韓国は植民地期の良妻賢母主義を、そして朝鮮民主主義人民共和国でも同じモデルを「社会主義的良妻賢母主義」として踏襲される。韓国でフェミニズム論が本格化するのは80年代を待たねばならない。

日本統治下の朝鮮の女性の戦いの歴史は殆ど知らなかったから昂奮しながらページをめくった。著者が従軍慰安婦の女性や、済州島4・3事件を経験した女性の証言も収められている。

さて本書では、課題の「脱帝国のフェミニズム」とは何か、どこに措定するのかは明確に示されていない。この筆者の苦悩をどう受け止めるのかが読者の課題か。彼女の言葉に耳を傾けたい。

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La Pensée sauvage:植民地支配は文明化なんだから感謝しろってドヤ顔に涙

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さて、わが主題に話を戻すとして、自分の習慣にはないものを、野蛮と呼ぶならば別だけれど、わたしが聞いたところでは、新大陸の住民たちには、野蛮で、未開なところはなにもないように思う。どうも本当のところ、われわれは、自分たちが住んでいる国での、考え方や習慣をめぐる実例とか観念以外には、真理や理念の基準を持ちあわせていないらしい。あちらの土地にも、完全な宗教があり、完全な政治があり、あらゆることがらについての、完璧で申し分のない習慣が存在するのだ。彼らは野生であるが、それは、自然がおのずと、その通常の進み具合によって生み出した果実を、われわれが野生と呼ぶのと同じ意味合いで、野生なのである。本当ならば、われわれが人為によって変質させ、ごくあたりまえの秩序から逸脱させてしまったものこそ、むしろ野蛮と呼んでしかるべきではないか。前者のなかには、本当のものが、もっとも有用で自然な美徳や特性が、生き生きと、力強く存在しているのに、われわれときたら、後者のうちで、それらの質をおとしめて、われわれの堕落した好みのほうに合わせてしまったのだ。
    --ミシェル・ド・モンテーニュ(宮下志朗訳)『エセー』2巻、白水社、2007年、64頁。

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※twitterの古いまとめの再掲ですいません。

ちょっと調べものして関連する事項まで調べていたら頭に来たので少し連投します。

要するに「植民地支配とは、文明化“してやった”!んだからガタガタいうな」という議論をいまだに根拠あるものと信じて疑わぬお花畑が多すぎて涙だったという話です。

野蛮・文明の対立構造の問題性は、思想の世界では、はるか昔に議論がつきているのにこれをまだまだ信じて疑わぬとは驚いてしまう。

1920年代の朝鮮半島の風俗を調べることがあって村山智順の記録を確認していたら、驚いた。

http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/mura/
※その足跡とは、総督府嘱託として、同地の在来の宗教観、風水、慣行、あそびを記録したわけで、詳しくは、村山智順『朝鮮場市の研究』(国書刊行会、1999年)を繙けば確認できます。


村山の調査に、植民地主義の眼差しは明瞭に伺うことができるし、今日の視点からその営みへのイデオロギー批判を加えるのは間違ってはいない。しかし、それは「ただそれだけ」のことで、そこから何かが生まれてくるわけではない。手法は民俗学か社会学がはっきりしないが、調査・記録としては精度が高い。
※私自身は、イデオロギー批判が目的で村山調査を振り返っているわけではないし、関心は、村山と同時代に中国・朝鮮論を論じた吉野作造にあるから村山批評は後日の課題。だから村山論および吉野論も横に措く。

だけど、問題なのは、村山の記録写真を流用して牽強付会の議論をしている人間が多いことに少し驚愕した。

村山は、民俗学的領域からアプローチすれば記録として貴重であり当時の宗教・民族文化を確認するうえでは必須の資料となる(だから植民地主義なわけだけど)。しかし、その写真…例えば、病気を避けるまじない等々…を「日本人が科学・医療の眼差しで駆逐した! すげぇだろう」とドヤ顔で「文明化」を讃えるお花畑が多いことに驚いてしまう。

当時流通していた「まじない」をはじめとする民俗慣習を「劣悪」として斥け、科学文明の矛として最新医療を導入して「あげた」日本はエライ、感謝されてナンボ…という議論です。

文明とは何か、文化とは何か。還元不可能な固有性、そしてそれにもかからず人間としての普遍性の眼差しを欠い議論ですよ。

正直、あたまをかかえてしまった。19世紀の視座じゃないですかw
そしてインフラ整備によって虚偽を正当化してしまう政治デマゴギーまでコンボドライブ搭載という寸法。

未開/文明という対立構造の不毛さは厭と言うほど議論されているし、その暴力性はくどくど申し立てるまでもない。しかし「医療を導入して未開を駆逐した」って言い切る感性には驚いてしまう。仮にそうだとしても、植民地主義を肯定することは不可能だし、欧米と違うというのもザレゴトにすぎない。

そして加えるならば、自然科学(というよりも技術)にのみ根拠を置く文明なるものが人間を充全に幸福へと導くのかといえばどうでしょうか?

この点も省察は必要だし(だからといってその脊髄反射として「自然へ帰れ」もだめだけど)、まじないを駆逐することが「より善」であるとするならば、アナタはどうよって問うて欲しい。

俗に日本は無宗教を標榜する人間が多数であるにもかかわらず俗信・まじない・占いダイスキーという精神風土。明日のことを雑誌の最後の頁(占いなんかがだいたいある)で判断してるって方がパーセンテージとしては多いわけでしょ。

だとすればねぇ、言い方悪いですが人のこといえた義理じゃないんですよw
※わたしゃ、すぴりちゅあるやらナニやらでぇーっきらいですが、これは制度宗教のていたらくもあるわけで……ってこれはまた別項にて論じます。

「いや、おれはそんなゲン担ぎもしない」唯物主義者だといいきるのであれば、得たいの知れない日本リスペクトには直結しないし、科学「主義者」として振る舞って欲しい。そして加えるならば、その科学というものも、アインシュタイン以降のそれに更新してから見直してほしい。

ほんと、痴れ者が多すぎる。自称愛国者が異なる他者を傷つけるのみならず、返す刀で大好きな日本そのものまで傷ものにしているやないけ!

主義主張することは自由だろうけど、論理的に成立しない、その暴力性・問題性を自覚しないザレゴトは、指摘ではなく「犯罪」にすぎないと思う。

正直「無自覚」は罪だとしても「無知」は致し方ないかと思うてきたが、犯罪レベルの「無知」があまりに多すぎることに僕は絶望しています。

文明化してやったぞ、ゴルァ、感謝しろボケって発想は、La Pensée sauvage 以前なんだよ。

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覚え書:「今週の本棚:『寅さんとイエス』=米田彰男著」、『毎日新聞』2012年08月19日(日)付。

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寅さんとイエス
米田彰男著(筑摩選書・1785円)

神父である著者が最も気にかかるイエスと寅さん。その共通点はユーモアの塊であることだと言う。寅さんについてはよくわかるが、イエスをユーモアたっぷりのフーテンだと言われると戸惑う。しかし、「男はつらいよ」四十八作と聖書との詳細な比較が、常識をはみ出し、故郷を捨てたイエスを立派なフーテンに見せてくれる。罪人や遊女と会食するなど当時の常識をはずれていたイエスだが、食事を共にした人は明るく楽しい気分になっただろうという。寅さんもイエスも他者への温かい思いやりから常識を逸脱するのだ。イエスはまた、神とナザレという故郷を離れているが、寅さんにとっての柴又の団子屋にあたる場所としての神にアッバ(父さん)と呼びかけ甘える。
ユーモアとは人間関係における不要な緊迫を和らげ、社会の矛盾を指摘するやんわりした表現であり、寅さんもイエスも比喩と喩えがうまい。共にユーモアがあったからこそ絶望した人が寄ってきたのである。現実を冷徹に見据え、時代が盲目的にのめりこんでいる誤った価値観をユーモアに包んで、人間性のか回復に生涯をかけた寅さんとイエス。改めて聖書を読んでみようと思う。(桂)
    --「今週の本棚:『寅さんとイエス』=米田彰男著」、『毎日新聞』2012年08月19日(日)付。

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Philosophy and Theology ask the question of being. But they ask it from different perspectives.

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Philosophy and Theology ask the question of being. But they ask it from different perspectives. Philosophy deals with the structure of being in itself; theology deals with the meaning og being for us. From this difference convergent and divergent trends emerge in the relation of theology and philosophy.
    --Paul Tillich,Systematic Theology,Vol-1,University of Chicago Press,1951,pp.22.

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1886年の8月20日。
一日遅れましたが、偉大なる神学者ティリッヒの誕生日。

今日は、生誕を祝いつつしっぽりと呑ませて頂こうかと思います。

バルトの一本気の迫力に押されて、ティリッヒの自由闊達さは、融通無碍の感で「いまひとつ」の印象で受容されている感がありますが、そんなことは決してありません。

赤裸々に時代を駆け抜け、バルトとアプローチは違いますが、世界的な事件、そして思想的問題を、自身の問題として格闘した先達としては、バルト以上のものがあると思います。


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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『それをお金で買いますか』=マイケル・サンデル著」、『毎日新聞』2012年08月19日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『それをお金で買いますか』=マイケル・サンデル著
 (早川書房・2200円)

 ◇驚くべき「市場化」の実態を暴く
 一昨年の夏、フォークの岡林信康のコンサートに行った時、曲の合間に岡林がこんなことを言った。「僕ら若い頃は『渋公(渋谷公会堂)』っていえば憧れたけどねぇ。それがいまやC.C.Lemonホール。力が入らんで……」。公会堂の命名権を渋谷区は市場化し、期間限定で売却していたのだ(現在は期限切れで「渋谷公会堂」に戻った)。市場化の波が公共ホールの名前にまで押し寄せているのだ。

 本書はこうした市場化が近年のアメリカを覆い尽くす様を暴き、考察している。それがアメリカだけの問題でないことは、大阪の文化の象徴とも言われる中之島図書館を廃止し、別の事業で活用するという府知事案が報じられた件でも明らかだろう。「あそこで事業をしたいという公募事業者はものすごい数がいるはずだ」というわけだ。

 これには抗議が殺到したといい、岡林のみならず市場化には違和感が寄せられているのだが、不思議なことに市場化を是とする傾向そのものは止まらない。リーマン・ショックでは世界中で納税者負担による救済措置が施されたというのに、政府への攻撃と市場の導入を唱えるアメリカのティーパーティー運動や日本の橋下ブームが勢いを増している。これはいったいどういうことか。
 ハーバード大学での「正義論」講義で一躍有名になった著者は、本書でも驚くべき事例を列挙する。ひとつは、「行列への割り込み」。金を払えば高速道路の速い側の車線に割り込める「レクサスレーン」や当日予約で治療を受けられる「コンシェルジュドクター」で、これらはダフ屋や代理の並び屋に類する問題事例である。

 二つが、報酬を与えて促す「インセンティブ」。二酸化炭素の排出権、クロサイを撃つ権利、果ては子どもの読書にも報酬を与えることで、環境やクロサイの生存数、学習時間を改善する試みである。

 三つが生命保険。生保に疑問を持つ人は少なかろうが、死後に受け取る支払いを投資家に売却し、生前に当人が受け取って余生に充てる「バイアティカル」はどうだろう? ここで投資家は「早い死の訪れ」を期待しているが、不謹慎ではないか。また今年死ぬ有名人を当てる「デスプール」なる賭けは? そして最後が「命名権」。いまや公会堂のみならずパトカーやトイレ、身体、あげくに「額(ひたい)」までも広告に貸し出されている。
 著者はこの止めがたい「市場化」の波が経済学の思考習慣に由来するとみなして、反論する。経済学は、「市場化」によって財をどれだけ欲しいか金銭で表明され大きい順に採用されると、そうでない場合よりも社会的に効用が増すと主張する。欲しくないプレゼントよりもお金をあげた方がマシ、というわけだ。だが支払い能力に差があれば、好きでもない商品が富者に買われている可能性がある(「公正」にもとづく批判)。

 さらに著者が重視するのが、市場化のもたらす「腐敗」だ。人々の公共心が金銭勘定に置き換えられてしまうのだ。献血に報酬を与えると利他心が弱められ、血液提供量は減ってしまう逆効果がみられるという。

 評者としては、行楽地に林立する看板が気になって仕方がない。商業広告から離れて自然を眺めるという人権への侵害かと思えるからだ。似ているのが、小説家が作中で「ブルガリ」の宝飾品に最低12回言及する依頼を受けたというイギリスの例だろうか。イギリスでは読書を冒瀆(ぼうとく)するとして、書評に取り上げないなど対抗措置がとられた。本欄は、どんな方針で対処するのだろうか。(鬼澤忍訳)
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『それをお金で買いますか』=マイケル・サンデル著」、『毎日新聞』2012年08月19日(日)付。

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覚え書にコメンタリー残すのもナニですが、twitterでも少し言及したので私自身への覚え書として少し残しておきます。

サンデルの日本における不幸は、受容も「ブーム」であり、批判も「ブーム」(とその手法)に対するものというところでしょうか。

特に二者択一的議論に躓きを覚える方は周りにも多いのですが、サンデルの演出というのは、聖賢の思索に耳を傾けつつ今を考えるひとつのヒントにすぎないし、単なる思考実験であるということ。

その意味では、TV『白熱教室』や『これからの「正義」の話をしよう』、近著『それをお金で買いますか』(共に早川書房)にイチャモンをつけるよりも、コミュニタリアンとしての政治哲学に対して向かっていくべきかと思う。

リベラリズムにしてもコミュニタリアニズムにしても、アメリカの公共哲学の基本とは、特定のドグマにひとを当てはめていく古いやり方ではなく、コミュニティ創出の過程で、それを協同しながら措定していくものだから。

その意味では、『リベラリズムと正義の限界』(勁草書房)、『民主政の不満――公共哲学を求めるアメリカ 手続き的共和国の憲法』(勁草書房)、……このあたりはがしがし読んでからという気がするのですが……詮無いことか。

別にサンデル主義者ではありませんが、どうもその政治哲学における批判というのはあまり見ないから(涙

http://mainichi.jp/feature/news/20120819ddm015070003000c.html

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日本の国家的独立という事もまた福沢にとっては、条件的な命題であることを看過してはならない

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ヨーロッパ文明論と並ぶもう一方のテーゼとしての日本の国家的独立という事もまた福沢にとっては、条件的な命題であることを看過してはならない。国の独立が目的で文明は手段だと福沢がいうとき、それはどこまでも当時の歴史的状況によって既定せられた当面の目標を出でないのであって、一般的抽象的に、文明はつねに国家的存立乃至発展のための手段的価値しかなく、国家を離れて独自の存在意義は持たぬという立場を取ったのでは決してない。かえって福沢は「文明」が本質的に国家を超出する世界性を持っていることについて注意を怠らなかった。さればこそ、上の命題を掲げたすぐ後に、「人間智徳の極度に至ては其期する所、固より高遠にして、一国独立等の細事に介々たる可らず」といい、「此議論は今の世界の有様を察して今の日本のためを謀り、今の日本の急に応じて説き出したるものなれば、固より永遠微妙の奥薀に非ず。学者遽に之を見て文明の本旨を誤解し、之を軽蔑視して其字義の面目を辱しむる勿れ」(概略、巻之六)と繰返し念を押しているのである。
    --丸山眞男「福沢諭吉の哲学」、松沢弘陽編『福沢諭吉の哲学 他六篇』岩波文庫、2001年、79頁。
※ 初出『国家学会雑誌』第六一巻第三号、1947年9月。

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本来、国民国家への帰属意識というのは、それが創造されたフランス革命後の欧州世界をみれば分かるとおり、実体ではなく、仮象にしかすぎないものであることは私が指摘するまでもない。

しかし、国民国家操業に関して「遅れてきた国民」(プレスナー)というものは、それを実体として意識的に利用するフシがあり、このところのニュースを聞くたびにうんざりとしてしまう。

