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目の前が少し明るくなったように感じていた:2012年12月13日、げふんげふんの会

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では、帰る、と言った太左衛門へ、捨蔵はその瓜を土産にくれた。
 「早く種を蒔いたのに遅くできた瓜だが、味は悪くない」
 「よいのか、人にくれても……」
 「汁にしてもよいし、漬物にしてもよい」
 「そうか、それはうまそうだな」
 捨蔵に見送られて野路を引き返すうちに日が沈んだらしく、暮色は濃い夕闇に変わろうとしていた。太左衛門は捨蔵の心遣いを感じながら、しばらくは板塀の続く道を歩いた。
 (負けたな……)
 と思ったが、言葉ほど悔しさはなく、むしろ心地よい気分だった。自分は上ばかり見て生きてきたが、捨蔵は自分を見つめて生きてきたらしい。そもそも人間の出来が違うし、あれは本当に負け惜しみではないだろうという気がした。それにしても迂闊だったのは、五十二歳になるというのに今日まで人生の値打ちを一通りにしか考えなかったことで、人の幸福のありようも人それぞれに違うということであった。人から見上げられるまま偉そうにして、いい気になっていたのだから、そんなことに気付かないのも当然であった。早い話が、もしも立場が逆であったら、自分にああいう態度がとれたかどうかは怪しいだろう。
 つらい一日になるはずが、捨蔵に大事なことを教えてもらい、太左衛門は目の前が少し明るくなったように感じていた。
    --乙川優三郎「九月の瓜」、『武家用心集』集英社文庫、2006年、117-118頁。

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木曜日は、授業が済んでから、かねてからtwitterでやりとりをさせて頂いている人生の先輩方と夕刻からずっぽりと一献重ね合わせて頂きました。

匿名主義を隠れ蓑と錯覚する日本のネット環境といえば、匿名差別屋の跋扈を許し、まじめに考えようとすることや、人間同士の真実のやりとりをさまたげようとする勢力が強いのがその現状と特徴であると思います。

しかし、現実には、それだけがすべてではなく、立場や考え方は異なるけれども、ともに、様々な問題について、水平にそして双方向に語り合える仲間、友、先輩というのはやっぱり存在する訳で、ほんとうに、この「人間」という代え難い「財産」に恵まれたことに感謝です。

別に何を話した訳ではありませんが、それでも話し足りなかったというのも事実であり、当初は「ぜったいに、カルくしか呑まない」と決意して参加したにもかかわらず、げふんげふんとなってしまうといういつもの惨状となりました。

ともあれ、年末のお忙しいなか、参集された皆様方、ありがとうございました。

自分自身もまた今日から新しい挑戦を繰り広げていきたいなあと思う次第です。

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