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本来的な意味での〈語ること〉は、どんな対象よりも先に他人に対して口を開ける意味することであって、諸記号の交付ではない。

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 〈語ること〉、それは隣人に接近し、隣人に向けて「意味することの口を開く」ことである。このような〈語ること〉は、説話として〈語られたこと〉のうちに刻印される「意味の給付」に尽きるものではない。本来的な意味での〈語ること〉は、どんな対象よりも先に他人に対して口を開ける意味することであって、諸記号の交付ではない。
    --E.レヴィナス(合田正人訳)『存在の彼方へ』講談社学術文庫、1999年、124頁。

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昨日の講義から本格的な授業が始まりました(初回はやはりガイダンスがメインになりますので)。

哲学の基本的なことがら(「哲学とは何か」)を紹介した訳ですが、哲学の語源はギリシア語の「知を愛する」ことになりますので、人間はどこからでも哲学を始めることができるわけですし、その意味では、関心や発想を自由に解き放ち、日々の事柄に驚き「それは何だろうか」「本当の○○は何だろうか」と自ら問いを発し、探究していく他ありません。

しかし義務教育で知識を積み上げることだけが「学問」であるとインプリンティングされたことが、自由に自身で探究することに対して、それが堰になっているのも事実のようで、当惑している学生さんが多いなあと思ったのも事実です。

自由に探究するとは、手順を割愛してもよいという恣意的なものでは決してありません。しかし、自身の関心を自ら塞いだり、「こう考えてみるのもアリなんじゃねえの?」って萌芽を自ら刈りとることでもありません。

そのとまどいを知ることの喜びかえていくのが教養教育における哲学の使命なんじゃないのかなあと思いつつ、授業を終えた次第です。

さて、授業が済んでから、前期から継続しているエマニュエル・レヴィナスの研究会。1時間弱、これまた1頁程度しか進みませんでしたが、濃厚なひとときを味あわせて頂き、ありがとうございました。

こちらはこちらで授業とは一見すると対極にあるような現場wになりますが、しかし、いわゆる「レヴィナスの思想とは・・・である」(←それがそれで間違っている訳ではないのですが)とするドクサをひとつひとつ腑分けしていくようで、その意味では同じ意義なのではないかと思います。

……ということで、久しぶりに授業して研究会と連チャンすると結構疲れますね。しかし、それは心地の良い疲れであることは言うまでもありません。

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