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覚え書: 「文化 直木賞を待つ 安部龍太郎」、『日本経済新聞』2013年01月20日(日)付。


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文化
直木賞を待つ
安部龍太郎

 直木賞の発表を待つのは二度目だった。前回は第百十一回。十九年も昔である。まだ若かったせいか候補にしてもらっただけで舞い上がり、仕事が手につかなくなった。発表当日も期待と不安に我を忘れ、どんな状況だったかも覚えていない。
 その点、今回は不思議なくらい落ち着いていた。もう賞の対象になることはないだろうと腹をくくって仕事をつづけてきたせいか、候補にしていただいたことを楽しむ余裕があった。


 選考会のある十六日は、先約があった。昨年中国旅行にご一緒した大学教授のO先生、財務省ご出身のTさんと、西馬込の寿司屋で旧交を温めることにしていた。
 ところがこのような嬉しい予定が飛び込んできたので、「騒がしいことになりそうですが、それでもいいですか」とO先生にたずねた。すると先生は「こんなことは滅多にあるもんじゃないから、私たちも楽しませてもらいたいわ」と、快く了解して下さった。
 一方のTさんは、このほど国家の要職につかれたばかりである。忙しくてとても来ていただけないだろうと思っていたが、ガラリと寿司屋の引き戸を開け、「予定より早く着いちゃいました」と照れたような笑顔を見せて下さった。
 三人で飲み始めた頃、『等伯』を担当してくれた日本経済新聞出版社のK君、文化部のU子さん、友人のM君、彫刻家の御宿主さんがやってきた。御宿さんとは十五年来の付き合いで、腹を割って話せる得難い友人である。
 TさんもO先生もこころ配りの行き届いた優しい方で、すぐに四人と打ち解け、旨い寿司をつまみながらの歓談となった。芸術論、社会論、経済論、風俗論と話はつきない。楽しく話し込んでいるうちに、いつしか今日がどんな日かを忘れていた。


 七時過ぎ、芥川賞に黒田夏子さんが選ばれたというニュースが流れた。直木賞ももうすぐだなと思いながら知らせを待ったが、七時半を過ぎても電話が来ない。あるいは駄目かもしれないという予感が走った。
 「こんなに長引くとは、二作受賞か該当作なしね」
 O先生の読みは鋭い。他のメンバーも落ちるかもしれないという思いにとらわれたらしく、次第に口数が少なくうつむき加減になっていた。
 私も黙り込み、ふと長かった道程に思いを馳せた。画家の西のぼるさんから初めて長谷川等伯のことを教えていただいた日。調べてみれば異様なほど親近感を覚えたこと。没後四百年展で初めて「松林図屏風」を観て、衝撃のあまり棒立ちになったこと。
 朝刊に連載を始めてからも、いろんなことがあった。最大のショックは、やはり3・11の大震災である。あの津波の凄まじさ、犠牲になった人々の痛ましい姿、たてつづけに起こった福島第一原発の爆発。それらをニュースで目の当たりにすると、足元が崩れ落ち、果てしなく落ちていくような喪失感を覚えた。
 こんな現実を前に、小説を書きつづける意味があるのか。そんな思いに茫然としながらも、自分には小説を書き続けることしか出来ない。それなら被災した方々の心の救いに通じる作品を書かなければと、己れを鞭打ちながら原稿用紙に向かった。
 等伯の苦難に満ちた生涯、それでも絵を描きつづけた情念、そうして肉親の死や世上の矛盾をすべて昇華する松林図の境地。そこに達する姿をどう描けばいいか、苦心と苦悩の日々が続いた。それを無事に切り抜けられたのは、法華経の研究家である植木雅俊さんの助言があったからだ。


 思えば私が等伯を書いたのではなく、等伯が世に出ようとして私を走らせたのではないか……。そんなことを考えていると、手元のケイタイが鳴った。、番号の表示で日本文学振興会からだと分り、受賞を確信した。
 その旨を聞き、ありがとうございますと答えた瞬間、まわりで歓声が上がった。
 仲間全員が立ち上がり、安堵と祝福の声を上げた。あまりの騒がしさに先方の声が聞こえなくなり、店の外に出て電話をつづけたほどである。
 店にもどるともみくちゃにされた。喜びの握手を交わし、肩を叩き、感激のあまり抱き合った。いつもは冷静な担当のK君が、緊張から解き放たれて呆けたような顔をしている。一年四カ月伴走してくれたU子さんは、店の壁によりかかって静かに泣いていた。
 それから東京会館に行き、黒田夏子さんと、朝井リョウさんと一緒に記者会見に臨んだ。カメラのフラッシュが目に痛いほどで、自分の人生ではないような華やかさである。
 会見を終え、選考委員の方々が集っておられる銀座のお店に行った。店内は関係者で足の踏み場もないほどである。隅の席におられた渡辺淳一さんが、ここにおいでと席を空け、
 「よく頑張ったね、おめでとう」
 にこやかに乾杯のグラスを合わせて下さった。
 第百十一回の候補になった時にも選考委員をつとめておられ、その後の歩みをずっと見ていて下さったのである。
あべ・りゅうたろう 作家。1955年福岡県生まれ。2005年「天馬、翔ける」で中山義秀文学賞。他の著作に「信長燃ゆ」など。11年1月から12年5月まで本紙で連載した「等伯」で直木賞。

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