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覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『虫から始まり虫で終わる』=大澤省三・著」、『毎日新聞』2012年09月09日(日)付。

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今週の本棚:養老孟司・評 『虫から始まり虫で終わる』=大澤省三・著
 (クバプロ・2940円)

 ◇基礎研究が実を結んだ昆虫進化学の大成果
 基礎科学という仕事は地味である。たとえノーベル賞をもらうような優れた業績があっても、それがどんな仕事だったか、一般の市民にはたいてい中身が理解できない。あるいは自分には無関係だと思われてしまう。
 著者は名古屋大学、広島大学名誉教授。リボソームの分子系統進化学を打ち立て、分子生物学と進化学を結びつけるのに大いに寄与した研究者である。本書はその自伝で、自身の一生を淡々と振り返っている。一九二八年生まれ、八十三歳。
 この年代だと中学生の頃は戦時中で、学校の状況も、ある面ではいまとはまったく違っていた。そこは現在の学生には想像がつかないと思う。著者より数年、年長の世代であれば、すでに戦場に出ていた可能性も高い。評者は著者より九歳年下だが、終戦時に小学校二年生。知っているのは空襲とB29、バケツリレーや竹槍(やり)訓練だが、それが著者の年代だと勤労動員である。このあたりの世代は、年齢が数年違うと、状況がかなり違ってしまったのである。この頃のエピソードが二、三紹介されているが、短い記述がむしろさまざまな連想を生む。評者は事情が多少なりともわかる世代だが、そうした連想が生じない世代には、感覚が及ばない面があるに違いないと思う。戦争を語り継ぐというが、そういうことがどこまで可能なのか。だから戦争について、多くの人が「黙った」のであろう。
 本書の大部分を占めるのは、著者の現役時代の研究史である。ちょうど分子生物学の勃興期で、日本にもその影響が強く及んだ。生物のいわゆる遺伝暗号が次々に解けていった頃で、著者は時代的にその真(ま)っ只中(ただなか)にいたことになる。いまその過程をふつうの人が読んだら、記述自体がまさに暗号に見えるかもしれない。著者を含めた日本の研究者たちの寄与も大きかったが、なにしろ発表する科学雑誌も外国のもので、国内の実験設備などはいうに足らず、著者もニューヨークのロックフェラー研究所で本格的な研究を開始する。
 いまの社会はTPPなどといってモメているが、自然科学の世界ははじめからTPPであり、研究条件がいかに不利で不足であっても、すべては結果勝負。米国のこうした研究所で下働きをするのは日本人ではなく、中国人に置き換わったと、かなり前からいわれている。評者自身は米国に留学することもなく、比喩的にいうならTPPの下で国産の一次産業に従事したつもりだが、どちらにしても研究の面白さには変わりはない。べつに状況が研究の本質を左右するのではない。まして他人の評価などは、本当に自分の研究に集中していれば、どうでもいいことである。
 大学を定年になった後の著者の研究は、高槻の生命誌研究館で行われたオサムシの系統進化である。これは昆虫進化学の上で画期的な仕事だといっていい。それまでのリボソームの研究が定年でできなくなったので、著者は少年時代から深く関心があった昆虫を対象に選んだ。オサムシは日本の国内で地域的に多様化する典型的な例で、この虫を調べるだけで、古い日本の地史が理解できる。どんな仕事でもそうだと思うが、一つの仕事が多くの基礎の上に成立するものであることを、著者の研究がみごとに示している。オタクが悪いわけではない。ただその仕事が「生きる」ためには、広い基礎が必要である。そこを読み取ってくれれば、基礎研究を志す若者にとって、非常によい指針となる書物であろう。
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『虫から始まり虫で終わる』=大澤省三・著」、『毎日新聞』2012年09月09日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20120909ddm015070013000c.html


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