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ポスト・モダンか、モダンなポストかよく存じませんけど、五年や十年そこらでコロコロ変わってたまりますか。

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 世界はどこまでも戯れであって決定不能であるなどということは、真剣に考えるほどニーチェも狂う恐ろしい事態であるのに、「戯れ」というその言葉だけが妙に口当たりが良くって、それであれらの戯れの知識人たちは、折しもバブル期、世間と戯れて回っていたのだ。そうは言っても彼らは、哲学などというものを、実はまだ信じているのだ。哲学はそも、まさに「抹消記号」の下ー、哲学(引用者注ーー哲学の文字のうえにバッテン)としてしかあり得ないものということを、理屈(アタマ)でしか理解できていないのだ。そうでなければ、「哲学の死」を華々しく触れて回ることの理由がない、ひとり密かに御焼香するべき筋のことのはずだ。当のデリダは来日した際、先日お亡くなりになった言語哲学の最高峰井筒俊彦氏を、敬して「巨匠」と呼んでいたそうだが、その氏は、この国には自分の頭で考えられる思想家がおらんと、以前仰言っておいでだった。人は自分の頭で考えられるようになるほど、考えていることの確かさの手応えについて、誰の権威も必要と感じなくなるものである。(当たり前だ。) チャート式現代思想カタログなど真に受けているようなチャート式オツムにはオシャレな前衛ジャック・デリダと、日本の重鎮井筒俊彦の考え方の連関など、決して理解できまいよ。フーコー言う如く、「人間」の考えは、人間の「考え」に決まっているんだから、ポスト・モダンか、モダンなポストかよく存じませんけど、五年や十年そこらでコロコロ変わってたまりますか。なんたってプラトンという偉大な先達が、そこからは、ほぼ、逸脱不可能な、言わば「哲学の台本」を、二千年前に書き上げてしまってるんだから。
    --池田晶子「フーコー、デリダ、レヴィナス 語らずに語れ、語れぬを語れ」、『考える人 口伝西洋哲学史』中公文庫、1998年、95ー96頁。

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誰がそうなんだけれどもというような野暮なことは指摘しませんが、いわゆる論壇のエッジとよばれる天才とか、現代思想の最前線と目される多士済々の論客たちが、おしなべて、右傾化といいますか、保守化していくことに驚いてしまう。

確かに現在の状況を変えなければならないことは、専門の思想家や論客だけに限定される「感情」ではないと思う。

ポピュリズム乙の形で、一般人の“愚かな”そうした傾向は、知識人から高踏的に批評されることは、現在だけでなくこれまでもあったと思う。

しかし、例えば、「ノーサイド!」なんて言葉で、まさに立ち位置を「脱構築」という言葉をつかってすり替えながら、何かしなければいけないから、保守の力を借りてしまうという安易さが、最近多いように感じている。

こうした現象をみるにつけ、太平洋戦争初頭に開催された「近代の超克」と呼ばれる座談会を想起してしまう。

「知的協力会議」と銘打たれたこのシンポジウムは、日米開戦の勃発を契機に、日本の近代化、すなわち西洋受容の総括を標榜して、「近代の超克」をさまざまな観点から論じた。

もちろん、西洋思想が百点満点のすばらしいものではない。しかし、そこで行われた言説とは、ルサンチマンに裏打ちされた、西洋に対する脊髄反射的否定であり、返す刀で、精査されないまま東洋の宣揚という醜い言説であったといってよい。そしてそれが聖戦を美化するために動員された。

そしてそこで議論し合ったのは、当時の「論壇のエッジ」たちである。

だとすれば、「右傾化するポスト・モダン」というこの現状を振り返るに、この国は、いまだ「自前で思考すること」(鶴見俊輔)以前ということではあるまいか。

そんな気がしてならない。


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