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覚え書:「【書評】江戸の読書会 前田勉著」、『東京新聞』2012年12月16日(日)付。

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【書評】江戸の読書会 前田 勉 著 

◆異見を認める自由な精神
[評者]姜 信子 作家。著書に『棄郷ノート』『うたのおくりもの』など。

 明治維新から百五十年このかた、日本の近代のはじまりを告げた御一新にあやかって、なにかと維新を叫ぶ人々が繰り返し出てくるが、さて、そもそも「維新は何によって維新たりえたのだろうか」。本書に引用されているこの問いは、明治維新百年の際に思想史家藤田省三が発したものであるが、同時に本書を貫く問いでもある。
 本書がその一つの答として差し出すのが、江戸の「会読の精神」だ。会読とは、俗世間の身分や先入観にとらわれることなく、対等に虚心に議論を戦わせ、異見を尊重しあう読書会。それは、江戸の厳格な身分制社会にあって、タテ社会の障壁や地域の隔たりを横断して新たな関係を結んでゆく自由な精神の空間だった。荻生徂徠によって儒学の学びの場に本格的に取り入れられて以来、会読は儒学の私塾、幕府の昌平坂学問所、藩校、さらには国学、蘭学でも盛んに行われたという。
 何よりここで注目すべきは、一見近代精神とは相容(あいい)れないように見える朱子学に、実はリベラルな会読の精神が宿っていたということ。そして、科挙という制度を持たない江戸の社会では、学問が立身出世のための実利の道具にはならなかったということが、むしろ会読の精神を豊かに育み広げていったという逆説なのである。
 学芸の核心を成す自由な精神に満ちたこの会読こそが、明治近代国家の礎となる「政治的公共性」を準備し、自由民権運動の民主主義の精神の母胎にもなった。その一方で、明治の学制により学問が立身出世の道具となったとき、会読の精神が見失われることになったというもう一つの逆説…。
 はたして、新たなはじまりをもたらす自由な精神は、混沌(こんとん)たる今を生きる私たちのもとにあるのか? 実利とは異なる喜びと豊穣(ほうじょう)をもたらす学芸の精神を私たちは見失ってはいないか?
 江戸の読書会の風景を前に、湧きいずる痛切なる問いである。
まえだ・つとむ 1956年生まれ。愛知教育大教授、日本思想史。著書『近世神道と国学』など。
(平凡社 ・ 3360円)
<もう1冊>
 田村俊作編『文読む姿の西東』(慶応義塾大学出版会)。絵画に描かれた読書の情景から、文化的装置としての書物の歴史を読み解く。
    --「【書評】江戸の読書会 前田勉著」、『東京新聞』2012年12月16日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2012121602000176.html


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