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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『ケインズとケンブリッジに対抗して』=F・A・ハイエク著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『ケインズとケンブリッジに対抗して』=F・A・ハイエク著
 (春秋社・3675円)

 ◇俗説を打破する経済政策論争の真実

 「ケインズかハイエクか」という対比を、しばしばマスコミで目にするようになった。もっぱら「大きな政府か小さな政府か」というイデオロギー対立をめぐる記事で引用されてのことだ。だがそれが「財政(公共事業)主義か構造改革か」とまで敷衍(ふえん)されるなら、二人にとっては迷惑でしかないだろう。

 というのもJ・M・ケインズは『繁栄への道』でこそ不況時の失業対策として公共事業を提唱したが、生涯にわたり重視したのは金融政策の方だったし、F・A・ハイエクは自由主義市場論者と呼ばれるものの、『自由の条件』にせよ強調されたのは慣習や法という「構造」の下での市場秩序だったからだ。

 そんな誤解が現れるのも、もとをただせば彼らの論争が正確に理解されないまま俗説として流布しているから。そして本書こそ、ケインズとハイエクが直接に論を闘わせた1930年代前半のやりとりを中心とする論文集の待望久しい初訳なのだ。ハイエクの英文は晦渋(かいじゅう)を極めるだけに、訳者の労をねぎらいたい。

 事情は込み入っている。ハイエクが微に入り細にわたる執拗(しつよう)な分析と批判を(長すぎて前・後編に分載された)書評で展開したのは、ケインズの『貨幣論』(1930)をめぐってであった。ケインズはすぐさま反論を寄せたが、議論もそこそこに「無慈悲な論理学者が誤った前提から、最後はいかに精神病院に行き着くことになりうるかを示す、驚くべき一例」と罵倒する始末。

 その後、年末年始に何通もの私信で論争は続き、ケインズは耐えきれなくなったのか鬼才、P・スラッファを刺客としてハイエクの『価格と生産』批判を書かせるに至り、その内容には応戦したハイエクよりもむしろケインズが感じ入り、『一般理論』執筆のヒントを得るのである。

 こうした経緯がマニアックに過ぎると感じる向きにはN・ワプショット『ケインズかハイエクか』(新潮社)の併読をお勧めしたい。当時の世相と二人を取り巻く学者の生態が、ゴシップを交え克明に描かれている。

 こうした学術書を本欄で紹介するのも、それが円安誘導とデフレ脱却をめざすという「アベノミックス」の行く末を予告すると思われるからだ。ハイエクは、金融緩和で余分なお金が出回れば企業家は誤った生産と投資を行い、反動で景気はいっそう冷え込むだろう、と言う。

 対照的に『貨幣論』後のケインズはデフレは家計も企業もお金を使わないという社会心理の冷え込みである「流動性の罠(わな)」によるのだから、金融政策だけでは有効性が薄いと見た。それに市場に溢(あふ)れたお金は海外に逃避してしまうから、資本取引を規制すべしと唱える(「国家的自給」)。

 ケインズとハイエクの予告は、併せて2003年頃から08年頃までの金融緩和で実現したともいえる。日本ではデフレは終息せず、カネは米国に流れ、そこで土地バブルという誤投資とサブプライム恐慌を引き起こした。今回もその再演となるのだろうか。

 経済の混乱とは資産バブル・流動性の罠なのか、金融政策に誘導された誤生産なのか。彼らの論争は終始噛(か)み合わなかったが、激しくなじり合いながら「Dear」に始まり「Yours sincerely」と結ぶ書簡を何通も交わすなど、凡人には近づきがたい16歳差の友情ではある。

 第三部の回想編では、もっぱら批判の矢は取り巻きに向けられ、ケインズその人は戦後も生きたならインフレ退治の同志だったろうと温かい筆致で回想される。怜悧(れいり)・執拗・残酷に宥和(ゆうわ)。深い感情が渦巻く一級の文献である。(小峯敦・下平裕之訳)
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『ケインズとケンブリッジに対抗して』=F・A・ハイエク著」、『毎日新聞』2013年01月13日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20130113ddm015070021000c.html


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