個人的なことは政治的なことの原点である
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フェミニズムは、一九六〇年代以降、「個人的なことは政治的なこと」と主張して来た。このスローガンは、たとえば家事労働など個人的なことと切り捨てられていたあらゆる事象や問題には、政治的な力関係が働いていることを意味している。
〈3・11フクシマ〉以後の現在、この言葉を「個人的なことは政治的なことの原点である」と言い換えてみたい。これまでの日本社会では、「滅私奉公」という言葉は肯定的に使われて、私を犠牲にして仕事や公に仕えることが賞賛された。そして「公私混同」という言葉は、公的なことに私事を挟んではいけないという意味で否定的に使われる。それは、個人を大切にしない社会だ。仕事を第一に優先して、一人一人の人間の顔が見えない。利益を追求するために他人を犠牲にすることに心の痛みを感じないのは、相手の顔が見えないからである。
--中島佐和子「脱原発へのはたらきかけ --個人的なことは政治的なことの原点である」、新・フェミニズム批評の会編『〈3・11フクシマ〉以後のフェミニズム 脱原発と新しい世界へ』御茶の水書房、2012年、47-48頁。
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震災以降、「絆」が強調され、個々人のオリジナリティへの重圧となる封建的・排他的な日本的価値観が安易に持ち上げられ、気がつくと発言することも、黙っていることも許されない言論空間というものがいつのまにか支配的な「空気」となってきているように感じる。
震災は、日本という枠組みが「個人を大切にしない社会」であることを明らかにした。当然それを隠蔽しようとする・偽装しようとする工作は、その以前よりも巧妙かつ慎重に遂行されつつあるように思う。
「滅私奉公」「公私混同」……。
この言葉を誰がどのような意図で使用しているのか。
今以上に注視することが必要だと思う。
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