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憲法は国家権力側を制限して国民の自由を守るもの

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 さて、国家権力によって統治していくわけですが、好き勝手にやられたのでは、それはたまったものではありません。ケース(引用者注……*)にある新治安維持法というような法律が勝手に作られて、「政府を批判できなくなってしまう」なんてことになったら、私たちの日常生活はたいへん窮屈なものになってしまいます。国家は国を治めるために、国民に対してその権利自由を制限していく必要はあるのですが、まったく好き勝手にそれが行われたのでは人権が侵害されて「まずいぞ」ということは、容易にイメージを持てると思います。そこで、国家が好き勝手をしないように、国家権力の行使に歯止めをかけるもの、国家を制限していくものが必要となります。それが実は「憲法」なのです。繰り返しますと、法律による人権侵害がなされることのないように、一定の歯止めが必要になり、それこそがまさに憲法の役割となります。憲法というものによって、国家権力に歯止めをかけるのです。したがって、法律が国民の自由を制限するものであるのに対し、憲法は国家権力側を制限して国民の自由を守るものなのです。よろしいでしょうか、憲法は国家権力の側を規制するものなのです。

*ケース5
 20XX年、挙国一致体制により治安の回復を図り長引く不況を乗り切ろうという目的のもとに、国家に対する批判的な言論については、厳しい罰則を科すという新治安維持法というものが制定された。その際ある国会議員がこう語った。「私たちは正当な選挙によって選ばれた国民の代表である。立法権を担っている。したがっていかなる法律を制定しようと自由であり、国民はそれを遵守しなければならない。それが法治国家というものだ」(31頁)
    --伊藤真『伊藤真の憲法入門』日本評論社、2004年、32-33頁。

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話題になっている自由民主党憲法草案を読んでみた。
※(自由民主党による紹介)以下からpdfにリンクが張られております。
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/116666.html

醜悪としか表現しようない、お粗末な作文としか表現できないけれども、そのお粗末な作文が効力をもって、基本的人権の尊重が踏みにじられようとする方向性へ、にわかに舵が切られようとする現在の風潮に驚いてしまう。

表現の自由も保障されているから、憲法について正反合わせて議論することは保障されているし、検討されてしかるべきであろう。

しかしながら、そうした議論することすらも容易に制限してしまう憲法への「改正」に安易に拍手を送ってしまうものはいかがなものだろうか。

確かに、形式としては合衆国からという契機であることは否定しない。しかし、言論の自由を含めた人間精神の自由を保障する憲法の立場は、戦前日本での不幸な事例への深い反省の意義が込められたものでもある。

確かに改正草案では、様々な自由を保障するとは謳っている。試みに、第二十一条の「表現の自由」をひいてみると、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」と規定されている。しかしつづく2項では、次のような表現がしれっと落とし込まれている。

「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」。

以上のような条件に「自由」は拘束されているという寸法です。しかも「公共の福祉」ではなく「公益及び公の秩序」と恣意的な表記になっている。公共の福祉には、相互生成の感覚が伴っている。しかしここで出てくる「公益」やら「公」は、政府と国民による相互生成による「公共」という立場よりも、政府が独占的に設定する公共“感”“観”が濃厚だ。

こうしたまなざしをみるにつれ、思い返すのは、大日本帝國憲法の「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」(第二十八条)という付帯条項だろう。自由は建前としては保障される。しかし、何かあると簡単に奪われてしまうというのが近代日本の歴史だったのではあるまいか。

だから、繰り返しになるが、こうした論調に歩調を取ることに恐怖してしまう。

現行の日本国憲法は、第九十九条(「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」)によって、公僕の遵守義務が規定されている。

しかし、ドイツと違って日本国憲法では、国民一人一人に対して遵守義務を要求してはいない。建前としては、憲法に忠誠するのは、個々人の自由となる。

現行の憲法が「完全無欠の最高傑作」とは思わない。しかし、「遵守義務」を規定しないほど、自由を尊重するものでもある。

私は、自民党憲法草案にどうしても賛同することはできない。

「国家を制限していくものが必要となります。それが実は『憲法』」なのでしょう。しかし彼らの改革案は「国家を制限するものをとっぱらい、国民の自由を制限していくもの」であるようだ。

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