日本で国民国家が創造されるのはいうまでもなく御一新以降のことになる。そしてその論壇を民間の立場でリードしたのが福沢諭吉であろう。

そのため、ポストなんちゃらの立場からすれば、福沢を批判的に「乗り越える」必要があるとの指摘も出てくる。たしかに福沢の限界は多々存在することは否定しない。

ネーション・ステートを創造することに福沢が心血を注いだことは紛れもない事実である。しかし、そこに心血を注ぐ以上に、福沢はそれを相対化することにもエネルギーを注いでいることも否定しがたい事実であると思う。

だからこそ、欧州に範をたれてことよしとするのでも、守旧的なアプローチでよしとするのでもない福沢自身の「文明論」というのが出てくるのだと思う。

そしてそれを甦らせていくのが、戦中~戦後期に、福沢諭吉を自認した丸山眞男なんだろうと思う。

市民というエートスは、土や血に準拠したものでもなければ、うすっぺらい根無し草のコスモポリタンでもない。前者のイデオロギー性を認知しつつ、どこかにあると「想定」される普遍「主義」でもない、人間の人品(ディーセンシー)にそれは位置するものだと思う。

このところ、野暮な連中が多くてねぇ~。

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覚え書:「みんなの広場 67年前の天気予報」、『毎日新聞』2012年8月19日(日)付。

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みんなの広場
67年前の天気予報
無職 86(静岡市葵区)

 戦中にはラジオの天気予報の放送がなくなっていたが、敗戦後、ある日突然に「今日から天気予報を復活します」と言った。この時、「ああ平和が戻ったんだな」と、しみじみと思った。
 「昭和家庭史年表」によれば、太平洋戦争開戦後はラジオが第1放送だけで、第2放送と気象通報(天気予報)は中止。気象通報の復活は敗戦の年8月21日である。私(旧制高校生)はその日にそれを聞いていたことになる。
 戦中、日本の気象の状況を公表しなくなったのは国防上の必然ではあったが、その再開のアナウンスが、あれほどにも「平和の再開」に直結していたのかと思うと、67年後の今、実に感慨深いものがある。
 私は東京と神奈川で一度ずつ空襲を受け、何とか生き残ったが、戦後、青空を見上げて生きる喜びを味わった思いが忘れられない。
    --「みんなの広場 67年前の天気予報」、『毎日新聞』2012年8月19日(日)付。

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男はしばしばひとりになりたいと思う、

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 男はしばしばひとりになりたいと思う、女もひとりになりたいと思う、そしてその二人が愛しあっているときは、そういう思いをたがいに嫉妬するものだ。
    --ヘミングウェイ(谷口孝男訳)『武器よさらば』(下)岩波文庫、1959年、116頁。

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先週「妻が子供を実家に連れて戻った」と書くと誤解を招きそうですが、要するにお盆休みにて、「帰省」していたわけですが、どうやら東京へ戻ってきたようでして・・・

これにて、わたしの気ままな独り暮らしもクローズ。

クローズというのはクローズであってそれ以上でも以下でもなく、twitterのつぶやきなんかをながめてますと、、、

「おれの夏休みがオワッタ」

……という、それが多く、、、

ああ、みんなそんなものなんだよね!

……と安堵しつつ、

要するに月末締め切りの40枚弱の論文が終わっていないことに恐怖しつつ、

ああ、

「おれの夏休みはまだ来ていない」

……っていうのが実際のところですかねー(涙


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旨いもの・酒巡礼記:東京都・八王子市編「立ち飲み居酒屋座らず屋 おや!福幸」

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訪問してからだいぶたちますが、「立ち飲み居酒屋座らず屋 おや!福幸」を紹介しておきます。

京王八王子駅前のいわゆる「立ち飲みやさん」で、先月利用させていただきました。

だいぶ前から気にはなっていたところですが、角ハイボールの黄色い看板が目印です。

こじんまりとした店内ですが、職人さんたちの活気もよく、まずは「生ビール」をお願いして、串焼きも盛り合わせ。

5本で450円と大変リーズナブルですが、でてくるのは、いわゆる静岡風!
※単品は確か1本100円だったかと思います。

味付けした刻み葱がこれでもかという感じにてんこ盛りで、その薬味のおかげで、鶏肉のうまみがひきたつこと、ひきたつこと。

店主さんによると、このネギドカは賛否両論があるそうですが、私はわりと好きですねー。

450円とは思えぬ味わいに舌鼓を打ちつつ、名物の「角ハイボール」をオーダー。

通常サイズですと、なんと190円!!!

まあ、私はよく飲みますので、倍のサイズの350円のデカい奴でお願いした次第。

それから串揚げを頼みましたが、これも焼きたてならぬ、揚げたて!!!

単品でシシトウ、うずらの卵ですが、これも合格点!

こちらも5本セットで450円ですから、そちらにすればよかったと思った次第です。

それから、懐かしいハムかつをあげてもらいましたが、こちらはおもしろいことに、通常だと一枚ハムであげるのが定石ですが、こちらはいわゆる薄切りロースハムを四枚そのまま揚げており、歯ごたえが珍しく、おいしく頂戴しました。

軽く、ちょっといっぱいを丁寧に飲むにはすてきなお店、というのがファーストインプレッション。

財布にも優しいのがうれしいですね。もちろんお通しもありません。

また、寄せていただこうと思います。

■ 立ち飲み居酒屋 座らず屋 おや!福幸
東京都八王子市明神町2丁目27-6 文秀ビル 1F
営業時間 16:30~00:00 LO23:30
定休日 日曜
http://gourmet.suntory.co.jp/shop/0X00111005/index.html

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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『谷川健一全集 第七巻 沖縄三』=谷川健一・著」、『毎日新聞』2012年08月12日(日)付。

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今週の本棚:持田叙子・評 『谷川健一全集 第七巻 沖縄三』=谷川健一・著
 (冨山房インターナショナル・6825円)

 ◇掘りあてた「海の民族」のこころの歴史
 このたび、『白鳥伝説』や『青銅の神の足跡』『魔の系譜』『常世(とこよ)論』『日本の地名』などの著作で知られる一九二一年生れの民俗学者、谷川健一の全集全二十四巻の刊行が完結に近づいた。論考篇はすべて刊行され、残るは雑纂(ざっさん)と総索引よりなる二巻のみ。それを銘じ、この民俗学者の特色をよく表わす最新刊−−『渚(なぎさ)の思想』を中心に、『甦(よみがえ)る海上の道・日本と琉球』「太陽の洞窟」「雨を呑(の)むもの」「海神の贈り物」「束(つか)の間(ま)の島」「風に生きる」などの諸篇をおさめる第七巻の南島論を、ごいっしょにぜひ開いておきたい。

 全篇を通じ、柳田国男と折口信夫の名がよく出てくる。それもそのはず、フィリピン沖に発して北上し、日本列島をはさみ打ちするように太平洋と日本海側の多くの海岸を洗う黒潮の動向に注目し、それこそが南方より種々の動植物ひいてはモノや文化をもたらし、日本文化の基層を形成したとする谷川の<黒潮の民俗学>には、柳田と折口が先駆的に特徴的に唱えた、日本民族海上移動説が、そしてその説にもとづく古代地図が大きく関わる。
 柳田と折口はその学問のはじめより、日本民族は南方から稲をたずさえて海上を北へと航行し、この列島を見いだして次々棲(す)みついた移住民であると考えていた。つまり日本人とはもともと海洋民であり、ながく海をさすらい旅した畏怖(いふ)とあこがれの記憶こそ、民族のこころの歴史の起源に横たわる、ゆたかな情操の泉であると看破した。

 ダイナミックである。私たちの内奥にねむる遺伝子としての海洋性を深く掘りあて、それまで重視されてきた内陸の歴史に対し、海流のただ中に位置する群島としての日本が当然もう一つ持つ、海との関わりの歴史を樹立した。海が創造する文化と信仰に注目した。

 列島の自然条件を考えれば、しごく合理的な思考だけれど、文字記録の証拠が希少。ゆえに渡来説は彼らの壮大な仮説、幻夢に近いものとして、放置されてきた傾向がある。このダイナミズムと詩的感性を谷川健一はまさしく受けつぎ、海の民俗学を生産的に展開する。
 とりわけ柳田の晩年の学問的蜃気楼(しんきろう)とされる大著『海上の道』の構想を引き受け、沖縄本島および先島諸島を日本人の祖の早くに棲みついた一つの原郷と目し、一九七〇年代よりさかんに南島を旅した。海から来る神を拝する巫女(みこ)に会い、海流をよく知る漁師の話に耳かたむけ、海べりの断崖に太陽信仰の聖地を探し、岩につかまって洞窟に這(は)い上がった。体を張った長年の調査により、黒潮の数種のルートが日本本土と南島、朝鮮半島、中国大陸とを融通無碍(ゆうづうむげ)につなぎ、文化が北上し南下する流動的な古代地図を具体的に示した。この地図上で、本土は決して先端文化の中心に位置しない。中心・中央が周縁を文化的に支配するという概念自体が、なし崩しとなる。谷川の社会思想の真骨頂の表われでもあろう。

 こうした<海上の道>文化を説くにさいし、多数の史書や神話伝説、最新の発掘調査の成果、生物学地理学も博捜されるけれど、何といっても魅惑的なのは、その背景に壮大な交響曲のように海に生きる人々の肉声がひびき、書物の知識を裏打ちして、いきいきと海の古代を現前させる点。美しいエピソードが多い。

 古代の木の舟をほうふつさせるサバニに谷川と同乗した老女は、おびえる旅人のために舟を守る祈りの呪歌をうたいつづけた。珊瑚(さんご)礁に白波が連続してよせるさまを、地元の人は「糸(いつ)の綾(あや)」と呼ぶ。なんと詩的なことば!


 与那国島の岩山を案内してくれた若者は、折しもかかった大きな虹を見て、「アミヌミヤー」と叫んだ。あとで古書を調べると、それはどうやら雨を呑むものという意味で、天の蛇神として雨を支配する、虹への畏怖を表わすらしい。

 長崎平戸の海辺には「家船」が多い。船を家として暮らす。ある「家船」の老漁師の妻は、夜明け前の海を遠い漁場めざして夫婦で櫓(ろ)をこぎ渡った若い日々をふり返り、「それは、それは、ナンギじゃった」とつぶやく。

 どの行間からも、潮風が匂う。読んでいると、波にぬれた砂をふむ感覚がよみがえり、足の裏が熱くなる。結句、谷川健一とはたぐいまれな現代の海の詩人なのではないか。熊本県水俣市の漁村に生まれ育ったこの人は生来、海への感性を濃くもつ。それを軸とし、民間伝承を通して「日本人の意識の根源」の青い海へとさかのぼり、はるかな「海の呼ぶ声」を聴こうとする、優れた詩人学者なのだ。
 その詩性のひときわ輝くのが、本巻の中核をなす『渚の思想』の諸篇。ここで谷川は、こよなく渚を愛す。人と海との関わりを象徴する場として、現世(陸)と他界(海)の接点として、つまり神と人間と自然の交渉する場として。多くの渚をはらむ複雑な長い海岸線こそ、日本列島の風土と文化のシンボル。なのに今やコンクリートで固められ、海と陸のあわいのこの美しい円環的世界は、滅びつつある。「陸封」される私たちの不健全を説く渚の詩人の批判にも、おおいに耳を傾けたい。
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『谷川健一全集 第七巻 沖縄三』=谷川健一・著」、『毎日新聞』2012年08月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120812ddm015070015000c.html


http://www.fuzambo-intl.com/tanigawa.pdf


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考えること、愛することは、パスカルによれば、人間の本性である。

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 「人間は考えるために生まれておる」(III,119)。--「我々がただ愛するためにこの世にあることを誰が疑うであろうか」(III,123)。考えること、愛することは、パスカルによれば、人間の本性である。この本性に応じて生きることは幸福を作ることに他ならない。そして幸福を満たすことは人間の存在の目的を完うすることである。
    --三木清『パスカルにおける人間の研究』岩波文庫、1980年、86頁。

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昨夜は、といいますか、昨夜「も」、通信教育部在籍時代の学生さんたちと、軽~く一献のつもりががっつり一献となってしまい、帰りの電車には乗れたものの、東京で往復して、気が付いたら三鷹行き下り最終電車にて午前様。

完璧な二日酔いとなってしまいましたが、

そんなことはどうでもいいのです( `Д´)

種々、限られた環境やリソースのなかで、新しい挑戦される若き学友たちの姿にこちらが刺激を受けた次第です。

短い時間ではありましたが、ありがとうございましたッ!!!

こまかいプライベートは話題は横に置きますが、ホント、「もう、どうしようもない」ってことや「なんじゃコリゃ」ってことは山積していますが、そのなかで、自身の決めた道を徹底して大事にしてくと、トンネルが開通していくといいますか。

自分自身も諦めそうになる毎日ですが、負けてられないですね!!!

重ね重ねですが、本当に、楽しいひとときありがとうございましたッ!!!


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日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。

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 日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。
    --丸山眞男「超国家主義の論理と心理」、『世界』岩波書店、1946年5月。

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67年前の今日、敗戦を向かえ、新しく出発したというのは、建前にすぎず、明治以来続くそのゴマカシと偽装の日本の精神風土というものは、温存されたままで、ようやくそのほころびが半世紀を経て見え隠れしてるのが現状ではないかと思う。

ちょうどその同じ8月15日。1996年のその日、そうした日本的病理をしなやかに撃った碩学・丸山眞男さんの命日でもあります。

合掌。


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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『家族進化論』=山極寿一・著」、『毎日新聞』2012年08月12日(日)付。

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今週の本棚:中村桂子・評 『家族進化論』=山極寿一・著
 (東京大学出版会・3360円)

 ◇父性の登場から「家族の起源」を探究する
 人類の社会生活の基礎である性・経済・生殖・教育の四機能を果たすのが家族であり、世界中の共同体が家族を単位としている。しかもこれは人間以外の動物には見られない。
 家族って何だろう。どのようにして生まれたのだろう。その崩壊が語られる今、それを問うことには大きな意味がある。家族の起源を霊長類から人類への進化の中に探ろうとする学問は、サルの個体識別という独自の方法により日本で始まった。その後海外での研究も始まり、主としてアフリカの類人猿(チンパンジー、ボノボ、ゴリラ)社会の研究からさまざまな考え方が出された。その中で著者は、父系であるゴリラ社会で、母親という生物学的存在に対し、父親という文化的存在が生まれたことが家族への道だと提唱した。
 しかし、類人猿の一生と世代の追跡、遺伝子(DNA)解析による個体移動や繁殖行動の追跡ができるようになったことに加え、多くの人類化石が発見されたことにより、家族起源の再考の必要が出てきた。新知見を取り込んだ新しい家族誕生物語りへの挑戦が本書である。
 ここ二〇年、この分野の研究は急速に進んだ。とはいえ、そこから進化の道筋が明確に見えているわけではない。たとえば採食戦略の生態学モデルでは、果実を好むオランウータンやチンパンジーはメスが結束するはずなのに、共に単独行動をとる。一方葉や地上の草本を食べるゴリラはメスの集合の必要性はないはずだが、常に群れを作っている。条件は複雑なのである。
 人類もチンパンジーと同じように分散した食物を採集していただろう。更に平原にまで出たのだから肉食動物から身を守る必要もある。これが、エネルギー効果をよくする、外敵を威嚇する、食物を運ぶという能力を支える二足歩行、更には脳の増大へとつながったと思われる。現代の狩猟採集民では、採った食物を持ち帰って皆で食べる。チンパンジーは要求されない限り自ら分配することはない。ここから、採集した食物を仲間のところへ持ち帰っての共食が、人類を特徴づけたと著者は言う。
 一方、ミラーニューロンの発見でサルにも共感能力があることがわかったが、互酬的な行動は母子、広がっても血縁関係内に限られる。人間社会では家族はもちろん、共同体の大人が子どもを教育する。このような社会は食の社会化と共同の子育てとから生まれたもので、そこに父性が登場すると著者は解析する。集団生活をする霊長類で母親以外に子育てに参加するのは母親と血縁関係にあるメスである。オスは集団内の子どもやメスを外敵から守る役割をし直接の子育てはしない。しかし、いくつかの種では父性と呼ぶべき行動が見られるのである。たとえば、著者の研究したマウンテンゴリラの場合単雄複雌で長期にわたる配偶関係を維持し、オスは、思春期になって集団から離れるまで子どもに関わることになるので、その間子どもたちを保護するのである。父である。
 初期人類も共同子育てをしただろう。子育てと食の共有で共感力を高めた人類は、音楽、そしてそこから生まれた言葉によるコミュニケーション能力の獲得で、仲間の関係をもう一段階進めたというのが本書の新しい視点である。霊長類の集団でのコミュニケーションの基本は歌と身振りであり、人間でもそれは言葉以上に信頼や安心をもたらす効果を持つと著者は言う。
 今家族の崩壊が見られるのはこの対面でしか成立しないコミュニケーションが希薄になっているからだという主張に共感する。
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『家族進化論』=山極寿一・著」、『毎日新聞』2012年08月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120812ddm015070012000c.html

