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覚え書:「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『2666』=ロベルト・ボラーニョ著」、『毎日新聞』2012年11月04日(日)付。

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今週の本棚:鴻巣友季子・評 『2666』=ロベルト・ボラーニョ著
 (白水社・6930円)
 ◇涯てしない「極上の悪夢」、恐るべき物語
 気が早いが、今年の翻訳小説では断トツのベスト1だ。ドストエフスキー、プルースト、ジョイス、ガルシア=マルケス……その巨編の読み解き・謎解きに人々が永年を費やす作家たちがいる。ボラーニョも間違いなくそうした作家の一人に名を連ねるだろう。
 得体(えたい)の知れない狂気の気配、世界のあちこちに現れる奇妙で不吉な啓示と暗合。この世を覆うヴェールがときおり唐突に破れ、その奧にある「世界の秘密」が剥(む)きだしになる。死後出版となった『2666』は五部から成る、涯(は)てしなく続く極上の悪夢のような小説だ。作中作があり、伝聞が重なり、エピソードは入れ子状に増殖して交差し、いきなり途切れたかと思うと思わぬラインに繋(つな)がる。イギリス、ヨーロッパ大陸、チリ、米国と舞台を移しつつ展開するが、五部すべての磁場となるのが、米国との国境にあるメキシコ・ソノラ州「サンタテレサ」という架空の町。実在のシウダー・フアレスをモデルとし、そこで起きた女性連続殺人事件に材を得ている。そして、何百人という膨大な登場人物を擁する本作(ディケンズの長編に五十六人の登場人物がいると驚かれた十九世紀は遥(はる)か昔!)の中心にいるのが、ノーベル賞候補に挙がりながら消息不明とされるドイツの覆面作家アルチンボルディである。
 それにしても、現代文学におけるミメーシス(描写)礼讃(らいさん)を軽ーく蹴飛ばすようなこの怒濤(どとう)の「語り」ときたらどうだろう。各国のアルチンボルディ専門家四人を主役に、本作のキーとなる様々な布石が打たれる第一部<批評家たちの部>では、男女の多角関係が生じるが、恋愛の手順なぞ具体的に何も描写されずして鮮やかな映像として結晶する。四人がブレーメンで夜の河畔を歩くヴィジョンの美しさよ。
 作中には日本のホラー映画、ウディ・アレン、リンチ、ロドリゲス等々、映画への言及が鏤(ちりば)められボラーニョ流シネマテークの様相を呈するが、本作自体が「写実」の対極にありながら映画の手法をとりいれ効果をあげているのが魔術的だ。第一部の終盤では、女性批評家が恋人たちに宛てた手紙が徐々に明かされ、その間に、手紙を読んだ男二人の何日間かの行動--一人は民芸露店の少女とつきあい、一人はひたすらホテルで本を読む--が挟まれていく箇所がある。三つのシークェンスをぶつ切りで並べたようにも見える構成だが、手紙を声にして男たちの場面にオーバーラップさせカットバックで進行させるという映画的技法にまとめてみるとしっくり来る。また、第二部<アマルフィターノの部>では、チリ人教授がデュシャン風に洗濯紐(ひも)に吊(つる)した本が折々に映しだされ、パーティでなぜか教授の姿に怯(おび)えた老メイドが盆を取り落としかけるなどの挿入場面がある。やがて教授は不思議な声を聞くようになる。
 全編が夢とその暗示に彩られている。第三部<フェイトの部>は新聞記者の見るアステカの湖の夢で幕を開け、しかし「悪夢」は眠って見るとは限らない。二人の批評家はあるとき恋愛の鬱憤からタクシー運転手に突発的な暴力を加えるが(「偶然と暴力」も本作のモチーフ)、この行動は別の場所で別の人物たちによりほぼ正確に反復され、二人はその悪夢を見せられることになる。覚醒して見る悪夢。この小説そのものだ。また、謎の作家の従軍を含む生涯を辿(たど)り、人々の意外な身元や過去が明らかになる第五部<アルチンボルディの部>のあるパートは、よく読むと、ある男の「夢(想)」の一部かもしれない。なにせ文中の手記に出てくる小説の一部は、それを読むある男がモデルみたいなのだから。現実は夢の水際(みぎわ)にちろちろと洗われ、境を揺らがせ、突如、「舞台装置のように、現実というものに裂け目が生じた」りする。
 殺人事件の犯人は誰なのか? アルチンボルディとは誰なのか? 世界の秘密とは? 形をとらない巨大な不安を、無形のまま差しだした恐るべき黙示録的傑作だ。
 ちなみに、タイトルは先行作群に由来する年号であり、アルチンボルディについても先行作『野生の探偵たち』で言及されており、「謎の作家捜し」というモチーフ自体、伝説の詩人を求めてソノラ砂漠へ分け入った『野生の探偵たち』と共通する。また、レイプ殺人事件が延々と記録される第四部<犯罪の部>では、ラロ・クーラなる少年が夢うつつに一族の歴史を一八六五年まで溯(さかのぼ)って「思い出す」が、彼の母親はメキシコシティから来た二人の学生と砂漠で出会い懐妊したらしい。と聞くと、『野生の探偵たち』のあの二人のどちらかが父親か?という説が浮上したり、その後、同名人物の外伝が『ニューヨーカー』に載るとまた議論が起きたり、とにかくボラーニョの作品群はたがいに有機的な連繋(れんけい)をもって作者の死後も膨らみ続け、世界の読者に話題を提供している。優れた邦訳が出た今、日本語読者もこの豊饒(ほうじょう)なる混沌(こんとん)のなかへ、いざ参戦!(野谷文昭・内田兆史・久野量一訳)
    --「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『2666』=ロベルト・ボラーニョ著」、『毎日新聞』2012年11月04日(日)付。
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http://mainichi.jp/feature/news/20121104ddm015070024000c.html
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