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政治はそもそも絶対的に異なっている者を相対的な平等という点で組織するのであって、相対的に違っている者を組織するのとは区別されるのである。

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 すべての人間は、お互いに絶対的に異なっているのであり、この差異は、民族、国民、人種という相対的な差異より大きなものである。その場合、神による《人間》の創造は、複数性のなかに含まれている。しかしながら、政治はこの点ではまるで何も関係ない。政治はそもそも絶対的に異なっている者を相対的な平等という点で組織するのであって、相対的に違っている者を組織するのとは区別されるのである。
    --ハンナ・アーレント、ウルズラ・ルッツ編(佐藤和夫訳)『政治とは何か』岩波書店、2004年、6頁。
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主著『人間の条件』(1955年)と平行して計画されていたのがアーレントの『政治学入門』で、未完のそれの草稿・断片集を編んだのが『政治とは何か』です。
『人間の条件』で展開される議論を「政治とは何か」という根源的問いという立場から、つねに真理に忠実であろうとしたアーレントの整理された筆致に驚くばかりですが、冒頭に引用したのは、その最初の箇所のまとめの一節です。
まずアーレントの出発点とは何かと考えると、20世紀の二つの事件がその出発に位置しております。一つは、全体主義の成立であり、ひとつは原子爆弾の登場です。彼女のいう「戦争と革命が我々の正規の基本的な政治経験をなしている」という点でしょう。
どのようなイデオロギーに準拠しようとも全体主義の成立とは、人間の自由を完膚無きまでに廃絶するものであり、技術的手段としての原子爆弾の登場は、存在そのものを脅かすものとして人間に対峙している。
こうした状況を前に、アーレントは、ギリシアのポリスの伝統へ立ち戻りながら、自由と同義である政治という観念を新しくしようと試みる。
「政治とは人間の複数性という事実に基づいている」。
政治とは、「違った者たちが共生する」ことに意義がある。だとすれば。「違った者たちが共生する」こととは、同質な者の共生を組織することには基づいていない。
「政治はそもそも絶対的に異なっている者を相対的な平等という点で組織するのであって、相対的に違っている者を組織するのとは区別されるのである」。
そして、アーレントが強調するのは、政治は人間「の中に」ではなく、人間「の間に」生じるものということ。異なる人間の自由と自発性は、人間の間の空間が成立するための必要な前提となってくる。その空間の中において、本当の意味での「政治」が可能になる。
「政治の意味は自由である」。
アーレントの政治理解をふまえた上で、現在の日本の状況を振り返ってみるとどうだろうか。
「政治の意味は自由である」ではないし、「違った者たちが共生する」ことに意義をおいていないことだけは確かであろう。
ふぅ。
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