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大学の建物の正面に掲げるべきは、《教育と研究のために》ではなく、《至高の教育としての研究のために》という標語であるべきでしょう。

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 第三の点、これを私はゲルマン的と名づけたいのですが、しかしこれについては、私はいくつかの激しい反駁にさらされなければなりませんでした。--私は大学というものは他の教育施設とは根本的に異なったものであると考えています。大学の建物の正面に掲げるべきは、《教育と研究のために》ではなく、《至高の教育としての研究のために》という標語であるべきでしょう。大学で学ぶ者が努力すべきことは、すでに出来上がった知識の習得ではなく、知を拡充することなのです。
 患者をただ教科書どおりに治療するような医者は、医者ではありません。どんな患者からも、医者はそのつど新たな研究目標を受け取り、その知識を拡充してゆくべきです。同じ事は、依頼人一人一人の問題を、そのつど新たな法律上の問題として捉えるべき法律家についても言えます。また、このような要請は、もちろんあらゆる聖職者にも当てはまるものです。聖職者は一人一人の人間の魂が、神と直接つながるものであることを自覚していなければなりません。聖職者の務めは、この上ない畏敬の念をもってこれらの魂に耳を傾けることであって、陳腐なお説教をして信徒を退屈させることではないあのです。
 ところで、こうした知の拡充は研究の自由なしにはありえませんが、しかし私のロシア人の同僚からは、これには激しく反対しました。彼らはその理由として、何よりも哲学のことを引き合いに出し、ロシアの青年たちをたぶらかして危険な道に迷い込ませたのは哲学であり、あらゆる国家の基盤を揺るがすニヒリズムは哲学のせいだと主張しました。
 私は彼らに対して、哲学というものは生命に対する自分勝手な要請を理論的に正当化するようなものではなく、逆に生命が個々人に対して要請するところを、ある神的な力として開明するものだということを説明しようとしましたが、いくら説明しても聞き入れられませんでした。
    --ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(入江重吉・寺井俊正訳)『生命の劇場』講談社学術文庫、2012年、30-31頁。

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環世界説を提唱し、機械論的な生物行動を批判したユクスキュルの『生命の劇場』が文庫収録されましたので、昨日からぱらぱら読み始めました。

一見すると「小説か?」と見まがう文体で、ひとびととのやりとりや自身の省察から議論が進んでいくのに驚きます。ちょうどその本の冒頭で「大学の使命」について言及がありましたので、ひとつ紹介しておきます。

ユクスキュルによれば、大学とは「教育と研究のために」存在するわけではなく、「至高の教育の研究のために」存在することに意義があるということです。

そしてそこで学ぶ者が努力すべきこととは、「すでに出来上がった知識の習得ではなく、知を拡充すること」と指摘しております。

そして、医者、法律家、聖職者におけるあり方をとりあげ、その議論を具体的に説明しております。

確かに大学が他の教育機関と異なるのは、「教育と研究」という二つが内在するからに他なりません。しかしそれは、結局別々の事柄ではなく、深く相関しあっているものであるとすれば「至高の教育の研究のために」存在することに意義があることは間違いないでしょう。

たしかに今日の大学世界だけでなく、かつてもそうですが、「教育」と「研究」は、別々のものとして「立て分け」られて受容されてきたことは否めません。

しかし、今日では、様々な「評価」とか「見える化」によって、その二律背反はますます深まるばかり。吹けば飛ぶような非常勤に過ぎませんが、自分自身のことがらとしても「至高の教育の研究」のために、その生業が成立するよう努力するほかありません。

さて……。
昨日は、通信教育部在籍時代の「倫理学」受講者たちと一献。
さまざまとつもるお話や近況を讃え合うことができました。
皆様、遅くまでありがとうございました!

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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『建築を考える』=ペーター・ツムトア著」、『毎日新聞』2012年08月12日(日)付。

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今週の本棚:堀江敏幸・評 『建築を考える』=ペーター・ツムトア著
 (みすず書房・3360円)

 ◇遅れの感覚として美を表現するために
 子どもにとって、自分の家は建築物ではない。日々の細部を豊かにする五感が漠然と連なって形作られた、ひとつの集合体である。スイスの建築家ペーター・ツムトアが設計に際して立ち返るのも、「建築についてあれこれと考えないまま建築を体験していた」幼年期の記憶だという。たとえば伯母の家の庭に入っていくときに握ったドアの把手(とって)の、「スプーンの背のように滑らかな丸みをおびた一片の金属の感触」。それを甘美な過去へのノスタルジーにとどめず、新しい空間の創造に生かすのが、建築家の仕事なのだ。
 本書は、一九八八年から二十年ほどのあいだに各地で行われた「講演原稿」を中心に編んだものである。公的な場で、聴衆を前に声を通して届ける言葉の、そのまた原型ということになるだろうか。厳密な論考ではないから、それらはときに軽いエッセイのリズムをまとい、ときに散文詩を思わせる自在さと緊密さを示す。家族の名を出すことで、手紙のような親しみを感じさせる頁(ページ)もある。並べられた言葉の手触りは、どこかプルーストの小説の一節のようだ。
 ただし、一文一文にはよけいな飾りがなく、理の芯が通っている。先に散文詩と評したのは、言葉の質よりも、運用の仕方によって生じた効果のほうが問題だからである。「素材は、具体的な建築のコンテクストのなかで詩的な特質をおびることができる、と思う」。そう記すツムトアの視点は一貫している。
 建物じたいは詩的ではない。予想していなかった瞬間にやってくる詩のような情感を受け入れる可能性を秘めているのが、建築なのだ。足りないものが、欠如があって、はじめて詩はやってくる。それを味わったときに、ああこれを忘れていたのだと悟らされる、遅れの感覚としての美。芸術の美は「曖昧なもの、閉じられていないもの、不確定なもの」に宿るとしたのは、ジャコモ・レオパルディだった。ならば建築はそれを、どのように表現しうるのか。
 ツムトアは、イタロ・カルヴィーノによる解釈を援用する。レオパルディは曖昧さに到達するため、「あらゆるイメージの構成に、ディテールの細密な定義に、物や照明や雰囲気の選択に、おそろしく厳密で衒学(げんがく)的な注意を要請する」のだと。曖昧さを極めるには、厳密でなければならない。それは辛抱強く細かい仕事を大切にするということとはちがう。多様性や豊かさは、物を正しく認識し、「正当に遇するとき」に、こちらではなく物のほうから、自然に語り出されるということなのである。
 確かな観察を積み重ねながら、それを分析したり解釈したりする代わりに、対象の側からの語りかけを待つ。詩語に頼るのではなく詩と呼ばれるものを信じて、物の細部を蔑(ないがし)ろにせず、相互関係のなかで考える。ツムトアはレオパルディの教えを、アキ・カウリスマキの映画にも見出(みいだ)している。曰(いわ)く、彼は役者をコンセプトのために利用しない。映画のなかに置いて、「その尊厳、その秘密」を観客に感じさせる。結びはこうだ。「カウリスマキが映画を作るように家を建てることができたら、どんなにかすばらしいだろうに」
 ペーター・ツムトアは、これまでピーター・ズントーと表記されてきた。原語に準じたこの変更は、同じ建物の裏表を交換する魔法に等しい。濁音の重さを取り払ったことで、建築資材としての言葉の「含水率」が変化し、より軽やかになった気さえする。簡易フランス装、函(はこ)入りの「風景」も愉(たの)しみたい。(鈴木仁子訳)
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『建築を考える』=ペーター・ツムトア著」、『毎日新聞』2012年08月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120812ddm015070002000c.html

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服従が服従していることを意識しなくなるとき、服従が性向となってしまうとき、真の他律性が始まる。

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 服従が服従していることを意識しなくなるとき、服従が性向となってしまうとき、真の他律性が始まる。究極の暴力はこのような究極の甘美さのうちにある。奴隷の魂をもつこと。それは衝撃を被ることもできず、命令されることもできないということなのである。主人の愛情が、もはやそれに対して距離をとることができぬほどに、奴隷の魂を満たしてしまっている。もはや恐怖が見えなくなり、さらにその見えない恐怖を起点としてものごとを見てしまうほどに、恐怖が奴隷の魂を満たしてしまっているのである。
 奴隷の魂を創造することができるということ、これは単に近代的人間のもっとも悲痛な経験であるだけでなく、おそらく人間の自由に対する反駁そのものでもあるのだ。
    ーーエマニュエル・レヴィナス(谷口博史訳)「自由と命令」、合田正人・谷口博史訳『歴史の不測 付論:自由と命令/超越と高さ』法政大学出版局、年、220-221頁。

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だいぶまえに一度書いた話で恐縮ですが、結局のところ、服従というのは、おそらく馴化されるなかで、服従される側が望んで、そう、「望んで」という以上に、それを利用しながら、その構造が加速されていくというのは、事実なんだと思う。

自分自身、学問で食べていくことができないの一般企業……GMSって奴ですが(涙……で仕事をしております。職責上自分の勤務時間の最後の2/3は自分自身が最上級上席者になってしまう。

で……。
掃いて捨てるほどよくある話なのですが、やっぱり、「バイトはバイトだから、これ以上、自分で考えて組み立てる必要はないーー!って、だから指事待ちよねん」っていう状況にはよく直面します。

もっとも、たとえば、時給900円のバイト君に、ミシュランガイドに掲載されるレベルの接客態度を要求する過剰クレーマーと同義で捉えられると困るのですが、要するに、「訓練をうけた分だけやればいい。あとは考えなくていい。上席者に指事を待てばいい」という態度には、サービスの提供者・受給者の違いはありますが、時々困惑することがあります。

半年も同じタスクをやっていけば、次にどういう手をうてばよいのか、筋道って見えてきますよね。

ですけど、「次なにやればいいんでしょうか??」

ってやられると、

「おいおい、それ、昨日もいったやないけ?」

……って言いたくなるときが多くなるので我慢して、指事という毎日。

正味なところ、上手くやった方が、いい意味で力も抜けるし、その方がお得だと思うのだけれども、時代が違うのかな~。

……ってウエメセっていわれそうですいません。


しかしなー。

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覚え書:「今週の本棚:コロニアリズムと文化財=荒井信一著」、『毎日新聞』2012年8月12日(日)付。

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今週の本棚:コロニアリズムと文化財=荒井信一著
(岩波新書・756円)

帝国主義の時代、欧米列強や日本は他民族の土地を植民地として支配した。その影響は今日にも残っている。本書はそのことを文化財を通じてつまびらかにしている。
柱になるのは、日本と朝鮮の関係だ。日本人による略奪は1875年の江華島事件が最初という。またその後も植民地朝鮮から宗主国日本へ、さまざまな形で文化財が移されたことを明らかにする。日本では高名な複数の学者が、こうした移転に積極的だったことを指摘している。
文化財の返還を巡っては、たとえば盗品が市場に出て、そこを経由し博物館や個人の所蔵になった場合、もしくは植民地と宗主国の間の「合法的」な手続きで移転された場合は難しい。こうしたやっかいなケースの方が多く、戦後の日韓もそうだった。移転は「不正」か「不正ではない」で認識が対立してきた。
しかし著者は、先般、朝鮮王朝の文書『朝鮮王室儀軌』が日本政府から韓国に戻されたことなどを挙げ、文化財植民地主義の「清算」の道を探る。国家間で見れば希望の光もあるようだが、個人の所有物になったものをどうするのか。課題も浮き彫りになった。(栗)
    --「今週の本棚:コロニアリズムと文化財=荒井信一著」、『毎日新聞』2012年8月12日(日)付。

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「これまでの考え方、考え方は間違いだった、そのことを反省する、と私たちにはいわないで……」って所に注目したい

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 最初に私が、なぜ子どもは学校に行かねばならないかと、考えるというより、もっと強い疑いを持ったのは、十歳の秋のことでした。この年の夏、私の国は、太平洋戦争に負けていました。日本は、米、英、オランダ、中国などの連合国と戦ったのでした。核爆弾が、はじめて人間の都市に落とされたのも、この戦争においてのことです。
 戦争に負けたことで、日本人の生活には大きい変化がありました。それまで、私たち子供らは、そして大人たちも、国でもっとも強い力を持っている天皇が「神」だと信じるように教えられていました。ところが、戦後、天皇は人間だということがあきらかにされました。
 戦っていた相手の国のなかでも、アメリカは、私たちがもっとも恐れ、もっとも憎んでいた敵でした。その国がいまでは、私たちが戦争の被害からたちなおってゆくために、いちばん頼りになる国なのです。
 私は、このような変化は正しいものだ、と思いました。「神」が実際の社会を支配してるより、人間がみな同じ権利をもって一緒にやってゆく民主主義がいい、と私にもよくわかりました。敵だからといって、ほかの国の人間を殺しにゆく--殺されてしまうこともある--兵隊にならなくてよくなったのが、すばらしい変化だということも、しみじみと感じました。
 それでいて私は、戦争が終わって一月たつと、学校に行かなくなっていたのです。
 夏のなかばまで、天皇が「神」だといって、その写真に礼拝させ、アメリカ人は人間でない、鬼か、獣だ、といっていた先生たちが、まったく平気で、反対のことをいいはじめたからです。それも、これまでの考え方、考え方は間違いだった、そのことを反省する、と私たちにはいわないで、ごく自然のことのように、天皇は人間だ、アメリカ人は友達だと教えるようになったからです。
    --大江健三郎「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」、文・大江健三郎、画・大江ゆかり『「自分の木」の下で』朝日新聞社、2001年、8-10頁。

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大江さんは、このエッセーで、学校に通う意義をわかりやすく説明するために(……ということが同時に、現在の学校制度を無批判に全肯定していることと同義ではないのは念のため)、二つの出来事を紹介しております。

ひとつは、ご自身が「不登校」になった経緯と通学の再開、もうひとつはお子さまの学校生活がそれです。

うえに引用したのは、前者の出来事で、1945年の敗戦の夏になります。

これまでさんざんに「天皇制」や「戦争」、排他的「愛国心」をあおってきた大人たちが、8・15を境に、「民主主義」や「平和」の吹聴者になってしまった。

これは8・15でなくてもどこにでも起こりうる現象であるし、加えて、これまでのそれよりも、新しい事柄が断然「マシ」だから、言葉は悪いけれども「転向」することはあり得るし、それでよいと思う。

特別の愛国少年でも、目覚めた少年でもなかった大江さん自身、民主主義を歓迎している。

しかし、その「境」において、なすべき事柄がなされないとき、大いなる疑惑が生じてくるのも必然であろう。

大江さんの教師たちは、昨日までの言説を「反省」しなかったし、総括をしたうえで、新しい言説へ「転向」したわけでもない。

ここが問題であり、経緯としては、その不信は「不登校」を必然してしまった。

「反省」「総括」。。。

ありふれた言葉だと思うし、日頃、自身の言説や行動を「反省」したり、「総括」したりしながら、人間を日常生活を展開している。

しかし、大切な局面において、それがなされないとき、自身にとっては欺瞞を積み重ねるだけだし、関わる他者へ不信を与えることになってしまう。

自分を騙し、関わる人間をも騙し「続ける」。

ここが問題なのでしょう。

そして、これは半世紀以上前の、四国の山村で生じた特異な現象ではないし、きわめて現代的な問題でもある。

訳知り顔なひとたちは「反省はサルでもできる」って使い古されたコピーをそらんじて嘯く。そんらじて嘯くけれども「サルでもできる」反省をしたことをついぞ見たことはない。

