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書評:ノーマン・M・ネイマーク(根岸隆夫訳)『スターリンのジェノサイド』みすず書房、2012年。

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 スターリンは大量殺人者として生まれたのでもなければ、そうなるように育てられたのでもなかった。コーカサス地方とグルジアで受けた教育では、かれのソヴィエト制度への君臨を特徴づけた極端な暴力を説明できない。スターリンは時間をへてジェノサイド実行者になった。そしてその人格形成にはいくつもの重要な契機があった。グルジアにおけるむずかしい家庭環境と青春時代、革命運動参加にいたる契機、レーニンとボルシェヴィズムへの献身、地下活動と流刑の経験、のちに来るべきことをそれとなく予感させた革命と、とくに内線で演じた役割、1920年代の権力闘争との関わりがそれである。1930年代初期の農業集団化運動で流された血でもさえ、スターリンとその配下のあいだで大量殺人をよしとする傾向を強めた。かれの経験と人格との累積効果は、前に立ちはだかって自分の成果を批判する人びとにたいする激しい憤怒と敵愾心を生んだ。ひとたび工業化と農業集団化の全国計画を開始すると、その避けがたい失敗は、政治的反対者にたいして抱いたとおなじ憎悪と敵愾心をもってソヴィエトの住民の全集団のせいにされた。
    --ノーマン・M・ネイマーク(根岸隆夫訳)『スターリンのジェノサイド』みすず書房、2012年、145頁。

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本書は新しい史料を元に、独裁者スターリンが数百万におよぶ自国民を冷酷に殺した、いくつもの大量殺戮の歴史を浮かび上がらせる最新の研究だ。

著者のネイマークは冒頭で、国際法における「ジェノサイド」を取り上げる。国連は国連ジェノサイド条約を1948年に採択し、条約は1951年に発効した。ナチスによるユダヤ人の大量殺戮を契機とした法制化である。しかしジェノサイド対象からは、「政治的集団」や「社会集団」は排除されている。条約成立に際して当時のソ連が反対したためである。成立に至る経緯を振り返りながら、著者は政治・社会集団を盛り込むべきとの態度を主張する。現在の国連の定義では、スターリンのクラーク迫害、ホロドモル(飢餓殺人)、大粛正は、ジェノサイドの対象とはなっていない。評者はまずこのことに驚いた。

さて著者はジェノサイドの定義の拡大解釈の正当性を論じたうえで、1930年代のスターリンの大量虐殺のひとつひとつがそれに当てはまるのか検証する。それぞれの内容に応じて、ジェノサイド、ジェノサイド的、ジェノサイドに当てはまらない大量殺人と分類する。しかし、一貫してその背後に存在するのはスターリンの姿である。

20世紀は革命と暴力、そしてユートピア幻想にとりつかれた世紀であった。右の雄・ヒトラーの暴力については、おびただしい検証が積み重ねられ、当事者であるドイツ本国では、今なお、ナチ時代のドイツにいて国民が学習するという根気強い営みが続いている。しかし、それとは対照的に、ロシアではそんなことはないと訳者はいう。確かに言論の自由も情報の公開もない没後のソ連において歴史の見直しを進めるのは無理難題である。しかし「今世紀に入ってからも歴史教育の指導要領で、スターリンの恐怖粛清政策は進歩と国防強化からみれば合理的だったとされているくらいだ」(訳者あとがき)とのことだ。

しかし、このドイツとの対比は、他人事ではないだろう。我が国において、先の大戦、そして戦争に限らず大日本帝国時代の負の遺産を根強く検証する営みは続けられているだろうかと誰何した場合、ロシアの現状を笑うことは決してできない。

スターリン時代の延長線上にロシアは存在する。だとすればスターリンとスターリン主義を理解することは現代を理解するうえでも必要不可欠である。だとすれば、私たち自身が歴史を検証することも同じように必要不可欠である。

ジェノサイドは決してなくなっていない。ルワンダやコソボの虐殺を例証するまでもない。そしてその検証をおこたることが何をもたらすのか--。考えておくべき今日的喫緊の課題である。

本書は翻訳で200頁と満たない薄くて軽い一書だが、その内容は重くのしかかってくる。


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