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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『最後の人 詩人 高群逸枝』=石牟礼道子・著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『最後の人 詩人 高群逸枝』=石牟礼道子・著
 (藤原書店・3780円)

 ◇名作の萌芽を支え、促した出会いの記録

 世界経済フォーラム(WEF)二〇一二年の「世界男女格差報告」によれば日本は百三十五か国のうちの百一位であるという。情けないことだ。

 不況脱出の鍵をこの格差問題の是正に求める論もあるが、それでは女とは何か?

 個体同士の性別意識はヒトがヒトになる前、有性生殖が生まれた時からあったけれども、社会において女性とは何かが意識的に考えられるようになったのは近代のことだ。

 先駆者としてまず与謝野晶子や平塚らいてうの名が浮かぶ。それに続いたのが高群逸枝(たかむれいつえ)。熊本県出身の詩人であり、女性学の研究者である。その頃のことだから大学に講座があるはずもなく、終世在野。孤立無援のまま『招婿婚(しょうせいこん)の研究』、『女性の歴史』などの成果を上げた。

 この『最後の人』は石牟礼道子が高群逸枝について書いた文章の集大成である。

 それにしても不思議な仲だ。

 高群と石牟礼、二人の間には三十三年の齢(とし)の差がある。熊本の一主婦であった石牟礼はたまたま同郷の高群の仕事を知って、『女性の歴史』を夢中になって読み、「かねてから私が思っていることに全部答えてある」と興奮し、ファンレターを書いた。それを受け取って一か月後に高群は亡くなった。だから実際には二人は会っていない。

 しかし高群逸枝には伴侶がいた。

 橋本憲三。

 これがすごい男。逸枝の才能を信じ、研究の意義を信じ、自分は生涯をこの人に捧(ささ)げると決めて、死後の全集刊行まで献身的に遂行した。同じような例は男女を入れ替えれば珍しくない(例えばドストエフスキーの妻のアンナ)。しかし妻の執筆の支えを男子一生の仕事とした男はめったにいない。

 その橋本憲三が葬儀を終えてしばらくした頃、自分の郷里でもある熊本に戻って、かつてファンレターをくれた石牟礼に会った。その手紙のことは病床にあった逸枝との間でも話題になっていたと伝えた。

 逸枝と憲三は東京・世田谷の真ん中に残った森の中の家で暮らしていた。いつかその家を見に来ないかと石牟礼道子を誘った。

 逸枝が亡くなった二年後、道子は家族の了解を得て上京、「森の家」に半年近く滞在し、妻の『全集』の編集に勤(いそ)しむ病がちの憲三の世話をしながら逸枝のことを聞き、同時にのちに『苦海浄土』となる原稿を書いた。

 二年後に橋本憲三は季刊『高群逸枝雑誌』を創刊する。石牟礼がこの雑誌に寄稿した「最後の人 高群逸枝」がこの本の第一部であり、その後に滞在中の「日記」や関連する文章、二〇一二年八月に行われた(藤原良雄による)インタビューなどを加えることでこの本は成っている。

 高群逸枝は晩年に至るまで戦闘的だった。亡くなる前年に書いた『日本婚姻史』にも通じる言葉を引いて石牟礼はこう記す--

 「家父長制家庭では私有財産に制約されて性生活にあらゆる作為が加えられる。産めと言ったり堕(お)ろせと言ったり、女性の性は不感症型の妻と商売型の娼婦(しょうふ)のそれとに分化し女性の愛は自主性も原始性も喪失し現代の家庭の性生活の内容は百鬼夜行の惨状である」

 その逸枝のことを夫の憲三はこんな風に言う--

 「とてもおばあさんだなんてひとではなかったなあ。終生、乙女のようなひとだった……。むしろ年月と共にわかわかしくさえなってゆくような、まったく不思議きわまるひとでしたよ。ああしかし、ぼくよりほかに、そのことを知っているものはない」

 そういう憲三の言葉を聞きながら、道子はこう伝える--

 「一人の妻に『有頂天になって暮らした』橋本憲三は、死の直前まで、はためにも匂うように若々しく典雅で、その謙虚さと深い人柄は接したものの心を打たずにはいなかった」

 道子は十一年の後に再び上京して憲三を見舞い、彼の妹の静子と共に最期を看取(みと)った。

 人の世にはこういう巡り合わせがあるのかと考える。

 もしも一九六四年に三十七歳で高群の著作に出会っていなければ、石牟礼道子は『苦海浄土』や『椿の海の記』を書かなかったかもしれない。少なくともその内容はずっと違ったものになっていただろう。石牟礼は橋本憲三に会うことで高群を徹底して深く読む契機を得た。

 高群を促していたのは、社会で行われている言説と自分の体感・生活感の間の大きな落差だった。石牟礼はいわば『女性の歴史』の応用問題として水俣病というとんでもない仕事を負うことになった。その意味ではこれは萌芽(ほうが)期の『苦海浄土』を支え、促した出会いの記録である。

 高群と石牟礼の間に橋本憲三を挟めば、思想は著作物だけでなく具体的な人格を経て継がれるという奇蹟(きせき)の好例。

 最後に私的な感慨を付け加えさせてもらえば、高群逸枝が「森の家」で著作に励んでいた時期、ぼくはそこから四キロ足らずのところでせっせと小学校に通っていたのだ。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『最後の人 詩人 高群逸枝』=石牟礼道子・著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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