しかし、ここからはじめないと何もはじまらないだろうに……とは思うわけですよね。

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常識と倫理のどちらにも関心を向けなければなりませんが、同時にこの二つをたがいに無縁なものとして扱うべきではありません

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倫理と常識
 知覚でとらえたものには、欺かれることがあります。一般に強力な武器--なかでも核兵器が、その保有者の力をかならず強めて、勢力を拡大させるものだと考えてよいとは言えません。これは〔自己の利益を考慮する〕常識がかかわる重要な問題です。また、特に核政策の是非については〔人類共通の〕利益にもとづいて問わなければなりません。一国が特定の政策によってこうむる実際的な利害では計りきれないものがあります。常識と倫理のどちらにも関心を向けなければなりませんが、同時にこの二つをたがいに無縁なものとして扱うべきではありません。
 私たちが他人にたいする態度を決める場合、おたがいの活動の倫理性をどう判断するかを抜きにしては考えられません。結果として倫理上の根拠にも、常識としての重要性が含まれることになります。こうした観点から、私はインド亜大陸において核政策がかかえる問題一般について、また、特にインドの核政策について、検討していきたいと思います。
 強力な武器がはたして国力を高めるのか、あるいはどの程度その効果があるのか、という疑問は古くから存在します。それどころか、核武装の時代が到来するはるか以前から、ラビンドラナート・ラゴール〔インドの詩人・思想家。アジア人初のノーベル文学賞受賞者〕は、軍事力がもたらす効果を疑問視していました。一九一七年にタゴールはこう述べています。ある国民が「権力を求めるあまり、心を犠牲にして武器を増強させるなら、より危険な目におちいるのは敵ではなく自らである」と。タゴールはマハトマ・ガンディ〔インド独立の父〕のような徹底した平和主義者ではありません。それでも、より多くの、より強力な武器を手に入れることで国力を増強できるという主張は危険であるし、武器がはたす役割を倫理面から検討する必要もあると警告しました。タゴールはまた、こうした武器を厳密にどう利用すべきか、それにたいする他国の反応と反発が実際にどれだけあるのかも検討すべきだと主張しました。タゴールが「心」と呼んだものには、彼の説明によれば、人類愛の必要性と国際関係における理解も含まれています。
    --アマルティア・セン(東郷えりか訳)「インドと核爆弾」、『人間の安全保障』集英社新書、2006年、100-102頁。

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1998年、安全保障についてタカ的動向をとるバジパイ政権の成立は、懸念事項の一つであるパキスタンとの緊張を高めることとなり、恣意的効果を目的に5月、インドは2回の核実験を行った。パキスタンもそれに対抗して核実験を行うが、この行為が国際社会の非難に晒されることになる。

ただ、その批判は、核不拡散条約(インド、パキスタンの両国は署名していない)という「核保有国」“クラブ”という国際社会のルールという欺瞞を浮き彫りにすることになったことも記憶に新しいのですが、だからといって、“クラブ”外のそれも肯定できるものでもありません。

さて……。
ちょうどそれから2年後の2000年、経済学者・アマルティア・センは「第50回科学と国際問題に関するパグウォッシュ会議」のドロシー・ホジキン記念講演を行います。その全文が『人間の安全保障』に収録された「インドと核爆弾」(原題は INDIA AND THE BOMB)
その冒頭を上に紹介しました。

アマルティア・センは、核の力によって国力を発揮しようとするナンセンスさを、この講演で手厳しく批判しております。

タゴールの言葉に耳を傾けながら、常識と倫理がまったく関係のないものとして独立に存在して「計算」することが「落とし穴」であること、その両者には相関関係があることを指摘しております。

ある国民が「権力を求めるあまり、心を犠牲にして武器を増強させるなら、より危険な目におちいるのは敵ではなく自らである」と。

これは核兵器の問題だけではないですよね。

「たしかにそれは正論だ。しかしねー、現実を見てくださいよ」ってフレーズをよく聴く。これこそ倫理と常識の二律背反なのではないでしょうか。

たしかにそれは正論であることと、現実を見ることは、二つの関係を別個の問題と考えることではないわけでして……ねぇ。

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覚え書:「記者の目:『大正100年』を取材して=大井浩一」、『毎日新聞』2012年08月08日(水)付。

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記者の目:「大正100年」を取材して=大井浩一

 明治から大正に元号が変わったのは、ちょうど100年前の1912年7月30日。大正時代は第一次世界大戦や米騒動、ロシア革命などが相次いだ激動期だった。そこから今の日本を考えるための教訓を得られるのではないかと、私は昨年、シリーズ「大正100年--歴史に探る日本の針路」(月1回掲載)を担当し、取材した。中でも10万人を超す死者・行方不明者を出した関東大震災(1923年)は、その後の社会のあり方に深い傷を残したことを知った。そこには東日本大震災と原発事故後の日本社会を議論するうえでも、重要な視点が含まれていると思う。

 ◇「民衆の自信喪失」の教訓重く
 「やはり震災は社会全体として、あまり振り返りたくない記憶だったでしょうね」
 昨年夏、関東大震災に関する取材に鈴木淳・東大准教授(日本近代史)は答えた。私の質問は大震災からの復興が当時の人々にとって「成功体験」となったのでは、という推測をぶつけたものだが、鈴木さんの答えは逆だった。理由は震災の際に起きた朝鮮人などの虐殺事件にあった。
 そもそも「大正デモクラシー」と呼ばれるように、大正期は護憲運動をはじめ民衆による社会運動が盛んになったことで知られる。一方で、私には理解できないことも多かった。例えば、中国の辛亥革命(11年)に共感した日本人が多くいたのに、なぜ中国での日本の権益拡大を求める「21カ条要求」(15年)を突きつけるなど、強硬な姿勢を取るようになったのか。関東大震災の時、なぜ一般民衆までが数千人もの朝鮮人を虐殺する惨事を引き起こしたのか。

 ◇今は理解不能な虐殺事件の原因
 戦後の教育を受けた私自身の中には、中国や韓国の人々に対する民族的な優越感は見いだせない。日本人の多くに差別意識があったというのは全くの謎で、当初から自分なりに答えを探したいと考えていた。そして東日本大震災の後、関東大震災はいっそう大切なテーマとなり、歴史学者や地震学者、体験を語り継ぐ市民らに取材を重ねた。
 関東大震災直後、壊滅状態となった被災地などでは、朝鮮人が暴動を起こすといった根拠のない流言が飛び交った。軍隊や警察だけでなく自主的に地域の警戒に当たる「自警団」を組織した民衆も進んで虐殺に加わった。朝鮮人と疑われた中国人、時には日本人までが殺された。「植民地支配で圧政を加えた罪悪感の裏返しの恐怖」といった説明は頭で分かっても納得できるところまではいかない。
 そんな中で取材した一人が鈴木さんである。当時の人々にとって関東大震災が「振り返りたくない記憶」になったのは、大正デモクラシー自体の矛盾に根差していた。鈴木さんによると自警団の中心を担ったのは青年団や在郷軍人会の人々だった。彼らは大正時代に東京などで多発した水害をきっかけに災害時に組織的に出動するようになった。
 「大正期は、いわばボランティアの時代の始まり。デモクラシーの思想の下で、民衆は都市で重要な役割を担い、新しい自治の担い手となりかけていた。ところが関東大震災の際、自警団は流言を信じて朝鮮人を迫害し、町内を守ろうとして通行人に怖い思いをさせてしまった。『ボランティアでは必ずしもうまくいかない』という自治に対する民衆の自信喪失があらわになったと思う」
 直後に行政から、食料配給のため全住民を把握する町内会の結成を要請され、昭和の戦時期の隣組につながる「行政の下請け」的な色彩の濃い町内会が被災地全域で組織されていったという。他のテーマの取材からも、大正期の民衆運動そのものに、戦時体制につながる要素が含まれていたことが分かってきた。
 「なぜ虐殺が起きたか」の謎は解決できなかったが、私はこう考えるようになった。「100年近くたてば自分の国の出来事でも理解できなくなることはあり得るのだ」と。それが歴史であり、だからこそ事実の検証は不可欠だ。

 ◇やがて問われる原発対応の是非
 今、原発事故への対応が深刻な問題になっている。これは歴史の審判を受けるに違いない、日本にとっての重大な分岐点だ。その対応いかんでは100年後の日本人に「なぜ平成時代の人々は震災後に原発を廃止しなかったのか」と理解できない思いを抱かせるかもしれない。あるいは、「なぜ震災後、原発を制御する技術開発に全力を投入しなかったのか」と思わせる可能性もある。後世の評価に堪える「答え」を見つけ出すのは難しい。だが、大正以降の民衆が自信喪失から無謀な戦争に至り、敗戦を招いたような「亡国の愚」だけは避けなければならない。(東京学芸部)
    --「記者の目:『大正100年』を取材して=大井浩一」、『毎日新聞』2012年08月08日(水)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20120808k0000m070148000c.html

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「もしそこに怪物どもがいなかったなら、このさもしさはなかったろう」と……って怪物は私であり貴方であること。

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 ところで、倫理的な断罪のある一定の形体において、否定するという逃避的なやりかたがある。要するに、こう言うのだ。もしそこに怪物どもがいなかったなら、このさもしさはなかったろう、と。この荒っぽい判断においては、怪物どもは可能性から切除されている。暗に、可能なものの限界から、かれらがはみ出たことを弾劾しながら、まさしくかれらの過剰こそ、この限界を決定するものであることを、見とどけようとしないのである。おそらく、言語活動が一般大衆にむけられている限りでは、この子供っぽい否定も有効だろうが、実際にはなにものも変化させてはいないのだ。それに、残忍さの絶えざる危険を否認することは、肉体的な苦しみ危険を否認することとおなじく、むなしいことである。残忍さをただ月なみに、人間的なものはなにもないと勝手にひとが創造する党派や種族の特性であるとするなら、残忍さの諸結果はほとんど予防できないものとなるだろう。


 もちろん、目ざめは、可能なおぞましさに対する絶えざる意識を要請するものであり、それを回避しようとする(あるいは、時が来れば、それと対決しようとする)手段以上のものである。目ざめは、ユーモアとともに、また詩とともに、はじまるものだ(ルッセの作品の少なからぬ意義は、同時にユーモアも肯定的に示されており、作品からにじみ出ているノスタルジーが、けっしてみちたりた幸福へのノスタルジーではなく、詩のさまざまな陶酔の動きへのノスタルジーである点にある)。
    --バタイユ(山本功訳)「死刑執行人と犠牲者(ナチ親衛隊と強制収容所捕虜)に関するいくつかの考察」、『戦争/政治/実存 ジョルジュ・バタイユ著作集14』二見書房、1972年、46-47頁。

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現実に「非人間的」な「悪魔的」な「怪物」的な出来事はたくさん、存在する。それをしっかり把持し、対峙していくことは必要だとは思う。

しかし、その現実に存在する「非人間的」な「悪魔的」な「怪物」的な出来事のほとんどは、人間の外に存在する事物というよりも、どちらかといえば、人間そのものであったり、人間に由来する場合の方が多いのではあるまいか。

その対峙において、それを対象として外在化したアプローチではどこまでもそれを回収することは不可能なのかもしれない。

バタイユの小論を読みつつ、そんなことを想起した。

人間に起因することを人間以外に見出していくとは、まさに「可能なものの限界から、かれらがはみ出たことを弾劾しながら、まさしくかれらの過剰こそ、この限界を決定するものであることを、見とどけようとしない」ことと同義であろう。

何に対して目ざめていることが要請されるのだろうか。
それは自分自身を含めた人間という存在に対してであり、外在物としての「対峙」としてはではなく、「ことがら」としての向き合いなんだろう。

そしてその「目ざめは、ユーモアとともに、また詩とともに、はじまるものだ」。

この一節は意義深い。


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覚え書:「ひと:シーナ・アイエンガーさん 『選択』講義が話題のコンビア大教授」、『毎日新聞』2012年8月7日(火)付。

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ひと シーナ・アイエンガーさん(42)
「選択」講義が話題のコンビア大教授

 20年以上「選択」の研究を続けてきた。中でも反響を呼んだのが、大学院生時代の「ジャム研究」だ。高級スーパーの試食でジャムを24種類並べた時と6種類の時では6種類の方が売れた。「対象が多すぎると選べない」。その後、商品の種類を絞って売り上げを伸ばす企業が相次いだ。
 選択を生涯のテーマに決めた背景には、選択が限られていた生い立ちがある。インドからの移民で厳格なシーク教徒の両親に、厳しくしつけられた。「学校で異性と話してはいけない」「しきたりだから髪は切るな」。高校に入るころ、新たな制約が加わる。3歳の時に見つかった目の病気が進み全盲になったのだ。
 「光」を与えてくれたのは、教師や学友だった。
 「人生は自らの選択でつかむもの。それが当然で、望ましいことだと教わりました」
 研究の出発点は「制約の多い宗教は、人をみじめにするのでは」との疑問だった。だが、調査してみると、幸福感が高い人のはむしろ信仰を持つ人たち。重要なのは、自己決定の意識だった。
 7月に「選択日記」(文芸春秋)を出版した。過去の選択を記録し評価することで進むべき道が見えてくる、と言う。NHKの「コロンビア白熱教室」でも、最良の選択のための実践を説いた。
 90年代の京都で行った研究などから、日本人は選択肢が少ないと感じていると見る。「困ってもあきらめず、できることはないか考えて」。アドバイスの声は温かかった。
文・長野宏美 写真・猪飼健史
Sheena Iyengar 米コロンビア大学ビジネススクール教授。カナダで生まれ、米国で育つ。家族は夫と息子。著書に「選択の科学」。
    --「ひと:シーナ・アイエンガーさん 『選択』講義が話題のコンビア大教授」、『毎日新聞』2012年8月7日(火)付。

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http://www.columbia.edu/~ss957/index.shtml


http://hon.bunshun.jp/articles/-/736

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書評:藤井省三『魯迅 --東アジアを生きる文学』岩波新書、2011年。

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 竹内好はこのような“哥”と“哥児”とを区別することなく、旧訳版でも改訳版でも「閏(ルン)ちゃん」「迅(シュン)ちゃん」と訳している。これはたとえば農地改革で地主制度が消滅し、身分差が縮小した戦後日本社会に合わせて魯迅文学を土着化したものであろうか。竹内好によるこのような意訳は、原作者魯迅に対するリスペクトを欠いているのではないだろうか。
 大胆な意訳と分節化した翻訳文体により、竹内好は魯迅文学を戦後日本社会に土着化させるのに成功し、中学国語教科書が魯迅を国民文学並みに扱うようになった。これは竹内訳の大きな功績といえるだろうが、そのいっぽうで、竹内訳は伝統を否定しながら現代にも深い疑念を抱いて迷走するという魯迅文学の原点を見失ってしまったのである。
    --藤井省三『魯迅 --東アジアを生きる文学』岩波新書、2011年、183頁。

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文豪・魯迅像についての完成された形容を一新する評伝。

その生涯を東アジアの都市遍歴(東京-北京-上海)という視点で辿ると同時に、その作品が東アジア共通の共通の「古典」として受容された経緯と現在を明らかにする。「竹内好-魯迅」超克の試みでもある。

前半の2/3が評伝で、後半の1/3が受容経緯と現在を語るものという構成になっている。第1章は「私と魯迅」! 魯迅より先に、著者自身の魯迅との出会いからその旅は始まる。魯迅が民族と自身の暗部を凝視したことは、とりもなおさず、現代に生きる私たちが自分自身を学びなおすことにほかならない。

