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覚え書:「異論反論 餓死や孤立死が相次いでいます=雨宮処凛」、『毎日新聞』2012年10月3日(水)付。

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異論反論 餓死や孤立死が相次いでいます
寄稿 雨宮処凛
SOSを発し得る社会に
 毎週水曜日、首相官邸前には消費税増税や社会保障切り下げに疑問をもつ人々が集まり、生活保護の改悪に反対する声を上げている。
 8月に閣議決定された来年度予算の概算要求には「生活保護の見直し」という言葉が盛り込まれ、最後のセーフティーネットの切り崩しが今まさに進められようとしている。
受給者が200万人を超えた頃からバッシングは強まり、時にそれは「財源」という言葉でお荷物のように語られる。が、受けられる人がどれくらい受けているかを示す捕捉率は、わずか2、3割だ。
 一方で、今年に入ってから、家族ごとの餓死や孤立死が相次いでいる。1月には札幌市で40代姉妹の遺体が発見され、2月には、さいたま市で30代息子と60代夫婦が餓死遺体で発見されるという事件があった。これまで「孤立死」=単身高齢者というイメージが強かったが、まさに今、家族が共倒れするような形での困窮の果ての死が、じわじわとこの国に広がっているのだ。私が把握している限りでも、そのような事件は今年だけで十数件、起きている。
 札幌の姉妹は、区の福祉事務所に3度、生活保護の相談に訪れていた。しかし、典型的ともいえる「水際作戦」に遭い、申請には至らず、最後の相談から半年後に変わり果てた姿で発見されている。一方、さいたまで亡くなった親子3人は、行政などにSOSを発していない。「助けて」と言うことさえもできない困窮者の存在。
貧困が自己肯定感を奪い
社会や他人を信頼できず
 貧困の取材をしていて思うのは、人がSOSを発信するには、最低限クリアしていなければいけない条件がふたつあるということだ。
 ひとつは「自分には生きる価値がある」「助けられるに値する人間で、生きていいのだ」という自己肯定感があること。しかし、貧困は時に自己肯定感を簡単に奪い去る。「どうせ自分は生きる価値などないのだ」と思っている時、人は決して助けなど求めない。この問題は高齢者の間で進んでいるといわれる「セルフネグレクト」にも通じるだろう。自らの生活に極度に無関心となり、健康状態を悪化させてしまう自己放任の状態。
 そしてもうひとつは、社会や他人への信頼感が残されていることだ。が、困窮に至る過程で、多くの人が社会や他人に手ひどい裏切りを受けている。「SOSを発したところで貧困ビジネスのカモになるだけ」「どうせ誰も助けてくれるわけがない」。社会や他人への信頼が欠片ももてなければ、「助けて」と言うことは時に「危険なこと」ですらある。
 生活保護改悪の背景には、当事者がなかなか声を上げづらい、という状況があることも指摘されている。確かに、言いづらいことではあるだろう。しかし、そうした声を封じていく世間の空気が、回り回って誰かのSOSを踏みにじり、命を奪うことに荷担していないか、一人一人が問われていると思うのだ。
あまみや・かりん  作家。反貧困ネットワーク副代表なども務める。今月、「14歳からわかる生活保護」(河出書房新社)を出版予定。「なかなか正確な情報が伝わらない生活保護について、かみ砕いて書きました。入門書的な一書です」
    --「異論反論  餓死や孤立死が相次いでいます=雨宮処凛」、『毎日新聞』2012年10月3日(水)付。
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