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覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『われらが背きし者』=ジョン・ル・カレ著」、『毎日新聞』2012年12月16日(日)付。

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今週の本棚:井波律子・評 『われらが背きし者』=ジョン・ル・カレ著
 (岩波書店・2730円)

 ◇世界を包む謎、実感させる「巨匠」最新作

 『寒い国から帰ってきたスパイ』など、スパイ小説で知られる英国ミステリーの巨匠ジョン・ル・カレの最新作。ル・カレは原著が出版された時(二〇一〇年)、七十九歳だったが、その重厚かつ緻密な語り口と物語展開はますます成熟の度を深め、読者を堪能させてくれる。

 物語は、オックスフォード大学の英文学教師ペリー(三十歳)が自分の生き方に疑問を感じて、学問の世界を離れようと決心し、区切りをつけるべく、聡明で美しい恋人の弁護士ゲイルとともに、カリブのアンティグア島に赴き、一世一代の豪華なバカンスを過ごすところから幕を開ける。しかし、ここで怪しげな雰囲気を発散するロシア人実業家ディマとその家族と知り合ったことから、事態は思わぬ方向に展開する。ディマはテニスを通じて親しくなったペリーを信頼して重大な秘密を打ち明け、彼に援助を求めたのである。

 その話によれば、ディマは若いころからロシアの犯罪秘密結社ヴォーリーのメンバーであり、冷戦後はロシアのマネーローンダリング(不正な資金をさまざまな手段で浄化すること)のボスとして暗躍してきたが、ヴォーリーのリーダーによって、愛弟子夫婦を殺され、身の危険を覚えたため、家族ぐるみ英国に亡命したいとのこと。ちなみに、ディマの家族は浮世離れのした妻タマラ、妻との間に生まれた双生児の少年、その異母姉の美少女、愛弟子夫婦(妻はタマラの妹)の遺児である二人の少女という、複雑な構成である。壮絶な経験を経てきたディマの雄々しい姿に魅了されたペリーと、暗い表情の少女たちに心ひかれたゲイルは、このディマの困難な依頼を引き受け、陰謀の渦に巻き込まれてゆく。

 帰国後、ペリーはつてをたどって英国諜報(ちょうほう)部と接触し、ディマの依頼を伝えるが、ここからはル・カレの独壇場、渋い魅力を放つ諜報のベテランが次々に登場する。かつては世界を股にかけたスパイだったが、今は冴(さ)えない窓際族のルーク、その上役の度胸満点のヘクター、ヘクターとルークの助手をつとめる万能裏方仕事師のオリーといった面々である。これに、出世主義者の諜報部事務局長のビリーが絡み、事態は複雑の度を増す。

 ペリーとゲイルは何度もヘクターやルークの事情聴取を受けるが、このやりとりはスパイ小説とは思えない、一種、入り組んだ心理劇のような綿密な構成をもって描かれている。なかでも、冴えない老いたスパイ、ルークの屈折した心理の描写は圧巻というほかない。

 こうしてえんえんとつづく事情聴取、および周到な準備工作のはてに、ようやく事態は進展し、ペリーとゲイルはルークらとともに、パリからスイスのベルンに向かい、ディマ一家の救出にとりかかる。直接、彼らをロンドンに移動させるのは危険であり、ルークがベルンのホテルで、かつて英国諜報部に所属し今は政界入りしている大物も加わる会合に出席するディマを脱出させ、ペリーとゲイルがひとまず家族を郊外の隠れ家に運ぶという段取りである。紆余(うよ)曲折はあったものの、両面作戦は成功し、ディマ一家は首尾よく一堂に会することができた。しかし、なかなかロンドンへの出発は果たされない。

 彼らは念願どおりロンドンに飛びたつことができたのか。誰が「背きし者」なのか。最後にスリリングなドンデン返しも仕掛けられており、息づまる展開がつづく。世界は深い謎に包まれていると実感させられる、文字どおり上質のエンターテインメントである。(上岡伸雄・上杉隼人訳)
    --「今週の本棚:井波律子・評 『われらが背きし者』=ジョン・ル・カレ著」、『毎日新聞』2012年12月16日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20121216ddm015070029000c.html


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