まずは評伝部から。
通常「苦渋に満ちた留学時代」と評される東京・仙台時代。筆者は「刺激に満ちた留学体験」であることを明らかにする。漱石を愛し、世界文学へ目を開くのもこの時期である。帰国後の官僚学者から新文学者へ。そして上海時代と晩年が丁寧に纏められている。

許広平とのロマンスののち、上海にて、ハリウッド映画を楽しむ近代的都市生活者としての魯迅の姿は印象的である。魯迅はターザン映画がお気に入りであった。晩年の命がけの独裁批判は学ぶ点が多い。魯迅が守旧と近代の両面を批判したのは権威を利用・迎合する人間の精神だと分かる。

さて本書の読みどころは、第7章「日本と魯迅」、第8章「東アジアと魯迅」、第9章「魯迅と現代中国」ではないだろうか。日本の魯迅研究をリードした竹内好に対する筆者の批判は、実証に裏打ちされながらも痛烈である。竹内の歪曲は魯迅へのコンプレックスの裏返しに他ならないと本書はあばきだす。

「伝統と近代のはざまで苦しんでいた魯迅の屈折した文体を、竹内好は戦後の民主化を経て高度経済成長を歩む日本人の好みに合うように、土着化・日本化させているのではないだろうか」(180頁)。

そして「伝統を否定しながらも現代に深い疑念を抱いて迷走する」魯迅の原点を示す。

7~9章では、日本だけでなく東アジア文化圏の「モダンクラシックス」として魯迅の受容と現在を概観する。村上春樹と魯迅の関係についての言及は瞠目すべき話題であるし、魯迅作品の初の外国語訳は日本ではなくハングルであったという指摘には驚いた(2ヵ月はやい)。

村上春樹の東アジア受容や魯迅の関係から夏目漱石-魯迅-村上春樹を中心とする「東アジアにおける魯迅『阿Q』像の系譜」という国際共同研究を筆者は立ち上げたようである。また毛沢東は魯迅を聖人化して利用した。その結果、大陸では「食傷」も起こるというのも興味深い。

本書は確かに新書サイズの評伝である。しかし240頁足らずの新書の中に長年の成果と現在、そして筆者の感情までもがぎっしりつまった本である。光文社古典新訳文庫より筆者は魯迅の作品を訳している。次はそちらを手に取ってみようと思う。


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覚え書:「時代の風:『アラブの春』と国際社会=ジャック・アタリ」、『毎日新聞』2012年8月5日(日)付。

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時代の風:「アラブの春」と国際社会
ジャック・アタリ 仏経済学者・思想家

独裁者に司法の裁きを
 革命が起きるためには二つの状況が必要だ。まず、人々が恐怖を感じなくなること。そして、失う物を多く所有していること、つまり、ある程度、財産のある中産階級が存在していることだ。経済が発展すると、人々は蜂起の欲求を持つようになるのだ。
 アラブ諸国における一連の革命(アラブの春)では経済成長によって教育水準が上昇し、(高学歴だが職に就けない)失業者が欲求不満を募らせるようになった。また、エリート層の間で、群衆に発砲するのは望ましくないという感情が生まれるようになる。
 マルクスは(市民)革命について「専制的な体制が経済を発展させ、中産階級を生む。そして、中産階級が専制的な体制を駆逐する」と説明した。アラブ世界には民主主義の土台がなく、宗教的な原理主義の前に民主主義は後退すると主張する専門家もいた。だが、アラブの革命でマルクス説の正しさが証明された。
 (短文投稿サイトのツイッターや会員制交流サイトのフェイスブックなどの)ソーシャルメディアはアラブ革命でなんら役割を果たさなかった。確かに、新しい技術によって人々は憤りやすくなる。情報をたやすく手にすることができるからだ。だが、それだけで事は起こりはしない。ニューメディアのネットワークがあるからといって、人々が恐れを感じなくなるわけではないからだ。アラブの革命を「フェイスブック革命」と呼ぶ人もいるが、そうは思わない。


 (「アラブの春」の震源地として民主化が進んだ)チュニジアと、(内戦状態に陥った)シリアでは状況は大きく異なる。両国とも経済が壊滅的で、失業問題を抱える。ただ、チュニジア国民は政治権力(ベンアリ政権)が群衆に発砲しないだろうと知っていた。だからこそ国民がただちに蜂起した。シリアで時間がかかっているのは、国民が長期にわたり(アサド)政権に恐れを抱いてきたからだ。
 また、チュニジアが単一国家だったのに対して、シリアはオスマン帝国崩壊後に造られた国家だ。当初はレバノンと共に一つの国を形成していたが、二つに分けられた。今日では少数派のイスラム教アラウィ派に率いられている独裁体制だ。最良の解決法は独裁者が退陣することだ。独裁者を国際裁判所に送り、刑務所で一生を終わらせることだ。だが、中国とロシアが反対しているので、難しい。
 中露に働きかけて、反対が国益にならないことを理解させ、意見を変えさせなければならない。例えば、多数のイスラム教徒を抱える中国にとって、イスラム主義が勢力を伸張することは何の利益にもならない。イスラム主義の影響力に退行するには、中国も安定を必要としている。
 蜂起があった時、(リビアのように)人々を助けるために(国際社会が)介入することもあれば、シリアのように介入しない場合もある。(国連憲章第1章の)不介入原則と、憲章第7章の介入原則は矛盾している。ただ、不介入原則は「世界にとって重要でない」と考えられる時にのみ適用される。時間が経過すればするほど、重要でないことなどないと分かってくる。不介入原則はますます意味がなくなり、介入が増えていくのだ。
 介入のために理想的な組織は国連憲章第7章の下に置かれた軍隊(国連軍)だ。とはいえ、北大西洋条約機構(NATO)も重要な役割を果たすことができる。NATOはソ連に対抗して創設され、ワルシャワ条約機構が消滅した今も存続する。NATOこそ民主主義の軍隊だ。リビア、アフガニスタンにも派遣された。NATO軍を国連指揮下に置くのが望ましいと思う。


 世界には、民主主義とエリート支配という二つの権力モデルがある。(共産党支配の)中国はエリート支配型だが、共産党の中央委員会や指導部に選ばれるには多数の賛同が必要となるため、次第に民主主義的な要素も出てきている。世界は民主主義が強まり、エリート支配が弱まる方向に向かっている。独裁は減り、エリート支配は次第に民主主義に取って代わられる。
 明白なのは、歴史上、民主国家同士が戦争をしたことはなかったということだ。独裁国と民主国家の間の戦争はあっても、民主国家間ではなかった。第二次大戦の例を見てもドイツや日本は民主国家ではなかった。世界が民主化の方向に向かっているということは、戦争のリスクがそれだけ減っているということでもある。民主主義は戦争を防ぐ最も効果的な手立てなのだ。
 民主主義は時に動きが遅すぎることもあり、それが主な欠点であり、弱点だ。今日の欧州を見ても、民主主義は金融市場について必要な決定を下すのが非常に遅い。だが、民主主義は「果てしない議論」の代名詞ではない。民主主義は「弱い政府」を意味しているわけではなく、強力な政府を持つ民主国家も有り得る。民主的に意思が決定されたら、迅速に行動に移すことだ。【構成・宮川裕章】
    --「時代の風:『アラブの春』と国際社会=ジャック・アタリ」、『毎日新聞』2012年8月5日(日)付。

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自分たちの奉じる自由と自立の思想が庶民層のなかでどう生きるかは、思想の死命を制する本質的な課題であるはずだ

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 個の自由と自立を求める啓蒙思想家にとっては、自分たちの奉じる自由と自立の思想が庶民層のなかでどう生きるかは、思想の死命を制する本質的な課題であるはずだ。民主の思想の根幹は民衆が主体となることなのだから。
 が、維新変革の主体と同じ階層--つまり、過激公卿・下級武士・庶民上層部--からなる啓蒙思想家や民権思想家は、その社会的位置からして、庶民層に近づくことは容易ではなかったし、また時代の大変革をやや遠くのできごととして見ている庶民にとって、舶来の自由や民権の思想は近づきやすいものではなかった。距離をちぢめるには、舶来の思想と庶民の生活の落差を自覚した知識人が、落差を埋める方向にむかって思想を生かす道を模索し、みずから庶民の生活と接するなかで自由と自立の思想を生きなければならなかったろうが、舶来の制度や技術や知識が、そして舶来の思想も、上からの近代化の有力な武器として利用されるような時代には、知識人が明確な自覚をもって庶民に近づくのは、ことのほかむずかしかった。「中間層にとって公的および私的な官僚的編成のなかに系列化される牽引力の方が、『社会』を代表して権力に対する距離を保持しつづける力より、はるかに上廻った」という事態は、知識人の脆弱さを語るものであると同時に、上からの近代化の勢いの大きさを示すものであることを否定はできない。
 だからこそ、いっそう自覚的に、倫理的に、知識人たちは庶民層との交流を模索しなければならなかったが、自由民権運動の高まりのなかで、反権力へと傾斜していく一部の庶民とのあいだに一時的な交流はうまれたものの、日常の場での庶民層との交流はほとんど模索されることがなく、知識人たちは、自由と民権の思想性をつらぬくことよりも、官民の要職について舶来の知識や技術を生かすことに生きがいを見いだすことになった。
    --長谷川宏『丸山眞男をどう読むか』講談社現代新書、2001年、133-134頁。

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へーゲルの研究者として知られる長谷川宏さんが、著作『丸山眞男をどう読むのか』のなかで、個の自由や自立の思想がどうして根付かなかったのか、議論しているのが上の引用部分です。
※手がかりにするのは丸山眞男の戦時期の論文「国民主義の『前期的』形成」より(『丸山眞男集』第二巻、岩波書店、所収)。

長谷川さんは丸山の議論を参考にしながら、端的にふたつの理由を指摘しております。

「一つには、精神の強さが足りなかった。個人における個の自由と自立の不十分さをいうのに、精神が強くなかった」(130頁)ゆえに、「それよりも官職だの、社会的地位だの、権勢だの、名誉だのを追いもとめる」(131頁)ことになったと指摘。

こうしたところが明六社系知識人が雪崩をうって迎合するのと、福沢諭吉の毅然さを分かつことになるし、元々は平民主義を掲げていた徳富蘇峰が御用ジャーナリズムになるのに対し、旗を掲げなかった宮武外骨は「生き方」としてそれを終生実践したことと分かつことになる。

そしてもう一つが、上の引用箇所の問題になりますが、「知識人の知と思考が民衆に近づくという方向性をもたなかったことがあげられる。明治以降の近代化が上からの近代化だったこともあって、近代的な知や思考は、支配層と結びつきやすく、底辺の民衆の抵抗の思想として生きるのがむずかしかった」(131頁)というものです。

その結果、どうなったのか。歴史を振り返るまでもありません。本来人間を解放すべき「知」というものが、本末転倒の支配と隷属の「武器」として動員されてしまうことになってしまいます。

「知識人たちは、自由と民権の思想性をつらぬくことよりも、官民の要職について舶来の知識や技術を生かすことに生きがいを見いだすことになった」……。

体制翼賛に「動員」される知と知識人。この構造はおそらく今も変わっていないし、自由と知の拠点たる大学も、自立した個人とほど遠い「勉学」に励む「素行」正しい「忠良な帝国臣民」を「育成」することに全力であることは否定できない。

ただ、それでも僕自身は、時代の空気としては、わずかながらも変革の機運を感じている。社会のネットワーク化は、独占された「知」を解放する小さなきっかけになっているし、自立的庶民の横断的な連携もちらほら芽生えている。支配や指導とは無縁の、庶民のなかに広がる自由への願いが、お仕着せにしかすぎない社会の常識や良識といったものを、「小水石を穿つ」ていくのだと思う。

夢想的と笑われるかもしれませんが。

その意味では、「頭にくること」がマア、多いわけですが、あきらめずに、その怒りを創造へ転換していくしかないですね。

これまでは、知識人や社会的上層の人々が、庶民の忍耐にあぐらをかき、いいように「無知」として退けてきたのがその歩みだと思う。しかし、時代は違うはずだ。

もの言い、考え、連携する無名の挑戦こそ時代を大きく転換する。

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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『カラマーゾフの妹』=高野史緒・著」、『毎日新聞』2012年08月05日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『カラマーゾフの妹』=高野史緒・著
 (講談社・1575円)

 ◇原作の「謎」、鮮やかに解き尽くす本格推理“続編”
 『カラマーゾフの妹』というタイトルを見て、「えっ、あの<兄弟>に妹なんていたっけ?」と頭の中に疑問符が点滅し始めたら、もう作者の術中におちいったも同然だ。そう、これはロシアの文豪、ドストエフスキーの大長篇『カラマーゾフの兄弟』(以後、字数節約のため『カラ兄』と略称)の続編という形をとった、本格推理小説なのである。第五八回江戸川乱歩賞の栄冠に輝いた作品だが、著者の高野氏はすでにファンタジー・SFの世界で一家をなし、ロシア文化通として知られるプロの書き手である。
 原作に登場する兄弟とは、奔放な情熱と善良さを兼ねそなえた長男ドミートリー、「神がなければすべては許される」と考える冷徹な無神論者イワン、敬虔(けいけん)で純粋な魂を持った三男アレクセイ(愛称アリョーシャ)。さらに、もう一人、下男のスメルジャコフも血がつながっているらしい。事件はこれらの兄弟が父のもとに集まったときに起こる。父が何者かに殺され、彼が若い愛人のために用意した三千ルーブリという大金が盗まれるのだ。さて、その真犯人は?……
 原作の序文を読めばわかるとおり、ドストエフスキーは続編を書くつもりだった。それは小説の本当の主人公アレクセイの十三年後を描くものになるはずだったのだが、著者は一行も書かないまま病没した。はたして『カラ兄』の続編とは、どんなものになる予定だったのだろうか? その疑問が、後世の多くの研究者、愛読者の頭を悩ませることになった。日本ではつい最近も、ロシア文学者、亀山郁夫による『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』(光文社新書)という一つの案が示されたばかりだ。
 高野史緒は、作家としての奔放で豊かな想像力と、当時のロシアの社会情勢や科学技術の発展といった背景の知識を駆使して、新たな解答を導き出した。原作の十三年後、今や内務省で犯罪捜査の専門家として活躍するイワンが帰省し、「カラマーゾフ事件」の真相究明に乗り出すと、また新たな殺人事件が発生し、謎はますます深まっていく--という設定である。高野氏は『カラ兄』の細部におよぶ執拗(しつよう)なまでの緻密な読みに基づいて、原作に埋め込まれていた「手がかり」ないし矛盾を掘り起こしていく。
 三千ルーブリという現金はそもそも実在したのか? 犯罪に使われた凶器はいまどこにあるのか? 父親殺しをそそのかしたのはいったい誰だったのか? 父を殺したのは「あなたじゃない」という、アレクセイのイワンに対する言葉の本当の意味は? 悪魔や大審問官が同居しているように見えるイワンの精神構造はどうなっているのか? イワンの心の奥深くに秘められた幼時のトラウマとは何なのか? アレクセイは、本当に皇帝暗殺をもくろむ革命家集団に身を投ずるのか? そのリーダーはいったい誰か?

