研究ノート:吉野作造と聖書
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私は吉野先生と言われて思い出す聖書の句がある。先生が別にこの句を愛しておられた訳でもないのですが、私は吉野先生って思うと思い出す聖書の句がある。これはヨハネ伝五章の四四節なんです。「互いに誉を受けて唯一の神よりの誉を求めぬ汝らは、いかで信ずることを得んや。」口語訳は、「互いに誉を受けながら、ただ一人の神からの誉を求めようとしないあなた方は、どうして信ずることができようか。」所謂共同訳によりますと、「人間からの誉は受け入れあうのに、唯一の神からの誉は求めようとしない君たちは、どうして信ずることができようか。」とこうなっております。それから今ひとつは、コリント後書十二章の二節に「君はキリストにある一人の人を知る」という句がございます。私は吉野先生を思い出すと、どういう訳かこういう句を思い浮かべます。というのは、吉野先生は決して人の誉を受けなかった人であります。「栄光神にあれというのは決してクリスマスの天の使いの歌った牧歌ではありません。これは私にとってのひとつの信仰であります」と私におっしゃったことがある。栄光はすべて神に帰す、帰したい、これは先生のお心でありました。さて、我々の会員でありました故木村久一先輩が吉野先生について、「先生は善意の人であった。春風駘蕩の如き人格であられた。己を空しうして他のために尽すとは先生のことであった。要するに先生は偉大なるデモクラットであった。」と言っておられます。もっと詳しく申しますと、「来たって求むる者には、先生は何人も問わずできるだけの尽力を惜しまれなかった。げに己を空しうしてほかのために尽すとは先生のことであった」と書いておられます。それから、東大で憲法を長く教えた宮沢俊義教授が高木八尺先生のことを書いたものの中にこういうことを書いている。「他人に対してはどこまでも寛容、しかし自己に対してはあくまでも厳正というと、私は吉野作造先生を思うのである。」私もそう思います。
堀豊彦:1924(大正十三)年法学部卒、元台北、九州、東京各帝大教授、元東大YMCA理事長。
--堀豊彦「吉野作造先生と私 座談会記事(会報第七十二号より)」、『吉野作造先生 五十周年記念会記録』東京大学学生基督教青年会、1983年3月、26-27頁。
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吉野作造自身、広範に発表した文章のなかで、クリスチャンでありながらも、聖書の一句が出てくることがほとんどありません。これは彼自身がおのれの振る舞いにおいて「キリスト教のために」なることに対して禁欲的であったことに由来すると推察されます。
しかし、「生き方」をもって垂範したことは否定できない事実です。
うえの文章は吉野の謦咳に接した門下生の証言ですが、ちょうどその思い出と聖書の一句も出てきておりますのでひとつご紹介しておきます。
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