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「……だからあいつらは~なんだ」という図式で全てを判断する噴飯さについて

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平田 ただ当然そうは言っても是々非々の関係です。例えば、僕の考える外交政策と前原(誠司)さんのものは、まったく違います。でも、前原さんはプロの政治家であり、僕は演劇人なので、その部分で違うから嫌だと言ってもあまり意味がない。一方、文化政策については、彼はそんなに詳しくありません。だから、その点について、僕の意見があれば言うし、聞かれれば答えるという関係です。「絶対信用できない」という人を別にすれば、オール・オア・ナッシングで付き合うのではなく是々非々で、個別の政策で付き合っていくという態度を、これからの日本の芸術家は身に付けていかないといけないと思う。この党の人だからよい、あの党の人だからダメというのは、まさにイデオロギーです。そうではない関係性で付き合っていきたいと思います。
当事者か消費者か
想田 その問題の背景には、当事者性の希薄さがあるように思います。湯浅誠さんが「あっち側とこっち側」という言い方をしています。つまり、活動家はある要求を呑ませるためにいろいろ画策するけれども、あとは永田町という「ブラックボックス」の中で政策が決定される。そして、その政策が自分たちに望ましい方向に決まらなければ文句を言うし、決まれば拍手喝采する。しかし、そうした方法だけでは「自分も決定のプロセスの当事者である」という意識が、なかなか生まれない。その結果、サービス提供者(あっち側)と消費者(こっち側)みたいな関係になるように感じます。
 つまり、民主党政権を選んだのだから、あとは頼むよって任せてしまうのが今までの日本人のやり方だった。政治サービスというものをプロの人たちに任せて、そこに対価としての票なり献金なりをする。だけど当事者として積極的にかかわるのは良くない。こういう人任せの感じがありますよね。
    --「対談 民主主義を諦めないために 芸術から見た政治のいま 平田オリザ×想田和弘」、『世界』2012年11月、岩波書店、190頁。
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信仰に関する議論は、自身と異なる信仰を持つ他者に対して、その信仰の立場から、「あの信仰の連中は絶対信用できない」だとか、「あの信仰の人だからダメ」という、その人物や内実に即した判断をするよりも、イデオロギー的に精髄反射する現象がまあまあ散見されます。
もちろん、このことは一慨には言えないし、経験上、そうではない人の方が多いし、そうした眼差しは信仰者から異なる信仰者に対する現象だけに限定される問題でもありません。非信仰者から特定の信仰者に対する現象として多見されるとも思います。
今日は、少し変則的だったのですが、授業のなかで、そうしたものの見方をとることのナンセンスさを少しお話しました。
しょうじき、ひかれるかなーと思いましたが、これはやはり大事な問題だから少し話をしましたが、リアクション・ペーパーを拝見するに、反発は全くなく、それなりに刺激になったような反応が多く、一安心もしました。
結局のところは、自分自身が何かを大切にしているということは、同じように、他者も何を大切にしているというところから出発するしかありません。
そしてそこで大切なことは、自ら検証することなく、出来合いのフレーズやスローガンで判断したり、本の帯だけ見て、そのすべてを語るようなやり方を思想・信条に関して向けることほど愚かなことはありませんから。
勿論、人間ですから好き・嫌いはあります。しかし、「……だからあいつらは~なんだ」という図式で他者を判断する限り、それはどこまでいっても無用な敵意や誤解を増幅するだけになってしまいます。
気にくわないとか、面白くないとか、趣味じゃないっていうのはやっぱりあるでしょう。しかし、同じ人間であるとすれば、いろいろな局面において、まさに是々非々で向かいあっていくしかありません。どこかに集めてホロコーストなんてできませんし、そんなことはしたくもありません。
そしてたいての場合「やつらは~だ」という出来合いのフレーズやスローガンというものは、実態と乖離した、「為にする」ものになっているのがほとんどです。
そういう何かによって、その人間の全人性を全否定するようなことこそ、オカシイことがらだと理解して欲しいなと、まあ、思った次第です。
さて、16日に国会は解散とのこと。
「この党の人だからよい、あの党の人だからダメ」という騒音を耳にすることが多くなりましたが、これも「もう、勘弁してくれ」というのが僕のしょうみなところです。
文句を言いたくなるのはわからないわけではありませんし、「オワタ」と思うことはよくありますが、「オワタ」で片づくものでもないだろうと思うわけで、それがまあ、よくないのでしょうなあ。
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