 疑問をこのように書き出しただけでも膨大なリストができるが、驚嘆すべきことに、本書はそのすべてに答える鮮やかな謎解きを提示する。新たな真犯人説は、例によって、一番あり得ないような奇想天外なものだが、荒唐無稽(こうとうむけい)な遊びとばかりは言えない。この作品は、原作の深い理解と精読に支えられた豊かな可能世界になっているのだ。これだけでも独立した作品として十分に楽しめるように書かれているが、ドストエフスキーの原作におもむけば読書の快楽は倍加する。難解長大で敬遠されがちな古典の読みどころを、本書は的確に教えてくれるからである。快作に脱帽。
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『カラマーゾフの妹』=高野史緒・著」、『毎日新聞』2012年08月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120805ddm015070017000c.html


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隣り人を自分自身のように愛せよということは、すべての人を同じように愛せよという意味ではない。

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 隣り人を自分自身のように愛せよということは、すべての人を同じように愛せよという意味ではない。なぜなら、わたしも自分自身の存在のありようを全部が全部同じように愛しているわけではないからだ。また、すべての人を決して苦しませてはいけないということでもない。なぜなら、わたしは自分自身を苦しませることをいとわないのだから。そうではなくて、宇宙についての考え方がひとつびとつちがっているように、ひとりびとりの人との関係もちがってよいということがあり、単に宇宙の一部分と関係しあっているのではないということである。
    --シモーヌ・ヴェイユ(田辺保訳)『重力と恩寵』ちくま学芸文庫、1995年、230頁。

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昨夜は、中国へ留学中で一時帰国された若き英才たちと、ごっつり飲んでしまいました。

たのしいひとときをありがとうございました。

そういう若いひとたちがいるということは、まだまだ、この世間様も捨てたものではないと思いつつ、今日はヒドイ二日酔い。

みなさま、遅くまでありがとうございました。

私自身も負けずにがんばろうと思います。


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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『若い読者のための世界史 上・下』=E・ゴンブリッチ著」、『毎日新聞』2012年08月05日(日)付。

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今週の本棚:荒川洋治・評 『若い読者のための世界史 上・下』=E・ゴンブリッチ著
 (中公文庫・上巻800円、下巻700円)

 ◇やわらかく簡潔に、歴史を表現する
 ウィーン生まれの高名な美術史家ゴンブリッチ(一九〇九−二〇〇一)が、原始から現代(第一次大戦まで)の歴史を書き表したもの。上下、二巻。
 二十五歳(一九三五年)のときに書いた。ウィーン大学を出ても仕事がない。ある日友人が英語の本「子どものための歴史書」のドイツ語訳をゴンブリッチに勧めた。彼は「自分ならもっと良いものが書ける」といって、短い期間で書きあげた。歴史を学んだ人ではない。でも歴史の魅力を伝える本になった。
 「ナイル川のほとり」「日月火水木金土」「だれもが読める文字」「けたちがいの戦争」など親しみやすい題で、全三十九章。たとえば第九章「小さな国のふたつの小さな都市」は、古代ギリシアの部族のこと。
 「これら部族は、ことばや姿ではたがいに大きなちがいはなく、話すことばは、耳をかたむければたがいに理解できる、同じ言語のなかの方言であった。しかし彼らは、しばしば、たがいに耳をかたむけることをしなかった。」
 彼らを結びつけるものは「共通の信仰と共通のスポーツ」。いまちょうど開催中のオリンピックの起源だ。それにしても「耳をかたむけることをしなかった」という表現は楽しい。同じ章。紀元前四八〇年テルモピュレーの戦いで、スパルタ人は教育された通り、勇ましく死んだ。アテナイ人はどうか。
 「武にかけて死ねることは、小さなことではない。しかし真に生きることは、おそらくもっとむずかしい。アテナイ人がえらんだのは、このよりむずかしい道であった。楽しく、快適に生きることではない。意味をもつ生き方である。」
 ああ、そうだったのかとぼくは思い、このあとのギリシアの哲学、建築、演劇(悲劇・喜劇)を語るところも理解できる。こんなことは知っているよと知識のある人はいうかもしれない。でも著者のやわらかい、はずむような文章で、ことの輪郭を知る。それがこの本を読む人のよろこびだ。
 第十一章「大きな民族の偉大な教師」では、アジアの「偉大な教師」孔子、老子を素描。つづく十二章は「偉大なる冒険」。アレクサンドロスの遠征が、世界を変える話だ。
 これ以上遠くには行きたくないよと、兵士たち。アレクサンドロスはしぶしぶ帰郷に同意。だが「ひとつのわがままを彼はつらぬいた。きたのと同じ道をもどらないことであった」。そのため、さらに「新しい世界」を見ることができたのだ。
 下巻(ルネサンスから現代)では宰相ビスマルクと社会主義の係わりに目をとめるなど、より激しくなった歴史の節目と流れを簡潔に、印象的に描く。また、「かつてのアテナイの市民のように、自由で独立していた」「ハンニバルも越えたであろうモンスニの峠を越えた」というように以前の章の舞台を再現しながら読者を導く。世界史の概略がこの一冊でわかるというわけにはいかないが、想像以上に充(み)ち足りた思いになる。
 美術史の人なのに、その方面の知見を披露する箇所は、とくに見あたらない。ゴンブリッチ青年は、ひろいところで、歴史を書きたかったのだ。こうした総合的な意識と能力をもつ書き手は、いまの時代も、とても少ない。その意味でこの本は、ひとつの歴史を示す。
 日本のことは少ない。開国に至る流れを記す場面で「日本人は、世界史のもっともすぐれた生徒であった」。日本はあまり出てこないけれど、世界の歴史のなかでは、これくらいがちょうどいいかも。(中山典夫訳)
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『若い読者のための世界史 上・下』=E・ゴンブリッチ著」、『毎日新聞』2012年08月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120805ddm015070004000c.html

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「いちばん足りなかったと思うのは、原爆体験の思想化ですね。わたし自身がスレスレの限界にいた原爆体験者であるにもかかわらず」ということについて

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 爆破直後には、市民がワーッと司令部の構内に逃げ込んできましたから、塔の前の広場がまたたくまに、被爆者で埋まってしまった。足の踏み場もないくらいだった。背中の皮なんかベローッとむけちゃった人なんかザラです。女の人は半裸体で、毛布かなんかで体を隠して、何にも語らない。放心状態ですね。真夏ですから、上からカンカン日が照りつける。ヤケドの薬なんて何人分も用意してなかった。そんなに大勢の人が一度にヤケドするなんて想像もしないでしょう。ずいぶんあとになって、呉の海軍から飛行機で薬を投下してくれましたけどね。それまでほったらかしでした。そういう目をそむける後継をさんざ見てるわけですねえ。それでいて原爆の意味ということを、今日になって考えるほどには考えなかった。やっぱり、戦争がすんで、やりきれない時代が終わったって感じのほうがつよかったです。(1967年)
    --丸山眞男・鶴見俊輔「普遍的原理の立場」、『鶴見俊輔座談 思想とは何だろうか』晶文社、1996年、20頁。

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丸山眞男が広島の原爆の被爆者であることは、余り知られていない。

1944年、30歳の時、東京帝国大学法学部助教授でありながら、陸軍二等兵として召集を受けた。これは懲罰的召集の意味合いの強いものだったが、幹部候補生に志願するでもなく、二等兵のまま朝鮮半島へ。その後、脚気で除隊、東京へ戻るものの、1945年3月に再度召集を受け、広島市宇品の陸軍船舶司令部へ配属された。

1945年8月6日のその日、司令部から5キロメートルの地点に原子爆弾が投下された。

氏自身は、その体験については広範に書き残してはいない。

上の文章は、1967年、鶴見俊輔と『思想の科学』の対談で語った「地獄」の様子で、少し抜き書きしてみました。

状況を描写するまえに、氏は、次のように言う。

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わたしはね、ちょっとずれるかもしれないですが、いまかえりみて、いちばん足りなかったと思うのは、原爆体験の思想化ですね。わたし自身がスレスレの限界にいた原爆体験者であるにもかかわらず。ほかの、たとえば、戦争中の学問思想に対する抑圧についてのわたし自身の経験とか、あるいは、さかのぼれば震災体験ですね。九つのときですから、戦争体験よりもむしろ強烈なんですよ」
    --丸山、鶴見、前掲書、18-19頁。

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丸山は「原爆体験の思想化」が足りなかったという。
もちろん、原爆体験について語っているし、思想化は足りないどころか、様々なかたちで言説化されているとは思う。

しかし、これはやはりどこまでいっても第三者の眼差しなのかもしれない。

「スレスレの限界にいた」体験者であるがゆえに、それを何か「装飾」するということが不可能であるかも、との強烈な示唆なのじゃないのかと思ってしまう。

簡単なことではないということでしょうか。そしてそういう簡単なことではないという言語の「真空地帯」というものが、存在するということもであるのだと思う。

原爆やら、戦争はこりごりだとはほとんどの人がそう思う。それでよいと思う。

しかし、「真空地帯」にいる人間は、「語ることの地平」で言葉を失うのは事実であり、場合によって善し悪し含めて「言語」も奪われていくこともあるというのも事実なんだろう。

そして、その不幸な「真空地帯」の拡大再生産は今も続いている。


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覚え書:「今週の本棚:COVER DESIN 『広島、1945』」、『毎日新聞』2012年8月5日(日)付。

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今週の本棚:COVER DESIN 『広島、1945』
(南々社、1890円)

 1945年の広島の変貌を写真で描く『広島、1945』(南々社、1890円)。8月6日を挟んで、わずか一発の原子爆弾が街の姿を大きく変えてしまったさまを伝える。表紙は勤労動員先で撮影された広島女学院高等女学校の卒業式。
    --覚え書:「今週の本棚:COVER DESIN 『広島、1945』」、『毎日新聞』2012年8月5日(日)付。

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「自信過剰、狂信、強烈な劣等感、ときに病的なほど強くなる一等国へのこだわり」としてのオリンピック

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(東京オリンピックでは……引用者補足)メダルもたくさん獲得した。金メダルの数は十六で、これはアメリカとソビエトに次ぐ三番目の成績だ。日本国民は競技の成績にこだわっていたが、そのこだわりは必要以上に強すぎたように思う。マラソンの円谷幸吉とハードルの依田郁子は、国民の期待に応えられず、後に自殺している。特に哀れなのは円谷で、競技場には二位で帰ってきたものの、ゴール直前、悲鳴を上げる母国の観衆の目の前でイギリス人選手に抜かれてしまったのである。銅メダルを手にしたとはいえ、そんなものは何の慰めにもならなかった。
 日本人は、自分たちが何等国かを常に意識してきた。そうした日本人にとって、スポーツでの勝利は敗戦の記憶を癒す手段の一つだった。
    --イアン・ブルマ(小林朋則訳)『近代日本の誕生』ランダムハウス講談社、2006年、11-12頁。

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先日も言及したとおり、近代オリンピックは、必ずナショナル・アイデンティティに収斂されていくし、それが包摂性をいかに装おっていようが、勝他の念は、排他的なものとして必然されるから、このからくりを認知しないレベルにおいて、単純に、

「がんばれ、ニッポン」

……ってやらないし、基本的には見ない。

そこで活躍するのは個々のアスリートひとりひとりの勇姿・奮戦であって、そこにレプリゼントとしてのナショナル・アイデンティティはそもそも容喙するものではない。

見るなら、それだけを見ればよい。人間が卓越したアスリートをリスペクトする視座であれば問題はないのであろう。

しかしながら、「おい、なんで、てめぇ、日本を応援しねぇんだ」って輩も沸いてくる。そういう御仁というのは、日頃はスポーツにほとんど関心がなく、クラブチームや個々の選手の努力を継続的サポートする気もさらさらなく、結果にだけ注視し、自信過剰に酔いたい手合いというのが常道でしょう。

しかし、それ以上に「おい、てめぇ」って噛みついてくるのがメディアであったり、政治家であったりするから驚くし、市井のひとびとが「おい、てめぇ」以上に恫喝してくることにはあきれかえってしまう以上に、もはやそれは「犯罪」ではないのかと恐怖してしまう。

8月1日付の『産経新聞』掲載の『【末代までの教育論】五輪で金メダル獲っても噛むな特集:末代までの教育論 野々村直道(前開星高校野球部監督)』では、「国に殉ずる覚悟で闘え!」と絶叫し、「円谷幸吉」たれと、選手に鞭を打つ。

冒頭では、イアン・ブルマの近代日本論からの引用ですが、円谷幸吉を自死たらしめたのは誰か。国家であり、そのイデオロギーを吹聴したメディアであり、そしてそれに動員された一人一人の国民である。

こんな再現はまっぴら御免だ。

さて1964年の東京オリンピックより「柔道」が新たな種目として加わることになる。JOC(日本オリンピック協会)は開催国の権限を利用して採用させるわけだが、柔道には日本古来の競技ゆえに日本人がメダルを取りやすいこと、そしてもう一つは、技が腕力に勝ることが「ウリ」の競技だからだ。西洋の大男相手に小柄な東洋人がそれをひねり倒す。そしてその妙味には、かならず精神世界が関与するって寸法でしょう。

JOCは入念に、体重別の「級」のほかに「無差別級」を導入する。

こうした経緯をみると、そろそろ自分たちの実力をもっと伝統的な形で見せつけたいという思惑の発露。まるで自分のしゃべっている声を自分で聞きたいという感でもある(デリダ『声と現象』)。

さて、今回は、男子柔道はメダルが0になったという。

どうでもいい話だし、個々人は奮闘した、ただそれだけのことである。
尊大も卑下も無用だ。

しかし、ここにのっかかる政治家も「沸いて」くる。

すこし前後するが、それは石原慎太郎東京都知事である。

3日の記者会見にて「西洋人の柔道ってのは、けだもののけんかみたい。(国際化され)柔道の醍醐味ってどっかに行っちゃったね」……なのだそうな。

東京オリンピック柔道無差別級決勝はオランダのA・ヘーシングと神永昭夫の熱戦となった。僅差する奮戦の末、ヘーシングが勝利する。オランダ人たちは英雄を讃えようと畳に駆け上がろうとするが、ヘーシングはそれを制止し、神永の方を向くと礼をした。

「西洋人の柔道ってのは、けだもののけんか」っていう都知事こそけだもののような気もする。

私が日本人であることを「背負っているもの」として「廃棄」することは不可能だ。それは偶発性にすぎないものであったとしてもである。そう偶発的に「背負っている」。

しかし、そのことがらを自覚して、体制のいいように「収斂」されていくことを避けつつ、ひとりひとりの人間を「まなざしていく」ことは可能である。

オリンピックはその意味では、メッキが剥がれたり、正体の出てくるいい機会だと思う。

「自信過剰、狂信、強烈な劣等感、ときに病的なほど強くなる一等国へのこだわり」(ブルマ、前掲書、15頁)こうした呪縛を認識するほかありませんワ(涙


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【末代までの教育論】五輪で金メダル獲っても噛むな
特集:末代までの教育論 野々村直道(前開星高校野球部監督)
 「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿もちも美味しうございました」

 こう始まる遺書を残して円谷幸吉選手は自らの命を絶った。

 1964(昭和39)年の東京五輪。マラソン(当時は男子のみ)で銅メダルを獲得、日本中を沸かせた男である。

 国立競技場に、先頭のアベベに続いて入ってきた円谷選手はトラック内でドイツのヒートリーに抜かれ銅メダルに終わる。最後の最後に抜かれたが、彼は一度も後ろを振り向かなかった。父親から「男は後ろを振り向くな!!」と言われ続けてきたからだという。

 東京五輪最終日に展開されたこの劇的なドラマは、中学1年生であった私に鮮明な記憶として残っている。特別に華々しいパフォーマンスをすることもなく淡々と表彰台に登り、少し照れ臭そうに優しく手を挙げて大観衆に応えていた。開催国日本の陸上界唯一のメダルであった。

 そして、期待と重圧の中で迎えた4年後のメキシコ五輪、68(昭和43)年の新年に人生を終えた。享年27。遺書は兄姉や親戚の子どもたちに語りかけたあと次のように締めくくられる。

 「父上様母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」

 彼が陸上自衛隊所属であり“国家の為”を強く意識していたとはいえ、この責任感と自尊心の美しさは何なのだろう。

 国を守るため毅然として死地に赴く特攻隊員と似たものを感じる。自殺と呼べば簡単だが、これは“走れない”ことで国家に迷惑をかけるという武士道の“恥”の概念からの「切腹」と同意である。

 ロンドン五輪が始まった。野々村から十箇条の応援メッセージを発信する。

 一、選手よ! 自分のためだけに闘うなかれ!

