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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『俺たちが十九の時-小川国夫初期作品集』=小川国夫・著」、『毎日新聞』2012年12月23日(日)付。

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今週の本棚:堀江敏幸・評 『俺たちが十九の時-小川国夫初期作品集』=小川国夫・著
 (新潮社・1890円)

 ◇飾りのない言葉が映す「若き修行者」の苦しみ

 かつて作家を志す者たちは、一篇の作品を完成させ、世に認められるまで、発表の当てもなくただ書きたいという気持ちだけを支えに、日々原稿用紙に向かい、おびただしい草稿で行李(こうり)をいっぱいにした。苦行の内実は、もちろん自己申告である。本人が話さなければそんな伝説が広まるはずはないし、語ったら語ったで胡散臭(うさんくさ)さが残る。

 平成二十年に亡くなった小川国夫にも、「どこへ行く当てもない原稿」を書き溜(た)めていた時代があったという。反故(ほご)の山、もしくは完成しているのに発表に至らなかった言葉の山を、彼はある随想のなかで「蜆(しじみ)塚」に見立てていたが、遺品から発見された「優に数千枚に及ぶ草稿」によって、当時の創作活動が明らかになった。その中に、形になっていながら未発表に終わった原稿が含まれていたのである。

 発見の経緯については、遺稿整理を担当した編者解説に詳しい。本書に収められているのは、昭和四十年、島尾敏雄によって『アポロンの島』が激賞され、広く認められる以前に書かれた八篇。一九五二年の「おろかな回想」には、「で、私はこうして死んでいるわけですが、あの時はたしかに生きていた。今思えば、生とは夢ですな」といった戯作(げさく)調の語りが見られて興味深いのだが、他の作品で扱われている舞台や素材は、基本的に後年の方向性を示しているものばかりだ。故郷である静岡県藤枝市の周辺、フランスを中心とするヨーロッパ、そして、みずから信者でもあったキリスト教を素材にした作品群という三つの柱は、二十代の頃からすでにできあがっている。

 飾りのない線分のような言葉の行方は、酸味と熱を帯びたままあやうい均衡状態にとどまるか、抑え切れずに暴発するかのふた通りしかない。たとえば表題作の「俺たちが十九の時」が抱えているのは後者の方だが、展開の小さなつなぎに前者が介入してくるところに、のちの小説の核に当たる部分が見える。「俺は自殺だって出来るよ」という友人の台詞(せりふ)と暗示的な風景描写が、暴力の予感を増幅してゆく。主人公は夜、不安に駆られてこの友人のもとへ自転車を走らせる。

 「変電所がゆうべの電燈を消してしまって、冷い光の中に見えて来た。軽便鉄道の褐色のレールはカーブしてそこを掠(かす)めていた。変電所の肩を張ったような鉄の塔の下には澄んだ流れがあり、蛇が葦(あし)の茎を呑(の)んでしまって棒のようになった自分の体をもてあましているのを俺は見た。」

 もてあましているのは「俺」自身、つまり作者の投影と思(おぼ)しき主人公、柚木浩の胸中なのだが、葦の茎を呑み込むような心身一体となった苦しみは、下級生の男子への眼差(まなざ)しを彼によく似た女子生徒のそれに重ねる「霜と虹」にも、中尉から関係を迫られてそれを拒むという掌篇を軸にした「少年」にも、主人公が心惹(ひ)かれている女性の甥(おい)を殺してしまう「叔母、甥」にも共有されている。

 同性・異性を問わず、誰かを強く想(おも)い、強く見つめるとき、小川国夫の主人公はどこか殉教者の衣をまとう。駿河の海が地中海に直結し、時代は一挙に古代ローマにまで遡(さかのぼ)って、主人公がみな、進んで葦の茎を呑み込んだ《あの人》と称される人物からの「試み」を受けているような印象をもたらす。末尾に置かれた「永遠の人」のユニアは、光の消えた変電所の周りを言葉で照らそうとする、ひとりの小説家でもあるだろう。

 小川国夫は最後まで十九歳の修行者だった。《初期》という限定は、その意味で、必ずしも正しいとは限らないのである。
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『俺たちが十九の時-小川国夫初期作品集』=小川国夫・著」、『毎日新聞』2012年12月23日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20121223ddm015070012000c.html


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