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学ぶべき価値のある言葉は、日本語と英語だけだと考えているような人は間違っています。…英語ではだめなのです。保証しますよ。

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多数言語によるコミュニケーションの重要性
 最後にもう一言申し上げたいと思います。
 当時においても、現在においても、別の言語で学んだり話したりすることを学ぶために注がれるエネルギーの量には驚くべきものがあります。情報を伝え、効用を伝え、考えを伝え、感情を伝える。一つの言語から別の言語へ。それはとても感動的なことです。
 たとえば、フィリピンのナショナリストたちが一九世紀の終わりに出した通信文を繙いてみましょう。それは、スペイン語で書かれていることもありますが、日本人に対しては英語で、フランスの同志に対してはフランス語で、かれらの支援者であったドイツの学者にはドイツ語で、書かれていたものです。
 かれらは、懸命に世界に訴えかけようとしていたのです、そしてそれは日本でも、中国でも、他の多くの国々の人々に関しても、おそらく同じことが言えるでしょう。かれらは、ビジネスのための支配的な言語の習得に興味を持っていたわけではありません。かれらは、他の言語集団に属する人々との感情的なつながりを得るためにこそ、言語を習得し、その精神世界に入り込むことを望んだのです。
 これはいまでもとても重要なことです。学ぶべき価値のある言葉は、日本語と英語だけだと考えているような人は間違っています。そのほかにも、重要で美しい言語がたくさんあります。
 本当の意味での国際理解は、この種の異言語間のコミュニケーションによってもたらされます。英語ではだめなのです。保証しますよ。どうもありがとうございました。
    --ベネディクト・アンダーソン「アジア初期ナショナリズムのグローバルな基盤」、梅森直之編『ベネディクト・アンダーソン グローバリズムを語る』光文社新書、2007年、99-100頁。
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『想像の共同体』でナショナリズムの認識を一変させたベネディクト・アンダーソンは2005年4月に来日し、早稲田大学で2日に渡って講演しました。『グローバリズムを語る』は、その講演録で、冒頭に紹介しているのはその末尾の部分です。
ここで言及されているフィリピンのナショナリスト云々とは、2012年の本年、邦訳された、山本信人訳『三つの旗のもとに アナーキズムと反植民地主義的想像力』(NTT出版、原著は早稲田大学講演と同じ2005年の出版)で詳論された19世紀末期のホセ・リサールを中心とするフィリピンの独立運動の闘志たちのエピソードからです。
19世紀末とは「グローバルなアナーキズムとローカルなナショナリズムがときに対立しながらときに連結するという独特な政治空間を醸しだした時代」。フィリピンのスペインからの独立運動は、19世紀末期のこの世界において突発的におこった現象ではなく、深く世界各地の運動と連携した浮かび上がってきたことを丹念にその作品でアンダーソンは描いており、「一九世紀末の二〇年間に『初期グローバリゼーション』と呼びうる兆候が始まっていたからである」と特徴を指摘しております。
いわば、通信、交通の発達が世界を「狭く」し、それにのってアナーキズムが世界へ広まった。そしてその延長線上にフィリピンの運動もネットワーキングされるという寸法です。だからこのアンダーソンの論考に目を通すと「読者は、アルゼンチン、ニュージャージー、フランス、バスクの内地でイタリア人と出会う」し、「プエルトリコ人やキューバ人にはハイチ、アメリカ合州国、フランス、フィリピンで、スペイン人とはキューバ、フランス、ブラジル、フィリピンで、ロシア人とはパリで、フィリピン人とはベルギー、オーストリア、日本、フランス、香港、イギリスで、日本人とはメキシコ、サンフランシスコ、マニラで、ドイツ人とはロンドンとオセアニアで、フランス人とはアルゼンチン、スペイン、エチオピアで出会う」ことになる。
さて、早稲田大学の2日目の講演では、当時執筆中の『三つの旗のもとに』の意図とあらすじを紹介しながらうえのように講演をまとめております。
ホセ・リサールの生涯を縦糸とすれば、アナーキズムと半植民地的ナショナリストの交流を横糸としてみるならば、その織物こそが19世紀後半のグローバルな「重力場」となるでしょうが、そこで「外国語」はどのように機能したのかと考えた場合、これは興味深い話題ですけれども、「多数言語によるコミュニケーションの重要性」はいうまでもないこととしつつも、言語を習得する、そして伝え・合うことが「感動的ななこと」と捉えております。
ホセ・リサールの時代から百年を経過した現在。軽薄にグローバルというものが叫ばれ、英語をとにかく拾得することが要求されるのがわたしたちのくらす21世紀の特徴でしょう。
もちろん、英語を習得することはいうまでもなく大事でしょう。しかし、グローバルな出会いにおいて外国語を習得し、それを使いこなすことは、百年前であろうが現在であろうが、「ビジネスのための支配的な言語の習得に興味を持っていたわけではありません」。否、「他の言語集団に属する人々との感情的なつながりを得るためにこそ、言語を習得し、その精神世界に入り込むことを望んだ」のではないでしょうか。
アメリカなるものへの不信は強いし、そしてマルチリンガルなアンダーソンの講演は反語のようなフレーズでおわりますが、そう、すなわち、
「学ぶべき価値のある言葉は、日本語と英語だけだと考えているような人は間違っています」。
「英語ではだめなのです。保証しますよ」。
といっていおりますw
もちろん、英語はできないよりもできた方にこしたことはないし、必須の要件でしょう。そして英語を学習することが無駄だという断定ではありませんので念のため。
しかし、それで「事足りる」ないしは「感情的なつながり」をえることなんてどうでもいい、とにかく「つかえればいいんだ」とガムシャラにやっても、それはただのアンドロイドのようなものかもしれません。
そして「支配的な言語」にしか関心がないのでは、本当のところでの地に足のついたローカルな「接続」は不可能だろうと思います。
「当時においても、現在においても、別の言語で学んだり話したりすることを学ぶために注がれるエネルギーの量には驚くべきものがあります。情報を伝え、効用を伝え、考えを伝え、感情を伝える。一つの言語から別の言語へ。それはとても感動的なことです」。
教訓チックかもしれませんが、外国語を習得する意義として、このアンダーソンの言葉は銘記しておきたいものです。
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