「山から銅を採って、日本の国を豊にするのは、確かに大切なことでありましょう。だが、そのために多くの農民をぎせいにすることは、絶対に許されませぬ」。
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こうして、二十年余りも足尾銅山の鉱毒と戦い、つかれ果てた正造は、一九一三年(大正二年)の八月二日、立ち寄った栃木県吾妻村の農家で突然たおれた。そして、心配して集まってきた人々に、正造は、
「わしの命を気づかう代わりに、みんなが心を一つにして、鉱毒をなくし、谷中村を元どおりにする運動を盛り上げてくれ。このあれ果てた渡良瀬川の流域に、一本でも多く木を植えてくれ。」
と遺言すると、およそ一か月後の九月四日、永遠にまぶたを閉じたのである。
このとき、正造は七十一歳。その名前のとおり正直で、一身の利益や名誉をかえりみることなく、正義のため、人道のため、何者をもおそれず戦いぬいてついにたおれた。そうれつな生涯であった。
死後に残された正造の持ち物は、すげがさと小さなづだぶくろだけで、そのほかには何一つない。翌晩、身寄りの者が集まってそのずだぶくろを明けてみると、入っていた物は、聖書一冊と日記が三冊、それにいくつかの小石と鼻紙が少しだけであった。
--上笙一郎「田中正造」、樺島忠夫、宮地裕、渡辺実監修『光村ライブラリー16 田中正造ほか』光村図書出版、2003年、84-85頁。
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息子殿が寝る前に、いつも本を母親に読んで貰ってから寝るのですが、先週から読み始めたのが、上に引用した『光村ライブラリー』の一冊。もともとは国語教科書に掲載したお話を、児童書にしたもので、この「16」は小学生高学年向けです。
本人には、少し難しいようですが、こちらが与えたのではなく、「つくりもののお話ではなく、ほんとうにあったお話を読みたい」ということで自分自身で選んで買い求めたので、毎晩、楽しみにしながら読んでいるようです。
もちろん、ハナから「田中正造」が目当てで選んだわけではないと思いますが、この時期に「田中正造」という骨太な生き方をした先達を自ら学ぼうとする姿勢には、少し親ばかになってしまうといいますか、なんちゅうか、ほんちゅうか(←というネタが古いですね。
さて、正造の歩みは有名ですし、過去にも何度も言及しておりますので、ここでは詳論いたしませんが、特筆すべきところは、やはり、「自然」を大切にする、「人間」を大切にするということが彼のなかで別々の問題として存在するのではなく、密接に繋がった「生命」の問題として捉えているところではないかと思います。
ものごとを全体として捉え、そして実践できる人間へと成長するひとつのきっかけになればと親としては思う次第です。
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