「これから講義を始めます。体の具合が悪いのでこのままで失礼します」
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中村元先生の“最終講義”
中村先生が亡くなられたのは、一九九九年一〇月一〇日のことだった。享年八六歳。猛暑で倒れられた先生は、亡くなられる少し前から昏睡状態が続いていた。そんなとき、先生の口から「これから講義を始めます。体の具合が悪いのでこのままで失礼します」という言葉が出てきた。訪問看護の看護婦さんは驚いた。見ると昏睡状態のままである。その場には、看護婦さんしかいなかった。聞きなれない言葉(サンスクリット語やパーリ語であろう)、それに専門用語が出てきて、その看護婦さんは「よく分かりませんでしたが……」と奥様の洛子婦人に報告された。講義は四五分続いたそうである。それは、東方学院での講義の様子のままであった。
松尾芭蕉は、旅先で、
旅に病で夢は枯れ野を駆けめぐる
と詠んだ。先生は、最後まで東方学院での講義に心を駆けめぐらせておられたのであろう。
--植木雅俊『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』中公新書、2011年、206頁。
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1999年の10月10日のその日。
仏教・印度学の大家、そして希代の大哲学者・中村元先生がお亡くなりになりました。
もう13年になります。そして今年2012年は、生誕百年でもあるそうです。
私的なことを振り返れば、今となっては、神学研究者として学問活動に従事しておりますが、もともとは、中国仏教(華厳学)をやろうと志したことがあり、印度学・仏教学の基本となるサンスクリット語を自習せねばと思い、学部の講座を履修すると同時に、中村先生の私塾といってよい「東方学院」の「サンスクリット初級」を受講したことがあります。
※記憶によれば確かゴンダの『サンスクリット語初等文法』(春秋社)が教科書だったのですがあれがいいのかどうなのかは、うーむ。
で……。
いまはどうか知りませんが、そのときは、受講の可否を決定する「面接」というものがありました。もちろん、それは大学受験や資格試験に見られるような「落とすぞ! ゴルァ」っていうものではなく、「顔合わせ」のような雰囲気だったと僕は記憶しております。
大会議室のようなところでブースに分かれて、面接者と受講予定者が、一対一でそのときは行われましたが、たまたまというか僥倖でしょう--、僕を担当してくれた面接官が中村元先生でした!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
時間にして5~10分程度だったと思っております(中村先生だったのでびびって、記憶違いはあるでしょうが)。
中村先生とは、履修する志望動機や近況をやりとしつつ、たった数分です。
20ちょっとの洟垂れ学生を相手に「真剣」に「親身」に、言葉を交わしてくれた「知の巨人」の振る舞いに圧倒されたと同時に「人間はかくあらねば」と襟をただしたことが懐かしい思い出です。
その時ですが、僕は学部でドイツ文学専攻だったので、そういう話もしたのですが、中村先生は、
「ドイツ文学を勉強しているのですか。ドイツは、東洋学の先輩です。きっと、これまで勉強してきたドイツ語やドイツ文化と、そしてこれから学ぼうとするサンスクリットは全く無関係ではありませんよ。世の東と西を架橋する挑戦は素晴らしいですね。がんばってください」
……と激励してくださいました。
そのことは、懐かしいだけでなく、僕自身の宝物になっております。
東方学院での勉強は、通年で履修せず、半期で終了しました。中村先生が、学部で履修しているなら、その助走ができれば、後期はその段で考え直したほうが、価値的だよと示唆してくれたからです。
結局、今となってみれば、サンスクリットはローマナイズを辞書片手になんとか読める程度で……水準は保っていますが……、進路もキリスト教神学になりましたが、貴重な10分、そして半期にはなったと思います。
僕の履修したサンスクリット語の初級は、その時、たしか5名程度(希望曜日でわれますから)。
学部の学生だったので、そのとき、おどろいたのは、主婦の方やサラリーマン、いろんなひとと一緒に「研鑽」できたことです。関心や目的は千差万別でした。しかし、そういう多様なひとと学びあえたことは、大学という閉鎖的集団が基本的に「同質」人間を閉鎖的空間でブロイラーする現状であることを鑑みれば、その一コマというのは、そのときの僕に対してはカルチャーショックであったし、そのもたらされた動執生疑は、かけがえのないひとときであり、自分自身の財産になったと思います。
後日、通信教育部で教鞭を執ることになったのですが、そこでの多様な世代や人々との交流においても、それは一つの範型になったと思います。
さて……。
冒頭で紹介した一節は、中村先生の最後の最大のお弟子さんといっていい植木先生の著作から、その最後を紹介しましたが、非常勤とはいえ、学問に関わる人間としては、かくあらねばと襟をただす次第です。
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