 二、国家の栄誉と誇りのために闘え!

 三、国に殉ずる覚悟で闘え!

 四、国を代表しているのなら国旗と国歌に真摯に向かえ!

 五、斉唱中に体をゆすったり首を回したりするなかれ!

 六、国旗国歌に敬意を示さぬ者は国民でもなく代表でもない!

 七、最高の栄誉である金メダルを獲ってもメダルを噛むなかれ!(メダルは名誉ある勲章)

 八、拳拳服膺(けんけんふくよう)して厳かに振る舞え!(こころの扱い方で物にも品格は生まれる)

 九、民族としてその精神性を世界に示せ!

 十、日本人として振る舞い世界にその格調を知らしめよ! (毎週水曜日掲載)
    --「【末代までの教育論】五輪で金メダル獲っても噛むな 特集:末代までの教育論 野々村直道(前開星高校野球部監督)」、『産経新聞』2012年8月1日。

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http://www.sanspo.com/geino/news/20120801/sot12080105010000-n1.html

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石原都知事「西洋人の柔道はけだもののけんか」

 東京都の石原慎太郎知事(79)は3日の定例会見で、ロンドン五輪で柔道勢の苦戦が続いていることについて「西洋人の柔道ってのは、けだもののけんかみたい。(国際化され)柔道の醍醐(だいご)味ってどっかに行っちゃったね」と話した。「ブラジルでは、のり巻きにチョコレート入れて食うってんだけど、これはすしとは言わない。柔道もそうなっちゃった」と述べた。
    --「石原都知事『西洋人の柔道はけだもののけんか』」、『スポーツ報知』2012年8月4日。

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http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20120803-OHT1T00324.htm

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『無縁』想定した備えを急げ=湯浅誠」、『毎日新聞』2012年8月3日(金)付。

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くらしの明日 私の社会保障論
「無縁」想定した備えを急げ=湯浅誠 反貧困ネットワーク事務局長

「三縁」が支える幸福度トップの福井県
 先日、福井に行ってきた。福井県は法政大学の幸福度調査で全国一に輝いた。背景には3世代同居率の高さ、共働きの夫婦の多さ、中小企業の集積、正社員率の高さ、持ち家率の高さ、学力の高さ、県民の勤勉さなどがある、という。
 自分の両親と一緒、または近接した暮らしによって、子どもの面倒をみてもらうことができ、それが共働きを可能にする。職住接近で、実家から会社に通うことができる。大企業はないが中小企業が多く、会社共同体が残っているので正社員率が高い。世帯主の収入は高くないが、世帯全体での収入は高い。だから自分の家を持つことができ、出生率も高い。子どもの教育も保障できる。
 どことなく「三丁目の夕日」的郷愁が漂う。福井県の人は「周回遅れのトップランナーのようなところがある」と言っていた。高度経済成長やグローバル化から取り残されていたからこそ、家族共同体(血縁)、地域共同体(地縁)、会社共同体(社縁)が今でも残っている。それは「無縁化」に苦しんでいる都市部からは、うらやましく見える。
 高度経済成長だ、グローバル化だ、と前へ前へと進んでいたら、負の側面がいろいろ出てきた。人口減少、生産年齢人口減少によって走る向きを逆転させてみると、前の者が後に、後の者が前になる。前近代的、古臭いと言って切り捨ててきた側面が見直される。福井の前には、政府が「国民総幸福量」を重視した政策を行う国、ブータンがいる。
 しかし、時計の針は戻らない。「いいものを守りながら、いかに対処していくか」が課題だと、福井県の人たちは当然理解している。グローバル化の進展による競争激化は、社縁の維持を困難にする。若年層の県外流出や高齢化は、家族介護の負担増など血縁のメリットをデメリットに変えるかもしれない。


 必要なことは、三つの縁が健在なうちに、それらを補完する社会的機能を育てておくことだろう。3世代同居の良さを守りながら、同時に子育て・介護の社会化を進める。正社員率が高いうちに非正規の待遇改善を進める。地域コミュニティーがまだ元気なうちに、NPOなどの雄志の縁を育てる。
 これは極めて困難なことだ。「縁」があるうちに「無縁」を想定して備える。それを地域全体の課題として合意形成する。現状が前提になっている多くの人たちの理解を得るのは、まさに「言うはやすし」の世界だ。少なくとも、日本社会全体としてはできなかった。ここに、日本社会の今の苦しみがある。
 福井は母方の故郷だ。ぜひ、課題先進国・日本のトップランナーになっていただきたい。

ことば・幸福度調査 法政大学大学院政策創造研究科が昨年、47都道府県を▽生活・家族▽労働・企業▽安全・安心▽医療・健康--4部門40指標について評価した。トップ3は福井、富山、石川。ワースト3は大阪、高知、兵庫だった。一方、経済協力開発機構(OECD)が今年公表した加盟国など36カ国の幸福度調査では、日本は21位。「教育」や「安全」の項目で順位が高かったが、「仕事と生活の調和」や「生活満足度」の評価が低かった。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 『無縁』想定した備えを急げ=湯浅誠」、『毎日新聞』2012年8月3日(金)付。

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書評:ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』以文社、2007年。

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ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』以文社、2007年。

フーコーの生政治、アーレントの全体主義の交差を系譜学的に理解する試み。

アガンベンは古代ローマの特殊な囚人たちは「ホモ・サケル(homo sacer,聖なる人間)」に注目する。社会的・文化的特性の一切が奪われた彼らを殺しても誰も罪にならない。ただし、生贄にすることは禁じられている。殺害可能かつ犠牲化不可能という二重の契機に晒された生をホモ・サケルと呼ぶ。それはまさに「ただ生きている」だけである。これが「剥き出し」の状態である。

「剥き出しの生」とは「主権権力の外に位置する者」の意味でもある。。こうした生は現代に至るまで存在してきたとアガンベンは指摘する。生政治とは、ギリシアでは人間の生存に配慮する政治のことであるが、ローマでは、ホモ・サケルを設定することで、政治空間を形成した。


「剥き出しの生」は強制収容所のユダヤ人や安楽死を想起すると分かりやすい。社会には法の領域の外、すなわち限界概念として定立する人間が必ず存在し、その線引きは権力により行われる。人類は形をかえながらも「例外状態」(シュミット)を再生産し続けている。

やや難解な一冊ながら、最前線の「生政治」を考察する上では必読でしょうか。フーコーの権力論をさらに充実たらしめるその営為に驚くばかり。幸いに著作の邦訳は多いし、エファ・ゴイレン(岩崎稔、大澤俊朗訳)『アガンベン入門』(岩波書店、2010年)と併せて読むと良いかも知れない。久しぶりに「脳」が刺激を受けた一冊です。

クローチェ、グラシムから、エーコ、ネグリ、ペルニオーラ、そしてアガンベン……。

半島からの刺激が思索を新しく“撃つ”とでも言いますか。おすすめです。

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書評:ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』以文社、2007年。

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ジョルジョ・アガンベン(高桑和巳訳)『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』以文社、2007年。

フーコーの生政治、アーレントの全体主義の交差を系譜学的に理解する試み。

アガンベンは古代ローマの特殊な囚人たちは「ホモ・サケル(homo sacer,聖なる人間)」に注目する。社会的・文化的特性の一切が奪われた彼らを殺しても誰も罪にならない。ただし、生贄にすることは禁じられている。殺害可能かつ犠牲化不可能という二重の契機に晒された生をホモ・サケルと呼ぶ。それはまさに「ただ生きている」だけである。これが「剥き出し」の状態である。

「剥き出しの生」とは「主権権力の外に位置する者」の意味でもある。。こうした生は現代に至るまで存在してきたとアガンベンは指摘する。生政治とは、ギリシアでは人間の生存に配慮する政治のことであるが、ローマでは、ホモ・サケルを設定することで、政治空間を形成した。


「剥き出しの生」は強制収容所のユダヤ人や安楽死を想起すると分かりやすい。社会には法の領域の外、すなわち限界概念として定立する人間が必ず存在し、その線引きは権力により行われる。人類は形をかえながらも「例外状態」(シュミット)を再生産し続けている。

やや難解な一冊ながら、最前線の「生政治」を考察する上では必読でしょうか。フーコーの権力論をさらに充実たらしめるその営為に驚くばかり。幸いに著作の邦訳は多いし、エファ・ゴイレン(岩崎稔、大澤俊朗訳)『アガンベン入門』(岩波書店、2010年)と併せて読むと良いかも知れない。久しぶりに「脳」が刺激を受けた一冊です。

クローチェ、グラシムから、エーコ、ネグリ、ペルニオーラ、そしてアガンベン……。

半島からの刺激が思索を新しく“撃つ”とでも言いますか。おすすめです。

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覚え書:「みんなの広場 ゆとり世代 ばかにしないで 高校生」、『毎日新聞』2012年8月2日(木)付。

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みんなの広場
ゆとり世代 ばかにしないで
高校生 17(札幌市西区)

 先日、学校の先生に「こんなのも分からないのか」と怒鳴られた。それは。私たち、ゆとり世代が習ってこなかったものだった。
 ゆとり世代は、なりたくてなったものではない。なのに、「こんなのも分からないのか」とばかにするのは間違っていると思う。ましてや、先生方は私たちに勉強を教えている側なのに、ゆとり世代だからといって、怒鳴るのは先生としてどうだろう。
 先生だけでなく、ほかの社会人の人たちにも言えることだ。ゆとり世代は、ほかの世代に比べて宿題が少なく、家で勉強をする習慣があまりない。習った勉強がほかの世代よりも少ないうえ、その勉強を復習する時間も少ないとなると、ほかの世代ととても大きな差がつくことになる。
 ゆとり世代になりたくてなったのではない。だからばかにするのはよくない。ただ、ゆとり世代はほかの世代より学んでいる量が少ないので、人一倍学ぶ必要はあると思っている。
    --「みんなの広場 ゆとり世代 ばかにしないで 高校生」、『毎日新聞』2012年8月2日(木)付。

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書評:「吉野孝雄『宮武外骨伝』(河出文庫)、『第三文明』2012年9月、92頁。

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吉野孝雄『宮武外骨伝』河出文庫

権力と戦った“操觚者”の稀有なる魂の軌跡

 本書の主人公・宮武外骨(がいこつ)ほど型破りな人間はそうそう存在しない。反骨のジャーナリスト、著述家、明治文化・風俗史・新聞雑誌研究家……。巨人を形容するには、どれも不足となってしまう。
 では何と呼ぶべきか。外骨の自認通り「操觚者(そうこしゃ)」と表現しよう。操觚者とは古来、文筆を生業(なりわい)として生きる者のことである。明治前期のジャーナリストは操觚者と名乗ったというが、それは、あらゆる手段で籠絡(ろうらく)しようとする権力に対して命がけで攻撃し続ける人間の異名でもある。
 外骨の武器はユーモアとウイットである。『滑稽(こっけい)新聞』『面白半分』など百編を超える雑誌や書籍で権力の老獪(ろうかい)さをあばき出す。筆禍(ひっか)による罰金・発禁は二十九回、入獄は四回、のべ四年間に及んだ。
 「自分は旗印として平民主義を掲げるのではなく、平民主義を生きるのだ。頓智(とんち)と諧謔(かいぎゃく)で人間の平等を主張するのだ。それが操觚者としての自分の生き方だ」
 明治維新は四民平等を唱えたが、その旗印はだいぶ色褪(いろあ)せてきた。平民主義を唱えた先達(せんだつ)が次々と懐柔(かいじゅう)されていくなかで、外骨だけは人間を非人間として扱う権力の魔性とは徹底して「生き方」として戦い続けた。その軌跡は「虚偽を排し形式を打破し、露骨正直天真爛漫(らんまん)、無遠慮に大胆に猛烈に其(その)虚を訐(あば)き実を写し以(もっ)て現代社会の指導者たり革命者たらん」生きざまである。
 外骨が標的にしたのは、虚偽を容認する人間の憶病な心である。魂と社会の変革は別々のものではない。そこに目を向けよ!
 そして、何をどう「笑い飛ばすのか」。これは極めて現代の課題でもあろう。最も信頼できる評伝の新装新版の文庫収録を寿(ことほ)ぎたい。
    --拙文「吉野孝雄『宮武外骨伝』河出文庫 権力と戦った“操觚者”の稀有なる魂の軌跡」、『第三文明』2012年9月、92頁。

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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『モラヴァジーヌの冒険』=ブレーズ・サンドラール著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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今週の本棚:若島正・評 『モラヴァジーヌの冒険』=ブレーズ・サンドラール著
 (河出書房新社・2940円)

 ◇世界に破滅をもたらす“狂人”の物語
 世の中にあまたある小説で、いちばん好きな題名を挙げろと言われたら、わたしは躊躇(ちゅうちょ)せずに『世界の果てにつれてって』を選ぶ。なぜなら、小説というものはそれこそ世界の果てにつれていってくれるものではないか、と思うからだ。この『世界の果てにつれてって』は、作者がブレーズ・サンドラール、そして訳が生田耕作で、東京創元社から出ていた。若い頃、この本になぜか出会ったことがなく、わたしにとっては長いあいだ探索本の一冊になっていたが、あるとき旅行先でふと立ち寄った、誰も客が入っていないさびれた古本屋で、なんと一冊百円で見つけたときには欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したものだ。
 そういう体験を持つ身としては、『世界の果てにつれてって』の作者サンドラールの代表作とも言うべき『モラヴァジーヌの冒険』がほぼ四十年ぶりに復刻新版で出たというのだから、ぜひ買って読まねばという気になった。
 物語そのものは、『世界の果てにつれてって』と同じく、荒唐無稽(こうとうむけい)なものである。主人公のモラヴァジーヌは、「最後のハンガリア王の唯一の正統なる子孫」として未熟児で生まれ、十八歳のときに公女リタの腹をめった斬(ぎ)りにして投獄された。語り手である若い医者は、ありとあらゆる檻(おり)を、監獄を開放して、野獣たちを野に放ち、「思いがけない人間生命の展開」を実地に研究したいという熱情に駆られて、この「腹裂きジャック」こと狂人モラヴァジーヌの脱走に手を貸し、その世界中を駆け巡る冒険に付き添う。
 これが物語の骨組みであり、それがモラヴァジーヌを、そして作者サンドラール(彼は登場人物の一人として出てくるし、「私はいかにして『モラヴァジーヌ』を書いたか」という長い自己弁護のくだりを巻末に付けている)を突き動かすすべてである。小説の結構はあえて無視され、話の展開はほとんど破れかぶれの様相を呈する。
 二〇世紀の初期という世界的な動乱の時代に生きる主人公たちは、革命今たけなわのロシアに赴き、テロリストたちの活動に加わる。さらには、「実利性原則とその無限の応用」が人間の生活や思考から芸術作品までを変えてしまった、アメリカに渡る。無軌道というしかないモラヴァジーヌの軌跡は、世界中を放浪したという作者サンドラールの軌跡を歪(ゆが)んだ鏡のように映しだしている。当時の飛行機熱を反映して、飛行機で世界一周する計画を抱いたモラヴァジーヌは、まだ悩むことを捨て切れない語り手に向かってこう言う。「形而上(けいじじょう)学的不安だの苦悩だのというのには笑わされるよ。……だがなおまえすべてはこれ無秩序なんだぞ。……人間どもの生命、思想、歴史、戦い、発明、商売、芸術すべて無秩序だ。……それをなぜ秩序だてようなどとするんだ。……真理なんてあるもんか。行動しかありゃしない。無数の異なった動機からくる行動だけだ。はかない束(つか)の間の行動だ」
 この小説のおもしろさは、行く先々で破滅をもたらすモラヴァジーヌを読者が追いかけているうちに、世界が彼を動かしているのか、それとも彼が世界を動かしているのかわからなくなっていくところにあるだろう。第一次大戦へと突入していく世界は、いわばモラヴァジーヌの足跡をたどりつつあったのだから。世界を、そして小説という形式を転覆することを無軌道にくわだてたサンドラールが、まだ生きていて、狂人モラヴァジーヌを約百年後の今の世界に放ったとしたら、いったいどんなハチャメチャな物語を書いただろうか、とつい想像したくなる。(伊東守男訳)
    --「今週の本棚:若島正・評 『モラヴァジーヌの冒険』=ブレーズ・サンドラール著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120729ddm015070016000c.html

