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書評:高橋哲哉『記憶のエチカ -戦争・哲学・アウシュヴィッツ』岩波書店、2012年。

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読了というか1995年刊行同書の「岩波人文書セレクション」再録のため再読。アーレントやレヴィナスの言葉に耳を傾け「物語」に回収されない証言と向かい合う思考のあり方を問う一冊。歴史修正主義や戦後責任を考える上では必携。

「出来事から出発し、出来事をめぐって哲学することはいかなることか」。
再読になったが、今の時代に読むべき一冊ではないかと思う。為にする修正主義や都合のいい物語への回収の烽火があがった当時の世相を背景に発表された論集だが、現在読むとアクチュアリティに驚いてしまう。

「〈記憶〉や〈証言〉の本質には、〈死者に代わって〉ないし〈不在の他者に代わって〉という構造」が不可避となる。戦争と暴力の記憶が鋭く問われるのは「直接体験を持たない者に対してであり、未来の世代にいかにしてそれを伝えていくかという問題」と高橋さんは指摘する。

お弟子さんの東浩紀さんは、師の「無限の倫理的責任ガー」に辟易し、popなまじめを決め込む。そのことはよく分かる。しかし、「~責任ガー」というものの内実を引き受ける私たちが、それを創造するものだとすれば、「もう、おなかいっぱい」として簡単に退けてしまうのは早計だと思う。

さて、人文セレクションの眼目は末尾の「岩波人文書セレクションに寄せて」(二〇一二年初秋)。高橋さんは本論でホロコーストのほか従軍慰安婦の問題をとりあげたが、ここでハンセン病患者共生隔離政策の歴史を取り上げる。民族浄化は世界の果ての過去の事件ではないし、日本では敗戦によっても終わってはいないのだ。

ハンセン病の問題は若い学生に聞いても知らない人間が多い。まさに「忘却の政治」とは「起こったことが起こらなかったこと」にしようとするものである。だからこそ、本書のアクチュアリティはそこにある。記憶を哲学する。今読まれて欲しい一冊である。


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 先日、ハンセン病問題を考える会に参加した。そこで初めて私は、元ハンセン病患者の方にお会いした。一七歳で発症し、遠く離れた療養所に入所。実態は、一度入ったら二度と出ることができない強制隔離であった。以来六一年間、療養所内で生きてきた。特効薬の開発で病気が完治しても、差別を恐れてほとんどの元患者が療養所内で生涯を閉じる--それを見てきた、と言う。患者の遺体を患者仲間が火葬に付すことを強制されていた話は、絶滅収容所のユダヤ人特務版を連想せずに聞くことができなかった。
 日本のハンセン病患者強制隔離政策は、一九〇七年の法律「癩予防ニ関スル件」に始まる。患者が市中に存在するのは文明国として「国辱」だという理由であった。一九三一年、満州事変の年に「癩予防法」が成立、総力戦に向けて強力壮健な民族を造るという「優生学的」目的があった。家庭や地域から一人残らず患者を狩り出して、療養所に隔離する「無癩県運動」が全国で展開される。強制断種・強制堕胎によって、子孫も含め患者を絶滅させる「絶対隔離政策」へとつながっていく。草津の栗生楽泉園には特別病室と称して重監房が造られ、全国から「反抗的」とされる患者が送りこまれて、事実上虐殺された。「日本のアウシュヴィッツ」と呼んでも、決して過言ではないだろう。
 こうした「民族浄化」政策は、驚くべきことに、敗戦によって終わることはなかった。一九五三年、新「らい予防法」が成立し、強制隔離は継続させる。強制堕胎も含め、一九九六年に廃止されるまでつづいた。私がお会いした元患者の方は、療養所への入所の際、名前を変えられ、元の自分は社会的に死者となったと語る。九歳で隔離された患者が入所に際して署名させられた、死後解剖の同意書も見せてくださった。仮に治癒したとしても療養所から出されることはなく、死ぬまで隔離され、死んだ後も解剖で遺体を収奪される。物理的にも人格的にも社会から抹消し、子孫まで含めて根絶されるのである。では、この日本版「絶滅作戦」の記憶は、今日、どうなっているのか。
    --高橋哲哉『記憶のエチカ -戦争・哲学・アウシュヴィッツ』岩波書店、2012年、285-286頁。

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