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覚え書:「今週の本棚・この3冊:ジョン・ル・カレ=池澤夏樹・選」、『毎日新聞』2012年12月16日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:ジョン・ル・カレ=池澤夏樹・選

 <1>スマイリーと仲間たち(村上博基訳/ハヤカワ文庫/1470円)

 <2>リトル・ドラマー・ガール 上・下(村上博基訳/ハヤカワ文庫/品切れ)

 <3>ロシア・ハウス 上・下(村上博基訳/ハヤカワ文庫/品切れ)

 丸谷才一さんはミステリが好きだった。

 スパイ小説はミステリの一分野であり、二十世紀後半のイギリスで最高のスパイ小説を書いたのがジョン・ル・カレである以上、丸谷さんがこれを読んでいないはずはないと思っていた。しかし、新刊の『快楽としてのミステリー』(ちくま文庫)の中にエリック・アンブラーやイアン・フレミングやグレアム・グリーンは論じているのにル・カレについてはほとんどないに等しい。

 『猫のつもりが虎』(文春文庫)の二ページにわたる記述を見落としていたのだ。「冬のアイス・クリーム」の章で『ロシア・ハウス』の中でアイスクリームを食べる場面のことを実に楽しそうに書いておられた。丸谷さん、やっぱりお読みでしたかとこちらも嬉(うれ)しくなった。

 ジョン・ル・カレ、出世作は『寒い国から帰ってきたスパイ』(ハヤカワ文庫)。その後で「スマイリー三部作」を完成させて地位を不動のものにした。ミステリだからゲーム性は充分にある。しかしそれを覆うほどの人間たちの描写がいい。彼らのふるまいや会話、一瞬のしぐさ、身に着けたもの、性癖、などを通して悲哀が読む者に寄せてくる。

 スパイとは結局は信頼の否定であり裏切りである。だからそれをあばく側に訪れるのは勝利感ではなくせいぜい空虚な達成感なのだ。「スマイリー三部作」はソ連諜報(ちょうほう)部を率いるカーラとイギリスで同じ地位にいて一度は失脚するジョージ・スマイリーの対決の物語で、最後の『スマイリーと仲間たち』でカーラを捕まえる。この結末がなんとも苦い。

 三部作が完成したのが一九七九年。対ソ連という舞台を使い切った後、一九八三年に書かれた傑作が『リトル・ドラマー・ガール』。主題はイスラエル=パレスチナ問題だった。ヨーロッパ各地で爆弾を仕掛けるパレスチナ側のテロリストをイスラエルの諜報部が追う話だが、ジョン・ル・カレのリアリズムはそうそう簡単に一方を悪役にしない。潜入の任務を負ったイギリスの若い女優が見る難民キャンプの光景は現代の世界を生々しく映している。

 ふたたび話をロシアに戻した『ロシア・ハウス』は一九八九年。冴(さ)えない中年のイギリス人が惚(ほ)れたロシア女を救い出すために自分の国の諜報部相手に仕掛けるトリックが見事で読後感も爽快、ですよね丸谷さん。
    --「今週の本棚・この3冊:ジョン・ル・カレ=池澤夏樹・選」、『毎日新聞』2012年12月16日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20121216ddm015070032000c.html

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