« 過去は大家族で、現在存在する「核家族」はずっと昔から変わってこなかったのか? | トップページ | 覚え書:「一揆の原理―日本中世の一揆から現代のSNSまで [著]呉座勇一 [評者]中島岳志」、『朝日新聞』2012年11月25日(日)付。 »

覚え書:「【書評】わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か 平田オリザ著」、『東京新聞』2012年11月25日(日)付。

101


-----

【書評】わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か 平田 オリザ 著
◆演劇使う授業の効用
[評者]土佐 有明 ライター。音楽・演劇・文芸などの分野で論評を執筆。

 文科省のコミュニケーション教育推進にもかかわった演出家が、演技論、日本語論、教育論などを横断しながら、異質な他者とどう対話すべきか、という今日的な問題を炙(あぶ)り出した労作である。
 論の起点となるのは、公教育の現場で著者が抱いた違和感。教師が「正しい」言葉遣いを唯一の「正解」として用意し、それを生徒が言い当てる授業に著者は疑義を呈する。また、日常生活では多様な社会的役割を演じている子供たちに、「本当の自分を見つけなさい」と教えることには無理がある、とも言う。
 そこで著者は、演劇的手法を用いた授業の効用を説く。簡単な脚本を子供に渡し、あとは自分の言葉で自由に喋(しゃべ)ってもらう。演劇では喋らないことも表現のひとつであり、うまく嘘(うそ)をつくことが良しとされる。「正しさ」や「正解」を意識して萎縮(いしゅく)することもない。
 すべての人間が見知らぬ誰かと滑らかに喋り交感することは不可能だし、それを強要する社会など息苦しいだけだ。それでも苦手な他者の心理を汲(く)み取り、対話を迫られる局面はどうしても訪れる。確かに人間はそう簡単に「わかりあえない」。が、だからこそ、異なる価値観を摺(す)り合わせる最低限のレッスンは必要だ。無論、求められるのは「正解」がない中での手探りのレッスンだろう。
ひらた・おりざ 1962年生まれ。劇作家・演出家・大阪大教授。著書に『芸術立国論』など。
 (講談社現代新書・777円)
<もう1冊> 
 竹内敏晴著『からだ・演劇・教育』(岩波新書)。演劇による<身体をひらく>教育を定時制高校で実践した記録。
    --「【書評】わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か 平田オリザ著」、『東京新聞』2012年11月25日(日)付。

-----

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2012112502000177.html

102


103


|

« 過去は大家族で、現在存在する「核家族」はずっと昔から変わってこなかったのか? | トップページ | 覚え書:「一揆の原理―日本中世の一揆から現代のSNSまで [著]呉座勇一 [評者]中島岳志」、『朝日新聞』2012年11月25日(日)付。 »

覚え書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/48036932

この記事へのトラックバック一覧です: 覚え書:「【書評】わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か 平田オリザ著」、『東京新聞』2012年11月25日(日)付。:

« 過去は大家族で、現在存在する「核家族」はずっと昔から変わってこなかったのか? | トップページ | 覚え書:「一揆の原理―日本中世の一揆から現代のSNSまで [著]呉座勇一 [評者]中島岳志」、『朝日新聞』2012年11月25日(日)付。 »