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書評:山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』文藝春秋、2012年。

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※twitterまとめですいません。

山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』文藝春秋、読了。著者は岩手県気仙沼地方で開業するカトリックの医師。四福音書をギリシア語から日本各地の方言で翻訳(『ケセン語訳新約聖書』イー・ピックス)。本書は、聖書の翻訳で考えたことを、先の震災での経験を踏まえ語ったエッセイ集。

ケセン語とは岩手県気仙沼地方の方言。イエスがケセン語、祭司が京都弁、ローマ人が鹿児島弁。キリスト教の標準日本語翻訳語を使わず、日常語で山浦さんは翻訳。西洋の思想・宗教を「借り物」ではなく、生きるしるべとして受容することの意味考えさせられる。

例えば、「わたしは復活であり、命である」は「この俺(おれ)にァ、人(ひと)ォ立(た)ぢ上(あ)がらせる力(ちから)ァある。活(い)ぎ活(い)ぎど人(ひと)ォ生(い)がす力(ちから)ァある」と訳される。

絶望の淵から立ち上がるというフレーズよりも、人は生きていくしかないというのが現実ではないだろうか。しかし出来合いの言葉や使い古された言い回しで人間は生きるものではない。聖書の訳業と厄災の中で筆者の考えた足跡は普遍的なメッセージである。

キリスト教関係者だけでなく、『ガリラヤのイエシュー』と共に広く読まれてほしい一冊。普遍的なメッセージとは、平板な中央に何か公式としてあるのではなく、辺境とされる地方から烽火として「立ち上がる」ものかもしれない。

池澤直樹さんの書評「本当の心の隣にある聖書」
→ http://hon.bunshun.jp/articles/-/453

東京新聞のインタビュー「方言で耳にすんなり ケセン語訳聖書に情熱燃やす 山浦玄嗣さん」
→ http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/doyou/CK2012010702000174.html

2011年7月23日、山浦玄嗣講演会「東日本大震災とどう向き合うか 被災地から見た3・11」 上智大学100周年記念:
→ http://youtu.be/T3ydN8juOGM

ケセン語訳聖書・バチカン献呈への旅 http://www.epix.co.jp/ebook/vatican/index.html

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覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『豊かさのなかの自殺』=C・ボードロ、R・エスタブレ著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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今週の本棚:養老孟司・評 『豊かさのなかの自殺』=C・ボードロ、R・エスタブレ著
 (藤原書店・3465円)

 ◇社会学の視点で発生率変動の要因を探る
 自殺に関する書物は二つに大別される。一つは精神医学・心理学に基づき、もう一つは社会学に基づく。本書は後者の典型といっていいと思う。その範例になっているのは、十九世紀末に書かれたエミール・デュルケームの『自殺論』である。著者たちはデュルケームと同じフランス人で、その文化的伝統を継ぐものであろう。
 デュルケームは十九世紀の欧州諸国では、経済的な豊かさが進むとともに、自殺が増加することを、統計的に明瞭に示した。本書はそこから説き起こす。現在の世界でも、横軸に一人当たりGDP(国内総生産)をとり、縦軸に自殺率をとると、右肩上がりの回帰直線が描かれる。日本はその右端近くに位置し、日本より右よりになるのは、一人当たりGDPがより高いスイスだけである。たしかに豊かさには自殺を生み出す傾向があるらしい。
 それならデュルケームが述べたように「貧困が人々を自殺から守る」のであろうか。それは違う。著者たちはそう結論する。じつは経済的に豊かな国で自殺率が最高になるのは「中心部や都市部ではなく、最も貧困な都市周辺部において」なのである。米英仏、日本などのデータがそれを示している。それならいわゆる「格差の増大」が自殺の増加を引き起こしたのではないか。この仮説はデータによって明らかに否定される。現代の「豊かな」社会では、むしろ社会内部の格差は縮小する傾向にある。さらに世界的に貧困な国では自殺が少ないが、格差はきわめて大きいのが常である。
 本書の第二章以下で、順次この問題のより詳細な解析が示される。十九世紀の欧州ではたしかに豊かさの増大と自殺率の増加には、みごとな相関関係があった。しかし二十世紀に入った頃から、事情が異なってくる。むしろ自殺率は横ばいの傾向になってくるのである。とくに大都市では自殺率が下がる。十九世紀には自殺は大都市の現象であり、田舎は安定していた。それが逆転するのである。
 自殺率の変動について考慮すべき事柄は、むろん経済だけではない。まず戦争は例外なく社会の自殺率を低下させる。出生率が高いほど、自殺率は下がる。高齢化するほど、自殺率は高くなる。本書の中ほどは、そうした現象の解析に当てられる。それぞれについて検討すべきことがたくさんある。たとえば高齢化と自殺の関係について、著者たちは日本の例を取り上げている。一九五〇年と一九九五年の日本での男女それぞれの年齢別自殺率がグラフで示される。一九五〇年では若者の自殺が多く、さらに六十代以降の自殺は強い右肩上がりとなる。しかし一九九五年ではそれがはるかに平坦化し、軽い右肩上がりを示すのみとなる。他方、九五年と二〇〇〇年を比較するなら、とくに男性で後者の自殺率はほぼ各年齢層を通じて高くなった。この傾向がなかなか止まらないことはご存知のとおりか。
 自殺の国際比較もさまざまな示唆を与える。最初のGDPと自殺率の関係では、旧ソヴィエト圏諸国がGDPが低いにも関わらず、自殺率は異常に高い。グラフ上では特異なブロックをなしていることが一目でわかる。また男性の自殺率が女性の数倍高くなるのが一般だが、中国では男女の自殺率がほぼ等しい。これは女性のいわば抗議自殺に基づく。お嫁さんが大変なのは、過去の日本に限らない。
 評者は医学系の出身なので、自殺を著者たちのいう「身体パラダイム」から見る習慣がある。たとえば自殺の原因をうつ病のような身体的基盤に求めようとする。本書のような社会的な取り扱いは、そうした個人からの見地と相補的なものである。いわば顕微鏡による見方と、患者さんを全体として診る見方の違いといってもいい。本書から評者が学んだことの一つは、日本はけして特異的に自殺が多い国ではない、ということだった。むしろ自殺という点では、当たり前の、国際的には「常識的」な国といってもいい。端的にいえば、一人当たりのGDPがこれだけ高いと、このくらい自殺が多くなるのだという典型なのである。それでも旧ソヴィエト圏に比較したらはるかに少ない。
 自殺にはまず個人的要因があり、そのあとに環境要因のような二次的な要因が来る。年齢や「自殺は月曜日に多い」といった時期の問題は、三次的な要因となる。著者たちはそう指摘する。現在、いじめと自殺の話題が大きく取り上げられている。いじめられるから自殺するとは限らないという主張は一次要因を指しているが、話題の多くは二次要因に集中しているように思われる。自殺は複雑な問題であり、議論は単純ではない。だから訳者が「あとがき」に書いているように、多くの人に読んでもらいたい書物として本書を推薦したい。ただしそれなら日本語としての読み易さには、まだ改良の余地があると感じられる。読者代表としての編集者の努力に期待したい。日本語として読みにくい部分を指摘するのは、編集者の重要な仕事の一つだと信じる。(山下雅之ほか訳)
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『豊かさのなかの自殺』=C・ボードロ、R・エスタブレ著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120729ddm015070032000c.html


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覚え書:「今週の本棚:白石隆・評 『「Gゼロ」後の世界』=I・ブレマー著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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今週の本棚:白石隆・評 『「Gゼロ」後の世界』=I・ブレマー著
 (日本経済新聞出版社・2520円)

 ◇リーダーシップなき時代のリスクを展望する
 世界経済における新興国の比重が急速に増している。2003年、世界経済に占める新興国・途上国の比率は13%だった。それが2010年には34%となり、2017年には42%に増加するという。また世界の経済成長に占める新興国・途上国の貢献度は、2010〜2017年には、59%に達すると予測され、そのうち中国が22%、ASEANが6・3%、インドが4・2%、ブラジルが3・6%を占める。つまり、一言でいえば、世界的な富の分布、したがって、力のバランスは急速に、新興国に有利になっている。
 では、これは世界の政治経済にどのような意義をもつのか。今日の世界秩序は、国際連合、IMF(国際通貨基金)、世界銀行、WTO(世界貿易機関)など、アメリカ主導のさまざまの制度に支えられている。この秩序はきわめて強靱(きょうじん)で、新興国の台頭によってアメリカの力が相対的に低下しても、大きく崩れることはない。これが一つの考えで、アイケンベリーの『リベラルな秩序か帝国か』(勁草書房)はその好例である。
 本書はそれと対照的な立場を取る。30年前には、アメリカ、西ヨーロッパ、日本が世界経済を動かすエンジンで、G7が世界秩序の中核となっていた。しかし、新興国の台頭でG7はかつての力を失った。一方、中国、インド、ブラジル、トルコのような新興国は、国内になお多くの課題を抱え、世界の政治経済運営に大きな負担を引き受ける意思はない。したがって、G20には期待できない。ではどうなるか。
 これからしばらく世界の誰もグローバル・リーダーシップを引き受けられない時代が来る。それがGゼロの世界である。この時代には、世界は、思いもかけない方向から突然おこる危機に対して、特に脆弱(ぜいじゃく)になる。では、どのようなリスクがありそうか。どう対処すればよいのか。だれが勝者で、だれが敗者になりそうか。またそのあとにはどのような世界が生まれそうか。これが本書の問いである。
 二つ、特におもしろかった点を紹介したい。その一つは、だれが勝者になるかである。著者は国家で勝者になるのは「ピボット国家」だという。Gゼロの世界では、かつてより多くの国が独自のルールでゲームできるようになる。ピボット国家は、そういう中でも特に大きな行動の自由を手に入れる国である。たとえば、ブラジルは世界で最も安全な地域にある。この地域最大の消費者市場をもっている。資源にも恵まれている。アメリカが最大の貿易相手であるが、中国との貿易も急速に拡大している。また、どの国にもあまり依存せず、多くの国々と有益な関係を構築できる。
 もう一つは、Gゼロ後の世界の展望である。著者は、これについて、米中のG2体制、G20が十全に機能する協調体制、アジア、中東、欧州等、地域毎に違う秩序が併存する「地域分裂世界」、米中冷戦、そして秩序が世界各地で崩壊するGマイナスの世界を検討する。ただし、誤解のないよう述べておけば、著者の関心は未来予測にあるのではない。こういうシナリオを考えることで、世界にどのようなリスクがあるかを論じるのが狙いである。
 著者は近年売り出し中の政治リスク・アナリストで、その強みは、現代世界においてどのようなリスクがあるか、それがマクロの政治にどう連動するか、の分析にある。そういうつもりで読むと、サイバー空間、通商、国際標準、水・食料等のリスクを考える上でずいぶん参考になる。(北沢格訳)
    --「今週の本棚:白石隆・評 『「Gゼロ」後の世界』=I・ブレマー著」、『毎日新聞』2012年07月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120729ddm015070024000c.html


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一国の学問をになう力は--学問に活力を賦与するものは、むしろ学問を職業としない「俗人」の学問活動ではないだろうか

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 私は本書の中で、市民の日常的な政治的関心と行動の意味を「在家主義」にたとえたが、同じ比喩を学問、とくに社会科学についても日頃考えている。私を含めて学問を職業とする学者・研究者はいわゆる学問の世界の「坊主」である。学問を高度に発達させるために、坊主はいよいよ坊主としての修業をつまなければならない。しかし、宗教と同じように、一国の学問をになう力は--学問に活力を賦与するものは、むしろ学問を職業としない「俗人」の学問活動ではないだろうか。私が乏しいながらも、本書の論文で意図したことは往々誤解されるように学界とジャーナリズムの「架橋」ではなくて、学問的思考を「坊主」の専売から少しでも解放することにあったのである。その意味で、私としては今後とも、とくに学問を愛する非職業学者からの鞭撻と率直な批判を期待しお願いする次第である。
    --丸山眞男「増補版 現代政治の思想と行動 後記」、『丸山眞男集』第九巻、岩波書店、1996年、181-182頁。

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政治学者・丸山眞男の単著で最初に手に取ったのは、『日本の思想』(岩波新書、1961年)ではなく、『現代政治の思想と行動』(未來社、1956-57年)だと思う。

手に取ったのは合本増補版(1964年)だったと思うが(現在の新装版、2006年)、あの衝撃はわすれることができない。現代日本の精神状況、そしてイデオロギーの政治学を踏まえ、人間と政治について論じた「迫力」に度肝を抜かされるとともに、偉大な先達と時間を共有していたことに、少し嬉しくなった記憶がある。

さて冒頭に引用したのは、増補版の「後記」です。

『現代政治の思想と行動』は、出版以来、様々な「暴風雨」にさらされたといってよいと思いますが、それを踏まえたうえで、自身の「試論」に対する、応答ととらえていいでしょう。

丸山の挑戦とは、その一冊だけにかぎらず、トータルな歩みとして通俗的なアカデミズムという象牙の塔への「撤退」でもなく、さりとて手順を割愛したジャーナリズムへの「迎合」でもない。そこにその真骨頂を見出すことができるとは思います。

それを「坊主」と「在家主義」というキーワードで、自認していたことは非常に興味深い。

私自身も“通りすがりの”非常勤にしかすぎませんが、手順を割愛して、何かに迎合するようなことは「学問」ではないと思うから「坊主はいよいよ坊主としての修業をつまなければならない」というのは至言であると思う。

しかし、真理を探究する学問者というのは坊主であって坊主でもない。何かの奴隷ではないという意味では「自由人」であるから(←くどいけど、手続きをおろそかにして好き放題ぺらぺら言及するとか、何かにとっていいように利益誘導するという意味ではなく)、一個の人間として……丸山の言葉で言えば「俗人」として……関心や問題意識をもって、対象を観察し、熟慮し、表現していく「身軽さ」は大事だと思う。

そういう刺激が相互に応答されることによって、学問というのは、漸進していくのだと思うし、意外なところで「ああ、そういう発想もあるのだよな」と、例えば学生さんや主婦の方といった「生活者」の視座から「うん、うん」と唸ることもある。

これは経験からよく分かる。

自分自身、ハンパモノなので、その感覚が凄く分かるのですが、それを学問の「在家主義」といいますか……、結局のところ、学問と生活という二元論ではなく、坊主としての「学問」関係者も「生活者」だし、生活者も「探究者」としては、学問関係者だから、その交差をうまくやっていくなかで、実際のところ創造的営為というものは、生成されていくのだろうと思います。

さて……。
自分自身の事柄で恐縮ですが、いわゆる「最近の学生はねぇ~」っていう“定番”の上から目線の先生に出会ったことがないのは幸甚としかいいようがない。

後達を「いいよう」に利用するのがアカデミズムの世界であり、学校教育においても「昔はナー」という連中がごまんとして存在する。もちろん、「ものたりなさ」の批判はしかるべきだろうけれども、発想の全否定はされたことがない。
※誤認の修正への指摘は枚挙の暇がないという(涙 でもありますが。。。

その意味では、そうした「素人感覚」とそれを洗練していく過程としての学問としての「在家主義」(と同時に「坊主」の内在的・不可避な批判)というものは「学問」という営為を営為たらしめるうえで、必要不可欠なんでしょうねー。

自分自身もかくありたいと思います。

そういう意志とか発想とか、自由な思念をねじ曲げようとする「坊主」こそ最低ですし、おうおうにして「坊主」っていう奴は、自身の安心立命が「坊主」のメシノタネになるものを「利用」するだけ「利用」してあとはポイですから……宗教にしても学問にしても……。

だからこそ、自身への訓戒として、その辺には自覚的でありたいというはなし。


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