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「人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会」の複合汚染

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 近代の知識人はみな「官」を志した。「官」になるべきだと世間にも考えられていた。「官」たりえないものは政客をめざし、または学者になろうとした。それが普通の道だと信じられていたなか、明治二十年頃「官」たるの道を余儀なく、また意図してはずれ、そして政客でも学者でもなく実業家でもないなにものか、一般に社会の埒外にあるものとして見られた文人あるいは言語による表現者となろうとした一群の青年たちが出現した。彼らは「官」にはなり得なかった負いめを感じつづけ、その一方で「官」の道を選ばなかった若年の誇りを思うというアンビバレンスのただなかを生きた。しかし、いまだ未熟な出版業界は、消費化する社会にある彼らの生活を容易には安定させなかった。
 彼らは、一種の反社会的な生きかたと、その結果ゆえに「世間」に差別された。しかし彼らは、技芸を研いて精神の自由を得、また社会的な束縛からも自由であるという点に誇りを持ちつつ、「世間」を差別し返した。そのような構造の中で、明治末から大正におかけて「文壇」は形成され、あるいは形成されざるを得なかったのだが、人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会は、元来防衛的な性格を持っていたから、やがてそれは高じて、外部に対しては閉鎖的、内部においても相互に敵愾的な空気を醸成するようになった。それは同時に明治の文学、ひいては日本近代文学全体に一種の偏狭さと一面的な性格とを与えた。
    --関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』文春文庫、2003年、270頁。

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近代日本において「文学」というものは、「男子一生の仕事」という意識が殆ど無い。立身出世が明治・大正・昭和の社会における「一生の仕事」として目指すべきものであり、「末は博士か大臣か」という言葉それを象徴している。

小説家や詩人として生きていくことは、社会のメインラインとして生きていくべき道ではない。文筆を生業とするものは、多くは、官界から脱落した人間や、故郷、そして家から追放された・逃げたものがほとんどであったといってよい。

いわば立身出世社会の「落伍者」が、社会のあり方や個人の生き方を模索する接点として日本の近代文学は出発したと言ってよい。

さて、模範にした西洋においては、文筆活動というものが日本にくらべると、比較的早くから社会的評価を得ることができていたから、文筆家=落伍者という訳でもない。しかし近代文学そのものが、社会のあり方や個人の生き方を根柢から洞察するものであるから、落伍者を文学の世界から排除することはないし、逆に言えば、文筆に入ってから落伍する人間も存在する。ここに枠組みとしての大きな違いがあるのだろう。

しかしながら、自堕落とは異なる意義において「落伍」するということは、近代文学を背景から支える西洋近代思想が「個人の存在とは何か」を探究したように、その極限の孤独や排除の感覚から、通念や常識を超えた「個」の探究を生き方として文学者たちに模索させることを必然させたという意味では、ここに近代文学の「深み」というものが出てくる。

ぎりぎりまで極限状況に直面し、そして血を吐くように言葉を積み上げていった先達たちの営みは、今日に生きる我々に、哲学や思想とはまたちがう、リアリティのある財産として、洋の東西を問わず、残されることになった。

しかしながら、文壇形成の環境の違い、……そして環境の違い以上に重要なポイントになるのでしょうが……個の自由と自立を疎外することにかけては追随を許さない日本的エートスというものは、日本の近代文学生成に関して、負の遺産を残したのも確かである。

つまり……

「彼らは、一種の反社会的な生きかたと、その結果ゆえに『世間』に差別された。しかし彼らは、技芸を研いて精神の自由を得、また社会的な束縛からも自由であるという点に誇りを持ちつつ、『世間』を差別し返した」。

そしてそのルサンチマンのなかで、「文壇」が形成され、その「外」に対しては「自由の自負」とその裏返しとしての「差別」の臆面もない肯定。その「内」に対しても「敵愾心」を片時も許せない戦々恐々とした生き方を、その社会の特色としてもつことになる。

しかし、この日本の「文壇」の特色というものは、日本の「文壇」に限られたものでもないだろう。そもそも文壇的生き方を排除する「官」という小社会にも、そして文壇が差別する「世間」という有象無象の小社会にも、その特色は今でも見て取れる。

このねじれと歪みの構造は、それが何かを「よくしよう」とする発露に基づくものであったとしても、結局の所は、うまくいかないのではないか。

最近、そういうことをよく感じ、よく考える。

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